海蓋
金平糖
1
この星には「
それは、津波のように海水が押し寄せてやがて引いていくわけでもなく、かと言って温暖化などにより少しずつ海面が上昇するわけでもない。
何かのきっかけで突然大量の海水が地上に押し寄せ、引く事なくそのまま蓋でもするかのように飲み込んでしまう現象の事だ。
誰がいつ作ったのか、天へとつづくレールがぐるりと螺旋状に取り囲むこの島で、旭と出会った。
初めて彼と出会った時の第一印象は、「なんだこいつ」だった。
女友達、秋穂の友達だというから会ったのに、軽くあいさつでもしようかと彼の方を見たら、私と全く目を合わさずに秋穂と会話を続けるのだ。
それはもう、私が口を挟む隙もないくらい、とめどなく。
秋穂も秋穂で、私をほったらかして旭と親しい間柄特有の言葉の応酬を繰り広げる。
これだから三人はバランスが悪い。
いや、だとしても…これでは私がまるで存在しないみたいじゃないか。
何か理由があるにせよ、私は「無視された」ように感じ、気分が悪かった。
結局その場は一言も言葉を交わす事なく彼と別れたのだが、秋穂はそれを悪いとも思っていない様子で、「それでさ」と能天気に次の話を持ち出した。
大抵のことは自分が気にしないから、相手も気にしないだろうという認識なのだろう。
それを「しょうがないな、もう」と許させてしまうのが、詰まるところ秋穂の魅力であり、魔力なのだ。
旭と秋穂は幼馴染らしく、秋穂は私と話すとき、そのほとんどが旭の話だった。
「旭が…」「旭は…」
だから私は、会う前から旭の事はある程度知っていた。
部屋がとんでもなく散らかっている事。
好きな食べ物。
秋穂への扱いが割とヒドい事。
最近した喧嘩の内容。
それから、「海蓋」で両親を亡くしている事。
ある程度の人物像は予想できたが、まさかここまで変な奴だったとは。
秋穂と二人の時、何気なく聞いてみた。
「ねぇ、私旭に何かしたかな。嫌われてる?」
「え?」
聞くと、向こうは向こうで、私の話をたくさん旭にしていたらしい。
「嫌われてはないと思うよ。私の友達、可愛いでしょって言ったら、ニタってしてたから。」
「なんだ…全く目を合わせてくれないから、嫌われてるのかと思っちゃった。」
即ち人見知りか、女の子に慣れていないという事だろうか。
とりあえずそれならよかった、と私は安心した。
そんな出会いではあったが、なんだかんだで三人で遊ぶことも多くなったある日、
旭に「言いたいことがある」と言われ、とある場所で待ち合わせをする事になった。
その場所とは、砂浜にぽつんとある旧校舎らしき建物だった。
その建物は地上から五センチほど浮いていて、
どのような造られ方をしたにせよ、最初からそこにあったというよりかはたまたまそこに流れ着いたかのような印象を受けた。
約束の時間は十時で、あと三十分はあるのだが…土地勘がまだない私は、滞在場所からここまでどれくらいかを把握できなかった。
三十分を潰すために私はぶらぶらと廊下を歩き回っては、手当たり次第教室に入って色んなものを観察したり、雰囲気を楽しんだりした。
校舎は特に施錠もされておらず、窓も開けっぱなし。
同じように流れ着いたような駅っぽい建物が遠くにももう一棟あって、廊下側の窓から望む事ができる。
机や椅子、ノートやチョークなどは残っている事から、大人が会議でもする時にまだ使っているのかもしれない。
しかし…いつかの時代、私と同年代の子たちはこの場で学び、青春時代を過ごしたのか。
どんな子がいて、どんな教育者がいて、どんなクラスだったのだろう。
落書きや机の傷を見て、ミステリー小説のように推理する。
そうやって想像を巡らせながら旭を待つ時間は、不思議と苦痛に感じなかった。
開け放たれた窓から窓へ通り抜ける潮風が、張り付いた前髪を乾かしていった。
「何してんの。」
私がまだぶらぶらと廊下を歩いていた時の事だった。
「何って…旭がここで待ってろって言ったんじゃん。」
「こことは言ってない。」
…。
初めて会った時とはまた違う、怒っているような表情と低い声だった。
何なの、本当。私は旭に続いて1-1と書かれた教室に入った。
時計を見ると、ちょうど十時。
意外にもこういうところは律儀らしい。
「秋穂なら、旭一筋だよ。いっつも旭の話してる。」
私は一番近い所にあった机に座ると、足をぶらぶらさせながら言った。
「そんなんじゃねぇよ。」
「じゃあ、何なの?」
沈黙。
じゃあ…何だと言うのだ。
波の音しか聞こえない。
この場所は嫌いではないが、この沈黙は好きではない。
いよいよしびれを切らして抗議しようとしたそのとき、ふと磯の香りが強くなった…ような気がした。
すると旭は血相を変えて廊下に出ると、窓際まで走った。
そして向こう側に向けて大きく両手を振り、何かの合図を送った。
――何?
数秒後――鐘の音が島全体に轟いて、にわかに辺りが騒がしくなる。
何?何なの?意味が分からない。
呆然とその姿を眺めていると、わっと校舎に人が押し寄せてきた。
ドアから窓から次々と入ってきて、二人はみるみるうちに押し流されてゆく。
「え?えっ!?ちょっと……!!」
信じられない数だった。
校舎の周辺はあれほど閑散としていたのに、どこにこんな人数が隠れていたのだろう。
離れ離れになる中、旭が叫んだ。
「凛!!汽車に乗れ!!死ぬぞ!!」
それが、初めて彼が私の名前を呼んだ瞬間だった。
螺旋のレールをものすごい勢いで滑ってきた汽車が、泣き叫ぶようなブレーキ音を立てて校舎につけると、明らかに収まりきらないほどの人がなだれ込んでいく。
もう一人で身動きも取れない状態で、旭はたまたま列車内まで流されていった。
しかし私は押され、流され、もみくちゃになって、とうとう汽車に乗り込む事ができなかった。
人の隙間から改めて外を見やると、いつの間にか水平線が見えなくなっていた。
「凛―――!」
海に飲み込まれる寸前、汽車の窓から必死に手を伸ばす旭の姿を見た。
・・・
恐らく私―私たちは、あの日以降地上の人に死んだと思われている。
しかし実際はその約8割もの人々が生き残っていた。
海水に飲み込まれて気を失い、目を覚ました時には水中で呼吸ができるようになっていたのだ。
いや―最初から私たちは、そのように出来ていたのかもしれない。
オタマジャクシからカエルになる過程を逆再生するかのように、身体構造は海へ順応していった。
私の脚だった部分はちょうど尾びれになった所で、見た目はまさに人魚姫。
とは言えそこに鱗はないから、海豚に近いのだが。
私たちは、海底都市と化したこの場所で新たな生活を送り、繁殖した。
地上のものに姿を見られてはいけない――そんな暗黙のルールもあった。
私たちは隠れる隙間がなくなると、更に下の層にあるレバーを引く。
すると何故だか海水が爆増し、私たちは上へ上へと、新しい住処を獲得する―
海に沈んだ旧校舎の時計は、まだ時を刻み続けていた。
日の届かない海底でその正確さは分からないが、体感としてあまりに進むのが遅いので、私たちは一分を一日として数える事にした。
その針が十を指すたび、私はこっそりと海面から顔を出して地上を眺める。
そして考えを巡らせるのだ。
あの時旭が言いたかったこととは何なのだろう、と。
海蓋 金平糖 @konpe1tou
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