第9話 見えざる敵
警察に到着すると、そこには辰巳刑事が待っていてくれた。
「わざわざすみません、こちらからお伺いしましたのに」
と辰巳刑事がいうと、
「いえいえ、私もこちらに伺った方がいいと思ったので来たんですよ。直接お話したいこともありましてね」
と、高木明子はそう言った。
その時の高木明子は、最初に見た時とまったくの別人のようだった。何があっても、ビクビクしていて、まわりばかりを気にしていて、もし、彼女の名前でも呼ぶものなら、そのまま数十センチ後ろに飛ぶように後ずさりするのではないかと思えたほどだった。
あの時の高木明子を見ていると、
――まるで、以前にも似たようなことがあったような気がするな――
と感じていた。
それは、自分が刑事になりたての頃だった。あれも確か殺人事件で、当時の門倉刑事が解決した事件だったと思うが、マンションで起こった事件だったので、まわりの野次馬が多かった。そんな中にまだ中学生くらいの女の子が怖がりながら、じっと見ていたのを思い出した。
その子は、怯えたような目をしながらも、じっと辰巳刑事を見つめていた。最初は気付かなかった辰巳刑事もさすがに気になってしまって、
「どうしたんだい?」
と声をかけると、その場から立ち去ってしまった。
しかし、しばらくすると、またその女の子を見かけるようになった。捜査でいろいろなところに行くのだが、そんな辰巳刑事を追いかけているかのようだった。
もちろん、遠くには出没できなかったが、近所での聞き込みや現場に何度も赴いた時などは、彼女の存在が気になってはいたが、気付かないふりをしていた。
さすがに中学生の女の子が事件に関与しているとは思ってもいないが、重要な何かを知っているのだとすれば、聞きださないわけにはいかない。
しかし、近づくと逃げ出してしまう相手に対してどうすればいいのか考えていたが。とにかく、意識していないふりをしながら、意識しているということを、彼女に思わせることで、興味を引いてしまうと、手の届く場所につれてくることができると思い、その感覚で事件を追いかけていた。
実際に、彼女はこちらの術中に嵌ってしまったのか、辰巳刑事に引き寄せられるようになり、まるで催眠術にでもかかったかのように、従順になっていた。
彼女はとても頭のいい子で、事件を自分で見ているだけの情報で、的確に事件の要点を言い当てた。
「この部分が私が気になっているところなんですけど、警察は違った観点で見ていると思うんです」
といいながら、自分の意見を述べた。
辰巳刑事が自由に発言できる環境を与えたからであり。辰巳刑事も彼女の発想を訊きながら、目からうろこが取れた気がした。
実は、辰巳刑事も実にいいところまで事件の核心に迫っていた。だが、最後の結界を超えることができずに、途方に暮れていたのだが、彼女のちょっとした助言が結界をこじ開けてくれ、事件解決へと一気に突っ走ったのだった。
その後、彼女の家庭は引っ越していったので、それ以降は会っていないが、今でも連絡だけはよくくれる。
この間大学を卒業し、新入社員になったということだが、彼女であればどんなところでも十分にやっていけると思っている。
あの子も最初はまだ中学生だった。今はあれから十年近くの歳月が経ったが、今でもまるで昨日のことのように思い出せる。
その子のイメージがこの高木明子の中にあった。彼女が今回もカギを握っているような気がしてならないのだが、やはり、どのように事件を解決していくのか、方針も決まっていない今では、何とも情報が少なすぎた。
ただ、彼女の与えてくれた。
「あの男は詐欺師」
という情報のおかげで、やつの身元はすぐに分かった。名前は、
「坂口伸郎」
という。
どうして分かったのかというと、詐欺被害の届け出を見ていると、その中に坂口の写真があり、殺された男の写真を、詐欺被害者に見せたところ、
「ええ、この男に違いないです」
と言った。
ただ、この男には複数の詐欺被害者がいて、当然ではあるが、名前をいくつも持っていた。
この男は、数人で結婚詐欺をやっていたが、バックに組織が存在するわけではなく、勝手にやっていただけだ。とりあえず目立たずにやっていたので。他の連中から目を付けられることもなかった。ヤバくなったら、行動範囲を狭めればいいだけだったからだ。
ヤバいかどうかの見極めは、それ専用の男がいた。警察でいえば、情報屋に近いのかも知れないのだが、見極め専用の連中は、見極める力がどうしてそんなにあるのか分からないが、実際に警察やその筋の行動を察知するということに長けていた。
「同じ空気を感じているからなのかも知れない」
という人がいた。
同じ空気を感じることで、呼吸や心臓の鼓動迄も感じることができるほど、相手との波長を合わせることができるのだろう。しかも、相手に波長を合わされたことが分からないので、こちらは安全なのだ。
空中戦にて、ロックオンされ、それが分かってしまって逃げられないという状況とは違うので、相手に悟られたと感じさせることもない。
結婚詐欺のウワサがヤバい筋の人たちに察知されたということを、こちらも分かっているので、やつらが近づいてきた時には、完全に気配を消している。
「本当に、そんな連中いるのかよ?」
と言われて、報告した連中は完全に戸惑ってしまい、その能力を生かせなくなってしまったのだとすれば、詐欺グループの警察に対しての貢献とも言えるかも知れない。
だが、それはあくまでも結果論、彼らは自分たちが逃れられればそれでいい。
やるだけのことはやって、気配も残さずにいなくなる。まるで忍者のような連中だったのだ。
それでも被害者はいる。
詐欺行為をした連中は誰なのかということまでは、警察の捜査力なら簡単に見つけることができるのだが、見つけてしまえば、それ以降、まったく見えないベールに包まれてしまって、いるのにいないかのような状態になった。
この気配を消すやり方が、この連中の一番の得意技だった。
「気配を消す」
これは、
「石ころのような存在になることだ」
ということであった。
河原にたくさんの石が落ちているが、それを見る方は、
「たくさんの石」
として一つ一つに注目しない。
しかし、見られる方は、目が合わないように必死に逸らしているのだが、相手は全体を見ているので、一つ一つを意識することはない。だから、いくら気配を消しても同じなのだ。
気配など消す必要のないのに気配を消そうとするのを、
「河原の石」
とでもいえばいいのか、見えているのに、意識に引っかからないというような状態をそう表現してもいいのではないだろうか。
そんな詐欺師連中は、警察から見れば神出鬼没である。
しかし、これが殺人犯のような凶悪犯であれば、簡単に見逃すようなことはしないだろう。
詐欺犯罪というのは、どちらかというと民事に近い犯罪で、刑事罰に関わる問題ではないので、警察は、
「民事不介入」
ということで、一応被害届を受理はするかも知れないが、実際に真剣に捜査することはない。
そもそも、行方不明になった人を警察に対して、
「捜索願」
を出す人が多い。
しかし、警察がいくら捜索願を受理したとしても、真剣に探しているわけではない。まず、
「事件性があるかないか」
これに尽きると言ってもいい。
「何かの事件に巻き込まれた」
あるいは、
「誰かに殺されるかも知れない」
または、
「自殺の可能性がある」
などの場合である。
そういう場合であれば、警察は優先して調べるであろうが、事件性はない、つまりは、
「ちょっとした家出なのではないか?」
と思われることで、余計に騒がないようにしている。
だから、警察に捜索願を出したからと言って、警察が本当に調べてくれているかどうかなどあてになるものではない。
だから、詐欺事件なども、よほどの証拠があって、刑事罰に問えるような事件であり、起訴できるだけの証拠がなければ、警察は真剣に捜査などしないだろう。そのことを分かっている一般市民も結構いるのではないだろうか。
特にやつらは、
「河原の石」
なのだ。
存在感をしっかりと消すことで、いかに自分たちをうまく警察の網からすり抜けさせることができるか、それも彼らにとっては、一つの才能なのであろう。
詐欺事件というものは、被害者が被害届を出しても、詐欺であるという立証をどこまでできるかということが問題になる。
もし、結婚詐欺などで、女性が、
「騙し取られた」
と言っても、相手の男が、
「自分は要求したわけではない。彼女に相談したら、私が出してあげると言ったので甘えただけだ」
と言われてしまう。
たぶん、その通りなのだろう。騙す方は自分から要求などはしない。要求しなくとも、向こうから差し出してくれる人をターゲットにするのだ。その時は、女の方も、
「私が彼を助けるんだ。これは私にしかできないことなのよ」
という相手の自尊心に訴える。
自分だけだという思いに訴えることで、相手に催眠術を掛けたのと同じにさせて、本人たちがいくら詐欺だと気が付いて逆上しようとも、すでに証拠になるものは存在せず、やつらの言う通り、自分たちの自尊心を証明するだけのものしか残っていない。
「気付いた時はすでに遅し」
ということである。
いるはずの人間が目の前から消えていて、今まで自分の中にあった十分すぎるくらいの存在が、まったく消えてしまうのだ。訴える方も相当混乱していることだろう。その混乱は騙す方にとっては実においしい。こちらとすれば、墓穴を掘っていく相手を高みの見物としてしゃれ込めばいいのだ。
「酒の肴としては十分だ」
とでも言いたいのだろう。
やつらにとっての、女の悔し涙は、これほどのおいしい酒のつまみはないというものである。
やつらは、ホストではない。実際ならホストのやり口の方がひどいのかも知れないが、その場合、借金させられた女たちが表に出てこれない状態になるというのを、Ⅴシネマなどでよく見るが、果たして本当なのか、考えただけでも恐ろしくなる。
実際に本当だとして、同じような目に遭っている女性が後を絶えないのであれば、
「世の中には、神も仏も存在しない」
と言わざる負えないだろう。
「騙されるやつがいるから、騙すやつがいる」
と言われるのかも知れないが、それこそ、
「タマゴが先かニワトリが先か」
という理論に結び付いてくるのかも知れない。
つまりは。始まりが分からなければ。終わりも分からないというわけであり、半永久的に続いていくのは、
「騙す人間と、騙される人間」
ということになるのであろう。
人間というのは、その時の心理になってみないと分からないというので、一概に騙される方を悪いとも言えないが、
「騙される人間がいるから、騙す人間がいる」
という理屈になるのである。
彼らは決して暴力的なことはしない。もし、相手が少しでも我に返ってしまうと、計画は水泡に帰すからだ。
彼らはあくまでも市銭に近寄り、自然に仲良くなり、そしていよいよ最高潮の絶頂期になった時、ふっと姿を晦ますのだ。
きっと、女の方も最初は何が起こったのか分からないことだろう。
連絡がつかないのも、
「仕事が忙しいからに違いない」
などと思わせて、相手が微塵も心配することのないほど、普段から寄り添っている。
しかも、二人の関係は誰も知らない。
「結婚する時まで、まわりには知られないようにしよう」
と言って、男も自分の知り合いを決して彼女に合わせることをしない。
「君が他の男に取られるのが怖いから」
と言うので、
「嫉妬してくれているの?」
と女がいうと、男は彼女を抱きしめて、
「そうさ。僕の胸の鼓動が聞こえるだろう?」
などと、実にベタなセリフを、よくも噛まずにいえるものだと思うほど、実に自然であった。
アイドルのような雰囲気でもないのに、どうしてコロッと騙されるのかというと、
「アイドルのような男の子だったら、いかにもホストのイメージじゃないですか。相手だって、いつ我に返るか分からない。彼女たちは、自分をそんなに悪い顔はしていないと自負しながらも、どこかまわりに負けていると思わざる負えないような状況に追い込まれている、と、そう思っている。そこを突くんですよ。自分が思っているほど、いい女ではないということが現実だと感じてきた時が、こっちのねらい目で、その感情と思いのギャップが、目と感覚を狂わせる。そんな時、まわりが見て、お似合いだと思うような相手が現れると、相手はきっと、有頂天になるでしょうね。そんな時、男の方から、女性をおだてる言葉をマシンガンのように浴びせると、自尊心を一気に擽られて、自分はやっぱり自分が思っているよりも、素敵な女性だって思うんですよ。それが正真正銘の有頂天というんじゃないでしょうか? だから、騙される。一度騙されると、少しおかしいと思っても、女というのは、最初に好きになった時のことを思い出すんですよ。だから、自分の勘違いかも知れないと思ったり、もう少し相手を信じてみようと思うものなんです。そうなると、後はこちらの思うつぼ。ほとんど洗脳に近い形で相手の心を蹂躙できるわけです」
と、いう話を後になって詐欺グループが捕まった時に言っていたことだった。
その時はそこまでは分かっていなかったとしても、何となく彼らの考えていることは想像がついた。いかにも自然に、そして普通に、さりげなく。だから、目の前から消えた時も、彼らは、いとも簡単に跡形もなく、女性の前から姿を消すことができるのだった。
そんな詐欺を行っていた男が、殺された。誰に殺されたというのか、心中が十中八九偽装ということであったが、きっと犯人には偽装だとバレても別に構わないという思いがあったのだろう。偽装するにはあまりにも陳腐だったからだ。
だが、それだけだろうか?
偽装がバレることを計算して、その裏に何かが隠れているとすれば、偽装だということを正面から見ているだけで済むと言えるのだろうか。
それを思うと、詐欺グループの解明が待たれるのだが、今のところ、分かっていない。しかし、彼らのように自然で普通のグループは、波風など今まで立っていなかったに違いない。その正体がバレることは、彼らにとって致命的だと言えるだろう。
要するに彼が殺されたことは、自分たちのグループにとっては、アリの巣の一つの穴くらいのものに見えるものが、実は、アキレス腱を切られたくらいの致命的なことではなかったか。
そのことを考えていた辰巳刑事の頭の中で、
「この男を殺す動機としては、復讐もあったのだろうが、この男を殺しただけでは腹の虫がおさまるはずはない。少なくとも、グループの壊滅くらいは見ないと割に合わないだろう」
そう思うと、復讐だけが本当の動機ではないとすれば、この男を殺すことで、それまで均衡が取れていたグループのバランスが崩れて、一気にその正体があらわになり、警察によって、一網打尽にしてくれれば、犯行を犯した人としても本望と言えるのではないだろうか?
それが、辰巳が描いた殺人の動機だったが、そうなると一緒に死んでいた房江は一体どういう役割を演じているというのか。辰巳刑事はまた、考え込んでしまっているところであった。
そんなことを考えているところで、もう一つの殺人事件である、四つ辻側の被害者についての情報g入ってきた。
情報をもたらしてくれたのは、桜井刑事だった。その時に同行していたのが、松阪刑事だったのだが、二人の報告としては、
「被害者は、清水陽介、三十歳。宿帳にあったようにフリーライターだそうです」
という報告に対して、
「じゃあ、彼は本名で職業も正しかったわけだ。つまり何か内緒にしなければならない事情があったわけではなく、普通に宿泊していたわけだね?」
と辰巳刑事に聞かれ、
「ええ、その通りです。それに彼はフリーライターということもあり、最初から何となく胡散臭さを感じていましたが。そんなことはないんです。どちらかというと、彼の記事も彼を知る人間の話からも一貫して悪い話を訊くことはありませんでした。だから捜査をしている中で、彼が殺されるかも知れないというような取材を行っていたというような話も出てきません。彼が取材したかったのは、本当にあの場所にある伝説であった『キツネと天狗の伝説』だったのかも知れませんね」
ということであった。
「じゃあ、滝の近くの祠で発見された心中偽装事件とはまったく関係がないということなのかな?」
と訊かれて、
「いや、それはそうではないようなんです。実は彼は不倫に悩んでいたと言います。その相手がどうやら殺された横溝房江ではないかということだったようなんですよ」
と桜井刑事がいうと、それを訊いた辰巳刑事とそこにいた二人の主婦はビックリするというよりも、
「やはり」
というような表情をしていた。
その時、取り出したのが、房江が高木明子に託した手紙だった。
その内容がついさっき公開され、そこには、彼女の苦悩が書かれていた。不倫相手を名前を書いていなかったが、フリーライターと明記されていたので、その意外性についさっき驚いたばかりだったのだ。
「実は、その時、横溝房江の親友であった女性が、男に騙されて、自殺未遂を図ったそうなんです。いつも自分が清水のことで相談に乗ってもらっていたんだけど、その親友が近くの病院に自殺未遂で運ばれてきた。手首を切っていて、必死で助けようとしたが、出血多量で死んでしまった。その遺書が見つかったんですが。そこには、結婚詐欺に騙されたと書かれていた。それが房江と一緒に死んでいた坂口伸郎だったんです、で、その房江の親友である自殺した女性には、妹がいたんですが、彼女は姉の仇を打とうとずっと坂口を狙っていたと言います。騙されたつもりになって近づき、復讐の機会を狙っていたということでした。そのことが今まで表に出てこなかったのは、それだけ彼女がうまく騙されているふりをしていたんでしょう。きっと、他の女性が騙されていくところをじっと見てきたのかも知れない。相手を安心させて復讐をしようとしていたということに、ほぼ間違いはないようです」
と桜井は言った。
「じゃあ、その女が今回の事件の犯人なんだろうか?」
「いや、それは微妙に違うようです。しっかりとしたアリバイがあり、しかも、彼女には青酸カリという毒を手に入れることは不可能だったんです」
「じゃあ、どういうことになるんだ?」
「これは私の考えですが、彼女は犯罪を清水に頼んだのではないかと思うんです。清水には表に出てはいないが、殺したい相手がいた。その人物を殺すと自分が疑われる、だから、誰かその人を殺してくれる相手を探していた」
「まさか、それって、交換殺人?」
「ええ、そうです。お互いに交換殺人の相手を探していて、お互いに自分のことしか考えていなかった。ただ、少し女性の方がワル賢かった。つまり、男に犯行をさせて、自分は何もしないという計画だったんでしょうね」
「じゃあ、清水が殺されたというのは?」
「これはたぶんですが、横溝房江と不倫していたのは、清水ではなかったか? そして清水は房江絡みのことで、復讐したい相手がいた。そのことを房江が知ってしまったことで、房江の口から、その人に、このまま清水を放っておくとあなたが危ないとでもいったのかも知れない」
「でも、不倫相手なんでしょう?」
「ええ、でも、房江の方で、そろそろ清算したいと思っていたらどうですか? 自分を愛してくれていると思った相手が、復讐のためだけに自分に近づいたと思った時、裏切られたと思いませんかね。だから、復讐を思い立った」
と桜井刑事は言った。
「なるほど、それは言えるかも知れない。じゃあ、この事件は目に見えない復讐劇が二つあり、偶然にも、その復讐を遂げたい二人がそれぞれ、交換殺人を考えていた。そこに、不倫により復讐を考える別の男がいて、事件として複雑に絡んでいたのだが、偶然にも、事件が同じ時に起こってしまったということかな?」
と辰巳刑事がいうと、
「それは違うと思います。確かにこの事件は最初から偶然の積み重ねでしたが、次第に一人の人がシナリオを作って、その通りに事件が動くようになったんです。その人は自分が事件の関係者でありながら、それを隠れ蓑に、後ろから操り、警察の捜査や推理までも、自分の考えに押し込めようとしたのではないかと思うんです。つまり、その人の存在があればこそ、少々変なことでも理解できることもあるんじゃないでしょうか? 例えば心中偽装に見せかけたのもそうです。疑惑を持たせることで、逆に坂口と房江の二人に、見えない関係があったのではないかということを想像させてみたり、清水に犯行を起こさせておいて、他の場所で殺されるという演出をしてみたりですね。同じ場所で死んでいるわけでもなく、しかも、心中疑惑の渦中にある主婦とが不倫をしているなどと思いもしませんからね。それに犯人が、坂口を殺したのが青酸カリだということですね。つまり、青酸カリというのは、そう簡単に手に入るものではないですからね。犯人は青酸カリを手に入れて、それがバレる前に、さっさと病院を辞めてしまった。それも、なるべく疑いがもたれないような正式な理由でですね。だから、青酸カリが喪失したことを、病院側が隠蔽していたんでしょう。殺人に使われたと追求すれば、病院側は簡単に吐きましたからね」
と桜井刑事は言った。
「じゃあ、この事件の黒幕というのは?」
と辰巳刑事は訊くと、
「そう、そこにいる高木明子さんです。あなたが、この事件を裏で操っていた人なんじゃないかと私は思っていますがいかがですか?」
と言われて、最初はオドオドとして、自分が被害者のような顔をした。
しかし、次第に顔色が変わっていき。ただただ黙っていた。
それを見た桜井刑事は、
「そう、その今のあなたの態度が私にとって、一番にあなたを疑うきっかけになったんです。最初あなたは、オドオドとしていたにも関わらず、途中からとってかわったかのように開き直った。私はそれをあなたの開き直りだと思ったんですが、そうじゃない。それがあなたの本性です。つまり、二重人格であり、そのことをあなた自身が自覚していないんです。それが、あなたの動機ではないかと私は思いました。あなたが事件のシナリオを書いて、実践する。あなたは空想作家でありながら、実践作家でもあるんです。書いたシナリオを実践するというジャンルがあるとすれば、あなたは、その先駆者なのかも知れないと感心するほどです」
と桜井刑事にそこまで言われると、
「そうね。ここで私が認めないと、私がプロとして、自分の存在価値を人生の中で唯一実証できる機会を失ってしまうのよね。これも一種のジレンマというのかしら? でも、私はこの結末も実は自分のシナリオの中にあったのよ。つまり私は脚本家であり、演出家でもあり、監督でもあり、主演なの。こんな素晴らしい作品を完成できたことは私の誇りだわ。だから、後悔なんかしていない。犯人が後悔するなんて、見苦しいわ。私は潔いのよ。だから負けたとは思わない。私は勝ったの。誰に勝ったかって? ふふふ。それは私にしか分からないわ」
そう言って、人生で最大のクライマックスを迎えた高木明子は、自らその場で人生に終止符を打った。青酸カリの入ったカプセルを飲み込んだのだ。
これも彼女のシナリオ通り。
そう、彼女の宿泊していた部屋から、遺書が見つかった。しかもその遺書というのは、シナリオ形式に書かれていたようで、刑事の解決場面も、自分が死を選ぶ場面もまるで予知していたかのように克明に描かれている。
「あのオンナ、本当に予知能力があったんじゃないか?」
と辰巳刑事が訊くと、
「あそこまでシナリオが描ける女性だったら、あったかも知れないですね。人間というのは、誰もが超能力を持っているんです。それを使う機会があるかどうか、つまり、意識しなければ超能力は使えないということ、彼女はシナリオを作った時点で、その覚悟はできていたのかも知れない。だから、予知できたんでしょうね」
と桜井刑事がいうと、
「彼女にとっての、見えない敵がきっと存在したんだろうな。それが仮想敵になって、その存在が、事件をシナリオにしたのか、シナリオが事件となったのか。それはきっと高木明子にしか分からないんでだろうな」
と、目の前で断末魔の表情に、有頂天になっている満足感を浮かべた複雑で、これ以上ないというほどの不気味な表情を浮かべて死んでいる高木明子がいるのだった……。
( 完 )
二重人格による動機 森本 晃次 @kakku
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