第5話 集会への参加

 高校生の女の子が何をもって、自分の意見を人に話そうとするのか、それは布教活動というよりも、実際に入信している人のスキルアップのようなものではないかとも思えてきた。

 誰かを紹介されて、その人を引き入れるというよりも、その説得しようとしているように見えているが実は、団体として、その人への何かステップアップへのテストのようなものではないかとも思えるのだった。

 そう考えると、話の仕方も相手に向けたものではなく、自分に言い聞かせているところもあったりしたと思うと納得できるところもある、

「明らかに人を説得しているような感覚ではないな」

 と思ったのだが、考えてみれば、友達も最初から勧誘だとは言っていないではないか。

 もっとも、宗教団体の勧誘だとしても、それを正直に相手に話すわけはない。誰がどう考えたって、宗教団体の勧誘をまともに聞こうなどとは誰も思わないだろう。まずは、席についてもらうことが先決で、それがなければ、何も始まらないではないか。

 そう思うと、自分が最初に感じたことが、頭の中で揺らいでくるのを感じた。

 確かに宗教団体であることに間違いはないようだが、他の宗教団体とはどこかが違うと思うことで興味が湧いてこないわけではない。

 まさか、それが彼らの狙いで、こちらに他とは違うと思わせることが目的だとすれば、少しイラっときてしまうこともあるのだが、逆に相手が、

「自分たちは、他とは違うのだ」

 と言いたいのであれば、湧いてきた興味を自分が素直に感じたことだとして受け止めることができるような気がしていた。

 この、

「他の人と自分は違うんだ」

 という考えは、いつも久則が考えていることであり、その思いが自分をその時間、その場の雰囲気にのまれていたとしても、それは悪いことではない気がした。

 正直、話の内容に、何ら興味もない。どちらかというと、

「そんなことはいわれるまでもなく、自分でも考えていることさ」

 と言いたいくらいであったが、自分がそれを今まで口に出して誰かに話したのかと言われると、

「一度もなかった」

 としか答えられない。

 目の前にいる女の子は、自分よりも年下で、しかも、女の子ということを考えると、いくら人と話をする場をセッティングしてもらっているとはいえ、人前で話すというのは、かなりの度胸がいる。だから、説得しているわけではないということがすぐに分かり、彼女とすれば、自分の思いを相手にぶつけることに必死なのだろう。

 実際にはこちらに伝わっているとはいいがたいが、自分の気持ちを表に出そうとしている気持ちはひしひしと伝わってくる。

 しかし、こちらもその気になっていなければ、その思いは伝わらない。

 相手に伝えるよりも発信の方に力を入れていると、相手は普通であれば、

「話にならない」

 と思うことだろう。

 ひょっとすると、彼女は今までにも何度となく、相手にそう思われた経験があるような気がする。それでも、相手に伝えるよりも、自分の意見をいうことに力を入れている方が、自分には力が発揮できるのではないかと彼女が考えているのだとすれば、その効果は表れているように思えた。

 その感覚で彼女を見ていると、久則は自分がその団体に興味を持っていることを感じていた。

 そもそも、大学生活をしながら、

「友達を増やしすぎた」

 と感じるようになった。

 挨拶だけの友達ばかりが増えてしまったが、自分では友達だと思っていても、相手は別に何も感じていないかも知れない。元々自分がそんなタイプだったくせに、それを思い出さなければいけないところに来ていたと思うと、この紹介はタイミングとしては悪くなかったような気がする。

「もし、相手が宗教団体だとしても、それをこちらが利用するくらいの気持ちになれば、それでいいんじゃないか」

 というくらいにまで思っていた。

 今度、行ってみることにしたと言って話をしてから、三日後くらいに友達から声を掛けられ、

「今度の土曜日の午後から会場に行こうと思うんだが、お前の方の予定はどうだい?」

 ということだった。

 久則としても、別に予定があるわけではなかったので、

「ああ、いいよ。じゃあ、一緒に行ってみようじゃないか」

 と言って、土曜日の午後からいよいよ行ってみることにした。

 一つ気になったのが、友達が、

「会場」

 と言ったことだった。

 さすがに、

「道場」

 と言われてしまうと、警戒に値すると思っているのか、確かに宗教団体というと、修行という言葉があり、それに伴った場所として、道場と言われると勘ぐってしまうだろう。

 宗教団体というと、どうしても修行という発想が常にあり、

「宗教団体には違和感はないが、修行は嫌だ」

 と思っている人もいるかも知れない。

 ただそれよりも、

「修行があろうがなかろうが、宗教団体というものが、いかにも胡散臭いものである」

 という意識を持ってしまっているとすれば、それは避けたいことに違いないだろう。

 阪急電車で大阪梅田に向かっていくつ目かの駅で降りたが、初めて降りる駅だった。効果になった駅を降りると、駅前には商店街が広がっていた。

「こじんまりとした街なんだな」

 と思わせたが、友達が連れて行ってくれるその「会場」は、商店街を抜けてから、少々歩くところにあったのだ。

 駅から歩いて約十五分、散歩だと思えばちょうどいい距離にあり、少し気になったのは、その少し先に工場がいくつか連なっていて、それなりに臭いもすれば、音も激しいところだった。

 住宅街のようなところを想像していたのだが、まったく違ったところであり、民家もそんなにあるというわけでもなかった。

 ただ、近くには小学校があり、

「いかにも、大阪市に隣接しているようなところなんだな」

 という場所であった。

 歩いて行く限り、どのあたりに目的地があるのか分からなかったが、急に友達が、

「ここだよ」

 と言って立ち止まった。

「ここ?」

 と思わず見上げたその場所は、民家というよりも、二階建てのアパート、つまりは、工場に勤務している人が住んでいるようなところの一角にある場所で立ち止まったことが、まず不思議だった。

「ここだよ」

 と言われて振り返ったその場所が、普通にボロ旅館の玄関先のようになっていることだった。

 その奥には何やら円柱を縦割りにして、それを横にしたような、そう、ロールケーキのような形の建物だった。

 現在ではほとんど見ることのできないものだが、昔の体育館などにはそういう建て方があった。

 人によっては、

「まるで、戦闘機の格納庫のようだな」

 というミリタリーファンは感じていたことだろう。

 表から見る限り、この間友達が言った言葉の、

「会場」

 という意味が分かったような気がした。

 どこかのビルのようなものを想像していたから、会場と言われた時に違和感があったのだが、なるほど、このような外観であれば、見た瞬間に、

「これぞ会場」

 と言えるのではないかと思うのだった。

 工場の臭いと喧騒たる音が、このあたりの雰囲気を代弁しているかのようで、いつの間にか、その場所を以前から知っていたかのような錯覚に陥ってしまっていた。

 そういえば、小学生の頃に住んでいたところは、河原の向こうに工場を見ながらの通学だった。絶えず煙が噴き出していて。煙の向こうには、日差しがほとんど見えた記憶はなかった。いわゆる輪環となった皆既日食を思わせ、たまに差し込んでくる光がまるで毒を振り払うかのように思えたのだが、一瞬のことで、気のせいだったかのように思うほどだった。

 河原と言っても、たいして大きな川でもないので、草が生い茂っているところで、河原に下りて遊ぼうという人もいなかった。遊べるだけの広さもなかったし、どす黒く汚れた川に落ちてしまうと、死んでしまうとまで言われるほど汚染した川であった。

 少々のことでは信用しない子供がいたとしても、その川の色にはさすがに逆らうことはできないようで、近づく子供もいなかった。しかも、ある日、河川横の道を歩いていて、車が通りすぎるところを自転車に乗っていた人がバランスを崩して、そのまま川に転落したことがあった。

 すぐに警察に通報され、付近一帯を捜索されたが、なかなか見つからない。翌日になってそこから下流に数百メートル行ったところで、死体が打ち上げられているのを、朝犬を散歩させていた老人が見つけたのだ。

 どうやら、その川は、見た目に比べて水深が深いようで、落ちてしまうと、自力で起き上がってくるのは難しい場所だったという。

 そもそも、そんな場所に柵も何もなく、舗装もされていない道路だったことが問題になり、しばらくは通行止めとなった後、舗装され、柵も施されたことで、そんな事故はなくなった。その区間だけはしばらく車は通行できず、新たな道を作って迂回するようにまでしていた。

 やろうと思えばできることを、そう簡単にできないのは、

「警察というのは、何かなければ動かない。誰かが死んだとか、殺されたなどでもなければ、動こうとしないのだ」

 ということに結論は落ち着いた。

 子供心に、

「警察って、何ていい加減な組織なんだ」

 と思ったくらいなのだから、大人の憤慨もハンパではなかっただろう。

 ただ、実際には、大人も皆苛立っているのだろうが、結局、

「苛立ったって、いつものことであり、ただ、繰り返されるだけのことを、いちいち苛立っているのも疲れるだけだ。自分の身に降りかかってこなかっただけよかったと思うしかない」

 というのが、本音であろう。

 大人が皆他人事なのかそういうことの積み重ねであるということを理解するまでには時間が掛かる。自分が大人になって、その立場にならないと分からないことなのであろう。

 そう思うと、警察が犯罪事件などの捜査で、聞き込みにいく相手が、非協力な人がいたからと言って、ドラマなどでは、

「一般市民がああも、非協力的だとやってられんわ」

 などというセリフを見たことがあったが、大人になって考えてみると、

「どの口が言うんだ」

 とでも言いたくなってしまう。

 まるで選挙前の政治家や、契約を結ぶ前の生命保険会社のレディのようではないか。

 選挙前にはうるさいくらいに、

「清き一票をお願いします」

 と言って、選挙カーに乗って笑顔を振りまきながら手を振っているのを見るが、実際に当選してしまうと、公約に掲げたことがまるでなかったかのように、好き勝手しているし、市民とは一切向き合おうとはしない。

 保険会社のレディさんにしてもそうだ。あれだけ昼休みにうるさいくらいにやってきた人たちが、入ってしまうと、見向きもしない。営業なのだから仕方がないと言えばそれまでなのだが、本当にそれだけでいいのだろうか。

 それこそ、大人の世界の勝手な都合であり、大人になってからの自分が、ここで批判できるような人間だったのかと言われると、何ともいえない。ただ、大人の理屈が分かったうえで、子供の頃の環境になってみれば、その矛盾と理不尽さに、自己嫌悪に陥ってしまうだけのことがあるだろう。

 ただ、警察というのはそうはいかない。人の生き死にに直接関係しているのだから、警察には責任がある。いわゆる、

「治安を守る」

 というものだ。

 ただ、昔のような治安維持になってしまわないようにしないといけないというところで、いわゆる落としどころが問題と言ってもいいだろう。

 昔の治安維持、それは、自分たちがまったく知らない時代のことで、戦前と呼ばれる時代である。

 その時代は、今とまったく違った国家で、憲法すら別であり、

「まったく違う国家」

 と言ってもいいだろう。

 何しろ、政治体制の根本が違っているのだから当たり前のことで、今の世の中は、

「立件民主主義」

 と言われるもので、戦前は、

「立件君主国」

 だったのだ。

 立憲というのは、読んで字のごとく、

「憲法に則った国家」

 という意味である。

 民主主義というのは、主権は国民にあり、国民の総意で政治が行われるというものだ。逆に君主というのは、国家元首は一人、君主と言われる人で、ただし、憲法の規定にある以上の権利を有しない。ただし、国家を担うに十分な君主としての権利は認められていて、かつての日本は、

「帝国」

 だったのである。

 その君主というのは、天皇のことで、天皇がある程度のことを決めることができるのだが、政治家を引退したいわゆる「元老」と呼ばれる人たちの意見を受け入れて、天皇が決定するというやり方を呈していた。

 これが、いわゆる立憲君主というのだが、かつての日本は、その天皇を神のように祭り上げ、軍事国家としての道を歩むことになる。

 だからと言って、当時の天皇の取り巻きがすべて悪いというわけではない。中には、

「君側の奸」

 と言われる、天皇の側近という立場で、私利を貪っている人たちもいただろうが、ほとんどは、国家のために考えて、憂いている人がほとんどであったと思う。

 そういう意味では、今の令和の時代の政治家などは、そのほとんどが、私利私欲を貪っていて、

「国民のため」

 などと言って、欺いている人のどれほど多いことか。

 国民の命を危険に晒してまで自分の政権を維持したいと思う連中や、自分の私利私欲を行った代償に自殺した人まで出たのに、

「知らぬ存ぜぬ」

 を決め込んで退陣することもなく、君臨していたやつまでいた。

 そんな連中が今では国家元首と呼ばれる人たちなのだから、昭和の動乱を生きていた人間が見れば、どう思うことだろう。軍事裁判に掛けられて処刑されていった人から見れば、死んでも死にきれないと思っていることだろう。

「こんな国家にするために、自分たちは人柱になったのではない」

 と言いたいことだろう。

 処刑された人は、全員が潔かった。事実を述べ、決して自分を擁護することはなかった。彼らが死んでいったのは、きっと平和な世界を夢見てのことであろう。

 その平和な世界が、果たして今の世界なのだろうか。なるほど、戦争というのは、それ以降起こっていない。しかし、国家内部が平和だと本当に言えるのだろうか。彼らが夢いて死んでいったその国家がどんなものだったのか、実際に聞いてみたいものである。

 確かに戦争を犯すことは愚の骨頂であるが、その時代を実直に生きた人たちの精神までも否定することは許されないと思う。あくまでも、昭和、平成を生き抜いてきた人間が思うことであり、今の若い連中には決して分かろうはずのないことだろうと思うのだ。

 話は逸れてしまったが、河原から見た工場の光景を、大学生の頃に思い出して、

「懐かしい」

 と感じたのは、時間的には十年ほどしか経っていなかったのに、今から大学生のその頃を思い出すと、本当に同じくらいのイメージでしかなかった。

 社会人になってから、どんなに毎日が薄いものだったのか、逆に小学生、中学、高校時代が、そんなにも濃いものだったのかと言われると、どちらもそうでもない。同じ一日は同じ一日にしか過ぎないのだ。

 それを分かっているからこそ、長い目で見た時、かなり歩いてきたと思った道を初めて振り返ると、まだ、ほとんど進んでいなかったという錯覚に陥る時と似ているのかも知れない。

 そういう意味で、時間と想い出との感覚は、矛盾したものなのではないかと思うのだった。

 工場の煙突から見える煙は、煙というよりも、もやを出しているに過ぎなかった。学校で習った国語の文章には、

「家の近くには工場があり、その煙突からは、白い煙が空に向かって、一本まっすぐに昇って行った」

 と書かれていたが、まったく違った光景に、教科書に書かれていることがウソだと思っていた。

 一つのことでウソがあると、それ以外の表現も信じられなくなり、同じ光景であったとしても、

「ただの偶然にすぎない」

 としか思えなくなってしまったのだ。

 だけど、煙突が一本であれば、煙は普通に上に向かって伸びていることは分かっていた。それは風呂屋の煙突も近くにあったからで、風呂屋の煙突は、キレイに空に向かって煙を噴き出している。

「モクモクと」

 という表現がピッタリである。

「会場」に行く途中に戦闘があった。今だったら、実に珍しい日本家屋の建物に、入り口には二つの暖簾が掲げられていた。男湯と女湯と書かれている。家の近くの銭湯には何度も行ったことがあったが、入ってすぐの場号の書かれた靴のロッカーも今では見ることのできないものだ。ただ、温泉などにいけば、昔の銭湯を模したようなところもあるだろう。木でできたロッカーに、木のキーがついていて、差し込めば、まるでカラクリ仕掛けであるかのように、カチッという音とともに、カギがかかる仕掛けになっている。番台と呼ばれる少し高いところから、男湯と女湯の脱嬢が見える仕掛けで、中には常連の中には、女湯の脱衣場を覗こうとする輩がいて、番台のおばちゃんから、注意されていた。

 と言っても、基本的には常連なので、きつい言い方はしない。お互いに挨拶のようなものだというだけだった。

 脱衣場で、一番覚えているのは、奥にある冷蔵庫に冷やしてある。コーヒー牛乳である。湯上りの身体と喉には、コーヒー牛乳がよく似合う。腰に手を当てて、グイッと飲み干すのが、当時のトレンディーであった。

 さすがに中学くらいになると銭湯にもいかなくなったが、洗面器に書かれた、

「ケロリン」

 という文字、そして、浴槽の向こうのタイルに描かれた見事な富士山。それが銭湯の代名詞というものだった。

 今ではほとんどみることのできない銭湯だが、その懐かしさは、そんなに昔のことだとは思えない。やはり、シンボリックなものがたくさんあれば、思い出がかすむということはないのだろう。

 そんな銭湯を横目に見ながら、行ったところに会場があったのだが、会場は前述のようなロールケーキを半分にしたような建物の中にあった。

 その建物は想像にたがわず、中は体育館、及び、講堂になっていた。

 奥には一段も二段も高くなっている演台があり、そこでm演劇であったり、講演会のようなものがあるのだろうが、その日訪れた場所は、完全にフリートークの場所になっていた。

 宗教団体だということで覚悟の上で乗りこんでいったので、壇上から、教祖と思しき人物がお偉い講義を施すのではないかと思っていたが、どうもそういうことではないようだった。

 友達に連れていかれたサークルは、数人が輪を作っている集団が、十個くらいあるだろうか。人数としては、五十人くらいなのだが、皆がそれぞれの集団を形成していることで、見た目にはもう少し少ない人数に思えたのだ。

 会場の広さは、人数に比べて思ったより広かった。その分、人が多く見えたのであろう。

 会場にそのまま座るとさすがに足が痺れてしまう、こたつ布団の敷布団のようなものを敷いて、足の板さを防いでいるようだったが、さすがにじっと座っているには限度があるようで、奥の方を歩いている人がいた。人数よりも広めの会場になっているのは、そういうことなのだろう。

「どうですか? ビックリしたでしょう?」

 と友達が座ったところにいた人から声を掛けられた。

 背広を着ているので、サラリーマンであろう。他の人は、女性が多く、男性は学生の友達とその人の二人であった、後の四人は女性だったが、一人は主婦っぽくて、後の三人は学生であろうか?

「あなたがこのグループのリーダーですか?」

 と聞くと、彼はニッコリと笑って、

「いいえ、ここにはリーダーと呼ばれる人はいないんです。皆さん平等ですからね。ただしいていえば、年齢が上の人が人生建研が豊富だということで、代表として、グループの中にいるという感じでしょうか?」

 と言っていた。

 最初聞いた時、

――代表もリーダーも変わらないじゃないか――

 と思った。

 言い回しを変えただけでの同じもの、それを思うと、

――彼らの口車に乗らないようにしないといけない――

 という思いを持ち、最初から挑戦的だったように思う。

 そんな久則をメンバーがどう思っていたのか、誰も態度を変えようとしない。説明も誰かが代表してするわけでもなく、自然と誰かが口にするのだ。そんな時、他の人が口を挟んだり、一緒に声を挙げるということはない。まるで示し合わせたような状態に、普通であれば、信じられないように思えた。

 確かに、久則は人との会話が苦手だということもあって、集団行動は嫌いだった。特に小学生の頃に毎年のようにあった、音楽会、運動会、さらには学芸会と呼ばれるものは、そのどれもが嫌いだった。

 特に嫌だったのは、日曜日を潰されることであり、いくら平日に休みになるとはいえ、一週間にリズムが壊れるのは嫌だった。

 ただ、それよりも何が嫌だと言って、リハーサルという名の予行演習を何度もしなければならないことだった。

 どれもが、言葉では表現していないが、すべては、

「発表会」

 なのだ。

 芸術的なことを発表会として、父系に見せる。まるで、

「お子さんを学校で教育して、発表できるくらいに仕上げましたよ」

 と言わんばかりのことで、生徒の発表というよりも、学校の威信が掛かっているということであり、そういう意味では発表会よりもむしろ、最初の行進であったり、整列などの見事さを見せつけたいがためのものではないだろうか。

 さすがに小学生でそこまで考える子供はいなかっただろうが、久則は感じていた。

 それだけ、リハーサルというものに疑問を感じていたし、それ以降、リハーサルのいるものは毛嫌いしていた。

 だから、演劇であったり、音楽は大嫌いだった。音楽は前述の通り聞く分には問題ないのだが、実際にやらされるとなると嫌だった。予行演習があるからだ。

「どうして皆、リハーサルが嫌だって言わないんだろう?」

 と思っていた。

 自分がこれだけ嫌なんだから、リハーサルが好きな人などいるのだろうか?

 芸能人は自分の発表に必要なリハーサルなので、それなりにプライドを持ってできるのだろうが、どこまでリハーサルというものに妥協するかとしか思っていないとすれば、やはり自分の考え方が間違っていないような気がした。

 だが、一度、放送局に行った時、舞台のリハーサルを見たことがあったが、自分の考えが間違っていたかと思うほどに皆真剣にこなしていた。だから、プロである彼らには必要なものとしての認識があるので、一生懸命にできるのだろう。

 しかし、小学生である生徒は、自分たちが望んだことではなく、学校から勝手にやらされているのだ。

「これも集団行動ができるようになるための訓練のようなもの」

 と先生はいうかも知れない。

 しかし、やりたくない生徒まで巻き込んで、リハーサルをやらせるというのは、子供として合点がいかなかった。

「小学生なんだから、そんなに細かく考えなくてもいいから、先生の言うとおりにしていなさい」

 と、一度、リハーサルの愚痴をこぼした時、そう言われた。

 言い方としては、優しいものだが、

「やるというのは決まったことなんだから、あれこれ言わずにやればいいんだ」

 ということであろう。

 一体何が楽しいのか、まったく分からない学校行事、授業も面白くもないのに、何を学校の中で楽しめばいいというのだろう。それこそ、

「学校で好きな時間は?」

 と訊かれて、

「給食」

 と即答するしかないだろう。

 そんな子供の頃を思い出すと、今の社会がどれだけよくなったというのだろうか?

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