第6章 ハイスクール漫才グランプリ開幕! ~恋と芸、両方選んでもいいですか?~

第29話 さあ、漫才の時間だぜ

 杏子の組んだスケジュールはまさに鬼だった。


 まず早朝。午前五時三十分に公園に集合して、みっちり二時間の稽古をおこなった。

 もうこの時点で辛い。

 弱音を吐くとハチの巣になるので言えなかったが、せめて六時三十分集合がよかった。


 学校では脚本を頭に叩き込む作業。

 授業中は無理なので、授業と授業の合間のスキマ時間に集中しておこなった。


 そして昼休みには、校庭の隅っこで再び稽古。

 周囲の目は気にならないが、たまに「カップルで漫才してるの?」とからかわれるのだけは恥ずかしかった。


 で、放課後は公園で夜まで稽古、という一日の流れだ。


 もはや漫才のことしか考えていない。

 いい意味で、相方を異性とか意識する暇なんてなかった。


 必然的に疲労は溜まり、家ではご飯、風呂、トイレ、寝る以外の行動はできなかった。稽古が楽しくなければ、逃げだしていたと思う。


 俺たちは濃い時間を過ごし、ネタの精度をあげてきた。


 そして、予選会当日がやってきた。


 俺たちの地区は四つの会場で予選審査を行う。それぞれの会場で一位と二位、総勢八組が予選決勝へと駒を進めることができる。ちなみに決勝は八月だ。


 会場は都内の演芸ホールだ。

 俺たちはB会場……第二講堂という場所でネタを披露する。


 会場には老若男女問わず人がいる。

 出演者の家族や同級生など、応援しに来る人たちだろう。


「杏子。人多いけど、大丈夫か?」

「私が緊張するわけないじゃーん。テツこそ大丈夫? お手てつなぐ?」

「ふっ。緊張なんてものは、幼い頃にオムツと一緒に卒業したのさ」

「だはーっ! 可愛くない赤ちゃんだ! きもーっ!」


 大笑いする杏子。さほど心配はしていなかったけど、どうやらコンディションはバッチリみたいだ。


 俺も杏子も緊張とはあまり縁がない。中学時代は文化祭で漫才やっていたからだ。人が多いくらいでビビったりはしない。


 俺たちは和やかに会話しつつ、控え室へやってきた。


 そこには制服を着た高校生たちがいた。

 打ち合わせをする者、リラックスしてお菓子を会場にはる者、壁に向き合ってブツブツと何か言っている者……みんな思い思いに自分を高めている。


 あっ……今気づいたけど、男子ばっかりだ。


「女子少ないな……杏子。控え室から出るか?」

「お。まさか気をつかってくれてるの? やーさしっ!」


 杏子は俺の肩にこつんと頭を載せた。


「おい。人前でそういうことするなよ」

「人前じゃなきゃやってもいいの?」

「怒っていい?」

「なはー、冗談だよ。気をつかってくれてありがとね。でも、大丈夫……このピりついた空気、たまんないから」


 そう言って、杏子はペロっと唇を舐めた。まるで漫画に登場する強キャラの仕草である。


「頼もしいよ、本当に……でも、なんか負けフラグっぽいからやめような?」

「なははーっ! テツはもう少し楽しんだほうがいいと思うな!」

「ははっ……楽しいよ、すごく」


 今から俺たちが一番面白いってこと、証明するんだからな。


 ……と、いけない。今のも負けフラグっぽいな。ビッグマウスは自重しよう。


「あら? やけに明るい笑い声が聞こえたと思ったら、あなたたちだったのねぇ」


 声をかけられて振り返る。

 そこには、さくら先輩と大地先輩がいた。


「あっ、先輩! ということは……」

「ああ。俺たち『犬と姫』もB会場だ」


 大地先輩がニヤリと笑う。


 まさか先輩たちも同じブロックに割り振られたとは……同じ学校は別々にするとかそういうルールはないのか。


「哲史。悩みは解決したのか?」

「おかげさまで……絶賛悩み中です」

「解決してないの!?」

「はい。だけど……俺、開き直ったんで。二週間前の俺たちだと思わないほうがいいですよ」

「へえ……楽しみじゃん」


 俺と大地先輩が場外バトルしていると、女子同士でも火花を散らしていた。


「あらあら。杏子ちゃんたち、残念ね。私たちと同じブロックだと、予選通過は難しそう」

「なはは。さくら先輩、迷子ですか? ここは控え室。出口はあっちですよ?」

「この小娘……ッ!」

「なんだとぉ……!」


 ばちばちばちぃぃぃ!

 ひぃぃぃぃ!

 なんか青白い稲妻が見えるぅぅぅぅ!


 周囲の出演者もビビッて部屋の隅っこへ移動してしまった。

 ほんと、うちの相方が迷惑かけてすみません……。


 俺は杏子の首根っこを掴んだ。


「杏子。他の人の迷惑になるだろ」

「止めないで、テツ。壇上に上がる前に先輩を片付けておかないと」

「芸人ならせめて壇上で戦ってくれないかなぁ!?」


 およそヒットマンの発想である。


 ぎゃあぎゃあ騒いでいると、控え室のドアが開いた。係員が入室してきたのだ。

 場の緊張感が一気に高まる。


「参加者の皆様。まもなく審査が始まりますので、本日の流れを簡単にご説明いたします。はじめに注意点ですが――」


 係員の説明を要約するとこうだ。


 まずこの場で四組が名前を呼ばれ、舞台袖に移動する。そのうち一組はトップバッターで、残りの三組はそのまま舞台袖で待機。トップバッターのネタが終わったら、次は待機していた二番手の組がネタを披露する。その間に、この控え室からもう一組呼ばれ、舞台袖に移動する。最後の一組が終わるまでこれを繰り返すらしい。


 ……トップバッターは避けたいな。

 できれば、会場の雰囲気が温まっているであろう後半がいい。


「では、トップバッターを発表します……エントリーナンバー49『犬と姫』」


 先輩たち、トップバッターじゃん。

 やりにくそうだな……大丈夫か?


 ちらりと様子をうかがう。

 予想とは違い、二人とも涼しい顔をしていた。

 何番だろうが、自分たちが決勝へ行く……そんな王者の風格さえある。同じアマチュア芸人なのに、メンタルの強さが段違いだ。


「続いて二組目……エントリーナンバー232『ニブンノイチ』」


 二番手か……ちょっと嫌だけど、トップバッターでないだけマシかもしれない。


 ひっそりと杏子に耳打ちする。


「俺たち二番だってよ。感想は?」

「私、四番でピッチャーがよかった」

「ははっ。さすが杏子。余裕じゃん」

「まーね。相手も順番も関係ないよ。私たちらしく、楽しく漫才やるだけでしょ?」

「……だな」


 順番を気にしていた自分が恥ずかしい。杏子の言うとおり、自分たちの漫才をするだけだ。きっと『犬と姫』の二人も同じ境地だったのだろう。


「――順番は以上です。それでは四番手までの参加者は今から移動してください」


 俺たちは係員の後ろを歩き、舞台袖に移動した。


 マイクアナウンスが流れる。


『最初のコンビはこちらの学生です! 「犬と姫」!』


 名前を呼ばれ、さくら先輩と大地先輩が向かい合って立つ。

 二人は手を差し伸べて重ねた。


「行きますわよ、駄犬! せーのっ!」

「「わん、わん、おー!」」


 独特の掛け声とともに、舞台へと向かって弾けたように走り出す。


「あはは。俺たちもああいう掛け声やるか……杏子?」


 声をかけるが、杏子は目を閉じて深呼吸をしていた。

 え……まさか舞台袖に来たら緊張したとか?


「杏子。もしかして……」

「あー、緊張してるとかじゃないの。なんか……いよいよだなって感じ」

「いよいよって?」

「あと数分で私たちの集大成のお披露目できると思うと、ちょっと泣きそう」


 杏子は照れくさそうに笑った。


 集大成か……たしかにそうかもしれない。

 好きな人がどうとか考えず、面白いと思うネタをやろうと思える。

 相方と手を取り、全力を出せる今、最高の漫才ができる予感しかない。


 そっと杏子の手を握る。

 彼女は遠慮がちに握り返してきた。


 俺たちの間に言葉はない。ただ無言で舞台を見つめている。


『犬と姫』はお得意の飼い主と犬の漫才コントをやっている。さくら先輩が飼い主、大地先輩が犬だ。


『ポチ。お手』

『わん!』


『伏せ!』

『わんわん!』


『お利巧ねぇ。じゃあ、授業参観あるある!』

『……く、くぅーん?』


『ほら、やって! 授業参観あるある!』

『なあなあ。お前の母ちゃんどれ? うっわ、美人じゃん!』


『合唱コンクールあるある!』

『ちょっと男子ー! ちゃんと練習してよ! 真奈美、泣いちゃったじゃん!』


『あらー。犬風情が人間様のことを知ったふうな口を利くのねぇ』

『あんたが命令したんだろ!』


 どっと会場が笑いに包まれる。


 賞レースのトップバッターは不利と言われることが多い。会場の空気が温まっていないこと、審査員が一組目から高得点をつけにくいことなどが主な理由だ。


 そんな定説などお構いなしと言わんばかりの拍手笑いが会場に響く。常識もプレッシャーも跳ねのける重厚なメンタル……さすが先輩たちだ。


 やがて、ネタは終盤に差し掛かる。


『はぁ。もう犬を飼うのはやめますわ。他のペットにする』

『何飼うの?』

『用務員のおじさん』

『いや怖すぎだろ。もういいよ』

『『ありがとうございましたー!』』


 大きな拍手に包まれて、二人は下手に捌けていった。


 先輩たちのおかげで会場は温まっている。

 次は、俺たちが爆笑をかっさらう番だ。


 ふと視線を感じて隣を見る。

 杏子に優しい笑顔で迎え撃たれた。


「杏子……俺とコンビを組んでありがとう」


 自然と胸が熱くなり、感謝の言葉が漏れる。

 杏子は少し驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。


「テツ。私ね、テツに言わなきゃいけないことがある」

「なに?」

「ナイショ」

「気になるわ。本番前に相方の感情を揺さぶってくるなよ」

「あははっ! 今はナイショなの。いつか気持ちの整理がついたら言うね」


 楽しそうに笑う杏子の頬は赤い。


 相方の秘密は俺にはわからないけど、まるで恋する乙女みたいなその表情はやっぱり可愛くて。


 ああ、俺は杏子が大好きなんだなって。

 この子とお笑いをずっとやっていたいって、そう思える。


「そっか……実は俺も杏子に伝えたいことがある」

「お、なんだね?」

「内緒だ」

「マジかー。さては相方の集中力を乱して潰す作戦?」

「杏子が先に仕掛けたんだぞ。見たことないぞ、本番直前に相方を蹴落とす芸人」

「なははー……いいでしょ、別に。言いたくなっちゃったんだもん」

「さようですか。ま、せいぜいネタ飛ばすなよ」

「そっちこそ、噛まないでよね」


 軽口を言い合い、お互いの拳をこつんとぶつけた。


 アナウンスが流れる。


『続いてのコンビは「ニブンノイチ」です! どうぞー!』


 さあ。俺たちの漫才をはじめよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今さら好きになった女の子は、親友よりも固い絆で結ばれた相方の美少女芸人でした ~恋と芸、どっちも選んじゃ駄目ですか?~ 上村夏樹 @montgomery

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ