村八分
増田朋美
村八分
その日もなんだか暑い日で、なかなか活動できないなと思われる日だった。それでも、何故か、夏といえば、事件が起きやすい日でもあるのであるが。それはそれでまた印象に残るのであるが、、、。
その日も、杉ちゃんたちは、製鉄所にて、水穂さんの世話をしていたところだった。ちなみに製鉄所というのは、別に鉄を作る工場ではなくて、ただ居場所のない人たちが、勉強や仕事をするための部屋を貸し出している福祉施設である。いわば、コワーキングスペーズと行ったところか。現在の利用者は二名で、ふたりとも、40歳をとうに越しているのであるが、通信制の高校に通っている。もうすぐ夏休みに入るので、普通の生徒であれば家に居ると思われるが、彼女たちは仲間が居るほうが楽しいからということで、夏休み中も、製鉄所に通うことになっていた。
「こんにちは。確か製鉄所はここだったね。それでは、入らせてもらおうね。」
と、年を取った男性の声でそんな声が聞こえてきた。
「あれ、今日は、誰も面接の予定は入っていませんでしたけど。」
ジョチさんがそう言うと、
「こんにちは。杉ちゃんと、理事長さんは居るかな?ちょっと頼みたいことがあるんだけどねえ。」
「本当にいいんですか?」
今度は若い女性の声がした。
「二人いるのかな?」
と杉ちゃんが言うと、
「それでは、暑い中ですから、外で放置させるわけには行きません。中に入らせましょう。」
と、ジョチさんが言った。
「いいよ、中に入れや。」
と、ジョチさんがそう言うと、
「はい、では入らせて頂きます。」
と、男性は一人の女性を連れて入ってきた。その男性は、何処か見覚えのある顔で、杉ちゃんもジョチさんも誰なのかすぐに分かった。
「あらら、ひょっとして、蘭の伯父さんの檜山善恵さんじゃないか?」
「作家で有名な檜山善恵さんですね?」
杉ちゃんとジョチさんは、顔を見合わせて言った。
「ああ正しくそうですよ。今日はちょっとお願いがあってこさせてもらった。この女性を、ここに一晩泊めて貰えないだろうか?」
と、善恵伯父さんは、にこやかに言った。
「この女性って、彼女は誰なんですか?」
ジョチさんが聞くと、
「名前はえーと。」
「はい。尾崎真実と申します。」
と彼女はすぐに答えた。その女性のカバンの持ち手にヘルプマークがついていたので、
「ああ、精神疾患のある方ですか?」
と、ジョチさんは言った。
「そうなんだ。それで彼女を、一晩ここへ泊めてやってほしいんだよ。今日は、帰るところが無いっていうから。本当は、わしの家に泊めてやろうと思ったんだけどね。だけど、今日中にどうしても出さなくちゃならない原稿があって。」
善恵おじさんは、そういった。
「帰るところがない?どういう意味だそれは。」
杉ちゃんが聞くと、
「はい。実は昨日、地区の人達と大喧嘩をしまして、それで地区を飛び出してここまで来てしまいました。今更、自宅へ帰っても、近所の人たちは冷たい顔で私を見るだけでしょうし。それなら、ホテルにでも泊まろうと思ったんですけど、何処も満室で。」
と、彼女は答えた。
「そうですか。地区の人達と大喧嘩をしたというのは、昔の言葉を借りて言えば、村八分ということでしょうか?」
ジョチさんが聞くと、真実さんは小さく頷いた。
「どうして村八分になったの?」
と、杉ちゃんが聞いた。杉ちゃんという人は、答えが出るまで質問をやめないくせがある。
「ええ。私は、北松野という地区に住んでいるのですが、18歳のとき、村を離れて、東京で一人暮らしをしました。でも、東京へ出たのと同時に心の病気になって、すぐに戻ってきてしまいました。北松野の人たちは、大体の人がお米の製作に没頭していて、私だけが無職なんです。」
真実さんは、小さな声で言った。
「ああ、そういうことですか。確かに、働かざるもの食うべからず的なことが、ああいう地区には流行ってますよね。」
「それだけでは無いんです。昨日、私の家の近所に住んでいる、赤城さんという人が、怪我をしたせいで、田んぼの世話ができなくなりました。それで誰か代理で田んぼの草取りを頼みたいということになったんですが。」
尾崎真実さんは、半分泣きそうになりながら言った。
「皆さん年をとってしまっていて、なかなかこの炎天下で草取りをする人の適任者がいないということで、私が、インターネットで呼び出したらどうかと提案しました。無職の私でも、役にたちたいという気持ちがあったのかもしれませんが、でも、地区の人達は、私の提案を受け入れてくれませんでした。そんなもので、草取りができるやつが集まるわけが無いって。」
「ああ、なるほどねえ。確かに人を集めるサイトあるよね、有名なところだと、クラウドワークスとか、そういうやつ?」
「杉ちゃん、クラウドソーシングは、人を集めるサイトではありませんよ。それで、尾崎さん、地区の皆さんにインターネットで集めた人は信用できないと言われて、周りの人からきついことを言われてしまい、帰る気にならなくなった。そういうことですね。」
彼女がそう言うと、杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせて言った。
「まあ、正直者がバカを見るというか、そういうことかなあ。そういうことなら、一晩泊めてあげるよ。その代わり、お前さんにも、ここで役割をしてもらうぞ。水穂さんの世話をしてやってくれ。」
「水穂さん。それは誰なんですか?」
と、尾崎真実さんは言った。杉ちゃんたちは、こっちへ来いと言って、彼女を製鉄所の建物内に入らせて、水穂さんの居る四畳半に連れて行った。
「水穂さん、今日はこの女性が、お前さんの世話をするから、ちゃんと晩ごはんを食べてくれよ。よろしく頼むぜ。」
杉ちゃんにそう言われて、水穂さんはよろよろと布団の上に起きた。そして、尾崎真実さんが居るのに気がつくと、
「よろしくお願いします。」
と言って、丁寧に座礼した。尾崎真実さんは、水穂さんが大きなゆりの花がらを入れた銘仙の着物を着ているのを見て、
「私より、不幸な人が居るんだ。」
と小さい声で言った。
「比べっこしちゃいけないよ。お前さんも貧しいところに住んでいたのかもしれないけど、比べっこするのはまずいぜ。」
杉ちゃんが注意すると、
「いえ、私より、偉大な人だと言うことです。私は、18歳のとき東京に住んだと言いましたが、それは、村から逃げたかったという意味でもあります。だって、私は、どうしても村のルールには馴染めなかったんです。みんなミミズとかムカデとか平気で殺しているけど、私はそれができなくて、怖がってばかりいて、私はとても百姓には向かないって、よく村の有力な人に笑われていました。」
尾崎真実さんはそういう事を言った。
「はあ。それなら東京に残っていてもいいんじゃないの?なんでわざわざ、そんな辺鄙な村に戻ってきたんだよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「はい。私は精神疾患にかかってしまって、家族と一緒にいなければならないとお医者さんにいわれていて、それで、家族のところに戻らなければならなかったんです。それで私は北松野に戻りましたが、文字通り、仕事は何もできないからインターネットで、簡単なアンケートの仕事とかするくらいしかできませんでした。」
と、真実さんは言った。
「それでは、精神障害者手帳とか、そういう物は取得しなかったんですか?」
ジョチさんが聞いた。
「ええ。村の人達に、障害者が居るとなったら、それではいけないって言われてしまいまして、手帳を取ることができませんでした。何より、手帳を取りに富士市役所に行くことができなかったんです。もう、車なしではいけない場所ですし、うちの家族も年をとって、市役所まで出るのは億劫になっていて、私は、取りに行きたいと言うことができませんでした。」
「そうですかあ。でも、ねえ。手帳とると電車の運賃割引とか、そういうこともしてくれると思うけどね。お前さんはこれからの人生どうするつもり?親御さんがいる間はいいけど、それがなくなったら、村に一人で住むってことはできないだろう。」
真実さんの答えに杉ちゃんは痛いことを言った。
「そうですね。正直、つらい人生しか用意されてないだろうし、何処にも行くところがないし、親がなくなったら、もう死のうと思っています。」
「そうなっちゃうだろうね。」
杉ちゃんはでかい声で言った。
「インターネットとかで仕事を探してみましたが、何もありません。一生懸命仕事を探そうとするほど、悪質なクライエントに引っかかってしまうんです。今度こそ今度こそって思えば思うほど、悪質な人が多くて。無理やり、高額なアプリを買わされたり、契約内容と違うとか言って違約金を払わされたり。インターネットの求人はそういうことばかり。かと言って、先程申しました通り、ハローワークとかそういうところに行くこともできないし。だから、本当に死ぬしか無いと思うんですね。」
「うーんそうだねえ。それは、そうだけどねえ。まあでも、自殺をしたら、僕らも自殺幇助で捕まっちまうことも考えられるんだよ。だけどねえ誰かに迷惑をかけないで自殺をするのは不可能に近い。だからねえ。そういう事は、やめたほうがいいんじゃないか。」
杉ちゃんだけが面白おかしくそう言っているが、これは深刻な問題だなとジョチさんと水穂さんは顔を見合わせた。
「そうですね。それは確かに言えると思います。じゃあ、こうしたらどうでしょう。しばらく、松野から離れて、こちらに通うなりしてみたらどうでしょう。もちろん、北松野という地区からでは大変に遠いことはわかりますけど、でもその地区にいたら、あなたが永久に生きる手段を得られないと思うんですよ。もし、通勤が大変なら誰か迎えに行かせますよ。失礼ですけど、学歴はどちらですか?」
「ええ、一応、大学へは行ったんですけど、卒業できなくて、そのまま帰ってしまいました。」
彼女はとても恥ずかしそうに言った。
「わかりました。それでは、高卒ということにしておきましょう。大学へ言ったことをわざわざ書く必要はありません。どうせ、北松野へ帰っても、あなたの居場所は無いのでしょうから、そういうことなら、こちらへ来ていただいて、なにかしたほうがいいです。ちょうど、女中さんがほしい買ったところなので、ちょうどよかったですよ。」
ジョチさんがそう言うと、真実さんは、
「でも、私の体力で勤められるでしょうか。」
と小さな声で言った。
「大丈夫ですよ。そのうち慣れてきますから。なんでもそうですけど、習うより慣れろです。ここで頑張って働いてください。」
「ありがとうございます。」
ジョチさんに真実さんは言った。
「バンザーイ、交渉成立だ。まず初めに、一人でカレーを作れるようになってもらうか。台所へ来い。カレーの作り方を教えてやる。まず初めに、衣食住の事を自分でできることが大事だからね。」
杉ちゃんは彼女を台所に連れて行った。そして、包丁の持ち方や野菜の切り方など、丁寧に教え始めた。杉ちゃんが、教える途上で、声を荒らげたり怒鳴ることは絶対にないので、尾崎真実さんは、頑張って野菜を切っていた。善恵おじさんはそれを丁寧にメモしている。
「檜山さん、もしかして、次の小節のネタにするおつもりですか?」
と、水穂さんがそう言うと、
「ああ、わしも、恋愛小説ばかり書いていては、つまらなくなってきたので、こういう施設の内容を本にさせてもらおうと思ってな。」
と、善恵おじさんは言った。
「そうですか。そうしていただくことはとてもありがたいのですが、変に脚色されてしまうと、こちらも困りますので、ありのままの様子を書いてくださいね。」
ジョチさんがそう言うと、善恵おじさんは、おう任しておけといった。その間に、杉ちゃんと、尾崎真実さんは、一生懸命野菜と肉を切って、今度は鍋の中へ肉を炒める作業を始めた。そして、丁寧にカレーを煮込んで、ルーを入れてカレーを完成させた。お昼は、水穂以外の人物はカレーを食べて、水穂さんだけがおかゆを食べた。やはり、水穂さんは、スプーン一口で満足してしまうようであったが。後片付けも、真実さんにやってもらった。洗剤をつけすぎずにたわしで洗うことも、真実さんは知らなかった。少し休憩して、今度は夕食作りである。杉ちゃんに教えてもらい、真実さんは水穂さんに食べさせるおかゆを作った。おかゆと言っても、ドロドロの全粥みたいになってしまって、鍋を焦がしてしまいそうになったけど、杉ちゃんは怒らなかった。とりあえず、杉ちゃんと一緒に、水穂さんにおかゆを食べさせたのであるが、水穂さんは美味しいと言ってくれて食べてくれた。そのあとの片付けもちゃんと真実さんにやってもらった。
「まあ疲れるわね。ご飯を作るだけでこんな重労働とは思わなかったわ。うちの家族もこんな気持でやっていたのかな?」
と、真実さんは最後のお皿を洗い終えると、疲れた顔でいった。
「いやあ、そういうときに、家族がいてくれるから、それで、我慢できちまうんだよ。それが愛ってもんじゃないのかよ。」
杉ちゃんに言われて、真実さんは小さな声で、
「恋人同士でしか発生しないものだと思ってたけど、こういう愛もあるのね。でも、誰か作ってあげたい人がいてくれれば、私もまた変わるのかな?」
と言った。
「はあ、作ってあげたい人が居るの?」
杉ちゃんが言うと、
「いやあねえ。私にそんな人が持てるわけ無いじゃないですか。私は働いていないのよ。恋愛なんかする資格なんて無いじゃありませんか。」
真実さんは、照れくさそうに言った。
「うーん。でもこれから変わる可能性もあるし。」
杉ちゃんがそうからかうと、
「そんなことはないわ。私は、そういう人は持てないのよ。」
と、真実さんは言った。その日は約束通り、製鉄所の空き部屋に彼女は泊まっていった。杉ちゃんが水穂さんの体を拭いてやったり、髪をあらってやっているのを、真実さんは興味深そうに眺めていた。
その次の日。真実さんは、家に帰る事になったが、その前に水穂さんの体を拭いてやりたいと言った。なんだかあの辺鄙な北松野に帰りたくないという気持ちがよくわかる顔をしていた。真実さんは、杉ちゃんのマネをして、水穂さんの着物を脱がせて、その骨ばった背中を丁寧にバスタオルで拭いてやっていると、
「失礼いたします。」
と、若い男性の声がした。
「あれ、誰だろうね。」
杉ちゃんが急いで玄関先に行くと、
「赤城と申します。あの、こちらに、尾崎真実さんと言う女性が泊まっていると思うんですが?」
と、言う声が聞こえてきた。
「赤城。聞いたことのない名前だな。」
と、杉ちゃんが引き戸を開けると、一人の車椅子の男性がそこにいた。
「あの、こちらに、尾崎真実さんはいらっしゃいますよね。彼女を迎えに来ました。すぐに出していただけないでしょうか?」
そういう彼に、杉ちゃんは驚いて、
「お前さんは、尾崎真実さんの恋人か?」
と言った。
「ええ。そういう事になりますね。ちょうど屋根の掃除をしていたときに、はしごから転落して、こういう体になりました。僕もあの村では暮らしていけません。あのとき、真実さんが、インターネットで代理の人を、呼ぼうとしてくれたのには、すごく感謝しています。」
そういう彼に、杉ちゃんは驚いた顔をしているが、
「そうなんだね。じゃあ、お前さんも村八分になっちまったというわけか。」
と言った。
「ええ。まだやることがあって村には残っているのですが、僕もあの北松野には居たくありません。それなら、何処かに引っ越して新しい暮らしがしたいと思いまして。それなら一人で居るより、誰かと一緒の方がいい。」
「だから尾崎真実さんを選んだのか。」
と、杉ちゃんは言った。それと同時に、
「じゃあ水穂さん。腕を拭きますから、腕を出してください。」
と真実さんが言う声がした。それを見て、赤城さんの表情が変わった。
「ちょっと入らせてもらってもいいですか?」
と赤城さんは、杉ちゃんの許可も求めず製鉄所の中に入ってしまった。製鉄所には上がり框が無いので、車椅子の人でも、簡単に入れてしまうのである。そして、どんどん車椅子を動かして四畳半に行ってしまった。どうしてそこに居るとわかったのかは、よくわからないが多分愛する者の直感なのだろう。
「はい、左腕も拭きますよ。」
そう言っている真実さんは、彼がそこに居るのに気がついてしまったようで、
「赤城さん!」
と思わず言ってしまった。赤城さんの方は、咳をしている水穂さんを見て、お前、こんな病人とできていたのか!という感じの顔をしていたが、
「違います!私は、水穂さんとそんな関係ではありません!ただ、看病してあげてるだけで。」
と思わず言った。
「それにしても、よく迎えに来てくれたな。それだけ、尾崎真実さんを愛しているということだろう。それに同じ村八分同士なのなら、お前さんたちは、一緒になったほうがいいよ。」
と、杉ちゃんが言った。確かにその通りなのかもしれなかった。
「誰もいないとお前さんは言っていたけど、そんなこと全然無いじゃないか。一人の人間を動かすことができるって、すごいことだぜ。まあ確かに、因習村なのかもしれないけど、でも出会えたということに感謝して、新しく生活を始めるんだな。」
「そうですよ。少なくともあなたは、今幸せなんだと思いますよ。それはきっとできることだと思います。」
水穂さんにも言われて、彼女、尾崎真実さんは水穂さんの体を拭くのをやめて、
「ほんとうに一緒に帰ってもいいのでしょうか?」
と、言った。
「いいに決まってるさ。こうやって、迎えに来てくれたんだから、村八分を捨てて、仲良くやっていきな。」
杉ちゃんに言われて、尾崎真実さんは、恥ずかしいのと嬉しいのが混ざった顔をした。
「ご飯の作り方とかは、昨日、カレーの作り方を教えてやったよな?」
杉ちゃんが言うと。真実さんは、
「そうですね。」
としっかりいってくれたのだった。
村八分 増田朋美 @masubuchi4996
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