第7話 憤慨の行方
考えれば考えるほど、自分が貧乏くじを引いて、一人悪者になってしまったかのような気がすることで、収まりはなかった。その日もずっと苛立っていて、彼女もきっと、
「どうして、この人はこんなに、感情を引っ張っているんだろう?」
と思ったことだろう。
「こんなになるくらいだったら、いいたいことを言えばいいのに」
と思っていたのだとすると、久則の怒りは収まるはずがない。
そこまで自分は聖人君子ではないと思っている。
久則は自分がここまで根に持つタイプだとはさすがに思っていなかった。根に持たないようにするには、
「大人の対応」
などをして、我慢なんかしてはいけないのだと思った。
それから久則はあまり我慢をしないようになった。苛立ちがあれば、思ったことを相手にぶつける。少しでも相手の方が悪いと思えば、恫喝して相手を従わせる。それくらいしなければ、怒りを覚えた自分の矛先を収めることはできなかった。
その時の彼女とは、すぐに別れた。
本当はこちらから引導を渡してやろうと思っていたのだが、別れを切り出したのは向こうの方からだった。
これほど先手必勝なのかと思ったこともなかった。自分が引導を叩きつけてやることで、あの時の怒りの留飲を少しでも冷ますことができると思うと、気が楽だったのに、まさかここでも先を越されるとは思っていなかった。
この時から、怒りを抑えたりしないという思いに、先手必勝という気持ちが入るようになった。
相手を恫喝するにしても、こちらが一気に攻めなければ、どうしても相手に合わせてしまう。だから、逆にいえば、先手さえ取ってしまえば、その時点で勝ちと言っても過言ではないだろう。
そういう意味では、その時の女だけが、自分から別れたいと思う女だった。他の女性からはいつも理由も分からずに別れを切り出されてきたが、逆にいうと、自分で気付かないだけで、付き合った女連中は皆同じ穴のムジナだったのではないかと思うのだった。
そう思ってから、しばらく、
「彼女はいらない」
と思う時期があった。
しょせん、彼女を作っても、いつも最後は同じ結末、自分が我慢しようがしあいが結果は一緒なのだ。
だったら、彼女をわざわざ作って、最後にいつものように屈辱を味合わされるのであれば、最初から作らない方がいい。
そう思うと、
「どうして、彼女がほしいなんて思うようになったんだろう」
いつも最後は同じ結末で、理不尽さに屈辱感が溢れ出て、男としてのプライドはガタガタ。
そもそも、男としてのプライドなどどこにあるという、それを下手に守ろうとして我慢した結果が、あの時の自分だけが貧乏くじを引いたあの時ではなかったか。
いつも彼女から理不尽な屈辱感を味合わされた時、あの貧乏くじを思い出す。
それなら、こっちからも、自分に屈辱感を味合わせた女たちに文句を言ってやれば少しは留飲が下がるというものだが、そうもいかない、
その理由が、別れを切り出した理由が分からないからだ、
「どうして別れようというの?」
というと、黙っているか、
「自分の胸に聞けばいい」
というだけだ、
何がそんなに怒らせたというのか。
そういえば、
「女というのは、ギリギリまで我慢できるんだけど、我慢できなくなると、一気に爆発してもう収拾がつかなくなるようだよ」
と友達から聞かされたことがあった、
「そうだよな、もっともだよな」
と言っていたのだが、考えてみれば、それは、一人貧乏くじを引いた時の自分と同じではないか。
あの時は我慢をしてしまったので、それ以降、
「もう、我慢などしないようにしよう」
と思うようになったのだが、女というのは、そこから先にも足を踏み込むようであった。
踏み込むことで、男には見えない女の感覚が目覚め、新たな世界を見ることになる。それはきっと男には見ることのできない結界があるのではないだろうか。
そう思うと、久則は、
「自分は、男としての限界まで行ってしまったのかも知れない」
と思うのだった。
その先の結界は見えなかったが、そこまで行ってしまうと、まわりが見えてきて、見えてきたまわり皆が冷酷でどうしようもなく感じられた。そんな思いにさせる場所にまで自分を追い込んだのは一体誰なのだろう?
その時の元凶である男なのか、それとも、男にそこまでさせた男の彼女の一種の自尊心がもたらしたものなのか、それとも、自分の彼女のあの冷静な目なのか。
あの時の彼女は、うろたえていたわけではない。何をどう対応していいのか分からないのであれば、もう少しうろたえていてもいいはずだ。それなのに、冷静な目で見ていたということは、あの場面全体を冷めた目で見ていて、自分は蚊帳の外にでもいるかのように思わせるのは、どういうことなのだろうか。
「結局、俺にとってあの女は、あの時にあんなことがなくても、冷めた目でしか見てないやつだったんだ」
と思うと、これまで付き合った女も、類は友を呼ぶというのか、皆同じような女ばかりだったのかも知れない。
同じ人間が好きになる相手だ。皆同じような性格だと思ったとしても、それは無理もないことである、
だから、
「しばらく、女はいい」
と思うようになった。
「男として性的に我慢できなくなったら、風俗に行けばいいんだ」
と思っていた。
風俗を汚らしいもののように最初は久則も思っていたが、実際にはそうではない。
「風紀の面で、いかがわしい商売」
と言われているが、久則が大学生の時、まだ風俗デビューしていなかった頃のことだが、ちょうと、風俗の名称が変わり、風俗営業法、いわゆる風営法も変わった。
当時は、風俗に限らず、音楽の著作権などの問題も社会問題としてあり、それらの訴訟もあったりして、いわゆる、
「市民権」
という問題が表面化した時代でもあった。
当時、レコードのレンタルという業種が全国的にあり、ある地域では、
「カセットテープのダビング」
という商売もあった。
高速ダビング機を使って、カセットのA面、B面を同時に数分でダビングするというものだが、それらがレコード会社であったり、著作権を保有しているアーティストたちから訴訟を受けることになった。
結果としては痛み分けということで、ダビングからも印税を得られるようにして、レコード会社の指定したもの以外のダビングは禁止ということで、レンタルやダビングの業種にも市民権が与えられたのだ。
だが、当時今でいう、
「ソープランド」
と呼ばれる特殊浴場は、以前、
「トルコ風呂」
と呼ばれていた。
トルコ人が、
「トルコという国を軽視した軽蔑的な表現だ」
ということで訴訟を起こした。
だが、こちらも、名称を変えることで、風営法の下で決まった形での営業であれば、立派な市民権を持った職業として認められたのだ。
当時、問題になっていたのは、全世界的に流行し始めた、
「HIVウイルス」
いわゆる、
「エイズ問題」
であった、
致死率の高さと、潜伏期間が五年から十年という気が遠くなりそうな期間のために、従事している人間の定期的な検査なども義務化されるようになった。
そういう意味でいえば、一番安全だと言ってもいいかも知れないが、やはり不特定多数という意識があるので、反対派は、あくまでも敵視していたことだろう。
だが、久則は風俗を嫌とは思わなかった。身体の欲求不満を解消してくれ、お世辞でもいいから、女の子から癒されたいと思うことのどこが悪いというのか、下手に女性と付き合うと、ロクな女に当たらないと思った久則は、
「お金で時間と癒しを買う」
ということを考えれば、他の商売と何が違うというのか。
映画館で映画を見る、レストランで食事をする、どこが違うというのか?
女の子は男を満足させようと、プロの意識を持って、相手をしてくれる。映画を作る監督も脚本家も俳優も、作品に携わる人が皆プロであれば、その代価として、入場料を払うのと何が違うというのか?
風俗の女の子だって、彼女たちは、ただ身体を売っているわけではない。癒しの時間を与えているのだ。当然、プロとしての自覚だってあるだろう。もし、それを否定するのであれば、
「お金が高価だということでの、やっかみなのではないか?」
と思われても仕方がないのではないか。
たぶん、風俗に対して抵抗感を持っている人には女性が多いと思う。そのやっかみは、「自分にはそれだけのお金は稼げない」
という思いであり、それをプロ意識とは切り離して表面だけを見ているから、そういうことになるのではないかと、久則は感じていた。
そんな風に考えるようになったのは、やはり、あの時自分だけが貧乏くじを引いたと思ったことから来ているのであろう。
実際に、風俗で馴染みのお店があったりした。
さすがに大学生ではアルバイトをしても、そんなしょっちゅう行けるものではないし、さすがに、
「大学生という状態で、お金を使うことには抵抗がある」
と思っていた。
社会人になって、お金を稼ぐようになり、ボーナスまで待って、ボーナスでやっと初めていくことができた。
当時は今のような大衆店などはなく、今でいう高級店ばかりだったので、年に数回いければいいというほどだったであろう。
まるで王子様にでもなったかのような気持ち、頑張って働いてきた、自分へのご褒美である。
どうせ他の連中に言えば、
「せっかくのボーナス。もったいないな」
と言われるに決まっている。
しかし、要するに自分にとって、何が大切かということは、他人の物差しでは絶対に計れるものではない。
「じゃあ、お前はボーナスでどうするんだ?」
というと、何も答えないのが関の山だ。
本当に何を買うのか決まっていないのか、それとも、いいたくないようなことなのか。
もし、後者であれば、
「そんなやつにとやかく言われたくない」
と言いたくなったとしても、無理のないことであろう。
初めて風俗に行った時、さすがに誰にも言わずに一人で出かけた。当時はネットなどもなければ、風俗の週刊誌もない、事前に調査というと、風俗街の街に出かけていって、
「無料相談所」
にでも、聞かなければいけないだろう。
「後日の研究のために」
と言って、相手は納得してくれるかどうか分からなかったので、さすがに行くのは怖かった。
しょうがないので、行くと決めたその日に、無料休憩所に行くという方法しかなかったのだ。
初めてということもあり、ドキドキしたが、ワクワクの方が多かったのは幸いであった。
何度か使命をしていると、女の子も結構気さくに話をしてくれるようになった。
「最初の頃はね。どう話をしていいのか分からなかったのよ」
とその女の子は言っていたが、実際には、
――最初の頃は俺に言いたい放題だったくせに――
と思っていた。
風俗初心者ということもあって、かなり上から目線だったのだろう。ただ、本人とすれば姉貴のような気分だったという。
「だって、初めの頃は、慣れていないからか、会話もうまくできないし、だったら、こちらから話しかけるしかないじゃない?」
と言っていたが、それもその通りだった。
「でも、最初に来る人は先輩に連れてこられたという人が多かったのに、あなたは、自分から来たと言ったでしょう? だからかな? 余計にあなたにはしっかりしてほしいように思ったのは」
というので、
「おかげで、常連になっちゃったかな?」
「そうね。これだけのペースで来るんだから、他の子に浮気をすることなんてできないわよね。あなたが誠実な人なのかなって気はしているわ」
と言ってくれた。
「うん、そうだよ。お姉さんのような気がするんだ」
と言って身をゆだねていると、学生時代に言った「会場」での女の子を思い出していた。あの子はまるで妹のような感じで、あの頃は、自分が妹をほしがっていたのだと感じていたが、ここで、
「お姉さん」
と呼べる人ができると、本当は姉の方がほしかったのではないかと思うようになっていた。
――いや、姉でも妹でも、癒しになる人がいてくれればよかったんだ――
と思うと、風俗に掛けるお金を勿体ないとは思わなくなった。
「私は、あなたと一緒にいると、何でも話せちゃう気がするの」
とよく言ってくれるが、それは久則としても同じ気持ちだった。
「私は、女兄弟ばかりだったので、男兄弟がほしいと思っていたの。最初はお兄ちゃんがほしいと思っていたんだけど、今では、弟がほしいと思うようになったのよ。やっぱりこういうお店にいると、私を指名してくれる人は、年上の人が多いのよ。若い子はどうしても、若い娘に走りたがるのかも知れないって。私も諦めているんだけどね」
というではないか。
「そんなことはないですよ。僕はお姉さんがよくてお姉さんに通っているですからね」
というと、
「あら? 嬉しいことを言ってくれるわ。でもね、それはあなたが他の女の子を知らないからなのかも知れないわよ。だけど、最初の頃の雰囲気で、まさか、あなたが私の常連になってくれるとは正直思っていなかったのよ。何か感じるものがあったのかしらね?」
とお姉さんは言った。
「そうかも知れないです。でも、私は今から他の人なんて考えられないというのが一番ですね。実は今まで自分では、妹がほしいという感覚を持っていたので、あまり年上は見ていなかったんですけど、お姉さんに通うようになって、お姉さんもいいなって思うようになったんですよ。そのおかげで、甘えるというのがどういうことなのか、そしてそこで得られる癒しというものがどういうものかって感じるようになったんです」
と言いながら、久則は、会場の女の子を思い出していたのだ。
久則が、
「お姉さんがいい」
と思ったのは、プレイの時間、お姉さんに集中していられるからだった。
身体全体で癒しを感じる。そこには、何も余計な意識は働いておらず、キスをするだけで、魂を抜かれる気がするくらいだった。
魂を抜かれてしまうと、ただ委ねるだけの気持ちになり、委ねる気持ちが、甘えになる。相手が妹だとそんなことは感じられない。身体の一点に神経を集中させるなどということは、相手が妹であれば、こちらが協力しないとできないことだと思うのだ。
それに、自分よりも年上で、最初は上から目線で見ていたと思っているその人が、いくら仕事だとはいえ、プレイに入ると、必死で癒しを与えようとしてくれる。それが妹と思う相手と接している時とまったく違っているのだった。
身体が密着すれば、空気の入る隙間もなくなり、吸盤のように吸い付いてきそうに思うのだが、そんなことはなく。ローションがうまく潤滑油の役目を示し、身体がまるでのた打ち回っているかのような快感に襲われる。
この頃から、仕事以外では人と絡みたくないという思いが強くなった。あれだけ学生時代に、
「彼女がほしい」
という感情が強かったのに、今では、
「彼女なんていらない」
と思うようになった。
それは、社会人になってから数年目のことだっただろうか、一人の女性と付き合ったのだが、その女性が精神的な鬱病を抱えている人で、しょっちゅう薬を飲んだりしていた。
その女性の親とも親しかったのだが、母親もそんな娘のことを気にしていたようで、それまで、男性と付き合うことをしてこなかったその女性が、自分と付き合うようになったことが嬉しかったようで、それだけで、母親は久則のことを信用していた。
それまで彼女はまわりに対して、
「誰とも付き合っていない」
と思わせていた。
それは彼氏ということ以外でも、友達もいないという意味であった、したがって、彼女と知り合った時も、彼女のまわりには誰もいないと思っていたのだが、そのうちに彼女には別に男がいて、どうやらその男に騙されかけているようだった。
その男は、仕事もしておらず、チンピラのような男で、まわりの数人(これも怪しい連中だが)と連れ合って、どうも、夜の店の用心棒のようなことをしていたようだ。
彼女はそこまでは知っていたようだが、自分が騙されていることを分かっていなかった。相手の男は、彼女の鬱病なところを利用し、自分たちのいろいろな計画に利用していたようだ。
金銭的なことにまでは利用していたわけではなく、何かあっても、警察沙汰にはならない程度の利用の仕方であった。
母親に彼女との仲を公認されていることもあって、何とかしようとしたが、さすがに相手が悪かった。これ以上関わっていると、久則自身が危なくなる。
そう思うと、別れるしかないと思い、彼女の前から姿を消した。
さすがに自己嫌悪に陥った久則は、それから、人とのかかわりが嫌になってしまった。一歩間違えると、自分も危なかったのである。
しかも、そんな危ない相手を彼女にしようなどと思っていた自分が怖かった。
変に人とかかわったとしても、自分にどうすることもできないと感じた時、仕事上の利害関係はしょうがないとしてそれ以外の人とは一線を画し、彼女などというものほど、怪しいものはないと思うようになったのだ。
そんなことがあってから、久則が風俗通いをするようになったのだが、それをずっと正解だと思うようになった。
時代的には、まだ、結婚するのが普通だと思われている時代だったので、結婚に対しての未練のようなものはあった、
無性に寂しくなることが、ごくたまにではあったが、ないわけではなかった。
その思いをいかに発散させればいいか、ストレスや、ストレスだけに限らない、身体を中心とした欲求不満をどこで爆発させればいいかが問題だったが、
「風俗があるじゃないか」
と思ったのだ。
自分のような人間が世の中にはたくさんいると思っていた。確かに結婚するのが、当たり前という時代ではあったが、結婚できずなのか、結婚をしないと思っているからなのか分からないが、実際に、一度も結婚をしたことのない年配の人も徐々にであるが増えてきていた。
離婚する人も目立ってきていて、実は昔から多かったのかも知れないが、めだって感じるのは、自分が結婚適齢期に差し掛かったからなのかも知れないと思ってもいた。
そういう意味で、出会いの場を提供するような会社が増えてきた。
結婚相談所という言葉でもなく、少し違った形式の出会いの場が多種多様に増えてきたのもこの頃だろうか。
社会的にも、バブルが弾けて、それまでとはまったく違った社会になってきて、それまでの常識が非常識だと思えるような時代に変わった。
少々の変わったことは、許容範囲になってしまったり、他人のことを気になどしていられない時代に変わってきたのだ。
それは決していい傾向ではないのだろうが、久則は、ある意味、時代を先行していたように感じ、
「孤独を孤独と感じなくてもいい時代」
と考え、孤独を悪いことのように思っていた世の中が、やっと、自分においついてきたことを実感した気がしていた。
そんな時代において、自分の中で、好きな人と嫌いな人という区別がつくようになってきた。
今までは女性の中で嫌いになる人というのはいなかった。
「別れよう」
と思ったとしても、それは嫌いになったわけではなく、自分が相手に飽きたからだと思っていた。
しかし、実際には先に相手から別れを告げられた。それも、相手が自分に飽きたからだと重いことで、嫌いにはならなかった。
ただし、
「裏切られた」
という思いはあり、それがせめてもの自分の自尊心を失わない理由だったのだ。
だから、裏切られたということには腹が立つが、嫌いになったわけではない、嫌われたと思うことが、女性を嫌いにはならないという自分の中にある自尊心というか、一種の誇りのようなものであることが、フラれ続けても、また人を好きになれるという活力に繋がっていると思っていた。
その思いがなければ、フラれることにここまで固執することはない、自分が相手をふることはないという自負があるから、堂々と好きになることができた。
それなのに、
「最近、酷い女に引っかかった」
という事実があるだけで、久則にとっては、それがなくても、
「近いうちに同じ状態になっていたのではないか?」
と感じるようになっていた。
その一つに考えられるのは、
「自分が飽き性だ」
ということを感じたからだった。
子供の頃から、好きなメニューであれば、極端な話、学食でも、半年くらい続けても何ら問題なく、飽きるなどということはなかった。
ただ、一旦飽きてしまうと、見るのも嫌だというほどに、身体が受け付けないという状態になっていた。
まわりからは、
「そんなに毎日同じものを食べていて、よく飽きないな」
と言われていたが、
「おいしいからな」
と、当たり前の返事をしていた。
ただ、それは本心から出た言葉であり、当たり前のことが本心から出てくると、それは本当の王道なのではないかと思わせるようで、相手は何も言わなくなってしまう。
「ひょっとすると、呆れているだけなのかも知れない」
と思ったこともあるが、実際はどっちだったのだろうか?
「自分にとって、好きでもない人から言い寄られたら、どうなるんだろうか?」
と思ったことがあった。
実際に言い寄られたことはなかったが、仲良くなりかかったことがあった。あれは大学三年生の頃のことで、例の「会場」に行かなくなってから、数か月後くらいのことだった。
大学で、いつもその人は講義室の一番前でノートを取っているような真面目な女性であった。
「一番前の席でノートを取っている真面目な女のK」
という意識はあったが、意識としては、それ以上でもそれ以下でもなかった。
だが、単位取得の関係上、どうしてお彼女のノートが必要になり、
「ごめん、ノート借りていいかな?」
と声をかけたことがあった。
「いいですよ」
という簡単な、社交辞令ですらない会話から、どうして親しくなったのか、自分でもよく分からなかったが、少なくとも相手が久則に興味を持ってくれたということであろう。
久則は、女として興味を持つ相手ではないと思っていたが。どうやら、他の男性は彼女に大いに興味を持っていたようだ、それだけ、久則の女性を見る目は他の人と違っているということになるのだろうが、そんな彼女と仲良くなった久則は、まわりの男性の視線が痛いのを感じていた。
――どうしてそんな目で俺を見るんだ?
と、最初は、それが彼女との関係からの、
「痛い目」
であるとは思ってもいなかった。
しかし、どう考えても、彼女と知り合ってからのことだったので、ビックリした。
「そんなに痛い視線を送るくらいだったら、自分から声を掛ければいいのに」
と思ったのだが、どうやら、他の一般的な男性の視線からすれば、
「彼女は、一番声をかけにくい相手だ」
ということのようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます