第28話 今はまだ、寄り添ってニブンノイチ

 ……杏子に「きもーっ!」とドン引きされた。


 たしかに俺も「これってストーカーじゃね?」とは思ったけど、しょうがないだろ。他にいい方法が思い浮かばなかったんだから。


 その後、ちょうど杏子の母親が帰宅した。

 杏子の母親と会うのはひさしぶりで、あっちもテンションが高く、夕飯を食べていきなさいと誘ってくれた。


 しかし、杏子はこれを拒否。「テツと部屋でお話するから、ママは来ないで!」と言い、俺の手を引いて部屋に連れ込まれた。


 向かい合って座ると、杏子は「それで?」と話を切り出した。


「テツは、その……謝りに来たんでしょ?」

「ああ……屋上の件だけど、本当にごめん」


 謝罪しても、杏子は無言だった。

 俺は話を続ける。


「俺、気づいたんだ。最近はコンテストのことで頭がいっぱいで、杏子のこと何も考えていなかったなって。二人の夢を叶えることが最優先だって、勝手に思い込んでいた……それじゃ駄目だよな。コンビなんだから、話し合って心を通わせるべきだったんだ」

「……そうだよ。テツはお笑いのことばっかり……だけど、私も悪いの」

「えっ?」

「その……不器用でごめんね。もっと私のこともかまってって、素直に言えばよかった。ラブレターでからかうとか、そういうの、真剣に脚本を考えているテツからしたらウザかったと思う」


 杏子は、しゅんとした顔で謝った。


「そんなこと……悪いのは俺だよ」

「いいや! 私だよ!」

「違う、俺だって!」

「私のほうが悪い子だよ……風邪薬、サイダーで飲んじゃうし」

「それはシンプルに体に悪いよ!」

「中学生の頃、テツの部屋のえっち本の隠し場所を勝手に変えちゃうし」

「あれお前の仕業か! 母さんがやったと思って『勝手に部屋に入らないで!』って大ゲンカしちゃっただろ!」

「ださーっ!」

「お前が言うな!」


 ていうか、好きな人にエロ本所持していることがバレたんだが……恥ずかしすぎる!


 ……いや待て。

 そんな話をしたかったんじゃない。


「杏子。ボケて照れを誤魔化すのは俺たちの悪い癖だ。ちょっとマジで話そう」

「う、うん……それで? テツはどうしたいのさ」


 杏子はもじもじしながら、そう尋ねた。


「俺、杏子に『ボケる道具としか見てない』って言われて考え直したんだ……俺にとって、杏子ってどういう存在なんだろうって」


 端的に言えば、相方だ。

 でも、一言で片づけられるほど、単純な関係じゃない。


 過去を振り返れば、いつだって杏子が隣にいる。

 百点満点の笑顔で、俺まで楽しくさせてくれて……たまに照れる姿が可愛くて、ドキッとする。

 俺にとって杏子は相方であり、親友であり、好きな人なんだ。


 恋と芸。

 どちらか一方を選ばないといけないのか?

 いや。そんなことはない。

 舞台上で嬉しそうに漫才する姉ちゃんを見てそう思ったんだ。


 たしかに姉ちゃんは芸人として腐っていた時期があったけど、相方に恋をしたことを悔やんだことは一度もないんだと思う。そうじゃなければ、再び男女コンビを組んで漫才なんてしないはずだ。


 後悔していることがあるとすれば、インタビュー記事で『男女コンビで交際するのはアリか?』について『ナシ』と答えたことだけだろう。あのインタビュー記事、ネタのつもりで言ったんだろうなと、今ならはっきりわかる。


 結局、自分の歩む道は自分で選び、悔いのないようにやるしかないんだ。


 男女コンビが付き合うと面白くなくなるなんて、そんなの付き合わなきゃわからない。

 だけど……恋か芸、どちらかしか選ばなかったら、後悔するのは目に見えている。

 だから俺は、杏子にこの言葉を送る。


「杏子は……俺にとって大切な人だ。そばにいてくれないと困る」

「たっ、大切な人……?」


 瞬間、杏子の顔がほんのり赤くなる。照れるな。今日はもっと伝えたいことがあるんだ。言いにくくなるだろ。


「杏子はもっとかまってほしいって言ったよな?」

「う、うん。言ったよ?」

「ここ最近、一緒に遊んであげられなくてごめん。罪滅ぼしってわけじゃないんだけど……デートしに行かない?」

「デデッ、デートぉぉぉ!?」


 杏子の顔が熟れた林檎みたいに赤くなった。

 声大きい! 杏子のお母さんに聞こえちゃうだろ!


「遊園地に行こう。杏子、絶叫マシン好きだろ?」

「好きだけど……ど、どうして急に?」

「いや、その……杏子のことばっかり考えてたら、俺もお前と遊びたくなった……わ、悪いかよ」


 うっわ、ハズい。何言ってんだ、俺。そこは正直に言わなくてもよかっただろ。

 ほら見ろ。杏子もちょっと笑ってるじゃないか。


「ぷくくっ……テツがかっこつけてる! きもーっ!」

「うるさいなぁ! 相方が本音で話をしているんだから茶化すな!」

「ご、ごめんね……ぷくくっ」


 おま、笑いすぎだろ……まぁ甘い雰囲気になるより話しやすいからいいけどさ。


「だけどな、杏子。俺にとってもお笑いは大事なんだ。それもわかってほしい。だから、デートはコンテストが終わってからにしたいんだ」


 そう言うと、笑っていた杏子は真顔になる。

 曇りのない真っ直ぐな瞳で俺を見つめてきた。


「……結局、テツは何がしたいの?」


 俺のしたいこと。

 それは恋と芸を両立させること。


 でも、今告白するなんて俺にはできない。


 鈍感な俺でも、さすがに気づいたよ。

 杏子が俺のことを好きだってこと。


 俺たちは、一人だけでは未熟な『ニブンノイチ』。このまま流れで付き合ったって、恋も芸も半端で終わるのは目に見えている気がするんだ。


 恋に溺れず、芸を磨き上げられる真の男女コンビ……お互いがそのゴールが見えるまで、俺たちは付き合っちゃいけないと思うんだ。


「俺、杏子とは解散したくない」

「……それで?」

「杏子は俺にとって大切な『相方』だから。ずっと隣にいてほしい」


 こんな遠回しな言い方で杏子を縛り付けるなんて、俺はズルい男だろうか。

 女心のわからない、面倒くさい男だと思われるだろうか。


 すまない、杏子。今はこれで勘弁してほしい。

 一人前になれたら、俺から好きだって伝えるから。

 それまでは、相方として隣に立たせてほしい。


「……杏子。俺ともう一度、コンビを組んでくれないか?」


 重苦しい静寂が室内を満たす。緊張感がすごい。息をするのさえ億劫だ。


 しばらくして、杏子が「ぷっ」と噴き出す。


「あはははっ! そうきたかー!」

「え、何。急に大笑いしてどうした?」

「うっさいばかー! えいっ!」

「ぐはっ!」


 笑顔の杏子に腹パンされた。

 おおぅ、ジャパニーズ・サイコパスガール……!


「あ、杏子……?」

「テツってば最低。女心が全然わかってないんだもん。ほんとめんどくさいヤツだなー」

「す、すまん……ところで、腹パンした意味は?」

「ないっ!」

「ないんかい!」


 そんな爽やかな笑顔で言うな。ヤバい人にしか見えないぞ。


「でもね、テツ。杏子ちゃんはご機嫌だよ?」

「えっと……?」

「なはは。やっぱりテツは鈍感だなー」


 杏子は照れくさそうに笑った。


「私と、また一緒にお笑いやろ?」

「杏子……ありがとう。これからもよろしくな!」

「おうよ! また一から出直しだね、『相方』さん」


 お互いの拳をこつんとぶつけた。


「テツ。デートの約束、忘れないでよねー」

「もちろん。ちゃんとチケット取っておく」

「やったぁ! えへへ、楽しみだなぁ。バッキンガム宮殿」

「飛行機のチケットは取らないよ!?」


 誰がイギリス旅行に誘ったよ。


 なははー、と楽しそうに笑う杏子を見てふと思う。

 こういうやり取りをするのも、なんだかひさしぶりな気がする。

 ただ二人で駄弁り、杏子のボケに俺がツッコミを入れるだけ。

 そんなくだらないやり取りが、最高に楽しい。


「ま、デートはお楽しみってことで、今はお笑いモードで頑張らなきゃ……ところで、テツ。そのトートバッグ、何が入ってるの?」


 杏子はバッグを指さした。


「脚本だよ。もし杏子と仲直りできたら見てほしくて持ってきたんだ」

「おっ、やるじゃん! 女家庭教師のヤツ?」

「一本はね。実は秘蔵のネタがもう一本ある」

「えっ……まさか二本目を書いてたから徹夜したの?」

「なんで知ってるの!?」

「いや目の下のクマすごいし」


 全然気づかなかった……まぁそりゃクマもできるか。徹夜明けで、しかもそんなに寝てないし。


「それでそれで? 二本目のネタはどんな題材なの?」


 杏子がワクワク顔で食いついてきた。


 いかん。書いていたときは楽しくてノリノリで書いたけど、いざ見せるとなると緊張する。杏子、引かないかな……?


「テツ? どしたん?」

「……なんでもない。今見せる」


 トートバッグから二つの脚本を取り出して杏子に手渡した。


 大丈夫。呪いから自分を解放して全力で脚本だぞ。

 採用されるかは別として、面白いに決まっている。


 ――恋愛ネタは経験がないから書けない?


 ばか言え。

 俺にしか書けない、唯一の恋愛ネタのテーマがあるだろ。


 それは、「男女コンビが相方を異性として意識したら」だ。


 これについては死ぬほど悩んでいるんだ。この世で俺が一番面白く書ける自信がある。ネタにしない手はない。


 問題は、たった一つ。

 相手を異性として考えずにネタを書けるかどうかだ。


 白状しよう。無理だった。この脚本を読んで、杏子に俺の気持ちがバレないかどうか今でもヒヤヒヤしている。


 でも、めちゃくちゃ楽しく書けた。

 それはつまり、アクセル全開ノーブレーキで駆け抜けたということ。


 相手を異性として意識したら面白くなくなる?

 残念でしたね、さくら先輩。大地先輩。

 そんな定説、俺たちがぶっ壊す。


 杏子が脚本に目を通す。

 すぐに、ぷっと吹き出した。


「たはーっ! テツ頭おかしいでしょ! きもーっ!」


 きた!

 俺はおもわずガッツポーズをする。


 今まで杏子に何度「きもーっ!」と言われてきただろう。面白いという意味、照れ隠しの意味、驚きの意味、普通にキモいという意味……杏子の使う「きもーっ!」という言葉には、様々な意味が込められている。


 しかし、俺にはわかる。

 今の「きもーっ!」は、コンビ史上最高の褒め言葉。『傑作じゃん!』くらいの意味だ。


「あっはっは! テツやばいなー。さすがに引くわー」


 えっと……け、傑作って意味なんだよね? 引いてないよね?


 俺の不安をよそに、杏子は終始笑いながら脚本を読んでいた。

 普段なら真顔で目を通すのに……こんなに馬鹿笑いしながら脚本を読む杏子は初めて見る。


 読み終えると、ふーっと大きく息を吐いた。


「杏子。どうだった?」

「ドチャクソきもかった!」

「茶化すな! その……今の俺には、恋愛ネタでこれ以上の傑作は書けない。それくらい全力で書いた。だから、これで行きたいんだけど……」


 ダメ元だけど、死力を尽くした。

 これが却下なら、もういっそのこと杏子に任せたほうがいい。


 しばらくして、杏子は脚本をテーブルの上に置いた。


「私は……最高に面白いデキだと思った」

「マ、マジで?」

「うん。徹夜してまで書いてくれてありがとう……さてと。ここからは私のターン。相方の熱意に200%で応える番だね!」


 杏子はゆっくりと立ち上がり、壁にかかったカレンダーを見た。


「やばーっ。二週間もないし……あはは。燃えてきちゃうなぁ」


 可愛らしい小動物のような瞳に炎が宿る。

 その灼熱のまなざしは。

 薪をくべたように燃える、真っ赤な瞳は。

 コンビ結成時に夢を語った、あのときのままだった。


「テツ。早朝と休み時間と放課後と休日、全部稽古ね。今から弱音吐いたら射殺するから」


 鬼だ。笑いの鬼教官がいる。毎日ほぼ稽古じゃねぇか。


 だけど。

 俺は相方についていくよ。

 いつだって、どこへでも。

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