0 約束

暗い、暗い、真四角の部屋。

冷たい煉瓦と石畳。

簡素な造りの寝台。

小さな填めこみの天井の硝子窓。


少年が一人、立っていた。

伸ばしかけた薄茶色の髪がふわりと浮いた。

少年は、振り返った。

血の臭いがした。


「ロキ」


闇から涌いて出てきた獅子の面の腹違いの兄が、自分の名を呼んだ。

ロキは、何の用だとばかりに冷ややかな視線を寄越した。

アウディルはそんな様子にも微笑む。


「外の匂いがするな」

「リリィが……散歩に誘ってきたから」


散歩だと。

気を遣って、湾曲したことを言う。

魔王が死んだことにリリィも気が付いていて、ロキを連れ出したのだろう。

アヴェリーの計略だということを、ロキは理解している。

今日の日を境に、リリィの王城での立場はどうなるのかわからない。

アウディルの母のことを、ロキは心配しているようだった。


他人に関心がない。心を開かない。生きることに、執着しない。

それでいて、慈悲深い一面を持っている。


兄はそんな弟を気に入っていた。


ロキは、その会話だけですべての興味を失ったように体ごとアウディルに背を向けた。

アウディルは一度だけ、祈るように目を閉じた。


そして一瞬。


気配に振り向いたロキの真正面に、手刀が向けられているのが見えた。

ロキの柔らかい髪が翻ったが、兄の手を避けられない。


「……っ」


ロキの背中に、爪が見える。

アウディルの手刀が、ロキの左胸に突き立てられていた。

刺したと同じ勢いで引き抜かれると共に、ロキは痛みに身体を二つに折った。

床に付きかけた膝を堪えて、暗がりの中体をよろけさせ、壁にあたった。

壁に手を付いて支え、血を吐き、咽かえった。


「……何、を」


追撃はなく、ロキは疑問をアウディルに投げた。

心臓に、違和感がある。

胸に爪の痕が四つ並ぶ。

人並外れたロキの回復力は、すでに傷の血を止め、薄皮を腫らせていた。


心臓が、熱い。


「これは」


異物を搔き毟るように、自分の爪痕を傷に被せる。

アウディルは、視線を弟の傷に向けた。

ひとこと。

ただ一言を言うために、長い時間が流れる。


音のない監獄の中で、ようやくアウディルの低い声が響いた。


「王になれ」


兄は、運命を弟に刻み付けた。


俺は酷いことをしているのだろう。

だから。


「俺は、何があってもお前を裏切るまい」


アウディルは、ロキの金色の視線を受け止めた。

気高く純粋な黄金。

獣面の兄は、まだ幼い、人の面を持つ弟に静かに強く約束をした。






(ヤコージュ 完結)

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ヤコージュ 霙座 @mizoreza

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