後編
閑静な住宅街にある控えめなお家のリビングのテーブルには4人が着いていた。
レイタ、サキ、カテリーナ、レイタの父だ。
お誕生日席にレイタ。
レイタの左斜め前にサキ、レイタの向かいにお父さん、サキの向かいにカテリーナ。
レイタのお母さんは、隣の台所でご飯を作っている。
夕飯にしては時間は深いが、行方不明だった一人息子が帰って来たのだ。
手料理を食べさせたかった。
テーブルの上にはティーカップが4つ。
カテリーナが淹れた紅茶だ。
安物の茶葉とは思えない品のある香りが立ち昇っている。
それもそのはずで、この『給茶』は割りと魂を削って身に着けた技術だったりする。
レイタの使用人になった最初は『料理』を考えたカテリーナだったが、料理は問題があった。
場所にもよるが、調理場と食べる場所は分かれているケースが多い。
そのため、料理を作れると却って別行動が増える。
しかし、お茶は違う。
お茶は目の前で淹れる。
「カテリーナさんは、レイタとどう言った関係で? あ、美味しい」
お父さんがおずおずと口火を切った。
口を湿らせるために含んだ紅茶が美味しくてびっくりした。
「恐縮です、お義父さま。ですが、敬称は不要でございます。カテリーナとお呼びくださいませ」
ごく自然な仕草でカテリーナが頭を下げる。
ピクッとサキの瞼が動く。
「え、あ、そうですか? あ、いや、そう?」
お父さんは戸惑っていた。
外国人と仕事をする機会が増えているとはいえ、そういう人はアジア系の人が多いので、カテリーナの雰囲気には馴染みがない。
さらに加えて、見たことがないぐらいの美人だったし、日本人離れした容姿なのに日本語は流暢だし。
「はい、お義父さま」
そう言ってにこりと笑う。
雪解けのような笑顔。
サキは凍り付いたが。
お父さんは照れ隠しのようにお茶を飲む。
「お替わり、ご用意いたしますね」
するっと席を立つと、流れるような手つきで、お茶を注ぐ。
とても上品な所作。
人の飲みさしを何気なく飲むテクニックはあるが、こういう所作には自信がないサキは目の左端で、それを捉えていた。
『あえて、か』
カテリーナがその視線に気づかないふりをしていることを見抜いていた。
「カテリーナの淹れるお茶は美味しいからね」
レイタが褒めれば「恐縮です」と頭を下げる。
そして、お父さんとレイタににこりと微笑む。
最後にサキにも微笑む。
にやりと。
サキも微笑み返す。
ぎろりと。
「カテリーナは、向こうで僕の身の回りのことをしてくれててね」
立つときと同じく、音もなく座ったのを確認してレイタが話す。
「さっきも言ってたが、身の回りって、結婚してたのか?」
お父さんが使った結婚という単語に二人が反応した。
「結婚、ておじさん、どう見てもメイドじゃない。使用人よ、使用人。ただの家事手伝い。召使い。それだけ」
口火を切ったのはサキだった。
「さようでございます」
カテリーナがにこやかに肯定し――
「お義父さま」
――一拍置いてそう締めた。
「え、あ、そうなの? メイドってなんかすごいね?」
サキの勢いに若干飲まれるお父さん。
「あー、そっか。そうだよね」
レイタが苦笑する。
13歳からの7年間というのは、当たり前だが長い。
常識が塗りつぶされるほどに。
異世界では、ある程度の立場にあるものが使用人を雇うことは珍しくない。
というよりも、社会に求められている面すらあった。
そのため、世界を救う英雄たるレイタは100人を超える使用人を雇っていた。
雇っていたが、ほとんど家になどいない生活をしていた訳で、使用人など、実際には要らない程だった。
しかし、望む望まざるに関わらずあっちからこっちから使用人が押し付けられた結果だ。
100人以上いたが、その中に信用できる使用人は、5人もいなかった。
「そちらのお嬢様が仰られる通り、私は使用人でございますので、レイタ様のご正妻となれる身ではございません」
淑やかに答えるカテリーナ。
「せ、正妻!?」
大河ドラマでしか聞いたことないお父さん。
「はい。ニホンでは認められない文化だと聞き及んでおりますが」
予習もばっちりである。
「我らの故郷でのレイタ様ほどの
そう言ってレイタを見るカテリーナの目には敬意が込められている。
「御位って……」
お父さんは驚きっぱなしだ。
「地球じゃない所で戦っていたとは聞いたけど……」
レイタの帰還が大切で、それ以外は頭に入っていなかった。
「はい。レイタ様は世界を救った英雄であり、勇者様です。戦う姿は勇ましく、その強さは比肩なく、その御心は広く、弱者にも持たぬ者にもその慈悲を遍くお与え下さいました」
カテリーナは拳を握り、いかにレイタが素晴らしいのか、レイタの偉業を頬を紅潮させて語る。
「いやぁ、大袈裟だよ」
その熱の入りように、本人は苦笑を禁じ得ない。
「足りない程です」
いいえ、と。
「レイタ様に救われた命は多いのです。私もその1人でございます」
思い出すように語る。
「そして、レイタ様に死の淵からこの命を拾い上げて頂いた時、この生涯はレイタ様と共にあると決めたのです」
凛と告げる。
「そんなに……」
真摯な迫力に思わず涙腺が緩む父さん。
こんなにも息子のことを思ってくれる人がいることが誇らしい。
「はあ? 何それ?」
親にとっては。
「ただのストーカーじゃん。気持ちワルっ!」
「すとーかー?ですか?」
理知的な眉が寄せられる。
「サキちゃん、そんな言い方は、ね?」
「あ、ごめんさぁい、おじさん」
ぱんと手を合わせて、ぱちっとウインク。谷間が出来る。
「つい、口が滑っちゃった」
てへぺろ。
ちゅるりとしまう舌の動きだけは妙に艶めかしい。
「あ、いやまあ……」
目のやり場に困ったお父さんがはははと笑いながら退場。
「でも、実際そうだと思うんですよね。何があったか知らないですけど、レイタの都合とか考えずに、生涯は共にある、とか言っちゃうのって。かなり、頭痛い子ですよ」
しかし、逃がさない。
カテリーナには目もくれず、お父さんに話しかける。
サキは見抜いていた。
カテリーナは完全に外堀を埋めに来ている。
美談風に話を広げて、さもレイタのためにという雰囲気で自分のどろどろした欲望を塗りたくるつもりだ、と。
「はははは」
突然の笑い声はレイタだ。
サキの変わらない姿にレイタが笑う。
天然で、何も知らなくて、なんでも『えへへー』と笑ってるくせに、時々妙に冷静で鋭いことを言うことがあるのだ。サキは。
小学校に上がる前から。
「確かにカテリーナはちょっと思い込みが激しいところはあるけど、カテリーナに助けてもらったことはたくさんあるよ。傍にいてくれたしね」
「レイタ様」
レイタの言葉に感涙せんばかりのカテリーナ。
「わた「いい使用人だったんだね」
私も感動した、みたいな赤いほっぺたで割り込むサキ。
「小間使いで召使いだもんね。気が利かないと務まらない仕事だよね」
「カテリーナは気配りができる人だからね」
レイタは朗らかに笑っている。
被せられたカテリーナも笑っている。表情は。
「あ、そう言えばこないだ私もメイドやったの!バイトでさ!」
突然、たゆんと立ち上がるサキ。
「ピンクでさ、ふりふりついてて! ミニでちょい恥ずかしいけど!超可愛いの!」
子どもみたいにキラキラした目に、身振り手振りでメイド服を再現するサキ。
仕草は幼いのに、格好は大人びているのでギャップが激しい。
「おかえりなさいませぇ、ごしゅじんさまっ!ってやったの」
えへへーと照れ笑いを浮かべるサキ。
ちなみにこのバイトの翌日、サキは、バッグと靴を新調した。
断ったのに押し付けられたというチップで。
「今度、レイタにも見せたげるね?」
赤らんだ頬に潤んだ上目遣い。
「なんか照れるね」
ははっと笑うレイタ。
その光景をにこやかに見守るカテリーナ。
『あれぇ?なんか今日、エアコンの効きが悪いな?』とお父さんは謎の寒気に苛まれていた。
「ふふ、楽しそうね」
「あ、おばさん。手伝うのに!」
お盆を持ったお母さんが戻って来る。
サキが席を立つ。
「私が「あなたこの家のこと知らないんだからじっとしてたらいいわよ。それに、お客さんでしょ?」
立ち上がろうとしたカテリーナを気遣うサキ。
ぐっと、ぐぐぐぐっと肩を押さえられて、立ち上がり損ねるカテリーナ。
少し爪が刺さっている。
「カレーだ!!」
子どものようにはしゃいだのはレイタだった。
レイタが向こうで何度も焦がれた思い出の味だった。
「急だったからチーズハンバーグはないけどね」
ふふっと嬉しそうに笑うお母さん。
『チーズインハンバーグを乗せたお母さんのカレー』はレイタの大好物だった。
「止めてくれよ、子どもじゃないんだから」
そう照れ笑いを浮かべるレイタ。
その顔は、子どものように曇りのない表情だった。
「「ごくり」」
先程までのどこか達観したような、陰のある大人びた表情とのギャップにカレーを見たレイタ以上に喉が鳴った。
「はい、どうぞ」
レイタの前にお母さんがカレーを置く。
「うわあ……」
白いご飯に黄土色のルーが掛かったありふれたカレー。
しかし、向こうでは決して食べることが出来なかったカレー。
思わず涙がにじむ。
「大袈裟なんだから」
そういうお母さんの目も涙ぐんでいる。
感動の場面なのに、なぜかお父さんは安堵のため息が漏れた。
「これ、おじさんの。福神漬けは、汁多めね」
自分の家では食べ終わった皿すら下げず、母親にブーブー言われているとは思えない手つきで配膳を進める。
次はカテリーナの分である。
――が。
「っ熱うっ」
「あ、ごめん。跳ねちゃった!」
黒い部分がほとんどの服のうち、ピンポイントで白い襟とテーブルから遠いはずの白い首筋にカレーが跳ねた。
まさか、首元に飛んでくるとは思っていなかったカテリーナは、らしからぬ悲鳴を上げてしまった。
「えーっと拭くもの!」
リビングを飛び出そうとするサキ。
「ティッシュはそこよ」
お母さんが指を差す。
「サスティナブルよ、おばさん!」
そう言い残してバタバタと駆け出して行った。
「あったわ!」
数秒後。
布を手に戻ってきたサキ。
「自分で「早くしなきゃ!」
問答無用でその白い首筋をグリグリと拭き取る。
「自分でぐえっ!? ちょっ!?」
首が締まる。
「あ、サキちゃん! それ雑巾!」
お母さんが慌てる。
「うぇっ!?」
手に持った黒ずんだ布を広げる。
あっ!っと言いながら雑巾を持ってない左手を広げて口元に当てる。
「ごめーん!!私ったら」
「あ、いえ、大丈夫です」
「サキのおっちょこちょいは変わってないな」
仲の良くやれそうな2人に、おおらかに笑うレイタ。
人当たりが良いが抜けたところのあるサキと、実利重視で冷たい印象を与えるが、意外と面倒見のいいカテリーナの相性は良さそうだった。
「その襟、洗わないとシミになるわね。着替える? 私の服しかないけど」
お母さんが襟にピッと跳ねたカレーを気にする。
「お心遣いありがとうございます。お義母様」
カテリーナがぴしりと頭を下げる。
「厚かましくもお借りしてよろしいでしょうか?」
「ええ。もちろんよ。こっち来て。レイタもサキちゃんも先に食べといて」
お母さんがいそいそと立ち上がり、カテリーナを連れて出て行く。
「……食べていいかな」
「大丈夫だろ」
レイタはもう待ちきれなかった。
「「「いただきます!!」」」
3人仲良く唱和して、カチャカチャと口に運ぶ。
「――!!」
一口食べてレイタが固まる。
「れいふぁ?」
スプーンを咥えたまま、訊ねる。
「………」
レイタは噛み締めるようにスプーンを動かし始めた。
嗚咽が漏れている。
サキとお父さんは、掛ける言葉が見つけられず、泣きながらカレーを食べるレイタを見ていた。
カチ……カチ……から、カチカチに、そして、カチャカチャと。
時間にしてほんの数分。
レイタの皿は空っぽになっていた。
「……ごちそうさま」
レイタが手を合わせる。
「レイタ……」
音も立てずいつの間にやらレイタの隣に立っていたサキがその分厚い肩に手を置く。
「もう大丈夫だからね」
そう言って、首から手を回す。
抱きしめる。
「……ありがとう」
サキの手にレイタの手が重な「おほんっ」
お父さんの咳払い。
ぱっと離れる2人。
真っ赤な顔にそれでも嬉しさを隠しきれない照れ笑いを浮かべたサキがトテトテと自分の席に戻る。
「我々も食べようかな」
「そうだね、おじさん」
ヘヘヘとやはり赤い顔。
「うーん、やっぱりおばさんのカレーは美味しいなぁ」
もぐもぐと上を見ながら味を確かめる。
「どうやったらこうなるんだろうね? 今度、おばさんに教えて貰わないと」
「あら、そんな難しいことはないわよ?」
「あ、おかえりなさい。え、じゃあ教えて」
後ろから掛けられた声に明るく応える。
「いいわよ、ってあら? レイタもうないじゃない? まだ食べる? あるわよ」
「ホント?」
「あ、私がご用意いたします」
ぱーっと笑顔になるレイタに続いたのはカテリーナ。お母さんの若い頃のシャツを着ているが、丈が少し短い。
「あら、いいわよ」
「いえ。やらせて下さい。落ち着かないのです」
「そう? あ、でも台所のこと分からないわよね。付いてきて」
『コイツ…』この短時間でお母さんとカテリーナの距離が近くなっている。
カレーをニコニコ食べながら鋭い観察眼を披露する。
「カテリーナちゃん、凄いのよ!」
結局、レイタのお代わりを2人で用意したお母さんのテンションが高い。
「襟に付いたカレーをささって落としちゃって! カレーって落ちないのに!」
「いえ。レイタ様の傍にいる者として、当然の技術ですので」
「もう! いいお嫁さんになれちゃうわね!」
お母さんはニコニコだ。
カテリーナも笑う。サキに向けて。
にやりと。
「へえー、さすが使用人は違うのね。今度私も教えて貰わないと!」
サキも笑う。カテリーナに向けて。
ぎろりと。
「なんだか娘が増えたみたいだなぁ」
お父さんも笑う。
何となくそうした方がいいような気がして。
「サキとカテリーナも仲良くやれそうで良かったよ」
ははは、レイタは笑う。
取り戻した平和に心から安堵して。
――その日はクリスマスイブ。
それも4年ぶりのホワイトクリスマスイブ。
奇跡を起こすに相応しい特別な日に起こった小さな奇跡。
閑静な住宅街の控えめなお家で、夜は笑い声と共に更けていく。
――吹雪は止みそうにない。
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~お願い~
今作は【G's こえけん】に応募してます。
あれ?これ音声化したら面白いんじゃね?と思って頂ける方がおられましたら、ぜひ☆付けてやって下さい。よろしくお願いします。
異世界で買ったメイドを連れ帰ったら、幼馴染の顰蹙を買いました 石の上にも残念 @asarinosakamushi
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