夜のメロディ
両目洞窟人間
夜のメロディ
にゃん、にゃん、にゃんとねこのにゃんみさんは楽器屋さんに二足歩行で向かっていました。
にゃんみさんはギターを買おうと思ったのです。
にゃんみさんはギターどころか楽器を弾いたことはありません。
でも、にゃんみさんはYouTubeでフジロックの配信をたまたま見てしまったのです。
ステージ上でギターを弾き、そして歌う人々。
それは、ぎゃーん!と耳だけではなく心の中でも音楽が鳴り響き「にゃ!私もギターを弾いてみたい!」と思ってしまったのでした。
しかしねこのにゃんみさんにギターなんて買えるのでしょうか。
大丈夫です。にゃんみさんは駅前の本屋で働いているのです。なんなら評判のいい店員さんです。そして少しだけ貯金もあります。にゃんみさんは堅実なのです。
「おいくらあれば、ギターは買えるかにゃ……?」
勿論、そんなこともにゃんみさんは知りません。
とりあえず三万円を下ろして、楽器屋さんにやってきたにゃんみさん。
店内にはずらずらずらーっとギターが並んでいます。
白に黒に赤に水色に黄色に茶色、ピンクにオレンジにパープルやゴールド。
色とりどりのギターがにゃんみさんの目に飛び込みます。
にゃんみさんは目がぐるぐる回って立ち尽くしてしまいました。
どのギターがいいのか、そして何を買えばいいのか。
わからなすぎて疲れてしまったので、店員さんに聞いてみることにしました。
にゃんみさんは「すいません~」と耳に緑の輪っかのピアスをつけた店員さんに聞いてみました。
「はい。あ、ねこちゃんじゃん」
「はい、ねこです。あの……ギターを始めようと思いまして……」
「あーね、ギターね。大きく分けてアコギとエレキがあるけども」
「アコギ?エレキ?」
にゃんみさんはそれもよくわかっていませんでした。
「あー。どういう音楽がやりたいかによるんだけども……どういうのやりたい?」
「えーと、あの、私、この前フジロックの配信を見まして」
「うん、いいじゃん」
「はい。ラップをしてる人もカッコよかったんですけども」
「うん、ラップもいいよね」
「ギター持って歌うたいをしてる人がかっこいいにゃって思っちゃって」
「いいじゃん」
「それで、私もギターを弾いたり歌を歌いたいって思って、それで……」
「めっちゃいい理由じゃん。応援したくなるわ」
「ありがとうございます」
「じゃあ。バンドで、ってわけじゃないんだね」
「はい」
「じゃあ、アコギだね。これで弾き語りを始めたらいいよ」
「アコギ!」
「アコースティックギターの略でアコギ。」
「わあ。素敵な言葉ですにゃ」
「かっこいいっしょ」
「じゃあアコギをくださいにゃ。三万円で足りますかにゃ?」
「三万か~。三万ちょうど?」
「はい」
店員さんはちょっと待っててと言って立ち去り、ちょっとあとにアコギを持って帰ってきました。
「じゃあこれ」
「これは?」
「ヤマハのFG830。上を見たらギブソンとかあるけど、三万ならヤマハのこれで充分な音が鳴るよ」
そう言って、店員さんは椅子に座って、じゃらーんと弾きました。とてもいいメロディが店内に鳴り響きました。
「素敵ですにゃ」にゃんみさんはそう言いました。
「本当は三万五千円くらいするんだけども」
「え」
「三万ちょうどでいいよ」
「いいんですか」
「だって歌うたいになりたいんでしょ」
店員さんはそう言いました。
ギターを買ったら「これはおまけでつけとくわ。頑張ってよ」とギターケースとチューナーとピック、そしてギター教則本をもらえました。
にゃんみさんはギターケースを背負って、家まで帰りました。
その日はなんだか妙に気持ちが高揚してしまいました。
お家のアパートの一室に帰って、ごはんを食べた後、にゃんみさんはギターを弾いてみることにしました。
教則本を読みながら早速チューナーを使って、ギターのチューニングを合わせていきます。
べいん、べいん、べいーん。
べいん、べいん、べいーん。
どうやらチューニングが合ったみたいです。
ふぅと深呼吸して、ギターを弾いてみようとします。
すると意外に弦が硬く、指に食い込んで痛いなあと思いました。
とりあえずおもむろにえい!とピックを弦に当てると、ぽぽぽぽぽぽと音が鳴るだけでした。
じゃらーん!って音を期待していたのに、ぽぽぽぽぽぽとは如何に。
それは弦をうまく押さえられていないからなのです。
にゃんみさんは「むずかしいにゃー」と思いつつ、頑張って弦を押さえてみます。
最初のうちはやっぱり、ぽぽぽぽぽぽと音がなるだけでしたが、何度かやっているとたまにじゃらーんと鳴ったのです。
それが嬉しくてにゃんみさんは笑顔になりました。
そんなことを繰り返して、気がついたら、二時間以上ギターを触っていました。
ちょっと疲れてしまいました。
にゃんみさんはもっと上手くなって、弾き語りしてみたいにゃあ……と思って、なんとなく天井を見たら、女性の幽霊がにゃんみさんに向かって両腕を伸ばして「うぼぼぼお……」と唸っていて、にゃんみさんは「にゃーあ!!!!」と叫んで失神しました。
「にゃんみさん」と後藤さんがにゃんみさんに喋りかけました。
後藤さんは本屋さんの先輩店員さんで、にゃんみさんとお昼ご飯を一緒に食べる仲でした。
「そういえば、ギターを買ったん?」後藤さんはもぐもぐとサラダチキンを食べながら聞きます。
「はい。買ったんですけども……」
「やっぱ、難しい?」
「ギターが難しいよりも、あの家に幽霊が出ちゃいまして……」
「えっ!家に!?」
「はい。ギターを弾いていたら幽霊が出ました」
「めっちゃ怖いやん。そんでどうしたん?」
「そのまま気を失って朝ににゃってたので、仕事に来ました」
「偉いね、にゃんみさんって」
「えへへ」
「でも、その部屋住んで長いんちゃうん?」
「もう二年ですね。にゃんにゃら更新しようかと思ってたのですが……」
「急に幽霊が」
「今まで出たことにゃかったのに」
「もしかしたらやけど、ギター弾いてたから出たんちゃう?」
「ええ!うるさかったのかにゃ…」
「知らんけど。とりあえず、またギター弾いてみたら?」
「ええ…いやにゃ…」
「でもギターも高かったんちゃうん」
「三万もしました」
「三万はきついなあ」
「結構しましたにゃ」
「そしたらやっぱ弾かんと。そんで出たら、幽霊からのうるさいなー!ってメッセージってことやろし。ええやん。確かめるってことで」
「ええ……やだにゃあ……後藤さん今日家に来てくださいにゃあ……」
「ごめん、今日はあかんねん。シラットのジムに行かなあかんのよ」
「シラット?」
「インドネシアの格闘技」
「へー」
後藤さんはいろんなことを知ってるし、やってるにゃあとにゃんみさんは思いました。
その晩、にゃんみさんはギターを弾いてみることにしました。
にゃんみさんは恐る恐るケースからギターとチューナーを取り出し、チューニングを始めます。
べいん、べいん、べいーん、べいん、べいん、べいーんとチューニングを合わせると、昨日覚えたコードを弾いてみます。
すると、昨日はぽぽぽぽぽぽとしか鳴らなかったのに、今日は一発でじゃらーんと鳴るじゃないですか!
小さな進歩ににゃんみさんは感動しました。
にゃんみさんは教則本に載っているギターのコードを弾いてみようとしました。
指をそれぞれのコードの形にするのは難しいにゃあと思いましたが、それが上手くできた時、じゃらーんと鳴るのがにゃんみさんにはとても愉快で感動的でした。
ふふふ、わたしにはギターの才能があるのかもしれにゃい!
にゃんみさんはすっかり感動しきって自惚れていました。
しかし、そんなにゃんみさんに立ち塞がるコードが出てきたのです。
Fコードです。
Fコードは初心者最初の壁と言われるコードです。
そもそも人間の手でも難しいと言われるこのコード。
ねこの手ではより難しいものでした。
「うにゃうにゃ……うにゃうにゃ……」
指をぐいーと伸ばしたり、折り曲げたり、必死にFコードの形を作ろうとします。
ですが、なかなかその形になりません。
一応Fコードのつもりでギターを押さえて弾いてみます。
ぽぽぽぽぽぽ。
ギターからはまたそんな音が鳴ってがっかり。
嫌ににゃっちゃうにゃー。とまた何気なく天井を見上げると、女性の幽霊が「うぼぼぼぉ……」とにゃんみさんに向かって両腕を伸ばしていました。
「うにゃーあ!」とにゃんみさんは叫びましたが、耐性がついてしまって、失神はできませんでした。
幽霊の顔は真っ白でした。
目と口がある部分には闇があり、その闇はぐるぐると渦巻いていました。
女性の幽霊はにゃんみさんにゆらゆらと近づきます。
「ひいいっ!」
にゃんみさんは恐怖でギターを盾にしました。
にゃんみさんは目をつぶって、幽霊が立ち去るのを願いました。
冷えた空気が近づいてくるのがわかります。
指先に幽霊の手が触れたのを感じました。それはとても冷たく、その冷たさににゃんみさんは目の前の存在がこの世のものではないものと改めて思い知りました。
汗が一気に吹き出します。
盾にしているギターがふわっと浮き、奪われます。
「ひぃーー!」
にゃんみさんは両手で自分の顔を覆い、なんとか自分の身を守ろうとしました。
やられるっ!そう思いました。
なかなか襲われません。
あれれ。
すると。
じゃらーん。と音がしました。
それはFコードの音でした。
にゃんみさんは恐る恐る目を開けると、幽霊が座ってギターのFコードを弾いていました。
「え?」
幽霊がもう一度じゃらーんと弾きます。
「う、おお、ううおお」と幽霊は唸りました。
幽霊はゆらりと右手で弦を押さえている左手を指差しました。
「お、お、おお、」と言ってFコードの指の形をにゃんみさんに見せているようでした。
「え、え、F」にゃんみさんは言いました。
「お、おお、お、」じゃらーん。幽霊がFコードを弾きます。
幽霊はギターをにゃんみさんに差し出しました。
「え、え、弾けってことですにゃ?」
幽霊は頷きます。
にゃんみさんは恐る恐るギターを手に取り、Fコードを弾こうとしてみます。
またぽぽぽぽぽぽと音が鳴るだけです。
「おお、おお、おお、」と幽霊は唸り、ゆらりとにゃんみさんの背後にまわりました。
にゃんみさんの背後に冷気を感じます。
「ひぃっ!」突然、にゃんみさんの左手が掴まれました。この世のものじゃない冷たさが伝わります。
幽霊は二人羽織のようににゃんみさんの背後から覆い被さり、指を細かく調整して、そしてFコードの形を作りました。
「おお、おお、お」
にゃんみさんは恐る恐るピックを弦に当てました。
じゃらーん。
綺麗なFコードが鳴ったのです。
「おお……」にゃんみさんはそう声を漏らしました。
幽霊からのギターのレッスンは毎晩ギターを弾き始めると始まるのでした。
にゃんみさんがぽぽぽぽぽと弾けなくなると、幽霊はゆらりとやってきて、その都度、正しい弾き方を教えてくれるのでした。
時にはあの夜のように二人羽織の要領で背後からにゃんみさんの手を取って教えることもありました。
にゃんみさんは幽霊さんの異様な冷たさもあって最初はそれが怖かったりしたのですが、徐々に慣れていき、今では幽霊さんの冷たさも心地いいものに思えていました。
気がついたら頃にはにゃんみさんはFコードが弾けるようになっていました。
Fが弾ければ難しい方のGコードもまた形が難しいBコードも弾けるようになったのです。
にゃんみさんは徐々にギターが弾けるようになっていました。
また、幽霊さんと出会えるのも段々楽しみになっていました。
幽霊さんはギターを教える以外は特に出てくることも、危害を加えることも、生活に支障をきたすようなこともありませんでした。
にゃんみさんがギターを弾きながら寝ちゃった日の翌朝、ギターはギターケースに戻っていて、身体には毛布がかけられていました。
にゃんみさんはその事の感謝を伝えると幽霊さんはゆらりと動いて「う、おお、おお、お、」と唸りました。
教則本に載っている曲、モンゴル800の『小さな恋の歌』とかELLEGARDENの『ジターバグ』を簡単な弾き方ならにゃんみさんは弾けるようになりました。
それも幽霊さんが教えてくれました。
幽霊さんは弾き語りこそはしないものの、教則本に載っている曲を丸々弾いてくれたりしたのです。
幽霊さんは生きている時、バンドをやっていたのかなあとにゃんみさんは思ったりしました。
にゃんみさんはギターソロは全然でしたが、コード弾きで一曲を弾くくらいにはギターも上達していました。
「ありがとうございますにゃ」とにゃんみさんは幽霊さんに言いました。幽霊さんはゆらりと動きながら「おお、お、お、」と唸りました。
表情はわからないはずでしたが、少し照れているように見えました。
ある日、にゃんみさんは大家さんに会いに行きました。にゃんみさんは大家さんに家賃を手渡ししているのです。
「今月分ですにゃ」
「いつもありがとうね」
その時に気になったことを聞いてみました。
「あの、このアパートで怖い噂が出たことってあるんですか?」
大家さんはきょとんとしていました。
「いいや。一度もないねえ」
「そうですか」
「何、幽霊でも出たの?」
「あ、え、にゃ」
「出たの」
「はいにゃ……」
「そっか。でも直前に誰かが亡くなったってことはないよ」
「そうですか」
「まあ、このアパートも長いし、家って歴史が積み重なるものだから、その中で一人くらい死んでいてもおかしくはないわね」
「大家さんっていつからここの大家さんにゃんですか」
「私は二代目だからね。最近も最近だよ。もしかしたら先代の時になんかあったかもだけど」
「そうにゃんですね」
「まあ、もし出ても、それはにゃんみちゃんと同じ部屋に住んでた住人なんだし、同じ住人だと思えば怖くないんじゃない。それは勝手か。わははは」
「えーまあ、仲良くはやっていますにゃ」
「幽霊さんて名前あるんですか?」
ある夜、にゃんみさんは聞いてみました。
くるりの『ワンダーフォーゲル』を弾いていた幽霊さんは手を止めてにゃんみさんをじっと見ました。
「おお、う?」
「はい。ずっと幽霊さんって言うのも、なんか違うかもですし」
「おお。おお、おお」
幽霊さんは首をかしげました。闇の目がぐるぐると渦巻いています。
もしかしたら名前が思い出せないのかもしれないとにゃんみさんは思いました。
「思い出せにゃいんですか」
「うう、う……」
目と口がぐるぐると寂しげに渦巻いていました。
「じゃあ、幽霊さんって言うのもにゃんですから、名前をつけましょう」
「おう?」
「幽霊さんなので、ゆーちゃん!」
「うう、あん?」
「はいにゃ。ゆーちゃんさんにゃ!」
「うう、あん。うう、あん!」
「はい、ゆーちゃんにゃ」
ゆーちゃんは嬉しさを表現するように、きれいなアルペジオを演奏しました。
それは夜に響く素敵なメロディでした。
その時、ゆーちゃんの闇が渦巻いてばかりの顔が、一瞬だけ、優しげな女性の顔に見えたような気がしました。
でもまた闇がうずまくいつもの顔に戻りました。
「そうなんや。なんか上手くいったんやね」後藤さんが鳥のササミを食べながら言います。
「にゃんかそういうことににゃりました」
「話、聞いてたらギターもうまなったみたいやし」
「ぼちぼちですにゃ。めちゃくちゃじゃないにゃ」
「ぼちぼちでもええねんて。0から始めたことが1になるだけでもすごいねんて」
「そうかにゃ」
「そういうもんやで。知らんけど」
にゃんみさんはちょっと嬉しくなりながらお弁当のコロッケを食べていました。
「そやそや。友達が地域のお祭りの実行委員かやってて、そこで地域の人が出し物をするイベントみたいなんやるねんて」
「へー」
「にゃんみさん、でたら?」
「え!?そんにゃ!」
「ええやんええやん。せっかくそこまで上達したんやったら、ライブしたらええやん」
「でも人前でやったことにゃいですし」
「これも0を1にするってことやし」
「ええ~後藤さんが出たらいいじゃにゃいですか」
「ごめん!私はシラットの大会前で追い込み中やから」
「ええ~どうしても出ないと駄目ですか……」
「それがな、友達が言うには"イベントの出演者が揃わんくて困ってるねん"って言ってて。出演は無料やし、私を助けるって思って、ね、どうやろ?」
「えー、あー、にゃー」
「というわけで、ゆーちゃん。ライブに出る事ににゃりました」
「お、ああ、お、おお、」
ゆーちゃんはゆらりと動きながら拍手をしてくれました。
もっとも、ゆーちゃんは幽霊なのでパチパチと言った音は聞こえませんでした。
「にゃんか、五分から十分くらいの持ち時間らしくて。一曲くらいやろうかにゃと思ってるんですけども、にゃんの曲をやろうか今悩んでいまして…」
「お、おお、お」
するとふっ、とゆーちゃんの姿が消えました。
「あれ、ゆーちゃん。ゆーちゃんー!」
突然、スマホが何も触ってないのに光りました。にゃんみさんはびっくりしました。
そして、画面が勝手に切り替わり、Spotifyが勝手に起動し、そして大きな音で音楽が流れたのです。
「ひぃ……」と唸り声をにゃんみさんはあげましたが、それがゆーちゃんからのメッセージというのはすぐにわかりました。
にゃんみさんはその音楽を初めて聴きましたが、とても好きな曲だと思いました。
曲が終わるとゆーちゃんの気配が戻りました。どうやら「力」的なことを使ってスマホを操作したみたいです。
そして「力」的なものを使うと少々疲れたようでゆーちゃんは「おあ、おお、あ、おお……」と息を切らしていました。
「……いい曲ですにゃ」
「おお、おお、お!」
「もしかして、これを弾いてほしいのにゃ?」
ゆーちゃんさんはうんうんうんと頷きました。
「うん、やります。私この曲をやります!」
「おお、おおう!」
「でも、コードとかわからにゃいにゃ…困ったにゃ…」
そう嘆くと、またゆーちゃんの気配が消えて、スマホが一人でに動き始め、その曲のコード譜をネットで検索するとあっという間にその曲のコード譜が出てきました。
「ネットにあるんですね…すごいにゃ…」
「おあ、おお、あ、おお……」
力を使ったゆーちゃんはまた疲れ果てているようでした。
「ゆーちゃん、そんなにこの曲、やってほしいんだにゃ」
にゃんみちゃんがそう言うと、ふふふとゆーちゃんは恥ずかしそうに笑ったような気がしました。
ライブまでは三週間ほどでした。
にゃんみさんは毎日その曲を聴き、家に帰るとその曲の練習をしました。
使うコードもそれほど難しくありません。それでもあのFコードはありますし、コードチェンジに手間取ることもありましたし、弾きながら歌うとなるとまた難しさが違うものでした。
歌うことに気を取られると、弾くのがおろそかになってしまうし、弾くのに専念すると歌うのがおろそかになってしまう。
なかなか両立がうまくできません。
そんな中ゆーちゃんが弾いてくれることもありました。
にゃんみさんはそれを三角座りしながら聞きました。
ゆーちゃんは歌うように口を動かしました。実際には口の部分にある闇を動かしました。
相変わらず「おお」か「うう」しか聞こえませんでしたが、その「おお」や「うう」はその歌のメロディでした。
そして、たまに、ほんのたまに、何か歌声のようなものが聞こえた気がする瞬間がありました。
その瞬間、ゆーちゃんの顔があの優しげな女性の顔になっていました。
歌う口元からは八重歯がちらりと見えていました。
ゆーちゃんの歌声が本当に聞こえたとしたら、それは真っ直ぐでにゃんみさんは好きな歌声だにゃと思いました。
「本当は、ゆーちゃんが出たらいいのにね」にゃんみさんはポツリと言いました。
「う、うお、う」ゆーちゃんは悲しげな闇を浮かべました。
「ああ、ごめんにゃさいにゃ」
「ううん、いいお」
「頑張って歌うから、ゆーちゃんも聞きにきてほしいにゃ」
ゆーちゃんは黙っています。その時、はたと気が付きました。幽霊はその場所に留まるものだということを。
「そっか、この部屋から出られにゃいのかもしれにゃいんだね」
「あう」
「ゆーちゃん!わたし、この部屋まで届くように頑張るから、心配しにゃくていいにゃ!」
にゃんみさんは猫背だけども頑張って胸をはって言いました。
その姿を見てゆーちゃんは、いや、その女性が笑ったような気がしました。
あっという間に三週間は過ぎてしまいました。
近所の少々大きめな公園に特設ステージが作られ、複数人の出演者がその裏手で待機をしていました。
にゃんみさんは凄く緊張していました。
ライブはもちろん初めてでしたが、これまで生きていて人前どころか猫前に立つこともなかったですから、その緊張感たるやです。
緊張で手足が痛くなり、なんだか変な汗もかき、何度もため息をつき、出ると言ったこと後悔し、帰りたいにゃあと思いました。
でも帰っちゃったら、良くないと思って、その場に留まりました。
先の出演者がいい出し物や演奏をしているのを見ると、余計に緊張し帰りたくなりました。
出番が近づきます。
「じゃあ、にゃんみさん、行ってください」スタッフさんに言われました。
にゃんみさんは緊張しながら家から持ってきたヤマハのFG830を持って、特設ステージに上がりました。
夕焼けの下、パイプ椅子の客席はまばらに人とか猫が座っていました。
「にゃんみさーん」
声がしてそちらを向くと一番前の席に後藤さんが座って、こちらに手を振っていました。
にゃんみさんは手を振り返しながら「休みの日に後藤さんに会うことってあんまりなかったから気が付かなかったけども、やっぱ格闘技しているから、腕とかすごい締まってるにゃー」とにゃんみさんはふと思ったりしました。
にゃんみさんは目の前のマイクを見ました。
それに向かって何か喋らなきゃいけないのですが、声が出てきません。
ちょっと気持ち悪い間が続きました。
ああ、帰りたいにゃ……と思いました。
ふと、にゃんみさんの背後に冷気が走りました。
にゃんみさんはぞくっとしたあとに、あ、頑張れると思いました。
「え、えーと、にゃんみと言います。ギターを始めたばかりの初心者にゃのですが、一曲弾き語りをさせていただきます…よろしくお願いしますにゃ…」
パチパチとまばらな拍手が聞こえてきました。
「では、友達が弾いてほしいと言った曲をやります。サニーデイ・サービスで青春狂走曲という曲です……聞いてくださると嬉しいですにゃ……」
パチパチとまばらな拍手が聞こえました。
にゃんみさんは深呼吸をしました。
弦をピックでかき鳴らしました。
じゃがじゃーんと綺麗な音が出ました。
にゃんみさんは頑張って歌いました。
やっぱり歌うのと弾くことの両立はとても難しいものでした。
音程も外したり、コードを間違えたりしました。
たくさん練習したのに、いつもより下手なのはなんでだろうとも思いました。
そしてたくさん時間をかけて練習をしましたが、演奏時間はあっという間に過ぎるんだろうとも思いました。
気がついたら最後のサビです。
にゃんみさんはもうすぐ終わっちゃうにゃ、と少し寂しくなりました。
声ができるだけ遠くまで届くように、力を込めて歌いました。
そっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさどうにもならんよ いまんとこはまあそんな感じなんだ
歌い終わってアウトロを弾いてる頃、ふっと背後の冷気が消えるのを感じました。
あっ、とにゃんみさんは寂しく思いました。
そして演奏が終わりました。
「あ、ありがとうございましたっ」
にゃんみさんはお辞儀をすると、拍手が聞こえてきました。
にゃんみさんのはじめてのライブはあっという間にあっさりと終わってしまいました。
ゆーちゃんはその日を境に現れなくなりました。
にゃんみさんは家でギターを弾いてみても、ギターをぽぽぽぽぽぽとわざと鳴らしてみても、もうゆーちゃんが現れることはありませんでした。
にゃんみさんがギターを弾きながら寝落ちしてしまった翌朝はにゃんみさんの身体のそばにギターがあるだけでした。
にゃんみさんはとても寂しくなりながらも、日々をまた過ごしていました。
本屋で働いていた時のことでした。
後藤さんから「あのお客さんがにゃんみさんのことを呼んでる」って言われました。
そこには四十代くらいの女性がいて「ねこさん、すいません。あの、先日、お祭りでギターを弾かれていましたよね」と言うのでした。
「あ、はい、弾きました」
「あの、見ていました」
「え!あ、ありがとうございますにゃ」
「良かったです。好きでした」
「……嬉しいですにゃ」
「……あの、変な話で、怖がらせるつもりじゃないですけども、ねこさんが演奏してる時、ステージに私の友達がいたんです。といっても生きてる人じゃなくて、早くに亡くなっちゃた子で……ごめんなさい、変な話をして」
「……はい。いたのわかっていましたにゃ」
「そうですか。やっぱりわかりましたか。あの、何が言いたいっていうか、あの曲、あの子の好きな曲で……私達の学生時代によく聞いて、なんなら一緒に演奏もして、だから、その、あの時、ステージ上にあの子を見た時、私、怖かったってよりも嬉しくて。なんていうか、あの子の今を知れた気がして……、だから、あの、ありがとうございました」
その女性はそう言って足早に去ろうとしたので、にゃんみさんは「あの、」と引き止めました。
「そのお友達ってにゃんてお名前だったんですか」
「森島。森島明日香って言いました」
にゃんみさんはその女性に森島さんとのことを全部伝えました。家に森島さんの幽霊が出たこと。森島さんにギターを教えてもらったことを、ライブまで出来たのは森島さんのおかげだということを、あの曲を選んだのは森島さんだということも。そしてあの日を最後にもう会えなくなったことを。
女性は最後までちゃんと聞いてくれました。
「そうですか。もういなくなっちゃったんですね……」
「はい」
「あの子、……明日香、ギター教えるのうまかったでしょ」とその女性はほほえみながら言いました。
にゃんみさんは「はい」と返答しました。
女性が去ったあと、にゃんみさんは後藤さんに話しかけました。
「後藤さん、シラットの大会っていつなんですか?」
「急にどうしたん」
「見に行きたいにゃーって思って」
「いいけど、またなんでなん」
「友達の今を知りたいにゃ」
「なにそれ」
後藤さんは笑いました。
その日の帰り道、にゃんみさんはサニーデイ・サービスを聞いていました。
今では『青春狂走曲』以外の曲もどんどん聴いて、どんどん好きになっていました。
その日は『夜のメロディ』という曲を聞いていました。
その曲はこんなふうに始まるのでした。
ねえ 世界がもう目の前にあるような そんな夜ってないかい
にゃんみさんはこのフレーズがとても好きになりました。そして沢山の夜のことを思い出しました。だから今度はこの曲を演奏してみたいなと思いました。
アルペジオから始まる曲です。アルペジオも練習しなきゃにゃー、そしてゆーちゃんみたいにアルペジオ弾けるようになりたいにゃーと思いました。
家に帰って、ギターケースからギターとチューナーを取り出して、べいん、べいん、べいーんとチューニングを合わせます。
そしてFコードを押さえて、ピックを振り下ろすとじゃららーんと綺麗な音が鳴り響きました。
そしてにゃんみさんはその音を聞いてちょっと笑って、それから少し寂しくなりました。
夜のメロディ 両目洞窟人間 @gachahori
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