第27話 私たちはもう、同じ夢を見れないのだから

 帰宅した俺は、急いで自室に入り、PCを立ち上げた。


 本当に馬鹿だな、俺。

 最初からわかりきっていたことなのに、恋をして盲目になってしまっていた。

 もう迷わない。

 俺は、俺のやりたいように選び抜く。


『女家庭教師』の脚本ファイルを開き、大急ぎで完成させて保存する。


 そして、すぐに真っ白なページを開いた。


『アダルト・デビル』のネタを見て、『女家庭教師』の他に、杏子に見てもらいたい脚本を思いついた。それを今から一気に書き上げるつもりだ。


 あー。なんで気づかなかったんだろう。

 相手を異性としていて見ていたせいで、本当にやりたい脚本が書けなかった。


 でも、もう大丈夫。

 俺の一番面白い全力ネタで、杏子を納得させてやる。


 室内にカタカタと打鍵音が鳴り響く。食事と風呂、トイレの時間以外は、ぶっ通しで脚本を書いた。時間も気にしない。窓の外が暗くなり、そして明るくなっていく。


 脳がオーバーヒート寸前で休息と睡眠を欲している。でも関係ない。楽しいから書ける。この原初的な気持ちこそ、エンターテイメントにおける最強の武器。ただひたすらキーボードを叩く、叩く、叩く!


 どれくらい時間が経っただろうか。

 いよいよ最後の一文にさしかかる。

 ツッコミからの、お決まりの文句――『もういいよ』。

 これで終わりだ。


 傑作を書けた高揚感に身を任せ、乱暴にエンターキーを叩く。

 かったーん、という小気味のいい音が響くと、どっと疲れが押し寄せてきた。


 俺は背もたれに寄りかかり、大きく伸びをした。


「くぅぅぅー……お疲れ様でしたぁぁぁぁ!」


 自分にねぎらいの言葉をかける。

 もうとっくに朝を迎えているだろうけど、完全に夜中のテンションだった。


 今何時だろう……やっば、午後一時じゃん。学校サボるのなんて初めてだよ……まあ後悔はしていないけど。


 はぁ。さすがに体が限界だ。眠いし、目も痛いし、体も悲鳴をあげている。徹夜で脚本作成とか、もう二度とやりたくない。


 だけど……めっちゃ楽しかった。


 ひさしぶりに書きたいように書いた気がする。

 あとはどっちの脚本にするか、杏子に決めてもらえばいい。


 俺の『面白い』が、杏子の心に届きますように。


 脚本を印刷してから、PCの電源を落とす。気が抜けたのか、ふと椅子の上で寝落ちしそうになる。


 もう限界だ。下校時間になるまで寝るか。

 おもいっきりベッドに倒れ込むと、意識は勝手に薄れていった。



 ◆



 時は経ち、午後五時。


 寝不足の体に鞭を打って起きた俺は、杏子の家の前に来ていた。もちろん、杏子と仲直りするためである。


 トートバッグの中には、女家庭教師の脚本の他に徹夜で仕上げた脚本も入っている。もし叶うことなら、これも見てもらいたい。


 ピンポーン。


 インターホンを鳴らすと、玄関のドアが静かに開いた。

 隙間から杏子の顔がひょっこり現れる。


「どちら様でしょう……かぁっーッ!」


 ばたん!


 俺の顔を見るなり、ものすごい勢いでドアがしまった!?


「杏子! このあいだはごめん! 謝らせてほしいんだ!」

「あんず……? そんな可愛くて誰からも愛されそうな名前の女の子、ウチにはいません。帰ってください」

「さすがに自分の名前を過大評価しすぎだ! なあ、ここを開けてくれないか?」

「やだ! テツとは顔合わせたくない!」

「杏子……」

「……私は話すことなんてないから。帰ってよ、ばか哲史」


 ドア越しに聞こえる足音が遠のいていく。

 玄関から離れて、自分の部屋に戻ってしまったのだ。


 脚本の件はともかく、せめて杏子に謝りたいのに、それさえも叶わないなんて……杏子。本気で解散するつもりなのか?


 何度かインターホンを鳴らしてみるけど、杏子は二度と出て来なった。


「あまり鳴らし過ぎるのも逆効果だよな……」


 どうすれば、杏子は俺と会話をしてくれるだろうか。


 その場に立ち尽くし、途方に暮れるのだった。



 ★



 び、びっくりしたぁぁぁ……!


 宅配便かと思ってドアを開けたら、私服姿のテツがいるんだもん。なんだか顔色が悪かった気がする。体調でも悪いのかな。


 ……そういえば、なんか目の下にクマがあったかも。無理して徹夜したのかもしれない。


 テツが謝りに来た理由。

 それはきっと、例の屋上の件だろう。


 私がラブレターを出した理由……別にからかいたかったわけじゃない。

 本気で告白するつもりもなかったし、テツの作業を邪魔する気もなかった。


 私はただ、テツに振り向いてほしかっただけ。


 先輩たちと出会ってからのテツは、コンテストのことばっかり頭にあった。私のことなんて見てくれない。ずっと脚本とにらめっこ。


 芸人なら、それがあるべき姿なのかもしれない。

 脇目も振らずに芸を磨き上げ、真摯にお笑いに向き合うのがいいのだろう。


 だけど、耐えられないよ。

 こんなに近くに好きな人がいるのに、かまってくれないなんて。

 私、ただの相方じゃないもん。テツのことが好きな女の子だもん。


 それなのに……私にはお笑いのパートナーとしての価値しかないなんて、そんなの辛いよ。悲しいよ。


 どうして私の気持ちに気づいてくれないの?

 これって私のワガママ?


 ……屋上でテツは私の気持ちを「くだらない」って言った。それで感情が爆発しちゃって、勢いで解散宣言しちゃったんだ。


 ……わ、私は悪くないもん。テツがいけないんだ。お笑いばか。にぶちん。鈍感系主人公。アドリブ下手。仕事は遅いし、稽古もミスが多い。何度も教えないと覚えてくれないしさ。要領悪いんだよ。全然ダメ。私、相方に不満だらけなんだからね?


 ……ま、まあ?

 悪いところばっかりじゃないよ?


 ツッコミ上手だし。ワードセンスも私好み。脚本仕上げるのは遅いけど、クオリティーはいつも私の想像を超えてくる。


 それに性格もいいんだぞっ。優しいし、ウザ絡みしてもいつも付き合ってくれる。抱きついても怒らない。私と相性抜群だ。


 容姿も完璧だもんね。からかうと、顔が赤くなるのが可愛い。爽やかだし、目が綺麗だし……何よりも夢に向かって努力している姿がかっこよすぎる。好きなところは数え切れないほどあるのだ。


 あー……私ってば、テツに惚れすぎ。


 解散なんてしたくないけど……でも、今のまま芸人を続けていく自信がない。


 テツはお笑いに本気で向き合っている。

 一方で、私はもう恋愛のことで頭がいっぱいだ。

 こんな二人がコンビを組んだって、いい結果が出るはずがない。


 ……やっぱり、この恋はあきらめたほうがいいのかな?


 勢いで解散なんて言ってしまったけど……芸と恋、どちらか選ばないといけないのなら、私は恋を選んでしまう。


 だから、これでいいの。


 芸人を辞めてフツーの女の子に戻ろう。それでいつかテツの恋人になればいい。彼の夢の応援をする、健気な杏子ちゃんになるのだ。だって、もう彼と一緒に夢は見られないのだから。


 ね? それでいいじゃん。

 そのはずなのに……胸にぽっかりと穴が開いた気分。


 あーもう。ケンカ別れしたせいだ。

 つまり、全部テツが悪い。


「……んがーっ! モヤモヤするなぁ!」


 テツのばかばか!

 謝ったって、コンビ組んであげないんだからね! むきーっ!


 ベッドの上でジタバタしていると、ぐうー、とお腹の音が鳴った。

 うへー。怒っていたらお腹すいちゃった。


 スマホを見る。時刻は午後九時。もうすぐ両親が仕事から帰ってくる頃だ。


「あっ……帰りは遅くなるから、晩ご飯は自分で買って食べてってママ言ってたっけ」


 朝、ママに晩ご飯代をもらったのをすっかり忘れていた。


 制服のまま、私は玄関に向かった。

 ドアを開ける。


 がんっ!


 瞬間、何かに当たった音がした。


「いでっ!」


 男の人の声がした。

 げげっ。やばー。ドアに当たったの、人だった。

 でも、どうして玄関の前に人が……今度こそ宅配便の人かな?


「すみません! 大丈夫でした、か……」


 私は絶句した。


 そこには顔を歪めて頭を押さえるテツがいた。服装はさっきのままだ。

 私が彼の謝罪を断ってから、もう四時間くらい経つ。


 もしかして、このお笑いばか……!


「杏子! やって出てきてくれたな……今度こそ、話を聞いてくれる?」


 へへっ、と照れくさそうに笑うテツ。

 間違いない。テツはあれからずっと玄関前に立っていたのだ。


 胸が、とくんと切なく鳴る。


 なによ、それ。

 お笑いのことで頭がいっぱいのくせに……急に私のことだけ見ないでほしい。


 ぐぬぬー……ドキドキしちゃうじゃん! きもーっ!

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