婚約者を奪った幼馴染(♂)が今度は私に求婚してきました。どうしたらいいですか!?

みかみ

一話完結

「レイチェル・ワグナー、今読み上げた諸々の罪により、お前を国外追放とする。そしてこの瞬間をもって、私はお前との婚約を破棄する!」


 絢爛豪華けんらんごうか舞踏会場ぶおつかいじょう。美しく着飾った若者たち。

 ここは、ディスパニア王国の王宮。年に一度催される、王族貴族の成人祝いパーティーの真っ最中。


 わたくしは祝の席の中心で、今まさに、皇太子殿下に断罪されています。そして同時に、婚約を破棄されようとしているのです。


 殿下が読み上げられた罪状は、全て身に覚えの無い事。

 むしろ、階段から落とされ、校舎の二階から汚水をぶっかけられ、制服を破られ、馬車に細工され殺されかけたのはわたくしの方でした。

 それをいくら訴えても、殿下は聞く耳を持っては下さらなかったけれど。


 分ってる。分ってはいたわ。今夜、祝いの席で殿下が婚約破棄を求めるであろうことは、薄々予感していました。

 元々私に冷たかった殿下だったけれど、最近特に冷淡でしたから。

 ああこれは、恋人ができたのだな、と勘付いておりました。だてに十年、お妃候補として殿下のお傍にいたわけじゃありませんもの。


 わたくしは自分で言うのもなんですが、美しさではこの国で一、二を争う自信があります。

 肌は雪のように白く、緩やかに波打つ髪は黄金色こがねいろ。サファイアのような澄んだ碧眼に、唇はバラのように赤い。どこぞのおとぎ話のお姫様のようだと、よく言われます。

 頭だって悪くありませんわ。王立学校では常に主席でした。


 男性からは『ちょっと可愛げがない』と言われることもあるけれど、人望はありましたし。

 お妃教育だって真面目に取り組んできました。


 正直申し上げて、皇太子殿下の婚約者としては及第点だったと思います。


 でもそれが、殿下は気に入らなかったのね。出来の良すぎる婚約者は、プレッシャーだったのでしょう。


 十中八九、殿下の恋の相手は平民出身の特待生、アリーシャあたりだと思っていました。

 彼女、何度注意しても殿下にべったりでしたし、殿下もまんざらでもなさそうでしたから。


 好きになさればいいと思っていました。

 それで殿下の御心が穏やかになるのなら。

 わたくしは、わたくしの役割を果たすだけですもの。殿下の愛など、婚約が決まった十年前から期待した事などありません。


 でもまさかね。まさか、今殿下の隣に立っている恋人というのが、アリーシャではなく、わたくしの幼馴染、アーサー(男)だなんて一体誰が予想できたかしらね!






 殿下に寄りそうアーサー。不安げに、殿下とわたくしを交互に見ています。


 鍛え上げた肉体を誇り、銀髪に赤い瞳を持つ殿下は美男で有名だけれど、わたくしはアーサーの爽やかな笑顔が一番素敵だと思っていました。  

 アーサーの藍色の髪と黒い瞳は、静かな夜空のようで、見ると心が落ち着きました。殿下ほど筋肉質ではない伸びやかな長身は、風にしなる若木のようで、本当に美しいといつも見惚れていました。


 公爵家の三男、アーサー・ウィームズ。

 常に穏やかで、誰にでも分けへだてなく優しくて。あなたの妻になれる人は幸せでしょうね、という言葉を、わたくしこれまで、何度飲み込んだ事か。


「呆けていないで、何とか言ったらどうだ」


「殿下。もう、それくらいに」


 わたくしを更に追い詰めようとしてきた殿下の腕に手を添え、アーサーが静かに言いました。


 アーサーあなた、わたくしにとても優しかったわね。

 わたくしが殿下に冷たくされるたびに、温かいお茶と甘い焼き菓子をくれたわね。


『君はきっと幸せになれる』


 そう言ってくれたわね。

 今の行動も、わたくしへの優しさなのかしら?


 でも、そんな事、もうどうでもいい。


 裏切られた。

 身に覚えの無い断罪よりも、婚約破棄よりも、アーサー。彼からの裏切りが、わたくしは一番辛く感じました。

 

 わたくしは気持ちを落ち着かせる為に、一度深呼吸をしました。


 わたくしたちを中心に――いいえ。まるでわたくしたちを避けるように、学友が円を作っています。

 心配そうに見守る者。くすくすと意地悪な笑いをもらす者。


 全身に刺さる視線は痛いけれど、ここは独りで戦わねばならない。わたくしの味方は、一人もいないのだからと、覚悟を決めました。


 わたくしは背筋を伸ばし、顎を上げました。


「失礼ですが殿下、お世継ぎはどうなさるおつもりですか? 伴侶がアーサーでは、王家の血筋は途絶えてしまいますが」


 殿下は鼻で笑いました。 


 いい加減見飽きたはずの殿下の冷笑れいしょう。けれど今日は、少しイラッといたしました。


「世継ぎなど、もはやお前が案ずる事ではない」


 殿下はアーサーを抱き寄せ、彼に優しく微笑みかけました。そして彼を見つめながら、殿下は続けました。そう、とてもうっとりとした表情で。


「アーサーは魔女に直談判でも何でもして、はらめるように肉体改造するといってくれた」


 本気なのアーサー!!


 驚愕のあまり、わたくしは口を両手で塞ぎました。


 会場が一気にどよめきました。アーサーを慕う女子もいたのでしょう。悲鳴が幾つか上がりました。


 アーサーがわたくしに向かって、困ったように微笑みました。

 

 その微笑みはどういう意味なの!? 分らないわ!


 わたくしは困惑しました。


 わたくし、自分の冷静さには自信がありました。

 殿下にプレゼントした手作りのお菓子を目の前で殿下に捨てられた時は、『へ』とも思いませんでしたし、お母様がお亡くなりになった時も、自分の悲しみよりも最愛の妻を失った父の方が心配でした。


 でもこれは流石にね! ショックで頭がまともに働きませんわ! どうしましょう!


 しかし、どうしようもこうしようもありません。わたくしは、打開策を求めて考えるのを諦めました。


 無実を訴えた所で、殿下は聞きいれて下さいませんし、婚約破棄だって、強引で頑固な殿下がお決めになったのなら、どうにもなりません。

 陛下と皇后さまは、これから大変でしょうけれど。もう知ったこっちゃありません。

 わたくしが今すべきことは、たった一つ。家と家族を守る事のみ。


 わたくしは殿下の前に、跪きました。


「分りました。殿下に従います。外国へでも孤島でも、どこへでも参ります。けれどどうか、お家の御取りつぶしだけは、お許しください。わたくしの罪状は、わたくしの家族には、なんら責任がないことです」


 会場中から「ああ……」というため息が漏れました。わたくしを憐れんでいるのでしょう。


「殿下」

 

 アーサーに促されて、殿下が「わかった」と頷きました。

 わたくしは殿下に短くお礼を言うと、立ち上がりました。そして、おそらく貴夫人としては最後のカーテシーになるであろう挨拶をして、いとまを告げました。


「それでは殿下。ならびに会場の皆様、ごきげんよう」


 殿下に背を向けて、出来る限り尊厳に満ちた姿でこの場を去れるよう、いつも以上に背筋とお腹に力を入れて、歩きはじめました。


「待って下さい、レイチェル」


 呼びとめたのは、アーサーでした。


「何か?」


 振り返って訊ねると、アーサーはわたくしに駆け寄ってきました。そしてあろうことか、わたくしの前でひざまずいて、わたくしの左手を優しく取ったのです。

 わたくしを見上げた微笑みは、これまでで一番、輝いていました。

 

 レイチェル――


 これまでと変わらない慈愛に満ちた声で、アーサーがわたくしの名を呼びます。


「レイチェルは、もう自由の身です。だから、僕と結婚して下さいませんか」


 はいいいいい!?


 わたくしだけではなく、そこにいる全員が、しばらく呼吸を忘れていたと思います。


 数秒間の沈黙の後、「ええええええ!」という貴族の子女には相応しくない叫び声が、会場中から起こりました。


「どういう事だアーサー! お前は私と夫婦になるのではなかったのか!」


 一番驚いていたのは、他でもない殿下です。――いえ、それとも、わたくしかしら。


 アーサーは立ち上がると、顔を真っ赤にして取り乱しておられる殿下に、悪びれない笑顔を向けて言いました。


「申し訳ありません、殿下。レイチェルを自由にするには、こうするより他なくて」


 そしてアーサーは、幼い時からずっとわたくしを妻にしたいと思っていた事。殿下から冷たい扱いを受けるわたくしを不憫に思っていた事。殿下が結婚する前から愛人を作ろうとしていた事。しかも、わたくしがそれを黙認しようとしていた事。などを、つらつらと並べ立てたのです。


「このままじゃレイチェルは絶対に不幸になる。ならば僕が一肌脱いで、婚約を解消させてしまおうとね。ついでに、この国からの束縛も取っ払ってしまえば、後ろ髪惹かれるものは無くなるだろうと」


 ね? とアーサーが私に笑いかけてきました。

 

 いやいやいやいや! 同意を求められても困りますわ! っていうか、もしかしてアーサーあなた……


「陰でわたくしに嫌がらせをしていたのはあなただったの? 無実の罪を着せたのも?」


 声が震えました。できれば『違う』と言ってほしかったけれど、アーサーはすまなそうに頷きました。


「殿下が愛人を持とうとしても、レイチェルはどこ吹く風。僕が匿名で、『婚約者を辞退しろ』と脅迫状を送ったり嫌がらせをしても、君はお妃教育を投げ出そうとはしなかった。それに僕が『辛いならやめてしまえ』と言うほどに、君は意固地になって陛下の傍に居続けようとしただろう? なら、王妃となる資格なしと判断されるような罪を着せるしかないと思ったんだ」


「そんな無茶苦茶な……」


 会場の誰かが茫然と言いました。まったくその通り、無茶苦茶ですわ。絶句しているわたくしの代弁をして頂いた気分でした。


 殿下が涙目で、戦慄わななきながらアーサーを指差します。


「それでお前は、私に……私に……」


「それ以上は仰らない方がいいですよ、殿下」


 アーサーがにこりと微笑んで警告しました。

 

 え、一体殿下に何したのよアーサー? 


「――とにかく皆さん、お騒がせしました」


 アーサーが強引に話をまとめようとし始めました。


「ちょっと色々無茶がすぎて、途中『これでいいのかな?』って不安にもなったけど、上手くいってよかった!」


 実に爽やかな笑顔を振りまくアーサー。


 良くないわよ全然良くない!


 殿下も「いいわけあるか!」と絶叫しました。わたくし、初めて殿下と意見が合いました。


 殿下が半狂乱で叫びます。


「王族を騙すなど、許されると思っているのか!」


「ならば僕の事も、国外追放にして下さって結構ですよ」 


「国外追放だと!? お前は死刑――」


 あはは、とアーサーが声を上げて笑います。


「いやだなあ。『恋愛など子供のお遊びだ』と殿下、以前レイチェルにそう仰ったではありませんか。子供のお遊びごときで死刑が執行されるなんて、教会も裁判所も認めませんよ」


 殿下はもう、何も言えませんでした。それもそのはず。殿下は頭の回転が早い方でない故に、口喧嘩が大の苦手なのです。その上、相思相愛だと信じていた相手にあっさり裏切られたとあっては――。


 まあ、ざまぁみろとは思いますけれど。


 それにしたって、わたくしはわたくしで混乱していました。

 優しくて誠実だった幼馴染がまさか、とんでもない食わせ者だったなんて。そしてその彼に、わたくしは今求婚されている。

 国外追放、婚約破棄という非常事態が何でもない事のように感じます。


「……帰ります」


 わたくしは、よろよろとした足取りでその場から立ち去ろうとしました。もう、この場にいるのが心底嫌になりました。

 現実逃避、とも言えるかしら。早くお家に帰って、温かいお風呂に入って、柔らかいベッドに入って、一旦、全て忘れてしまいたかったのです。


「帰って頭を冷やしますわ。皆さまおやすみなさい」


 お、おやすみなさい……


 ご親切な事に、皆さんが挨拶を返して下さいました。


「レイチェル!」


 アーサーだけが、わたくしの手を握って引き留めようとしました。

 でもわたくし、もう、いっぱいいっぱいでしたの。


「帰るって言ってるでしょ!」


 そう。アーサーの綺麗な横面に、一発、張り手をかましてしまうほどに。


 そしてわたくしは、成人パーティー会場から脱兎のごとく逃げ出し、馬車に飛び乗り、お家に帰ったのです。


END

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