第27話 はなばたけにて




 ――――――――――おねがい――――――――――――

 お伝えしたいことがございます。

 本日、夜10時、リトルホテルにてお待ちしております。


 相沢

 ――――――――――――――――――――――――――


 相沢さんからのメッセージだ。

 また会える! 今日の、夜!



 眠らなければならないというプレッシャーは確かにあった。けれど、さすがに疲れ果てた体だ。僕はすーっと、眠りに落ちた。

 はじめはひとまわり小さなタイチと遊んだ思い出を見ていた。タイチはじゃがりこを鼻の穴にさして、口に引っ掛けて、牙みたいにして笑っていた。それを見て、僕はお腹を抱えて笑った。

 そして、気づいたら僕はひとり、花畑にいた。

 どうしてここにいるんだろう。

 そんな疑問は、すぐに吹き飛んだ。

 視線の先、花の海を泳ぐ相沢さんを見つけたからだ。

 たぶん、時間が来たんだ。10時になったんだ。

「ようこそ」

 近づくと、話しかけるより先に話しかけられた。

 穏やかな笑みが、辺りの花よりずっとずっと綺麗に咲いていた。

「ここは?」

「この花畑には、来たことありませんでしたか?」

「……ない」

「女の子には人気です。そう、ミオさんのお気に入りの場所でしたね」

「あの……」

「お友だちのお加減は?」

「あぁ、起きて、それで……検査してもらってた」

「無事に目が覚めましたか。お話、出来ました?」

「え、あ……うん」

 相沢さんは、よかった、とでも言いたげに微笑んだ。


 ひとり歩き出した相沢さんの後を追う。

 しばらく花の香りに包まれながら歩いた。

 彼女から何かを言ってくるでもない。

 きっと、僕から言葉をかけなければならないのだ、と思った。

「あの、さ? 僕、もう終わったって思ったんだ」

 相槌ひとつ返ってこない。

 けれど話していいよって、そんな雰囲気に包まれて僕は、止められるまで、話すことにした。

「なんか、急にね、すごく疲れたなって思った。いつもはさ、疲れた時ほどよく眠れるのに、疲れているのに眠れないことってあるんだなって思った。投げ出しちゃダメだっていう声と、投げ出しちゃえよって声がぶつかり合ってた。〝今〟から逃げ出したくなって、でも逃げ出そうとする自分が大っ嫌いって思って。ちゃんとできない自分に悔しさしかなかった。全部おしまいだって思った。たった一晩眠らなかったせいで、全部おしまい。これまでの努力、全部パー! でも、タイチは目を覚ました。なんでかなぁ……これまで頑張ってきたくせに、欲しかった未来が手に入っても、そんなに嬉しいって気持ちにならなくて、心がグチャグチャなんだ。ねぇ、なんでタイチは目を覚ましたの? 相沢さんは、知っているんでしょ? 僕はタイチに、いつもみたいに話しかけられなくてさ。いつもって、なんだったっけ? あれ、ほんとなんか、分かんなくなってきちゃった。それで、えっと、僕は、相沢さんに会いたかった。会いたいなって思ってたら、メッセージ貰えて、嬉しかった。それで、それで――」

「夢野くん」

 ようやく相沢さんが口を開いた。

 もう少し話す気だったから、喉の辺りに言葉があったけれど、急いで飲み込む。

「私、夢野くんはもう少しお利口さんだと思ってました」

「へ?」

 相沢さんはクスクスと笑い出し、息を整えながら言う。

「もうちょっと、こう。きちんと言葉を並べられる人だと思っていて。だから、手当たり次第に頭に浮かんだ言葉をポンポン口に出すとは、思っていなくて。あぁ、ごめんなさい。笑っちゃダメですね」

「ちょっと!」

「ごめんなさい、ごめんなさい。あ、じゃあ、私も頭に浮かんだことをポンポンと吐き出してみてもいいですか?」

「ん? うん、もちろん」

「それでは、お友だちが目を覚ました理由をお話ししましょう。まず、今回の件におけるMVPは夢野くん。あなたです。あなたがだましだましジュースを薄めていったことが、最大の理由。そして、お友だちがあなたのことをなんだかんだ信用していた、ということが大きく影響しています」

「なんだかんだ……」

「ええ。いつもと違う彼であれ、あなたの言うことを常に受け入れてきたでしょう? まぁ、ここ最近は完全に主従関係ができていたみたいですけれど。彼自身の深層心理において、あなたのことを信頼するに足る人間だと判断していたから、『ちょっと薄いんじゃないか?』と思ったところで、『コイツが作っているんだから大丈夫だろう』という思考に至ることができたのだと思います。そんなことができる相手というのは、そう多くいるものじゃありません」

「それって、褒められてる?」と問いかけると、「えぇ、もちろん」と微笑む。

「そして、仕上げに私がひと暴れ。なかなかスリリングで、楽しかったですよ」

「ん? えっと?」

 相沢さんが、ニカッと笑った。

「チェックインの予定があるのに、こちらに来ていない子どもがいた場合。我々の端末で、その人は誰であるか、確認することができます」

 言いながら、前に見たことのあるおもちゃみたいな端末を取り出した。

「通常、『あぁ、来そびれたのね、残念』でおしまいです。しかし、私はそこに、あなたの名前を見つけた」

 探偵の推理でも聞いているみたいだ。どんどんと重く響きだす声音に、緊張が増す。唾液が溢れていたわけでもないのに、なぜだか喉が鳴った。息をのむって、こういうことなのかなぁ。

「このままではあなたが思っていたように、あなたの苦労は水の泡です。そこで、私は越権行為をした」

「越権?」

「はい。本来、私はあなた方の館の対応に当たる立場にはありません。ああ、リラクゼーションルームの手配くらいはできますよ? あれは単なるご褒美対応なので。それで、ええと、そう。越権の話。夢野くんは特殊なケースでした。当初、こちらの館に登録をされていましたが、意図せず大人に知られることとなり――」

「そうだ! ねぇ、なんであの時、僕は記憶を消されなかったの?」

「あぁ、それは、簡単に言うと、こちらと記憶を共有する前にあなたが覚醒したことによりますね。さて、続けますよ? そして、こちらの館への招待状をあなたに渡したミオさんが、記憶の強制消去対象となった」

「待って……僕に招待状をくれたのって、ミオちゃんだったの?」

 知らないなんてありえない、とでも言いたげな、刺々しい視線が痛い。

「続けます。ミオさんの強制消去にて不具合があった可能性があり、あなたにヒアリングを行いたいからという口実でもって、そちらの館へ行き、少々出しゃばってきたのです」

 目の前には、不敵な笑み。

「そちらの館は現在のところ責任者不在。隣の――私のところじゃないですよ? 別の館を担当している者が兼任しています。その人はあなたの不在など気に留めていなかった。あるいは、気に留めるほどの余裕がなかった。私があなたを探すことに、何の疑問も持たなかった。まぁ、所詮は小学生ですから」

 小学生ですから、と言う小学生が目の前にいる。発言のせいで、もっと年上の、下手すれば高校生に――いや、それはないか。だってまだ、あどけない。

「それで……聞いてます?」

「うん、もちろん。続けて、続けて」

「あなたを探すという体で、お友だちに接触し、説得しました」

 僕は説得なんてできなかった。騙すばかりできちんと話をしなかった。僕が本当に信頼するに足る人間であったなら、僕の説得のほうが、効果があったんじゃないか?

 逃げた、僕の。

 唇を噛んだ。

 相沢さんは、微笑んで、

「そして、拒絶手続きをお手伝いさせていただきました」

「じゃあ……」

「彼はここへ来る前の彼に戻っています」

「ふーん」

 封筒を手にする前と変わっているのは、僕のほう。これから、僕は――

「そうそう。お友だちをお助けしたので、お礼に私のお願いをひとつ、聞いていただきたいのですが」



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