第3話 駅前の喫茶店
大学を卒業してから、福岡に移り住むことになったので、もう関西に行くことはほとんどなくなってしまったが、野球観戦というのが、学生時代の、そして関西の想い出として、結構強く残っているものであった、
ただ、印象に深かったのは、大学の頃に阪神が優勝したことだった。十九年ぶりということでかなりの賑わいだった。
「カーネルサンダースの人形を抱いて、道頓堀川に飛び込む」
というのが、恒例になったからか、福岡でホークスが優勝した時も、ファンが、カーネルサンダースを抱いて那珂川に飛び込むという光景があったくらいだ。
ホークスも福岡の球団としての優勝は何年ぶりだったのか、その熱狂はすごいものだった。
だが、やはり関西の応援はまったく違う。
いや、途中から野球を見る年齢層と、野球を見る観戦模様は、まったく変わってしまったというのもあるだろう。
昔は、今のように女性ファンなどほとんどおらず、統制の取れた応援などもなく、せめて、鉦や太鼓による声援があったくらいだろう。途中から、エレクトーンであったり、トランペットなどの楽器が使われるようになったのは、高校野球の影響であろうか。ハッキリとは分からない。
本当に昔の応援はシンプルで、ちょっと気になるのは、サラリーマン風の人たちが背広を着て、ビール片手に、ヤジを飛ばしていることだった。辛辣なヤジも結構あり、
「本当に下品だな」
と思った記憶もあるが、それも今は昔、見ていると結構楽しそうに見えていた。
あくまでも今から思えばということであり、それだけ野球観戦もイメージが変わってしまった。
女性ファンが増えたのはいつ頃からのことであろうか?
それまで女性ファンが野球を見に来るというと、ファンの選手がいたり、彼氏が野球好きで、デートの一環できていたりという程度しか思いつかないが、今では女性ファンが一人でも見に来ていたりする。何が変わったというのだろう。
最近ではドーム球場も増えてきて、昔のような雨で中止であったり、雨の状況を見ながら作戦を考えたりといろいろあったが、そのあたりも今はないので、安心して見て居られるのだろう。
ただ、昔の観客と今の観客の違いを挙げろと言われると、
「今は、あまり野球を見ていないような気がする」
と思うのは、自分だけだろうか。
外野席の応援団の近くで、統制された応援を形成しながら、ビール片手に叫んだり、メガホンを叩いたりしている。正直、外野からでは、ほとんどよく見えない。昔の球場みたいに、内野席からであれば、ベンチの上くらいから見えるので、バッテリーを中心に、内野を見ていると、いかにも野球を見ていると思うのだが、外野からではそうも思えない。だから、野球を見る時は、内野席に入るようにしていた。フィールドもよく見えるし、応援席を外から見ると、それはそれで綺麗に見えるからだった。
久則が福岡にやってきてから、ホークスが福岡に球団を持った。昔のライオンぞの本拠地、平和台球場である。
約十年ぶりくらいに誕生した地元球団にファンは熱狂したが、その頃から、応援が様変わりしたような気がした。トランペットなどの応援も、選手の応援歌が決まっていたのもちょうどその頃からではないだろうか。
同じパリーグでも、在阪球団の野球を見に行くのとでは、観客動員がまったく違った。地元球団ができたことで、それまでのパリーグの観客動員数の中でも上位を占めるようになり、野球を最後まで見ていると、帰りがごった返してしまい、天神の駅まで歩くだけで、人の飲まれるようであった。
そのため、試合を七回くらいまでしか見ずに帰ることが多かった。学生時代と違い、翌日も満員電車に揺られての出勤が待っているからだ。野球場を出た頃から、もうすでに翌日の仕事モードに頭を切り替えなければいけなかった。
そういう意味もあってか、学生時代の頃の野球観戦に比べて、数倍疲れることが分かってきた。
しかも、関西の球場の内野席に比べて、平和台球場の内野席の料金は高かった。それを思うと、学生時代の頃のように、野球観戦が趣味だといって、そんなに何度も足を運べるものでもなかった。
さらに、応援が様変わりしてしまったことで、何か野球観戦熱も冷めてしまったようだった。
あれは、大学二年生の頃だっただろうか。大学でできた友人も、野球観戦が趣味だということで、よく一緒に見に行った人がいたが、その人から、
「一度、会ってほしい人がいるんだけど」
と言われたことがあった。
「どういうことなんだい?」
と聞くと、
「人って、自分が何かに悩んでいると思いながらも、漠然としているため、何に悩んでいるかということすら分からない人が多いと思うんだよ。そういうことを研究している人で、話を訊くとためになると思うんだけど、もし、よかったらでいいので、その人の話を訊いてみないかい?」
ということだった。
それは一種の宗教活動の一環ではないかと思ったが、当時はまだ、宗教団体による決定的な事件などが社会的なニュースになっていない時代だったので、怪しいと思われることでも、比較的宗教団体にとっては、勧誘しやすい時代だったのかも知れない。
もちろん、相手も自分たちが宗教団体であることを言わない。
時代的にも、自分が何者なのか分からないというような漠然とした悩みを、
「本当に悩みだと思っていいのか?」
という何となく矛盾したような悩みを持った人が多かったような気がする。
そんな人であれば、
「ちょっとくらい話を訊いてみるくらいはいいだろう」
と思うのだった。
大学の近くにある喫茶店、もっとも大学の街と言われるところだったので、駅前には大学生相手の喫茶店が軒を連ねていた。
その中で久則が好きだったのは、クラシック喫茶と言われるところであった。
その店は、マスターのこだわりから、店内には所狭しと、クラシックのレコードが並べられていた。
当時はまだ、CDなるものが普及していない時代であり、レコードにカセットというのが、主流だった。ステレオを一式揃えると、結構な値段にもなり、レコードプレイヤーにカセットデッキ、アンプにスピーカーのついたステレオというと、相場が二十万円くらいではなかっただろうか。
さしがにそれだけを買うお金はないので、バイト代から、一つずつ集めて、一年ほど経って、一式をそろえることができるほどになっていた。
そんな時代なので、クラシック喫茶には、数多くのレコードが並んでいて、好きなものを客がチョイスして、BGMとしてリクエストできるシステムになっていた。
もちろん、サービスであり、お金がかかるわけではない。当時はロックやポップ調の曲の中でもユーロビートが流行っていて、クラシックのファンがそんなにいるものかと思っていたが、結構店はいつも満杯で、そのくせ、自分が入る余裕がないほどではなかった。
「結構常連さんが多いからね」
とマスターが言っていたが、いつも同じくらいの人なのは、それを聞いて納得したものだ。
といっても、久則もその常連の一人なので、人のことはいえなかった。
そんなクラシック喫茶で知り合ったのが、その時、話を持っていた友達だったのだ。
クラシック喫茶は、店内は薄暗く、客の顔を確認できるほどのものではなかった。クラシックという性質上、暗い演出がよかったのだ。
しかも、ソファーはフカフカで、睡魔を誘う。クラシックの音楽が余計に眠りの世界に誘っているようで、店の中で寝ている連中も結構いるのが特徴だった。
久則もよく眠ったものだ。就職を食べた後の、
「食後の一杯」
のつもりで入ったのに、気が付けば夕方近くになっているというのもよくあることで、店内は確かに全体的に暗くはしてあるが、その席ごとにスポットライトはついていて、本を読む人などは、スポットライトをつけて、読んでいた。
久則も本を読む時はソファー席に行くことも多い。普段マスターや他の常連客と話したいと思う時は、カウンターに座っていた。
どちらが多いかと言われると、
「半々くらいかな?」
としか言えなかった。
本を読みたい時と、人と話したい時、つまりは一人がいい時と、一人になりたくない時の比率が自分の中で半々だったということなのだろう。
だが、自分としては、カウンター席に座ったことの方が多いように感じているのは、やはり人と一緒にいる時は自分だけの感覚でいられないだけに、印象はそれだけ深いものだったと言えるのではないだろうか。
それを思うと、この店に来る意義が時々分からなくなることがある。
「一人でいることの方がこの店らしくていいのに」
と思っているのは、クラシックの奏でる演奏と、コーヒーの香ばしさが実に合うと思っているからで、それが優雅でゆとりのある時間を与えてくれることが分かっているだけに、この店に来る時は、普段の大学生とは違った気持ちになれたのだ。
「いや、これこそ、本当の大学生の姿ではないのかな?」
と思って入ってきたはずなのに、いつの間にかそうではなくなっていたというのは、ある意味大学というところの、魔力のようなものがあるのかも知れない。
基本的に一人でいることが好きだったはずの久則が、大学時代だけは、なぜにあんなに人と一緒にいる時間を大切にしようと思ったのか、高校時代までの自分が、よほど暗くて、孤独を味わってきたのだと思ったからではないだろうか。
それは、何かの呪縛のようなものに雁字搦めにされたかのように思っているからなのかも知れない。
「大学に入ったら、友達をたくさん作りたい」
と思ったのは、高校生の頃までの時間を取り戻したいいという意識があったからに違いない。
そんなクラシック喫茶に最初に入ったきっかけは、やはり、
「ゆとりのある時間を過ごしたい」
という思いがあったからだろう。
では、ゆとりのある時間とはなんだろう?
高校時代まで、いつも孤独を感じていたこともあって、一人になるのが怖かった。だから、大学の入学式の日から、積極的に人に話しかけ、友達を強引に作ってきた。
会話の内容などは、どうでもよかった。逆に些細な会話の方が楽しかったと言ってもいいだろう。意味のない会話の方が、後腐れなくていいように思えた。不思議なことに、些細な会話の方が覚えていたりするもので、覚えているというよりも、ちょっとしたきっかけですぐに思い出すと言った方がいいだろう。
会話というものが、どんなものなのか、その時初めて分かった気がする。
まずは、時間を感じさせないということ。これは高校時代に集中して勉強している時、それが身についたと自分で感じる時は、実際には三時間くらいの勉強時間であっても、感覚的には一時間も経っていないという感覚であった。それが集中しているという証拠であると気付いたのは、大学入試に成功した後のことだった。勉強をしている時は、無我夢中で、そんなことを考えている余裕などなかったに違いない。
さらに会話をしていると、相手のことを信じることができる気がするようになるということであった。それまでは、
「人をあまり疑ってはいけない」
という思いがあったのは、孤独を怖いものだという意識が潜在的にあったからなのかも知れない。
人をあまり信じ込みすぎるのがいいのか悪いのか、その頃には分かっていなかったが、信じてみようと思える人がいないというのも、孤独の恐怖の一つではないだろうか。会話ができる相手ができるというだけで、充実した気分になれるのは、いいことだと言えるのではないだろうか。
大学生になってからというもの、毎日のように友達を増やしていった。
その中には、まったく想定外のことを考えている人もいて、
「俺、変わり者だから」
と言って笑っている。
高校時代であれば、顔を背けていたかも知れない相手なのに、大学に入って知り合ってみれば、
「自分の世界が色がったような気がする」
という、正反対の考えを持つようになった。
「これをポジティブ思考というんだろうか?」
と思ったが、まさにそうだろう。
高校時代がネガティブだったと、ハッキリ言えるほどの意識はないが、孤独というもの自体にネガティブな要素があるとするならべ、
「孤独を二度と味わいたくない」
と思うのも当たり前のことだろう。
大学生になって、できるであろう友達は、
「自分と同類の人ばかりなんだろうな」
と、思っていたが、実際にはそうではなかったようだ。
自分の知らなかった世界を広げてくれる相手ばかりだったのだが、その時には友達の本質というものを知らなかったのだ。
勢いに任せて友達を作りまくってはみたが、その中での本当の友達というと、そんなに多くないことに気が付いた。
では、一体どういう人が本当の友達なのかということを考えていると、
「やはり最後には同類と思しき人ばかりになってしまう」
と感じた。
その理由は、
「世界が広がったと言っても、自分から足を踏み入れたわけではなく、相手が示してくれただけのものなので、結局は自分が入り込むことはない。軽い気持ちで入り込もうとすると、せっかく相手が広げてくれた世界だったはずなのに、足を踏み入れると、まるで電流が走ったかのように、ビックリさせられ、高圧電流によるバリアが敷き詰められているかのように思えるのだった」
と感じることだった。
だから、友達ができたと言っても、顔見知りという程度の連中まで友達と言っていいのだろうかと思うと、実際の友達は、想像以上に少ないということに気づくまで、少し時間が掛かった。
小学生の頃、芸術的なことをすべて諦めてしまったことを思い出していた。特に一番最初に諦めたのが音楽だったことを思い出すと、今になってクラシック喫茶にゆとりを感じるというのも、何かおかしな気がしてきた。
だが、考えてみると、小学生の頃に諦めた音楽というのは、自分で楽器を奏でることであり、そのために楽譜を見ることだった。むしろ、クラシックなどの音楽を聴くことにはまったく抵抗がなかったということを、ふとしたことでもなければ思い出さないようになってしまったのはどうしてだろう。
だが、いまさら遅いのかも知れないが、小学生の時にもう少しだけでも、楽譜を勉強したいと思ったり、楽器を弾くことに抵抗がなければ、いまさら遅いなどという考えはなかったかも知れない。
それでも、クラシックを、ゆとりと思えるようになったのは、クラシック喫茶のおかげだと言ってお過言ではない。
クラシック喫茶を最初に見つけたのは、自分ではなかった。
「あそこに白壁に黒い珊さあるようなモノクロのムード漂う喫茶店があるんだけど、行ってみようか?」
と誘われたのが最初だった。
友達はクラシックに造詣が深かったわけではなかったので、二、三度一緒に来ることはあったが、常連になることはなかった。だが、久則は、
「大学に入ったら、常連の店をいくつか作りたいな」
と思っていたこともあり、クラシック喫茶がその筆頭であった。
元々、落ち着いた店を常連にしたいという思いもあった。常連になる店は、常連同士仲良く会話ができて、しかも、会話が弾むような店を探していたのだが、この店では沢が数ことは厳禁だろうから、一人でゆっくりと佇む時に使ったり、本を読む時に使ったりできる店であることに違いはない。
ただ、気になったのは、
「こういうこだわりのある店の店主というものには、偏屈な店主というのがお決まりではないか?」
ということであった。
しかし、この店のマスターは、そんなことはなかった。こだわりは確かにあるのだが、偏屈ということはない。
こだわりのある店には偏屈な店主が多いという思いは、料理屋などにあることで、店主のいうことを聞かない客を追い出すというのをよくドラマなどで見ていたからに違いなかった。
「店主にこだわりがあるなら、客にだってこだわりがあるというもの、客のこだわりを無視する店主って、一体なんぼのもんしゃい」
とばかりに思っていた。
客にだって好き嫌いはあるし、自分の好きな味にしてもらおうと考えるのは当たり前であり、何と言っても、お金を払うのは客ではないか、お金を払うからと言って、すべてに優先するとまでは言わないが、お金を取っている方の言い分を一方的に押し付けるというのはいかがなものだろう。
それでも、おいしいからと言って、店主のわがままを我慢している客もいるようだが、久則は絶対にその考えには従えない。
「お金を払ってまで、何を我慢するというのか」
ということである。
そんな店には二度といかないと思っている。もし、自分が嫌ではない押し付けであっても、店側から客を強制するようなことがあれば、即座に退店するようにしている。
まだそれほど忙しい時間帯でもないのに、一人で店に行った時、
「カウンターにどうぞ」
と言われたら、即座に退店する。
言葉には出さないが、
「勝手に店の都合だけで決められるのは、容認できない」
と思っているからだ。
だから、久則はランチタイムの時間をわざと外すようにしている。しかも、十二時前ではなく、一時半を過ぎてから行くようにしている。
なぜなら、客の波が終わって、客が減ってきたのが明らかに分かっている時間帯で、そこで客に訊かずに、勝手に店側で咳を強要するようなところは、問答無用で、嫌な店だからである。
だから今でもずっと、
「客が店に対しては絶対なんだ」
と思うようになったのだ。
それがわがままであると他の人がいうのは分かっているが、本当にそうであろうか、そんなことをいう人も本当は、
「わがままなんかじゃない」
と言いたいのかも知れない。
しかし、それを言ってしまうと、大人げないと言われてしまうことに懸念を感じ、それが自己嫌悪を誘発するのであれば、最初からわがままだとして諦める方がマシだと思うのだろう。
そんな思いをしたくないと思っているのが、久則であった。
久則は、
「後で後悔するくらいなら、その場でまわりの人から疎まれてもいい」
と思う方であった。
そんな思いをまわりの人が、
「あいつは我慢できないタイプのやつだ」
と言っているであろうことも分かっている。
それでも、その時の自分の気持ちにウソをつくことは、我慢できるかできないかという発想と、次元が違っているのではないかと思うのだった。
だから、第一印象を大切にする。
将棋の世界の話だが、
「一番、隙のない布陣というのは、どういう布陣なのか分かるか?」
と訊かれて、
「分からない」
と答えると、質問者が、
「それは、最初に並べた形なんだ。一手指すごとにそこに隙が生まれる。だから、最初の布陣は考え抜かれて編み出した布陣なんだろうね」
と言っていたのを思い出した。
これも、一種の第一印象。そこから何かを考えるということは、隙を与えることにもなる。最初が一番の布陣だという考え方は、危険であるかも知れないが、中途半端で正解が分からないで終わるよりもマシではないかと久則は考えていた。
そんなことを考えていると、
「俺みたいな考えって、強引なのかな?」
と思うようになった。
たぶん、自分のような考え方をする人ばかりであったら、世の中は成り立たない。
そもそも、磁石の同極が反発しあうようなものではないか。
ただ、それも、自分が何かを生み出すことに喜びを感じる素質のある人間だからこそ感じることではないかと思うようになったのは、それからかなり経ってからのことだった。その頃に、またしても、子供の頃に芸術に親しめる機会があったにも関わらず、簡単にあきらめてしまったことに後悔がよぎる。
「頑固で偏屈な考えの人に芸術家が多い」
という考え方と、
「芸術家には、頑固で偏屈な考え方をする人が多い」
という考え方、言葉の順序を入れ替えただけだが、ニュアンスとしては若干違っている気がする。
前者の方が柔らかい物腰のように言葉だけでみれば感じるが、抑揚をつけると、後者よりもかなり厳しく聞こえてくるような気がする。それというもの。前者の方が、芸術家というものを攻撃する気持ちが強いと感じるのは、主語としての力が強いように感じるというのは、久則独自の考えであろうか。
ただ、この考えも漠然と考えた時と、ふとした時に思いついて考える時とでは、かなり違っている。ただ、久則の考えでは、そのどちらも、柔らかい物腰に感じる。久則は十中八九、芸術家には偏屈がほとんどだと思っているからだ。
逆にいうと、
「頑固で偏屈な人間でなければ、芸術家にはなれない」
という意味で、むしろこの思いがあるから、頑固で偏屈な人間を、ある意味尊敬できるのではないかと思うのだ。
自分が頑固で偏屈な人間だと思うのは、
「後になって後悔したくない」
という思いがあるからで、だから、自分なら芸術家に近づけると思った。
そういう意味で小学生の時、芸術に対して、早めに見切りをつけてしまった自分を、
「もったいない」
と思うのだ。
音楽鑑賞が好きになったのは、その気持ちが強いからなのかも知れない。
「一度、会ってほしい人がいるんだけど」
と、声を掛けられたのは、そんなことを考えている頃でもあった。
芸術に関しての何かをまた始めたいという思いを持ち始めていたが、何をどうしていいのか分からない。考えてはいるのだが、最初の一歩が分からないのだ。
何となく引っかかっているのは、
「将棋の最初に並べた時の布陣」
ということだった。
クラシック喫茶の数軒先に、外観が赤レンガに包まれた喫茶店があった。その店も何度か行ったことがあったのだが、そこは、モーニングサービスを食べるにはちょうど良かった。
駅前ということもあり、その店は、他の店に比べて開店が早かった。朝の六時半から開店していて、七時には店内の半分くらいを客が埋めている。さすがに朝の七時頃というのは学生よりもサラリーマンの方が多く、モーニングを食べてからの出勤者であった。
朝の八時くらいが店の客のピークであろうか、テーブル席はほぼ満員であった。
その店もモーニングが終わる十時半くらいには、客足はほとんどなくなっていて、どちらかというとコーヒー専門店の様相を呈しているので、ランチタイムにランチメニューを提供はしていない。モーニングサービスの時間だけは特別ということであろうか。
トーストにハムエッグ、レタスにトマトには、シザードレッシングが掛かっている。
「コーヒーが美味しいから、モーニングも特別な味がするような気がするんだよな」
と常連客は言っているようだ。
さらに、この店は夕方も結構人が多い。昼下がりのマダムと呼ばれる人たちがやってきて、今でいう、
「女子会」
のようなことをしているようだ。
そんな時は、コーヒーとケーキのセットを頼んでいる。ケーキはこの店の自家製であり、コーヒーと両輪の人気を誇っているのだ。
そういう意味でこの店は、モーニングの時間と昼下がりは賑わっているが、意外とそれ以外の時間はゆったりとしている。この店にも常連の客が多く、ちなみに、ここでの常連というのは、一人での来店を差していて、いくら定期的に来るとはいえ、女子会のようなマダムたちはここでの常連には含めていない。
常連さんのほとんどは、モーニングの時間と、昼下がりは外している。昼前に来る客もいれば、夕方以降に来る人もいる。
ほぼ来店時間に差はないが、一人で来てからコーヒーを飲みながら、店においてある新聞や雑誌を見る人か、文庫本を持参で本を読んでいる人が多い。中にはマスタと話をするのを目的に来る人もいるが、その人がいない時は、ほとんど店内は静かなものだった。
久則がこの店に来るのは、やはりモーニング目的が多かったのだが、それ以外には昼前が多いだろうか? 本を読みたい時がほとんどなのだが、なぜクラシック喫茶に行かないかというと、理由は単純で、眠くなってしまうからだった。
ただでさえ、ゆったりとしたソファーに、BGMがクラシック、暗い店内にスポットライトが当たっている席で、小さな文字の文庫本を読むのだから、睡魔が襲ってくるであろう条件をすべて揃えているのだ。
その日の約束は、午前十一時だった。その日、朝から一時限目が語学の授業で、それから二時までは授業がなかったことから、ちょうどよかった。
実はその日も朝から、その喫茶店でモーニングを食べていたので、
「本日二度目のご来店」
ということになった。
これも別に珍しいことではない。朝モーニングを食べて、本を読みに来るというのも、日常茶飯事と言ってもいい。ただこの日は二回目の来店の主旨が違っていただけだ。
そもそもこの店は駅前という立地も影響してか、待ち合わせに使う人が結構いる。久則もそれまでに何度も待ち合わせでこの店を利用したが、自分からこの店を指定することは珍しかった。
いつも相手に指定されるのだが、一番多かったのは、以前に付き合っていた女性だったのだ。
ここの駅を利用する大学生は、久則の大学だけではなく、女子大が二つ、そのうちの一つは薬科大学だが、さらに、短大が一つあった。少々遠いが、商船大学の学生もこの駅を利用する人も若干いたりした。
皆パッと見、どこの大学生か分からないが、女子大生に関しては、ファッションなどから、どこの女子大生なのか、ピンとくるという友達もいた。ちょっと気持ち悪い気もしたが、これも一種の能力のようなもので、それだけ他人への観察眼が鋭いということなのだろう。
「その能力を他のことに使えばいいのに」
と苦笑してしまう久則だった。
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