ひきょうなばぁさん

目傘アカナ

ひきょうなばあさん

 むかしと言うには最近のこと。

 世田谷の高級住宅地のある所に、ひきょうなばぁさんが居りました。

 ひきょうなばぁさんの卑怯さは天下で一等、お国でだーれも敵いっこありません。


 ばぁさんは田舎の竹細工師の下に生まれましたが、若いころ実業家の男を騙して脅し、婚約を迫り、玉の輿に乗じることが出来ました。


 しかも、その夫は事故に見せかけて殺されてしまいます。

 ばぁさんはその時に得た保険金で暮らしているわけです。


 ですがばぁさんの和モダンな一軒家からは、夜な夜なぶつぶつと呪いのような声が聞こえてきます。


 ――あぁ、たらない。おかねがたらない。


 一度贅沢を覚えたばぁさんの欲に際限はありません。

 ひきょうなばぁさんは卑怯なだけでなく強欲でもあったのです。


 ――あぁたらない。エルメスの鞄に百じっこ。


 まさか百が十個と言う筈は無いですから、百万が十個必要なのでしょう。

 近所の者どもは皆、この恨めしそうな声を不気味に思い、その道を通らなくなりました。

 町内会ではどう注意すべきかがもっぱらの議題になっておりました。


 そんなある日、ばぁさんは日課の散歩をする途中で隣のおじぃさんに会いました。

ひきょうなばぁさんは、おじぃさんが連れている犬っころを見て思い出します。


 ――ローシェン……。


 その犬種は高い市場価値を持つ、大層珍しいものでした。

 ひきょうなばぁさんは日が暮れぬうちに隣の家に忍び入り、寝こみの犬をかっぱらってお金に換えてしまいます。


 次の日、愛犬の所在が分からず途方に暮れたおじぃさんの元をばぁさんが訪ねました。

 そしてこう言うのです。


 ――犬畜生がいるとすれば保健所さね。殺処分になってないといいねぇ……。


 慌てて家を飛び出して言ったおじぃさんを見届けて、一人残ったばぁさんはその家の財産を根こそぎ持ち去りました。

 更にはひきょうなばぁさんは口舌を尽くして警察をだまくらかし、その悪行を中国の窃盗団の罪科とします。


 ――シャネルの香水ありったけ。泉にするほどありったけ。


 ついにばぁさんは無駄遣いの楽しさに目覚めました。


 ――さぁさぁ、はたらけこぞうども。


 お金を振りまいて人の人生を壊す楽しさも見出します。

 一番の被害をこうむったのは隣のおじぃさんでした。


 おじぃさんはその頃世田谷には住むこともできず、田舎でつつましい暮らしをしていました。

 ひきょうなばぁさんはそれを聞きつけると鼻歌交じりにそこへ行き、闇に乗じて火を放ちます。


 これでいよいよおじぃさんは一文無し。

 困ったおじぃさんに、ひきょうなばぁさんはあれやこれやとくつじょく的なことをさせ、少しばかりの小銭をくれてやります。


 ――たのしいねぇ。愉快だねぇ。


 お月さまは雲の上からそれをじっと見ていました。

 あの嬢ついぞ限度を越えたり、といよいよそう判断したお月さまはおじぃさんの息子に真実を下します。


 その息子は誠実なことで名の通る、まっことせいじつな息子でした。

 まがったことがだいきらい。


 そのせいじつな息子はおじぃさんの現状を知るとすぐさまそこに向かいました。

 勤務先のフランスから飛行機でひとっ飛び、タクシーの運ちゃんを急かして急かして向かいます。


 しかし、着いた先で待っていたのは過労と栄養失調で行き倒れたおじぃさんのすがた。

 あと一歩遅かったのです。


 せいじつな息子はその骸を抱え、二十の夜を泣いて過ごしました。

 天をうがつような大声で泣き、泣いて泣いての泣き尽くし。

 体の水がすべて出るまで泣いた後、おじぃさんの体を桜の木の下に埋めた息子はある決意をしました。


 まっすぐ前を見つめていた誠実な瞳は今や見る影もありません。

 泣きはらしたその目には憎悪の炎がちらちらと浮かんでいるようです。

 その激情の炎は瞳を飛び出て腕に巻き付き、舐めては焼き尽くし舐めては焼き尽くし、見る間に息子の体を蝕んでいきます。


 三日もすると、息子の体はそれは見事な赤色になっておりました。

 せいじつな息子はふくしゅうの赤鬼になったのです。

 仇を討つべく、赤鬼はひきょうなばぁさんの居る家を襲撃しました。


 鬼の力は誰にも止められません。

 護衛の者が何人束になろうとも、その歩みを妨げることはないのです。

 赤鬼はその勢いのまま、ヴィトンの皮椅子にのけぞって座るばぁさんを鷲掴みにしました。


 ――や、やめることさね……金なら…………。


 弁明を許されたばぁさんがいの一番に口にした言葉はなんとも虚しいものでした。

 赤鬼は動かなくなったばぁさんを投げ捨てると、その家にある財宝を全て袋に詰めて外に向かいました。


 赤鬼はずんずん進んで桜の木の下にたどり着くと、そこにおじぃさんの財と犬の写真とを置き、今度はあてなく歩いていきます。


 その旅路で赤鬼は見ました。

 逃げる人間、怯える人間、鉄砲を向ける人間。

 自分はもう鬼だ。復讐を終え、やることも行く場所もない、たった一人ぼっちの鬼なのだ。

 そう思うと涙が零れそうでした。


 ですが、どこからかやってきた青鬼が慰めてくれます。

 彼もばぁさんにやられた口で、悲しみのあまりぽっかり空いた胸の穴に空の青色が入り込んで青くなったというのです。


 仇を討ってくれた赤鬼の為に、その青鬼は一芝居うつことにしました。

 狂ったように人間を襲い、赤鬼に止めさせたのです。


 赤鬼は人間に認められましたが、青鬼はその地を後にしなければなりませんでした。

 赤鬼は今度こそほろりと涙を零しました。


 鬼の寿命は人の生涯を四つ並べてなおも長い、とてつもない長寿。

 しばらくそこで生きていると、若い子らがまた怖がるようになったので、出ていくことを決めました。


 道中、赤鬼はちょっとした思いつきから頭を刈り上げて藁を纏い「悪い子はいねがー、居たらどれ、俺が食っちまおうか」と叫びながら各地の村々を練り歩きました。


 あちこち回り、最後は捨てられたボートで瀬戸内海に浮かぶ小島に行きます。

 赤鬼はそこを鬼ヶ島と名付けると、ひきょうなばぁさんにひどい目にあわされた鬼を集め、そこで穏やかに暮らし始めました。


 一度どん底に落ちた鬼たちは繊細でしたが、代わりにその何倍も情に厚くて仲間想い。

 すぐに打ち解けていきます。

 青鬼とも再会出来ました。


 火山のあるその島で、畑仕事に汗をかき、友と笑って後は寝るだけ。

 そんな人生最高の日常はある日からずぶずぶと沈むように崩れていきます。

 大阪からやってきた鬼の一人が言うのです。


 ――はなさかじぃさんという者が桜の木の下から金銀財宝を見つけ偉ぶっている。


 赤鬼はボートを漕ぎ漕ぎ都へ上り、そのじぃさんを問い詰めました。

 はなさかじぃさんは事情を知り、潔く謝ると財宝を返して、その場で耳を切り落としてしまいます。

 自分も隣のじぃさんと同じ悪の者であった。彼と同じ罰を受けねばならぬ、と。


 赤鬼はその真っ直ぐさにかつての自分を思い出し、その心意気に感服して踵を返し鬼ヶ島へと戻っていきます。


 その二年後、鬼ヶ島を襲う最大の事件が起きました。


 桃太郎と名乗る賊が現れたのです。

 その賊は自分を正義の者だと信じて疑いません。

 なにせ彼は、はなさかじぃさんが赤鬼に財産と耳を取られるところを見ていたのです。少なくともそう見えたのです。


 桃から生まれたと嘯くその者は、動物なぞを引き連れて、強いはずの鬼たちを端からちぎっては投げちぎっては投げ。

 切った張ったの大立ち回りを前に鬼たちは恐れをなし、桃太郎に降伏します。


 ――我が寛大なる御心により皆殺しまではやめよう。しからば其は我がお前ら鬼に命を授けたに同じ。対価に宝をもらう必要がある。


 訳も分からぬまま宝を盗られてしまいます。

 しかしなによりも、生き残った鬼たちは死んだ仲間たちを見て酷く悲しみました。

 袈裟懸けに斬り殺された者、喉笛を嚙み破られた者、目を突かれ頭蓋まで割られた者、大動脈を爪で引き裂かれた者。


 悲劇は止まりません。

 桃太郎と動物の軍勢に踏み均された畑には以降何も実ることはなく、鬼たちは空腹に苦しみます。


 何人もの鬼が飢餓に耐えかねて倒れていく中、ついには火山の火口に身を投げた鬼たちに異変が起きました。

 溶岩で解けた体が歪んでくっつき、彼らは一塊の面妖な生き物に成り果てたのです。


 赤鬼だった何かもその中の一人でした。

 その生き物は死ねなかったことを後悔し、命をなげうって桃太郎を討つことを決めました。


 しかしどこにいるのかなんて見当もつかぬこと。

 どこへも放てない怒りに困っている折、こんなうわさが流れてきます。


 ――竹から生まれた娘がいるらしい。


 桃太郎の仲間に違いない。

 刀を研ぐだけの日々は終わりを告げました。

 彼は雲をつらまえてそれに乗り、林業を営むその屋敷に強襲を掛けます。

 怖がる守り人を押しのけ、ふすまの隙からその娘をのぞき込みました。


 彼はそれを襲いはしません。

 どころか娘を目にするなり慌てて雲に飛び乗って逃げ出してしまいます。


 なぜか。

 なんと、その娘はひきょうなばぁさんをそのまま若くしたような姿だったのです。


 ばぁさんに受けた仕打ちを思い出して逃げ出した彼は、すぐさま悪党として手配され、一寸法師なる奇形児の、切っ先鋭い楊枝によって討たれてしました。

 最後の宝であった打ち出の小槌も一寸法師の手に渡ってしまいます。


 ですが、鬼は決していなくはなりません。



 数か月後、その娘の下にお月さまからの迎えが来ました。

 彼らはこう言います。


 ――もう四十と七回目になるが、これではまだ連れ帰ることは出来ない。


 反省の色が見えないとされ、またも置いて行かれます。

 娘はそれが狙いとばかりにニヤリと笑い、口には出さず思いを巡らし始めました。

 その顔には、もはや「かぐや姫」と呼ばれたころの美しさなどありません。


 かつての昔、その美貌のあまり帝にさえ寵愛された輝夜の姫。

 お月で罪を犯したこの悪女は、天人が帝に届けるはずだった霊薬を盗んで何度も蘇る不死となり、月へは戻らず何度も何度もこの地球で悪事を為していきます。


 ――さぁ、まずはこの家から頂くとするかねぇ…………。


 こうしてまた鬼が生まれるのです。

 むかしむかしから連綿と続く、鬼を生み出す悪鬼の話。

 今もどこかで続いていることでしょう。

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