第28話 これから




 目覚めるとすぐ、トントントン、と優しく軽快な音がするキッチンへと向かった。

 お母さんは僕の顔を見るなり、「どれだけぐっすり寝たのよ」と笑いながら、よだれの跡を拭いてくれた。

「今日は、学校行く」

「うん、お母さんもお仕事。昨日コウジとデートできたからさ、今日はガンガン働ける気がする」

「デート?」

「そうよ? デート。ここ最近、ほんと、ここ1ヶ月くらいかなぁ。なんか急にコウジが大人になった気がしてね。だから、そろそろ『クソババア』とか言われ出すんだろうなって。もう、ふたりで出かけることもないのかなぁ、なんて思ってたからさ。デートできて嬉しかった」

「『クソババア』なんて……言わないよ」

「えぇ……そうなの? 言われたら、こうやって――」

 ガオーと威嚇するように両手を上げた。片手に包丁を握ったままで。

「ちょっと、包丁!」

「おっと、失礼」

「包丁飛んできそうだから、何があっても『クソババア』って言わない」

「えぇ! 嫌だー、言って! 楽しみなの、反抗期!」

「なにそれ」

「お願いお願いお願い!」

「わかったわかった。『クソババア』って言いたくなる日が来たら、『オニババア』って言うよ」

「やった! 楽しみにしてる!」

 なんだそれ。普通、反抗期って頭を抱えるものじゃないのか?

 朝から変なテンションのお母さんのおかげで、お腹が痛くなるほど笑った。


 夜。寝る準備を済ませて、パジャマのポケットにカードをさした。

 机の上の写真たてには、タイチと撮った写真が入っている。ふたりして笑顔でピースをしている、大事な一枚が。

 ――また、こんな写真を撮れますように。

 祈り、ベッドに入る。布団をかぶり、ひつじを数えた。すうと眠りにつけばそこは、リトルホテルのスタッフルームだ。

 名札を左胸に付けて、背筋をしゃんと伸ばした。

 僕はこれから、この館の責任者として、働く。

 責任者不在だったこの場所を見ていてくれないか。そう相沢さんにお願いされて、引き受けたからこうなった。

 僕にできることなんて、多分そうない。

 タイチのジュースを薄められたのは、僕とタイチの元々のつながりゆえだ。

 見ず知らずの子とか、たいして話をしない子に、それが通用するはずがない。

 薬売りのおばさんは神出鬼没だし、ピィピィが〝居る〟って気付いて連れて行ってくれない限り、会えない。

 本当は、彼女の心を癒すのが先なのだろうけれど、今は薬に溺れることがないように見守る方がずっと現実的、というのが相沢さんの考えだ。そんな相沢さんのサポートをするために、僕は、居る。

 相沢さんやタイチのように、ここに囚われる子を減らせるように。

 もしも囚われてしまったなら、少しでも早く現実に戻ることができるように。


 にこり微笑みの仮面をかぶって、あちらこちらを見て回る。

 あぁ、フロントにお困りの方が。

 喜ばしいことに人手不足だからと、働いている子供、という体で設置されているアンドロイドが、上手いこと対応できていないみたいだ。

 僕が話を聞きに行こう。


 話がわかりそうなスタッフが来てくれた、と安堵の表情を浮かべたお客様に、これから何度言うことになるのか分からない、最初の一言を、微笑み言った。


「リトルホテルへようこそ」




〈終〉



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リトルホテルへようこそ 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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