第7話 幼児虐待
署に戻ってからの、桜井刑事と坂口刑事は、結構難しい顔をしていたのだろう。同僚も、婦人警官も近づこうとはしなかった。
そんな時、やってきたのは、桜井刑事の動機である塩塚刑事であった。
「やあ、桜井。元気か?」
と声を掛けられ、
「ああ、塩塚か。お前今どこにいるんだっけ?」
と聞かれた塩塚刑事は、
「俺は生活安全課さ」
というではないか。
「ああ、そうか。今俺たちもその件で調べてるんだけどな」
というと、
「知ってるぞ。西牟田八重子が行方不明なんだってな。俺も彼女とは、数年前に面識があるので、気にはなっているんだ」
というではないか。
「どういうことだ?」
と桜井刑事が聞くと、
「彼女は、確かに最初、ストーカーに追われているような気がするといって駆け込んできたんだよ。だからこっちも、電話番号が最優先になる登録をしたんだけど、あれって、何カ月も。放っておくと、数か月で、更新されずに、自動で消去になるんだよ。だけど、この間の電話は、数年経っているにも関わらず、最優先状態だったわけだよな。ということは、彼女が電話をしてきて、園長をお願いしない限り、更新するはずなどないんだよ。それなのに、ストーカー騒ぎは落着しているというような話になっているじゃないか。しかも、今回の失踪事件。それを考えると、何か気持ち悪い気分になったとしても、おかしくはないだろう?」
というのだ。
それを聞いた桜井刑事は、
「何だって? それはおかしいよな」
と頷いた。
「何かまだ分かっていないことが、裏にあるんじゃないか?」
と思って考えていると、そこに、鑑識結果を持った人がやってきて、
「桜井刑事、指紋の称号ができました」
と報告に来たので、
「塩塚すまん。また今度ゆっくり話そう」
と言って、桜井刑事はそそくさと戻っていったが、その時、桜井刑事は、
「この事件が解決しない間に、塩塚とは、また会うことになるだろうな」
と感じていたのだった。
刑事課に戻ってくると、鑑識の人が、刑事部長の席まで行って、説明をしようと思っているところだったようだ。
「桜井君、それから、坂口君も、こちらに来てくれたまえ」
と呼ぶんで、桜井刑事は。
「そら来た」
と思い、坂口刑事も、
「やっときたか」
という感じで、思ったのは、鑑識がいることに気づいたからだった。
この事件は、失踪した可能性があるというだけで、殺人でも、失踪でも、誘拐でもないので、捜査本部はもちろん、捜査も本来なら、極秘で行うべきものだった。
ただ、幸いにも今、至急捜査しないといけない案件があるわけではないので、捜査を行っているということだ。
もし、この時、他に事件を抱えていれば、この事案は、ソックリ棚上げになっていることだろう。
そんなことを感じながら。刑事部長の招き入れた会議室に入ったのだった。
「例の指紋の鑑定が終わったようだ。君たちも一緒に聴いてもらおう」
と、刑事部長はそういった。
すると鑑識は、少し恐縮してはいたが、ここが一世一代の見せどころとばかりに、毅然として話すのだった。
「この間の、スマホについていた指紋と、行方不明と思われる女性の部屋の指紋とほとんど同じものが検出されました。だからあのスマホは彼女のものだといっていいと思われます」
と言った。
それを聞いて3人は頷いていたが、これで終わりというわけでもなく、この後、さらなる事実が鑑識官から聞かれることを分かっていたので、その場の緊張感は途切れることはなかった。
鑑識官が続ける。
「ケイタイに他の人の指紋がほとんどついていないことは納得できるのですが、あの部屋にもほとんど誰も指紋が残っていなかったことから、彼女があの部屋に誰もつれてきていないということを証明しているようですね」
と言って、出されたお茶を一口口にした。
どうやら、喉が湧いているのは、間違いないようだった。
鑑識官は続ける。
「そんな中でですね。彼女のモノではない指紋が、スマホの方から出てきたんですよ」
と鑑識官がいうと、
「ん? それはどういうことですか?」
と桜井刑事が聞いた。
「普通なら、スマホの指紋を誰かが拭いたというのなら分かるんですが、ふき取った跡はないんですよ。そうなると、その指紋が誰のものかということになるんでしょうね」
と鑑識官がいう。
「ところで、その指紋はどこから出ているのか分かりましたか?」
と言われた鑑識官は、
「確認してもらったのですが、指紋は照合できたようです。それも、つい最近になって出てきた指紋なんですよ」
というではないか。
「それはどういうものなんですか?」
と聞くと、
「最近、ニュースで騒がれている事件の中で、幼児虐待をしているのではないかという疑いのある保育園があるでしょう? あそこの保育士の女が三人浮かんでいるんですが、そのうちの一人の指紋なんですよ」
というではないあ。
「ああ、その事件なら、最近、毎日のようにニュースに出てくるよな。正直、許せないと思って見ているんだけど、その事件の容疑者? 容疑者でいいのかな? その三人のうちの一人と指紋が合致したんですよ」
というではないか。
その事件というのは、管轄は違うが、同じ県での事件で。
「今時、そんな保育士が本当にいるのか?」
とばかりに、世間を騒がせていた。
事件のあらましというのは、こうである。
ここ数か月くらい前から、子供の様子がおかしいといって、親が病院に連れて行くと、
「この子は、精神が病んでいる」
と言われたのだという。
「どういう教育をされているのか?」
と聞くと、
「ちゃんと保育園に預けている」
と母親はいうではないか。
すると医者は、
「この子は完全に、まわりに対して恐怖症を感じていて、虐待を受けた子供に見られるような症状があります」
というのだ。
そこで、親が保育園に連絡を入れてみると、
「うちの保育園に限って、そんなことはありません」
というではないか。
しかし、いろいろ調査してみると、同じような悩みを抱えている保護者もいるようで、連絡を取り合って話を聴いてみると、
「お宅もなんですか? うちもなんですよ」
というではないか。
ここに至って、保育園が関わっていることが明白になり、元凶が保育園であることは、ハッキリしたのだ。
そこで、他の保護者で似たような不安や疑念を持っている人がいないかと思って探してみると、出るわ出るわの大騒ぎであった。
「皆、同じ悩みを持っていたんですね」
ということで、皆で金を出し合って、弁護士を雇い、その指示でいろいろな証拠集めを行った。
もちろん、弁護士事務所の人たちも実際に動いてくれて、いろいろなことが分かってきたのだ。
「どうやら、保育士は、6人いたそうだが、そのうちの3人が、今回のことに関与しているということみたいですね。それも、虐待というのも結構ひどいもので、脚を持って、逆さ吊り状態にしてみたり、バインダーで頭を殴る。さらに、ナイフを鋭利な部分を見せて、脅していうことを聞かせるなどという、ありえないことが繰り返されていたようです」
という報告で、
「なんだ。それは、大人に対してでも、トラウマを与えるようなことを、よく子供にできるものだ。相手が子供だからって。やっていいことと悪いことがある」
と憤慨する親もいて、
「いやいや。あいつらは、金をとっているんだから、そんなことが許されるわけもない。常識以前の問題だよ」
というではないか。
「じゃあ、どうするか?」
ということになったので、
「とりあえず、あいつら三人を訴えよう」
ということになったようだ。
それでも、中には、
「そんなことでは生ぬるい。特に保育園がどこまで関わっているかということも問題ではないか?」
ということになり、
「じゃあ、これをマスゴミにリークすればいいのではないか」
と、あらかたその方針で固まったようだ。
だから、それがマスゴミのスクープによって暴かれると、案の定、世間はハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
それはそうだろう。最近は、保育園の問題が結構山積していたからであった。
保育園の問題で最近多いこととして、
「保育園バスに園児を置き去りにしてしまい、気が付いた時には、脱水症状で亡くなっていた」
という、これも信じられないような事件だった。
それも、このような報道があってから、数か月しか経たないのに、似たようなことが他の幼稚園でも発生していた。
「保育園の管理体制はどうなっているんだ?」
と父兄や、ここまで問題が大きくなると、保育園を管轄している、厚生労働省も、見て見ぬふりはできないというものであった。
実際に、そういう問題に発展してくると、警察の捜査も入り、管理体制を見直すという意味でも。実態解明のため、警察は家宅捜索を行い、いろいろな書類を押収していったりしたものだ。
証拠隠滅に繋がるからであるが、警察がここまで踏み込むのは、それだけ社会問題として大きいということをうかがわせるものであった。
そうなると、もう保育園は経営も成り立たないだろう。
「あの時、少しでも確認していたら」
と思ったとしても、すべては後の祭りであり、死んだ人間は帰ってこないのだ。
だが、この問題は、あくまでも、
「業務上過失」
によるものである。
それでも、保育園は経営を行えなくなり、裁判沙汰で、心神ともにズタズタになったことだろう。
同業者であれば、
「かわいそうに」
と思うかも知れないし、逆に、子供を預かっているという思いが強いと感じている全国の保育園関係者のほとんどは、
「自業自得」
と思いながらも、その反面、
「明日は我が身だ」
と感じていることだろう。
そう感じているところはまだ救いようがあって、それを考えず、
「まったく自分たちとは関係のないところで起こっていることだ」
と思っているとすれば、それは大きな間違いである。
他人事にしか思えないから、再発を防止できないのであり、今回のような、
「救いようのないという意味で信じられない事件」
が明るみに出るのである。
何と言っても、
「置き去り事件」
の場合は、あくまでも過失なのだ。
しかし、虐待に関していえば、これは、わざとやっていることであって、しかも、相手が、まともにしゃべることもできず、考えもあってないような子供たちを、本当は、養育を目的にお金を貰っているのに、ズタズタにして親に返しているのである。
「お金を貰って預かっておきながら、見ていないのをいいことに、自分たちのやりたい放題のことをして帰している」
ということである。
人道的にも明らかにアウトであり、許されることではないであろう。
そんな状態が明らかになるにつれ、保護者たちも怒りで震えたに違いない。
「これまで、どれだけの保育園が問題になってきたのか、分からないわけでもないだろうに、日常的に、年端もいかない幼児を、何も分からないのをいいことに苛めて、親に説明できるだけの能力がないことを百も承知でやっているのだから、確信はとしても、甚だしい」
といえるであろう。
確かに、進んできた捜査を見るうえで子供を見ていると、
「なるほど、痣があったり、今まで高いところを怖がらなかった子が、急に怖がり出したり、さらには、何か光るものを好むはずの幼児が、光るものを見て泣き出したりすることがあるような気がするわ」
と、いう親も出てきた。
もっとも、話を聴いて、思い当たるという時点で、正直に言って。
「親失格」
だといってもいいだろう。
「そんなことくらいは、すぐに気づくから親だというもので、子供のどこを見て、自分が親だということができるんだ」
と、第三者が聞けば呆れるようなものだった。
これは、父親には分からない感覚だろう。自分の腹を痛めて生んだ子だから分かるというもので、確かに、子煩悩な父親でも、母親ほど分かることはないであろう。
そんなことを考えていると、
「親って何なんだろうな?」
とも思えてくる。
最近は、子供を持たない大人が増えている。
あるいは、
「結婚はしたくないけど、子供だけはほしい」
というわけが分からないことを言っている女性もいる。
「結婚せずに、一人で育てられるのか?」
と言いたいのだが、それは、最初は誰もが幸せを夢見てした結婚のはずなのに、気が付けば別れてしまっている。
つまり、
「別れるくらいなら、どうして結婚したんだ?」
と言いたいのだろう。
確かに最近は、
「別れるくらいなら、最初から結婚しない」
という人も増えてはいるが、それは、子供も含めてだと思う。
「自分の時間は自分だけで使いたい」
ということで、
「孤独を愛する」
という発想もありなのだろう。
確かに今の世の中、
「少子高齢化の時代」
と言われるが、だからと言って、そのために、
「結婚して、子供をたくさん作るぞ」
という人がいるわけもない。
政府が勝手にほざいているだけで、そもそも、結婚して子供を作ってもやっていけるだけの保証をしてくれるのであれば、それも当たり前だ。
そういう意味で、今の時代は、
「中世の封建制度の世の中に比べても、劣っている」
といえるのではないだろうか。
そもそも、
「封建制度」
というのは、
「領主が領民の命である土地を保証し、そして、そこで採れた作物を年貢として納め、さらにそれを給料にする武士は、領主のために、兵を出す」
という、いわゆる、
「ご恩と奉公」
という、双方向の関係で成り立っているのだ。
しかし今は、税金という形で年貢は自動的に収めさせられているのに、政治家の連中は、私利私欲に塗れ、まったく国民のために何かをしようともせず、国民の血税を私利私欲で使いまくったり、着服ばかりしているのだから。
「それが民主主義だ」
と言われて、
「はい、そうですか」
と言って、簡単に従えるものでもないだろう。
そんな時代において、それでも、純粋に、
「結婚がしたい」
「子供がほしい」
と思う人も多いだろう。
だから、保育園も多いのである。
だが、そんな保育園が、あてにならないということであれば、どうなるというのだ? 昔であれば、
「学校が悪い」
と言って、PTAや教育委員会などとのトライアングルができていて、結構厄介であったが、幼稚園、保育園での問題というのは、あまり聞いたことがなかった。
「被害者の低年齢化」
というのが流行っているということなのだろうか?
考えてみれば、幼稚園バスなどで、子供を置き去りにする事件。
「どこかで聞いたことがある」
と思った人も少なくないだろう。
そう、子供を車に乗せたまま、パチンコを打ちに行って。子供が死んでいるのを見て、
「えっ? 何で?」
と思うというバカな母親である。
「車の中で、幼児が身動きもできずに、自家用車の中で、真夏など、炎天下で置き去りにされえば、死んでしまうという、そんな知能指数が0なのかと聞きたくなるようなことに気づかない」
ということである。
もし、それを、
「分かっていた」
というのであれば、もっとたちが悪い。完全に確信犯である。
「忘れていた」
というのも、論外であり、それなら、まだ誰かに預ける方が安心だ。
中には、
「エンジンを掛けて、空調も入れていたのに」
というバカ親もいるかも知れないが。それこそ恐ろしい。
車の中でエンジンを掛けたままだということは車のカギが刺さったままであり、
「誰かに車ごと盗まれる」
ということすら頭を掠めたりもしなかったということなのだろうか?
誘拐犯に、
「ここに子供がいるから、どうぞ、誘拐してください」
と、宣言しているようなものだ。
もし、運よく、誘拐に合わなかったとしても、エンジンなど、いつ切れるか分からない。特にアイドリング状態で、数時間放置など、ありえないだろう。
特にクーラーを入れた状態であれば、エンジンがどれほど不安定になるかということである。特に主婦など、車の知識もないくせに、普通に使っているから。こういうことになるのだ・
また、
「負けたらすぐに帰ってくるつもりだった」
という人もいるかも知れないが、これも論外だ。
実際に戻ってきてないではないか?
負けたにしろ勝っていたにしろ。そこで帰ってくれるくらいだったら、パチンコ依存種になどならない。そして、パチンコ依存症でもなければ、車に子供を置き去りにして、
「車から長時間離れる」
など、ありえないことである。
それを思うと、幼稚園バスの方が、いくら、
「業務上過失」
とはいえ、このような親よりはマシである。
今の刑法ではなくなったが、
「刑法第200条」
に、
「尊属殺」
というものがあった。
これは、近親間の殺人のことをいうもので、
「近親間における殺人は、通常の殺人とは異なり、通常の殺人であれば、最低、3年以下の懲役から、上は死刑までとなっているが、尊属殺人の場合は、最低でも、無期懲役、それ以外には、死刑しかない」
という、厳しいものだった。
だから、子供を車に置き去りにして殺害したということは、昔であれば、この
「尊属殺」
ということに当たるわけで、もし気づかなかったというのが本当で、ある程度の情状酌量があったとしても、無為懲役しかないのだ。
パチンコ依存症であれば、まず間違いなく死刑は免れないのではないか?
ということである。
死刑というのは、確かにそんなに簡単なものではないが、子供だって、親から、
「気づかなかった」
と言われ、悲しくもないくせに、ウソ泣きされても、溜まったものではない。
「ああ、気付かなかったと言われて、死刑になればいいんだ」
と、きっと死んでいった子供たちは思っていることだろう。
世の中には、
「情状酌量されても仕方のない殺人事件というものは、もっとたくさんあるはずだ。そんな人たちもちゃんと反省し、罪に服しているのに、気付かなかったの一言で、殺されてしまった子供は、一体何のために生まれてきたというのだろう?」
それを思うと、そんな社会の何の役にも立たないような親は、逆に葬ってやった方が、よほど本人たちのためであり、社会のためだといえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「○○依存症」
というものが、社会にもたらす影響がいかに大きいのか分かるという気がする。
そういう意味で、最近多いのは、
「親が子供を虐待する」
というものである。
ほとんどのパターンとして、母親がシングルマザーであり、そこに旦那というか、内縁の夫のようなやつが入り込んで、子供が煩わしいということで、虐待をするということだ。
「どうせ、俺のガキじゃねえし」
という男の思いと、母親も、
「せっかく見つけた男に捨てられたくない」
という思いから、虐待を見て見ぬふりしたり、母親も一緒になって虐待を繰り返し、死に至らしめるという事件も後を絶たない。
これも、実にひどいものだ。自分の子ではないからと言って、再婚すれば、養育の義務を負う。もっとも、そいつも子供の頃、虐待を受けたのかも知れないが、それも言い訳にしかならない。
何と言っても、
「喋ることができない子供に対し、一番助けなければいけない立場にいる親が、いくら血が繋がっていないとはいえ、虐待を続けるなんて、それこそ、犬畜生にも劣ると言われても仕方ない」
ということになるのだろう。
だから、保育園だけが悪いわけではないが、大人がなぜにこのような似たような事件を引き起こすのかというところから真剣に考えていかないと、
「少子高齢化」
などという問題だけにとどまらず、
「人間としての、尊厳と、人間としての最低の保証」
すらなくなってしまうのでないかということである。
そんなやり切れない気分を想い出させるようなこの事件、
「本当に甘く考えてもいいのだろうか?」
と、考える桜井刑事だった。
さすがに、
「尊厳殺人」
というのは、
「姦通罪」
と同じで、
「時代錯誤も甚だしい」
と言われても仕方のないことかも知れない。
百歩譲って、そうだとしても、
「今の時代だからこそ、許されない」
ということもたくさんあり、そもそも、
「許されない悪というものは、不変でなければいけないのだ」
ということになるのではないだろうか?
「最近の幼児の問題を、保育園が凝縮しているようだ」
という専門家もいたが、まさにその通りであった。
「バス置き去り事件と、パチンコ依存症の親が引き起こす時間」
そして、
「今回の虐待事件と、複雑な家庭環境による、幼児虐待致死事件」
である。
これらにいえる共通点は、
「必ず、連鎖が起こり、しばらくはなくならない」
ということである。
普通だったら、
「他の事故があったから、うちも危ないところがあるので、よほど気を付けていかないといけない」
ということで、問題となるに違いないはずなのに、連鎖してしまうというのは、
「何か伝染病的なことがあるからではないか?」
と思える。
しかし、今の世の中、
「何が起こるか分からない」
ということと、さらに、
「世界的なパンデミック」
による、世界的に蔓延で、もう感覚がマヒしてしまって、
「どうせ、また何か起こったんだろう?」
という程度で、事件や、事の重大さにまったく感じなくなったことだろう。
だから、どこかの国でハロウィン騒ぎで、狭いところで、人が将棋倒しになって、被害者が多数出るということになったり、日本でも、祭りということで、市民の数倍の観客が一気に押し寄せて、パニックを引き起こしたりしたのだ。
「パンデミックは終わったわけではなく、まだ続いている。経済を回す必要があるから、人流の抑制。さらには、休業要請は行わない」
というのが、苦肉の策なのだろう。
どう考えても。愚策にしか過ぎないと思うのだが……。
それを思うと、
「犯罪が伝染したとして、何がおかしい」
ということである。
よく、
「航空事故などは、連鎖で続いたりする」
と言われていたが、
「雲の上には別の世界が広がっていて、感覚が変わるのではないか?」
とも思えるのだ。
そういえば、優秀な戦闘機パイロットが、いつも空を飛んでいると、急に、上下左右が分からなくなり、操縦ができなくなり、墜落するなどというのを聞いたことがある。
「きっと、普段から見ているものが、急に見えなくなったら、例えば毎日歩いている道に、いきなり太陽の光が遮断されてしまったら、恐怖しか残らないだろう。普段は、目をつぶってでも進めるというところを、一歩も動けなくなるはずだ」
と、想像しただけで恐ろしいのは、皆それぞれに一度は似たような経験があるからではないだろうか?
それを考えると、
「事故が伝染病によるものだ」
と言われても、まんざらでもないような気がする。昔のように、
「ウソだろ」
と言ったとしても、心のどこかで、
「本当にウソなのか?」
と、自分に訴えている姿が想像できそうだ。
警察は、その保育園が慌ただしいのを見て、
「やはり、報道は正しかったんだな」
と思ったが、それでも中に入ると、理事長と思しき人が、頭を抱えているのが見えた。
「あ、すみません」
と桜井が入っていくと、理事長はビックリしてこちらを見た。
桜井は、警察手帳を見せて、歩み寄ってくると、あまりにもその怯え方に、拍子抜けした。
「これが、今世間を騒がせている保育園の理事長なのか?」
と思ったのだが、警察ということでビビったとしても、すでに問題になっていることであれば、いまさら、慌てることもないだろう。
「何か、また何か問題が?」
と、完全に被害妄想で怯え切っている。
「いえ、我々は、今世間で問題になっている件で来たんじゃないんですよ。実は一人の女性を探してまして」
というと、理事長は明らかに肩の荷を落としたように見えた。
「実に分かりやすい人だ」
と二人の刑事は思った。
「お忙しいところを申し訳ございません」
というと、
「お探しの女性というと?」
と、少し落ち着きを取り戻した理事長は、二人を座らせて、自分も座った。落ち着きさえすれば、さすがにそれなりの貫禄はあるのだが、先ほどのを見てしまうと、そう簡単に何とも納得できるものではない。
「この女性なんですが?」
と言って写真を見せると、理事長は眼鏡をずらして、見えにくそうな目で見ていた。
そして、
「こ、これは」
と言って、顔を上げて、二人を見るとその目は、今度は飛び出しそうな勢いであった。
「君、ちょっと」
と言って、中年の女性を席に呼んで、その写真を見るようにいうと、
「あら」
と、その女性も驚いていた。どうやら二人には確実に見覚えがあるようだ。
もう一人の女性は、園長先生のようで、理事長の補佐役も兼ねているようだ。実際に今、三人が警察に引っ張られ、一応、教育委員会の方から数人の保母さんが来てくれたようだが、犯罪者とはいえ、ベテランの保育士と、ピンチヒッターで来た人たちとでは、それは当然何をするにも、遅いのだった。
しかも、この保育園のやり方だって知らない。こちらにきて、実践を踏みながら、教育していくしかないのだ。彼女たちは一種の保育士予備軍、今でこそ、便利屋であるが、いずれはどこかの保育園でということで、下積みという、叩き上げと言ってもいいだろう。
それが分かっているだけに、話もやりやすいようだった・
「ご存じなんですね? 知っていることは、何でもお話していただけませんか?」
と聞くと、先ほどの安心した表情が曇り始めた。
今回の事件の話であれば、もううんざりだろうが、そうもいかないので、それ以外の警察の訪問であれば、よかったと思ったのだろうが、あの様子を見る限り、
「叩けばいくらでも何かが出てくるところだな」
ということであった。
「実は、この女性は、以前、ここに一時期いたんですよ。でも。当時のうちは、経営もしっかりしていて、入園者は後を絶たない。そこで、保育士の中には、辞めていく可能性がある人が多かったので、一クラス2人の先生による体制にしたんですね。そして、さらに、補欠のような、タイプの人。野球で言えば、育成のような感じですね。だから、育成も頑張れば、上に上がれるという体制を取ったおかげで、保育園はうまくいっていたんですが、この女性が入ってきた時、彼女が父兄の一人と、ねんごろになっちゃったんですよ。それでそれまでの体制が揺らいでいきまして、園内がきな臭くなったんですよね。それで、彼女には辞めていただいて、不倫をした保護者のお子さんもお預かりできないということにしたんですよ。言い方は悪いですが、喧嘩両成敗というところでしょうかね?」
と理事長は言ったが、その話は当然のことである。
さらに理事長は続けた。
「でも、後から思えば、彼女は不倫に走る前から、何やら挙動不審ではあったんです。いつも何かに怯えているようで、それが気にはなっていたのですが、大所帯の中ですので、目が回りませんでした。そこで不倫問題が発覚しましたので、辞めていただいたわけです」
と理事長がいうと、
「彼女は警察に相談したとか言ってませんでしたか?」
と聞くと、
「ええ、警察の生活安全課で気休めにもならない話を聞かされたといっていました。実際に聴いたわけではないので知りませんが、そんな彼女の不倫があったのはそのあとだったんですよ。これも後から聞いた話として、その不倫相手が、実はストーカーだったとかいうことだったんですよ」
というと、横から園長が口を挟んだ。
「実は、その男詐欺師だったようで。彼女と共謀して、ここのお金に手を出そうとしていたんです。それを咎めたのが、今回の三人の一人だったんです。今回の虐待問題なんですが、あれを起こした三人のうちの一人は、元々、勧善懲悪主義で、自分中心で、言っていることは間違っていないんだけど、自分のやり方に逆らうと、人間が変わってしまったんですね。そういう意味では、この仕事が一番合わないはずなんですけどね。本人は、子供を育てることが正義だと思っていたようで、大学を卒業し、意気揚々と入園してきましたよ」
というではないか。
「なるほど、勧善懲悪だからこそ、余計にまわりのことに敏感で、融通も利かない。だけどそれは子供も同じなので、彼女のような性格は、却って大きな子供と化してしまったというわけですね?」
と桜井がいう。
「まあ、そういうことですね。我々は、彼女には引っ掻き回されました。ストーカーというのも、彼女の自意識過剰から来るもので、まさか相手が分かったら、その相手と不倫をするなど、思ってもみませんでした。ミイラ取りがミイラになったといえばいいのか、信じていただけに、ビックリしましたね」
と、園長がいうと、
「その時、彼女は子供にはどう当たっていました?」
桜井が聞き返す。
「それは結構ひどかったですよ。虐待に近かったですね。今だから思いますが、今回の元凶も彼女ではなかったかと思うんです。実は犬猿の仲ではありましたが、お互いに性格は似ていました。特に。勧善懲悪という意味では似ていたんでしょうね。私が最近思いますに、勧善懲悪というのは、人間皆が持っていると思うんです。普通に生活ができる環境であれば、表に出てくることはないんですが、波乱に満ちてくると、その感情が頭をもたげて、性格が先に行ってしまうんです。だから、人間、性格が見えてくると、危ないんじゃないかと思うようになりました」
と園長が言った。
「なるほどそういうことなんですね。気になったのは、彼女のケイタイが、近くの学校で発見され、ケイタイに2人分の指紋があったですが、それが今お話にあったお二人なんです。機種変更したのは、最近だったということなので、少なくとも、数日前に一度会って、ケイタイに指紋が残るようなことをしているんじゃないでしょうか?」
と、桜井が説明した。
「そういうやり方をするのであれば、この間逮捕された、渦中の人である。欅谷康子という女性が得意じゃなかったですかね? 彼女の場合頭もいいので、大切なことを隠すのに、オオカミ少年のようにデマを流して、注意をそらせる作戦に思わせ、逆に気が緩んだところで、まさかこんなことをしないだろうと相手に思わせて、そして本懐を遂げるということをよくしていましたね。そういう意味で、彼女のやることにはいつも何か、意味があったような気がします。それだけに、今回のような虐待などというのは信じられないんですよ。ひょっとすると、虐待をしてでも、何かを隠したいことがあるのではないかと思ってですね」
と園長はいう。
「園長はどう思いますた?」
と聞かれて、
「私になら、彼女の方が不倫しやすいタイプだと思ったので、本当は他の女性と不倫をするつもりだったが、ストーカーになった男が騒ぎ出したので、邪魔になった。そこで、その男をけしかけ、西牟田さんにちょっかい掛けるようにしたんじゃないかと思いました。そこで何が起こるは分かりませんが、そういう直感に関しては、彼女は自分の考えを曲げませんでしたからね。その思いが、今までの彼女を支えてきたのではないかと思ったんですよ」
と園長は言った。
刑事二人は、頭を抱えてしまった。どこまで信じていいのか分からなかったからだ。
園長と理事長の様子は明らかにおかしかった。今まで刑事という職業柄、いろいろな企業の人と話をしたことがあるが、その経験から言って、ここは明らかにブラック企業であった。
ただ、他のブラック企業にはない、何か別のものがあった。園というもの全体が、得体の知れない不安に取りつかれているような気がするからだった。
その正体は分からなかったが、そういう場合に見えてくるものは、
「隠蔽気質であり、その気質が、人間の精神を徐々に蝕むというものではないだろうか?」
と考えられた。
もちろん、3人の虐待は許されることではなく、正直、
「もうあの3人の人生は終わった」
と言ってもいいだろう。
ただ、その元凶が分からなければ、今後、同じような事件が起こらないとも限らない。かと言って、保育園や幼稚園を片っ端から調査して、怪しいところは、取り潰すというわけにもいくまい。ただでさえ、保育園が足りない。先生が足りないという世の中なのだ。
それが、あの3人を生んだのかも知れない。それを、八重子は言いたかったのではないだろうか?
八重子は、今日もどこかの保育園で、保育士をしているかも知れない。これは後で聞いた話なのだが、
「この間、一人の保育士さんが自殺したんですが、その人は自分のことを、絶えず、保母と呼んでくれと言っていたそうなんです。そして、その自殺の中で、遺書があったのですが、そこには、過去のことを告白しているようで、それがどうやらかつての、保育園の事件のことで、ケイタイ電話を使ったと書いているらしいんです」
と、坂口刑事から聞かされた桜井刑事は、
「そうか」
と一言言っただけだったが、桜井刑事には、何となくであるが、この事件の全貌は見えていたような気がした。
そして、八重子の自殺もありなのだろうと思っていたのだ。彼女がここまでしなければいけなかった理由は、彼女自身がストーカー被害に遭い、被害者の気持ちを知ったことで、この保育園にまったく加害者意識がなく、ただ、被害者意識、いや、被害妄想だけで経営しているということに、大きなショックを受けたからだった。
一つ気になっていたことがあったのだが、一度生活安全課で登録された電話番号の行進切れは、この署では3カ月であったが、半永久でと、彼女が言ったという。中にはそういう人もいるので、警察側は気にしなかったが、その時から彼女は何かの虫の知らせのようなものがあったのかも知れない。
「やり切れない事件だな」
と桜井刑事は呟いたが、まさしくそうであろう。
その一言が、事件の結末になってしまったことを、坂口刑事は、憂いていたのだった……。
( 完 )
悪魔の保育園 森本 晃次 @kakku
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