骨のある風景

おじさん(物書きの)

第1話

「諸君! 我々は今、由々しき問題に直面しているカル」

 一同の注目を引こうと、三、四十人程も座れようかという、長い食卓に勢い良く両手を叩き付けた——が、

 ゴツ!

 …と、硬質な音を立て、その勢いのまま両肘を付いてしまう。

「カル…」

 一同はざわめき、注目はもげた手首に集中した。蝋燭の揺らめく明かりの中、もげた両手首は指を蠢かせ、コツコツと音を立てながら動き出す。

「…静粛にカル! …カル!」

 一同が黙り込んでしまうと、合わせて手首の動きも止まり、一同が見詰める中、柱時計の時を刻む音がいやに大きく、見詰められると声にならず、沈黙に堪えられなくなった。

「も、戻ってくるカル!」

 上ずった声で言うと、手首は跳び上がり、辺りを窺う様にしてから動き出した。が、どうした事か、両手ともてんでんばらばらに動いて一向に元に戻ろうとしない。

 まあ、眼が無いのだから当然だろう。……耳はだって? 愛嬌である。

「そこの二人、投げてよこすカル!」

 指…腕差された二人は暴れる手首を掴み、ほぼ同時に投げ付けた。

 それを受け取れる訳も無く、しかも、妙にスナップが利いていたらしく、驚きの声を上げる前に、握られた右手が見事眉間に当たり、口癖と共に暖炉の前まで吹っ飛んだ。

 右手は暖炉の炎に照らされて紅く染まり、いやはや、頭部も然りで、剥き出しの歯が狂気を誘う。そう、頭ももげた。

 左手が胸骨に当たると、止め具を外した様に肋骨が弾け、バラバラと両脇に零れ落ちた。

「…カ、カル…」

 右手を乗せたままの頭部は、何事か喋ろうとしたが、毛の長い絨毯が邪魔をして巧く行かず、跳ね戻された左手でコツコツと食卓を突いた。

「あ、助けろと言っているコツ」

 左手の食卓を叩く、リズミカルな指の動きを見ていた者が、それを読み取って言った。


 時は暫し溯る。

 それはゆっくりと、本人も気付かない程の速度で、しかし確実に蝕んで行く。それに気付いた頃には、既に取り返しの付かない事になっていた事を知る。後はただ、静かに朽ち果てて行くのみ——

 あれは前触れもなくやって来た。痛みもなく、突如として倒れ、そのまま身体が不自由になった者も居る。

 いや、あれが前触れだったのか——

「大変マグ!」

「回想の途中カル!」

 を、無視し、一同は緊迫した声に振り返った。

 見張りをしていた者が、急いで階段を下りながら続けた。

「ついに来たマグ! 勇者マグゥゥゥ——」

 見張りの者は階段を踏み外し、バラバラになりながら、集まった一同の足元に転がった。

 一人がその頭部を持ち上げる。

「もう一度言うカル。それは真実なのカル?」

 回想中に助けられ、復活したらしい。

「間違いないマグ、真っ直ぐこの屋敷に向かって来るマグ」

 その報告に動揺を隠す者は居なかった。

「落ち着くカル。来る時が来ただけの事カル」

 未だに右手首は頭の上でマヌケだが、象徴的に右腕を掲げ、震わせながら言った。

「我々は永きに亘ってこの時、この瞬間を待っていた筈カル、脅える事はないのカル。戦士達よ、勇気を奮い立たせ、今こそ立ち上がり、魔王様に勇者の首を掲げるのカル!」

 そうアジると、一同は狂った様に哮り、大広間に移動した。

「やっと魔王様のお役に立てる日が来たコツ」

「勇者は一人カロン?」

「一人マグ」

「袋叩きにするカル」

「楽しみだボーン」

「震えてるのパク?」

「こいつカタカタいってるコツ」

「武者震いだボーン!」

 暫くして——

 ドンドン!

 と、一同の興奮を断ち切るように大きな扉が軋み、緊張感が辺りを支配する。

「き、来たパク!」

「どうするコツ?」

「合図をしたら二人で扉を開けるカル」

「それなら俺達が開けるボン」

「よし、扉を開けたら一斉に飛び掛かるカル。相手は一人、臆する事はないカル」

 右手首を左手で掴み、元の腕に付け戻すと、一同を見回した。

「諸君、お互いに悔いの無い戦いを……!」

 一同は互いに頷き合い、意を決した様に扉を凝視する。

 ——そして、再び扉が叩かれた。


 夜。うすら寒い夜。

 木々の間や茂みから時折感じる気配。

 月明かりが獣たちの血を騒がせ、焦りが歩を速める。

 湿った空気。草木の強い臭い。

 人工的な灯火を求めてどれほど歩いただろうか。疲れはとうに限界を越えている。だが、まだ歩かねばならない。生への足掻きが唯一の原動力なのだろう。男にはまだやらなくてはいけない事があった。

 視界が開け、狂った月が微笑み掛けていた。

 丘の上に月光以外の明かりが脆弱に浮かび上がる。切り絵の様な洋館。

 疲れが和らぐ。

 真後ろから獣の荒い息遣い。振り向く。

 野犬。眼光が鋭い。殺意と喜びに満ちている。吐く息が色付く。

 醜く肋骨が浮き出、泥か何かで短い毛が固まっている。柘榴の様な歯茎を剥き出し、疎らな牙が鈍くてらついていた。

 不愉快になる。

 男は野犬を冷たく睨み付けた。一瞬だけ殺気を篭めて。

 野犬は男の只ならぬ殺気に尻込みし、後ろ足を痙攣させながらも後退る。最早、野犬からは闘争心の欠片もなくなっていた。

 男が背中を見せ、何事も無かったかの様に歩き出した瞬間、野犬は一瞬にして茂みの中に逃げ消えていた。

 月が微笑み掛けている。異形を導く様に。

 金具類が錆付いた門扉を開け、雑草すらない庭に足を踏み入れた。

 男は漆黒のロングコートに身を包み、その上には深紅のハーフマントを羽織っていた。

 冷たい夜気が足下から這い上がってくる。

 稍々ぬかるんだ地面に平坦な岩場が現われ、足元を取られたりもしたが、それが墓石だとは気付かなかった。

 視線——ふと、顔を上げるが、どの窓にも柔らかな明かりが揺れているだけで、男はその感覚を見る事が出来なかった。

 玄関先に明かりはなく、ガーゴイルが覗く陸屋根が広い為、目の前が常闇に塗り変えられ、ノッカーを探すのは諦めた。

 闇に拳を叩き付け、室内からの応答を暫く待つが、時間の流れから逸脱してしまったかと思う程の静寂。話し声が聞こえた様だが、それすら幻聴なのでは…と、思える。

 妙な緊張感を感じつつ、再び扉を叩く。

 すると——今度は間髪を入れずに扉が軋み、目の前の常闇に光が射し、勢い良く扉が押し開けられた。

 男は一歩退いて、我が目を疑った。暗闇から急に光を見た所為だろう。そう自分に言い、思い込むと、ぎこちなく微笑んで言った。

「一晩泊めて頂きた……」

「勇者覚悟ぉぉぉコツ!」

 言うが早いか、先陣が男に取り付いた。

 が、

「無礼な!」

 男が軽く突き飛ばすと、思った以上に、それはもう景気良く吹っ飛んだ。バラバラと。

「いや失礼。しかし……」

「畳み掛けるカル!」

 男が突き出した左腕を筆頭に、次々と取り付き、男は襲われている事よりも、無視された事に激しい憤りを感じた。

「人の話を最後まで聞きなさい!」

 男は取り付く者を薙ぎ払い、首根っこを掴んでは身体からひっぺがした。

「や、やっぱり勇者は強いカル…」

 男は眉尻をぴくりと動かし、身体の動きを止めた。右手に頭を持ったまま。

「先程から勇者々々と、…なんなのです。私を誰かとお間違えのようですが」

「カル? 今、なんと言ったカル?」

「私は勇者なぞとは違います。そのような者も知りません」

「それは真実なのカル?」

「勿論です。私は方方を旅する者、一介の旅人が如何言う故に勇者なぞと呼ばれましょうか」

「それは済まなかったカル。許して欲しいカル」

「待つボン、それならば魔王様のお城への〝鍵〟たるこの屋敷へはなんの様なんだボン」

「何を言うカル! そんな重大な秘密を言っちゃ駄目カル」

「うぐ…失言だボーン…」

「秘密を知られたからには生かしちゃおけないんだパク」

「お待ち下さい。私は只の旅人です、英雄譚なぞには興味も無く、生涯無縁な話。どうか誤解をなされぬように」

「じゃあどうしてこんな辺鄙な所に来たんだボン」

「旅人だからです」

「納得だボーン」

「納得するのかパク? 怪しいには違いないパク、目的を言うパク」

 仲間が足元で蠢いていたり、男に頭を鷲掴まれ、頚椎を左右に振りふりしていても、あまり気にならないようだ。

「一晩泊めて頂きたいと。只それだけなのです」

 頭部を鷲掴んだままなので説得力はないが、有無を言わさず襲撃されたのだから、仕方がない事だろう。しかし、野犬を追い払った時に見せた眼力、先の襲撃時に於ける堂々たる対応は一介の旅人と言うには余り得るのではないか。

「一晩くらい構わないカル、部屋は幾らでも空いているカルから、好きな部屋を使うと良いカル」

「いいのかパク?」

「そもそも我々には非があるボン」

「そうだカル、困った時はお互い様とも言うカル、さあ、入るカル」

「いや、しかし…」

 男は申し訳なさそうに右手に持った頭を突き出し、眼下を見回した。

「ああ…、それなら気にしなくても平気カル、骨折さえしていなければ、直ぐに治るカル」

 直ぐに治ると言われて、はいそうですかと、納得できる事ではないが、バラバラになった身体がカタカタと動く様を見ている内に、まあ、そんなものか…と、納得してしまう。男は傍らに来た者に頭を手渡し、案内されるまま、屋敷の中へと踏み入った。


 階段を上って右の通路を行き、左へと曲がると、薄暗い廊下が果て無き様を見せている。

「暗いカル?」

「ええ、難儀する程ではありませんが」

 とは言うものの、廊下に並ぶ左右の扉は向こう二つしか見えなかった。その先は只の闇。

「じゃあ、この部屋の明かりだけ付けておくカル」

 そう言うと、壁に備え付けてある蝋燭台に手を翳す。ほんの一瞬だけ。それだけで蝋燭に灯が点った。

「ほう」

 男は感嘆を洩らした。

 部屋に入ると、直ぐに嫌な視線を感じ、その所在を探し見る。それは木製の額縁に納まり、男を睨付けていた。

「なんですか、あれは」

「どれカル? ああ。なかなかの美人…特に鎖骨のラインなんか、堪らないカル。実はそれ、自分が描いたんだカル」

 と、うっとりと——なのかどうかは判り兼ねるが、自分が描いたと言う油絵を暫し見詰める。美人と言うからにはそうなのだろうが、男には言うべき言葉が見付からなかった。それもその筈、素人が描いたとはいえ、男女の区別が付かないのだから。いや、骨盤が少し大きいか…。どちらにしろ、男とは美的価値観が違うのだ。

「あ、また骨抜きになっていたカル。——ところで、暖房は入れるカルか?」

「そうして頂けると助かります」

「ちょっと待つカル。——そう言えば、まだお前さまの名前も聞いていなかったカルな」

 暖炉の前にしゃがみ込み、振り向きもせずに聞いた。何やら灯籠の様な物を動かしている。

「これは申し遅れました、私、キフーチ・ヴァルシネと申します」

「キフーチ・ヴァルシネ、良い名前カル。力強い言霊を感じるカル。——因みに、我々にはそう言った呼び名が付いていないカルから、好きな様に呼んでくれていいカル」

 暖炉の中に描かれた幾何学模様の上に、銀細工で出来た灯籠を移動させた。すると、中の鉄球が燃え出し、その影が揺らめく。これはまた、不思議な仕掛けだ。

「それは?」

「ブービー・トラップを応用して造ったマジック・アイテムなんだカル。火を消す時はこの模様の上から動かすだけでいいんだカル」

「模様の上にある間は燃え続けると?」

「そうだカル」

「それは素晴らしい。素人目で見ても、大変精妙な飾りですね」

「前世で名工と言われていた者の細工カル。他にも色々あるカル」

「他にはどういった物があるんですか?」

「例えば、雷を造る箱だとか、この世のどこかに現存する竜と話が出来る『竜の玉』なんてのもあるカル」

「――その中に『冥界王の指輪』若しくは『ミリーの首飾り』なる物はありませんか?」

「そういった装身具はないカル」

「そうですか、それでは『メディアの蛇』と呼ばれる物を聞いた事は?」

「役に立てなくて済まないカル…」

「いえ、若しやと思っただけですので——謝らないで下さい」

「それらを探す事がキフーチ殿の旅の目的なのカル?」

「まあそうです。一つは形見の様な物ですが」

「形見カルか……早く見付かるといいカルな」

「ええ。それと泊めて頂く礼をしたいのですが」

「そんなのいいカル、こちらも他に何も出来ないカルし、人違いで迷惑も掛けたカル」

「それでは——」

 ヴァルシネがまだ何事か言おうとした事を制し、部屋を出ようとしたが、思い出した様に振り返る。

「相談に乗ってもらいたい事があるんだカル、聞いてくれるカルか?」

「ええ、勿論ですよ、タブリス」

「なんだカル?」

「貴方の名前ですよ。気に入りませんか?」

「名前? 自分のカルか?」

「ええ。勿論、気に入って頂ければの話ですが」

「気に入ったカル! とっても良い名前カル!」


 ヴァルシネが二階へと案内されて行った後、一同は——バラバラになった者も含めて、一階の大食堂に集っていた。

「諸君、我々は今、由々しき問題に直面しているパク」

「それはさっきやったコツな…」

「一度やってみたかったんだパク…。いつもあいつが…いや、それはともかく、あの男が勇者ではないと言う、確固たる証拠がない限り、我々は油断してはならないと思うんだパク」

「しかし、自分で勇者じゃないと言ったボーン」

「言葉ではなんとでも言えるパク」

「それを言ったら終わりだコツ」

「う……しかしパク…」

 簡単にしどろもどろになってしまうが、隣りの者から助け船が出た。

「言いたい事は判るカロン、だからあの男が本当に勇者だった場合の事を考えるカロン」

「そういう事パク」

「万が一の事を考えて、と言う事コツな」

「そうだカロン。だが、あくまでも万一カロン。奴が勇者であると確認できた時、我々がどうやって奴を倒すか…カロン」

「さっきこっ酷くやられたコツからな…」

「不意を付くしかないマグ」

「罠に掛けるのはどうコツ」

「いっその事、寝首を掻くパク」

「誰の寝首を掻くカル?」

 一同はびくりと声の元を見上げた。

「…な、何の事パクか? 多分お前の聞き違いパク」

「そうカルか。それにしても、物騒な聞き違いをしたものカルな。それはそうと皆に話があるんだカル。と言っても、さっきの続きカルが——」

 ヴァルシネ等は二階の通路を使い、大食堂に現われた。

「——と、その前に改めて紹介するカル、キフーチ・ヴァルシネ殿カル」

「先程は失礼しました。——皆さん壮健そうで何より」

 眼下を見渡してそう言い、階段を下りて行く。

「だから平気と言ったカル」

「安心しました」

 余り歓迎の雰囲気ではなかったが、タブリスに示された通りの席に着いた。暖炉を背にした、タブリスの横に。

 一同の注目がヴァルシネから自分に移ったのを見計らい、タブリスは徐に語り出す。

「相談と言うのは我々全員の悩みカル」

 ヴァルシネは言葉を促す様に軽く頷く。

「そもそも、我らは偉大なる魔王様の魔力によって不死の身体——スケルトンになったんだカル。魔王様から授かった命は憎き勇者を倒す事…、それなのに!」

 思わず荒げた声にヴァルシネは驚き、自分でも恥ずかしかったのだろう、タブリスは俯き加減に咳を一つし、改まって続けた。

「それなのに、待てど暮らせど勇者は未だに姿すら現さず、もう七十年くらいこうして暮らしているんだカル。そして最近、我々はある恐ろしい事に気付いたんだカル…」

 ここでタブリスは暫し押し黙り——

「不死のあなた方が恐れる事とは?」

 ヴァルシネが話を促してやっと、それでも言葉にするのも忌々しげに話し出す。

「…長い時が不死である我々の身体を蝕んでいたんだカルよ…」

「…病気、ですか?」

「そうだカル、余りにも長いこと勇者がやって来ないから、……我々は骨粗鬆症になってしまったんだカル!」

「――こ、骨粗鬆症ですか?」

「そうだカル…」

「……致命傷ですね——骨だけのスケルトンには…」

 再び沈黙が訪れた。

 それはそれは重い沈黙が。

 そんな中、ヴァルシネは思っていた。骨粗鬆症になった彼ら、スケルトンは果たして不死なのであろうか、粉々になって動けなくなっても意思は残るのだろうか…と。そもそも勇者などと言う者は居るのだろうか、…いや、彼らを不死にした魔王とやらが居るのだから勇者とやらも居るのだろう。しかし、こんな辺鄙な山奥に人が訪れるだろうか…、七十年も待ち続けていると言うし…。彼らには悪いが、勇者などと言う者はこれからも現われないのではないか。そしてこの屋敷と共に彼らは朽ち果てる、永遠に。

 そして、その長い沈黙を破ったのはタブリスだった。

「そこで、カル。方方を旅して来たキフーチ殿の知恵を拝借したいのカル」

「それはつまり、勇者なる来訪者を倒したいと言う事ですね?」

「そうだカル」

「私にすら勝てなかった、あなた方が」

「なんだパク!」

「その通りなんだから仕方がないカル。その上で相談しているんだカル」

「非力でも良い戦略があれば勝利を掴む事は出来ます」

 一同が「それだ!」と身を乗り出した所へ、ヴァルシネは「しかし」と出鼻を挫く様に制した。

「如何せん、突き飛ばされただけで身体がバラバラになってしまうのでは話になりません」

「…では、どうしたら…いいのカル?」

「抜本的な解決策は二つあります。一つは勇者を倒すなどと言う事を忘れてしまう事です」

「解決になっていないパク」

「いえ、これが最良の策だと思いますよ」

「退く事はならないカル」

「まあ、そう言うと思っていましたが。もう一つは骨粗鬆症を解消する事です」

「出来るのカル?」

「要は失われるカルシウムを抑え、補えば良いのですから可能でしょう」

「つまり、カルシウムを多く摂取しさえすれば、骨粗鬆症は改善できるのカルな」

「ええ、大方は」

「ならさっそくカルシウムを摂るカル!」

 タブリスは一同にそう言ってから、唖然とし、頭を抱えて低く呻いた。

「カルシウムってなんだマグ?」

「軽金属の一つで簡単に言えば骨だコツ」

「それなら話は簡単だボーン、カルシウムいっぱいの小魚を食べればいぃ……——意味ないボーン」

「そうだカル、我々は食物を吸収する事が出来ないんだカル…」

 顔を上げ、困惑気味にヴァルシネを見る。

「確かにそうですね…、——いや、まだ手はあります。皮膚吸収をご存知ですか」

 タブリスは頷いたが、

「皮膚もないマグ」

 と、疑問の声が上がる。

「まあ、正しく言えば骨塩滲透吸収とでも言いましょうか。つまりは、カルシウムを含んだ液体に骨ごと浸かってしまおうという訳です」

「カルシウムを含んだ液体と言えば…チーズだボン!」

「それは固体コツ。例えば牛乳などコツな」

 自信たっぷりに答えたのだが、そつなくツッコまれ、その場でバラバラと椅子から崩れ落ちた。

「と…言う事は、乳牛さえ居れば我々の問題は解決したも同然カルな」

「それはまだ早計過ぎます。第一、牛が居ませんから。街に下りて牛を買うにしても、その資金は——」

「…牛なら居るボーン」

 身体を回復させながら食卓に這い上がり、自慢気に言った。

「牛なら裏の山にいっぱい居るボン」

「斑のあれが牛だったマグか」

「牛が居るなら話は早いカル、さっそく牛を捕まえに行くカル」

「…今からですか? 私は休息を取りたいのですが」

「キフーチ殿は休んでいると良いカル、明日の朝には牛をいっぱい捕まえて帰って来るカル」

 と、タブリス達は威勢良く屋敷を出て行った。ヴァルシネは二階の部屋へ戻って干し肉を噛りながら、埃っぽいベッドカバーを捲った。

 妙な事になった……と、ヴァルシネはベッドに横になり、タブリスが描いたという油絵を眺めながら思っていた。

 理解しろ、と言う方が無理だが、タブリスの好みである彼女は暖炉の前に置かれた長椅子に座り、楚々と膝の上に手を置き、深く、暗い眼孔をこちらに向けて——暖炉の光加減だろうが——微笑み掛けている。やはり不気味だ。しかし、相当の画力があるのだろう。まるで、今にも額から抜け出してきそうな程の存在感がこの絵にはある。人間であった頃は画家だったのか。それとも、長い待ち人生活の間、絵を学んだのかもしれぬ。どちらにしろ、彼らに取っての、七十年という時は長かったのだろうか…。人間で言えばほぼ一生だ。不死であり、魔王への忠誠心があったとは言え、無視できる時間ではない。勇者などと言う幻想を捨てさせ、永遠と言う呪縛から解放してやった方が良いのではないか。しかし、勇者を倒さんと摸索する彼らの姿はなんと生き生きとした事か。…過去に囚われた私とは違うのだな…。

 出来得る限りの事はしよう。


 朝には捕まえて帰って来る、タブリスはそう言って出発したが、今頃は牛の周りでバラバラにでもなっているのだろう…と、ヴァルシネはその風景を想像し、裏山に向かったのだが、二時間ほど山道を歩いた後、想像と余り変わらぬ風景をそこに見た。

「予想以上に牛は強いカル〜」

 タブリスが牛の突撃で吹き飛ばされ、ヴァルシネの足元に頭部が転がって来た。他の者も同様で、復活しては倒され、復活しては――を繰り返している。

「予想通りの事態ですが。大丈夫ですか?」

「キ、キフーチ殿…来てくれたのカル。有り難いカル、しかし…牛はとても強いカル」

「むやみやたらと追い回していては埒があきませんよ」

「どうしたら良いのカル?」

「取り敢えず…皆さん集まって下さい!」

 一通り回復し、集うのには数分を要したが、不死身であるスケルトンの相手をしていた牛たちは、その執拗さに体力を消耗し切ったのか、遠くへ行ってしまう事もなく、こちらの動向を窺うように佇んでいた。

「全員揃った様ですね。では——」

「難儀したマグー」

「久し振りに骨が折れたボーン」

「ほんと、骨身に応えたコツなぁ」

 と、各々が自らの苦労を口にするが、それはどこか楽し気であり、止めておけばよいのに、自分はより苦難を味わった、などと言い出す者も居り、次第には一番難儀したのは誰なんだ、と訳の分からぬ事となり出し、そんなくだらない争いになるところを、ややヒステリックにタブリスが叫んだ。

「黙ってキフーチ殿の話を聞くカル!」

 その一言でしんと静まり返った一同は、深い眼孔をヴァルシネに向けた。

「…宜しいですか? 簡単な事ですから良く聞いて下さい。ご覧の通り、現在牛たちは長時間あなた方の相手をして、相当の体力を消耗しています。ですから、牛たちを誘導して屋敷まで連れて行くのは今が絶好と言えます」

「…つまり、我々の行動も無駄骨にはならなかったカル?」

「ええ。寧ろ、事運びが容易になりました。一見したところ、二十頭ほどの牛が居ますが、頭数ではこちらの方が上です。その上あちらは体力を消耗している、ですから、弓形に並んで追い立てる様にすれば、屋敷まで牛たちを誘導するのは容易い筈です」

「一頭ずつ捕まえようとせず、一遍に捕まえようとはさすが、キフーチ殿カル」

 そして、タブリスの指示の下、一同は弓形になって手を繋ぎ、十人程度が牛の尻を叩き叩き追い立てる。

 牛に蹴られて身体を崩す者、細い道で崖下に落ちて行く者などが居て、気付くと手だけを持っていたりと、様々な出来事が起きたが、そこはそれ、スケルトンはタフである。自分の骨を拾い、身体に戻しては歩き出す。

 流石に牛たちも観念し始めたのか、反抗する牛が減ってきた。数時間前と比べると顕著に大人しい。それでも暴れて逃げる牛が居、雄らしかったので放っておいたのに、止め様としたスケルトンが錐揉みで吹っ飛んで行った。

「カル〜」

 どうやらあのスケルトンはタブリスだったようだ。

 様々な形の骨を拾い、一箇所に集めたが頭が見当たらない。首無しのタブリスは片手を曲げ〝シュタッ!〟とポーズを決めると、頭を探しに走って行った。


「酷い目にあったカル。身体の方は前が見えないものだから何度も木にぶつかるし、頭は川に流されて滝壷に飲まれちゃうし…散々だったカル」

 一時間ほどして一同の元に戻って来たタブリスはげんなりとして言った。

 そんなこんなで、屋敷に着いたのは夕の帳が下りた頃、牛たちも十六頭と僅かに数を減らしていた。乳牛は十二頭。

「さっそく乳を搾るカル」

「受け皿が必要パク」

「確か宝物庫に壷があったカル、取りに行って来るカル」

「手伝いましょう」

「頼むカル」


 宝物庫は屋敷の地下にあり、煉瓦造りの階段を稍々左回りに下った所の、二つ目の部屋だった。明かりは客室と同じ様にタブリスが付け、不自由はしなかったが如何せん黴臭い。宝物庫と言っても、扉などはなく、そこがスケルトン達にとって大した価値もない場所であると知れた。

 タブリスは先に部屋に入り、明かりを付けた。暗闇から現われた品々は使用目的の分からぬ物や、判ったとて使えない様な、例えば背丈ほどもある巨大な剣や、何故か額に入った白いワンピース。硝子が嵌まった黒い箱などが無造作に置かれていた。

「…余り大きいと持てないカル……あ、これ位が丁度良いカルな、キフーチ殿——どうしたカル?」

「いえ、壷の他にランプの様な物があればと探していたのですが、どれも珍品揃いなもので」

「ランプなら…確か鬼火灯籠があった筈カル」

「鬼火灯籠?」

「ああ、あった。これカル」

「人骨にしては大きいですね。若しや、鬼の腕ですか?」

「そうカル。これは自分が持ってくカルから、キフーチ殿は壷を頼むカル」

 寓話的な模様が彫られた、直径四十センチ程の壷を二つ抱え、自らの腕よりも太い腕を両手で抱え、部屋を出るタブリスに続いた。

 前庭に戻ると、待ってましたとばかりに一頭の乳牛に群がる。ヴァルシネは壷を置き、タブリスに向く。

「明かりを」

 タブリスから受け取った鬼の腕はずっしりと重く、三本の腕の指が複雑に絡み合い、良く見るとそれは三つ全てが左手であった。そしてそれを纏める様に、手首には錆付いた鉄の鎖が巻き付き、古代文字が鏤刻された銅板が三枚付いている。タブリスの言葉通り絡み合った指を外してから、それぞれの腕をずらし、三脚の様にして地面に置く。

 暫く何も起こらなかったが、それぞれ向かい合った掌から何やら青白い光の玉が飛び交い、始めそれは発光虫ほどの大きさだったが、次第に数が増え、ぶつかり合い、融合し合う事で大きく、そして一つの青白い炎となって、辺りを静かに照らし出す。

「では、簡単な搾乳の仕方を教えますから、良く見ていて下さい。まず、牛の乳首をこの様に軽く握り、人差し指と親指で締め付けます、そして中指、薬指、小指と順に力を入れて行くと同時に乳首を下に軽く引っ張る…と」

 蜘蛛の糸の様にシャッと乳首の先から乳が噴き出た。一同からは「おおっ」と驚いた様な声が上がる。

「凄い感動的カル、自分もやってみたいカル」

「どうぞ——そう、優しく優しく」

「自分もやりたいマグ」

「もう一つ壷がありますから、他の牛を搾乳しましょうか。他の方も宝物庫から壷を持って来て下さい」

「もう一度こっちで絞るところを見せて欲しいカロン」

「いいですか、ゆっくりやりますから良く見ていてください」

「凄いボーン」

「これはなかなか楽しいカル」

 タブリスは飲み込みが早く、既に両手で交互に乳を搾っていた。

「難しいマグ〜」

「いいですか、こうやって…コツは——」

 

 数分ほどで壷を持った面々が現われたが、大小様々な壷も全員には行き渡らなかった様で、手ぶらでぼやいている者も多い。

 そんな中、タブリスは勝ち誇ったような声を上げた。

「やったカル、一杯になったカル」

「早かったですね。では早速、浴室に運びましょうか」

「運ぶカル——う…お、重いカル」

「私が持ちましょう」

「何から何まで済まないカル」


 岩を刳り貫いた様な浴槽は三人——スケルトンならば四、五人ほどが入れ、足を伸ばせるくらいの広さだった。そこへ搾り立ての牛乳を入れると、甘い匂いが浴室一杯に広がり、タブリスは興奮した様に言う。

「もっと一杯搾らなきゃ駄目カルな。でも、もう直ぐカル。この牛乳で強くなって、我等は…、うう。——勇者の生首が目に浮かぶ様カル」

 タブリスは拳を握り締めて震えていたが、我知らずどこかの骨がカタカタと音を立てていた。打倒勇者の夢に燃えるタブリスに、牛乳を吸収出来なかったら、などという危惧は浮かばない。無論、いつになったら勇者が訪れるのか、だとか、勇者とは誰なのか、などという疑問の念はタブリス達にはないのだった。とにかく今は打倒勇者の為に強く頑丈にならなくてはいけない。

「もっともっと搾るカル。さ、キフーチ殿、搾りに行くカル行くカル〜」


 ヴァルシネの心配を他所に、浴槽内は牛乳で七割ほど満たされた。

「我らの命の泉カルな」

 と、タブリスは牛乳を掬う仕種をする。

「さっそく入ってみるカル」

 誰もそれを止めず、一同は固唾を飲んでタブリスを見守る。なんだかタブリスが毒味役を買って出たみたいだ。実のところ皆、不安なのだろう。喉を鳴らす代わりに骨を擦り合わせる様な、脱臼した様な音がする。

 そんな緊張なぞ知らぬ様にタブリスは右足を入れ、身体を半回転させながら左足を入れると、ゆっくりと腰を落として行く。

 一同の注目の中、タブリスは肩まで浸かったが、水——牛乳嵩は余り変わらない。

「どんな感じマグ?」

「うーん。骨触りは良いカル、ただ…それといって変わりはないカル…」

 失敗か、ヴァルシネの嘆息にタブリスの驚嘆が重なる。

「カ…カル? な、なんだか力が漲る感じがして来たカル」

「…あ、見るコツ、牛乳の量が減ってきたコツ」

「吸収しているんだカル、段々と骨の肌理が細かくなって…色も白く、ああ…くすみのない白カル!」

「骨が太くなって行くパク」

「自分も入るマグ!」

「抜け駆けは許さんパク!」

「押すなコツ!」

「皆さん落ち着いて。一度に入れる人数は限られているのですから、順番を決めましょう」

「それに牛乳も足さないといけないカルな。自分はもっと牛乳を搾って来るカル」

 タブリスは一滴の牛乳を零す事なく浴槽を出、一同の視線を浴びつつ浴室を出て行く。

 その背中は力に満ち満ち、枯れ木が千年樹に生まれ変わる程の変化を見せていた。


 スケルトン達の館が見下ろせる、小高い山にタブリスと二人。

「今日も良い天気カルな。みんな復活して、スケルトン本来の強靭さも戻ってきたカル」

「牛も増え、剣術も上達してきた様ですね」

「これでいつ勇者が現われても負けないカル。キフーチ殿には感謝の言葉もないカル。スケルトン一族の恩人カル」

「恩人だなどと、大袈裟ですよタブリス」

「それにしてもこんな所まで来て、なんの話カル?」

「——今日、旅立ちます。黙って行こうとも思いましたが、タブリスには話しておこうと」

「そんなの急過ぎるカル、まだ学びたい事が一杯あるカル」

「私は旅人です。一箇所に留まるのは性に合いません」

「…止めても無駄なのカル?」

「はい」

「せめて皆に別れの挨拶をさせてやって欲しいカル、トゥキファトもリスヌクも…セザビルだってスサボだって……皆が悲しむカル」

「…タブリス、貴方は後いくばく勇者を待ち続ける事が出来ますか?」

「勿論、勇者が現われるその日までカル」

「では、私が当の本人だと言ったら?」

「有り得ないカル。勇者は我々魔族を根絶やしにせんとするとても酷い奴カル、魔族を助ける様な者は、勇者とは呼べないカル」

「陽炎を掴まんとする様なものですよ」

「構わないカル。魔王様への忠誠こそが我々の喜び、存在意義カル」

「タブリス、あなたにはもっと多くの世界を見て頂きたいものです」

「自分には仲間たちが居るカル」

 眼下を眺める。草原には牛と戯れ、日光浴を楽しむスケルトンたちの姿があり、そのほのぼのとした風景は異形であるスケルトンには似合わぬものだが、彼らの纏う雰囲気は牛のそれよりも穏やかなものになっていた。骨不足が解消されたためか、それとも元からだったのか。

「さよならは言わないカル、絶対に言わないカル!」


 それから――彼らが勇者に出会えたかどうかは分からない。確かなのは彼らが規則正しく、健康的な日々を今でも送っているだろうという事だけ。

 

 今、眼に浮かぶのは牛の乳を搾り、日光浴をし、教えられた剣術に励んでいる彼らの……そんな風景だった。

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骨のある風景 おじさん(物書きの) @odisan_k_k

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