佐々木くんの話 2

※このお話はフィクションです




「アンタは褒め甲斐がない」


食堂で、隣に座った佐々木くんが突然そう言った。

あまりに突然だったので、最初、私に話しかけたことに気づかなかった。

それくらい突然だった。


「今、私に言った?」


「お前以外、誰に言うんだよ」


「知らないけど、せめて挨拶くらいしてから言ってほしかった」


「ごきげんようってか?」


そこまで丁寧でなくてもいい。


「褒め甲斐ってなに?」


「やりがいとか言うだろ。それの褒め版」


よくわからないが、なんとなくわかる。

ようは、手応えがないということだ。

褒めて良かった、みたいな感じがない。

のれんに腕押しとか糠に釘とか、そういう感じだろう。


「お前を褒めても、お前はそれをそこらへんに放り出して、なかったことにする」


「そんなことないよ」


「いや、ある。お前は他人から褒められても、全然受け入れない。しれっとなかったことにしやがる。そんで、人生でこれまで一度も褒められたことがないみたいな顔をする」


よくわからないが、佐々木くんは怒っている。

しかし私には佐々木くんに褒められた記憶がない。


「私、佐々木くんからなんか褒められたことあったっけ」


「いや、ない」


なかった。


「でも先輩は褒めてたぞ。頭がいいとか器用だとか思いやりのあるやつだとか」


「ああ、うん……」


それは確かに、覚えがある。


「でもお前、それを聞き流しただろ」


「えーと、言い訳していい?」


「いいぞ」


いいんだ。

自分で言っておいて、少し驚いた。


「えーとね、私は別に聞き流したつもりはないし、放り出したつもりもないよ」


「ふーん」


「ただその、それを自分のことだと思えないっていうか……」


「お前に直接言ってんのに?」


「実感がないの」


誰かが褒める「私」と、私が認識している「私」には大きな解離がある。

褒められている「私」は私の知る「私」ではない。

だから褒められても、それを私のことと認識できない。

ぴんとこないのだ。


「なんか、だれかと間違えてない?って感じなんだよね。私、そんなすごいやつじゃないんだけど……って」


先輩に言われたことを思い出す。


──アンタは頭いいし、器用だし、性格もいいやつだよ。他人を思いやれる優しいやつだ。


それは誰のことを言っているのか。

私の認識している「私」とは、全く別の人間の話にしか聞こえない。

私の認識している「私」は、愚鈍で性悪な人でなしだ。

あまりにかけはなれていて、実感がない。

他人事だ。

だから上手く受け取れなくて、受け入れられなくて。

それが周りからは、放り出しているように見えるのだろう。


「褒められるのは嬉しいんだけど、なんか、うまく受け取れないんだよ。自分のこととは思えなくて……」


「そら客観的評価と主観的評価が一致しないのは当たり前だろ評価者がちげーんだから」


「そうだけど……だいたいさ、私みたいな、褒めたところでなにも生まない人間を褒めるのにリソースを使うのは、無駄じゃない?もっと別の、褒めれば素直に喜んで成果あげてくれる人を褒めるのに使った方が、いいと思うんだけど……」


「話そらしやがったこいつ」


佐々木くんは盛大な舌打ちをした。

どうも、やっぱり怒っているらしい。


「そういうところが、褒め甲斐がないって言ってんだ」


佐々木くんはむしゃむしゃと麻婆丼を食べ始めた。

言いたいことはわかる。

せっかく褒めてやったんだから、ちゃんと喜んで感謝しろよと。

そういうことだろう。


「いや、そんなことはどうでもいいが」


「えっ、違うの」


「褒めるのは褒めたいからだろ。喜んでほしくて褒めたりしねえし。感謝されたくて褒めるとか意味わかんねえよ。あとリソースってなに?調味料?」


「資源とか資産とか、うーん、大本となるエネルギーとか、人材とか。そんな感じかな」


「資源の無駄遣いってこと?エコロジスト?」


「そうじゃないけど」


「リサイクルでもしてろよ。褒めのリサイクル」


「褒めのリサイクル……?」


「エコといえばリサイクルだろうが。3Rって教わんなかったか?リユース、リデュース、リサイクル。リデュースってなに?」


「発生抑制。ごみ自体の発生を減らすことで環境負荷を減らそうって話」


「ふーん。──つーかそんなことどうでもいいんだわ。お前だよお前。お前、褒めても聞いてねえじゃん。聞き流すし読み流すじゃん。聞けよ。読めよ」


「えーと……それはなんか、ごめん。私、やっぱりちょっと、そういうの受け取る能力なくてさ。欠陥っていうか、そんな感じで」


「はぁ?」


佐々木くんはぎろりとこっちを睨んだ。


「なんだそのわけわかんねえ言い訳は」


言い訳をしたつもりはなかった。

単なる事実として、私はそうである、と述べただけのつもりだった 。


「自己卑下にもほどがあるだろ」


「えっ……と、ごめん。そこまで自分を悪く言ったつもりはなかったんだけど」


しかし佐々木くんには、自分というものを必要以上に貶めているように聞こえたらしい。


「お前、あれだろ。とりあえず自分を低く言っとけばいいやみたいな雑な理由で予防線張ってんだろ」


「予防線……」


「優等生が善行しても当たり前で終わるけど、ヤンキーが善行するとやたら持ち上げられるのあるじゃん。あれと同じ」


「ごめん。よくわかんない」


「有能が失敗するとがっかりされる。でも無能が失敗しても別にがっかりされない。無能だからしゃーない、で終わる。そんで、お前は自分で自分を低く見せてがっかりを回避しようとしてる」


「そんなことは……」


「俺、ヤンキーが更正して真面目にやってるスゴいエライみたいな話、嫌いなんだよな。どう考えても真面目に真面目やってきたやつのほうがエライしスゴい」


「……」


この話の流れだと、遠回しに私のことが嫌いだと言っているんじゃないだろうか。

そんな気がする。


「なんでそんな予防線張るわけ?」


「ええ……?」


そんなつもりはなかったので、そんなことを聞かれても困る。

しかしなんとなく、答えないことは許されない気配がする。


「誰だって、がっかりはされたくないじゃんか」


「そりゃまあ、そうだ」


「だよね?んで、私はさ、私のこと有能とは思ってないわけ。自分のことだから、自分がなにをどの程度できるかはわかってるから。でもなぜか周りが、私のことを過大評価してくることがあって……でもそれは間違ってるから、違いますよって言ってるだけなんだけど……」


必要以上に自分を低く見せているつもりはないのだ。

ただ、事実として自分はこうであると主張しているだけ。

というか周りの私に対する評価が高すぎるのだ。

なんでそんなに評価されているのか、当の本人だけが理解していない。

もしかしたら、盛大に担がれているのではないだろうか?豚もおだてりゃ木に登るというし、私をおだててなにか面倒ごとを押し付けようとしてるんじゃないか?

そんな気すらしてくる。


「先輩のこと信用してねえの?」


「そんなこと、ないけど」


「じゃあ疑う余地なくね?信用してる先輩の評価なんだから」


「や、でもさ。先輩って、なんていうか、いい人じゃんか」


先輩は、善良な人だ。

真実有能であり、気遣いと気配りのできる人である。

その人が私を褒めているのは、本当に私に能力があるからなのか?

私にはそこがわからない。


「先輩いい人だから、なんか気を遣って私を必要以上に褒めてるんじゃない?って気がして……」


「それって、先輩のこと信じてねえってことだぞ」


「そうじゃなくて……」


信じているのだ。

先輩の善良さを。優しさを。

だからこそ、素直に受け取れない。

先輩が私を褒めるのは、どうしようもない私を気遣った結果の、優しい嘘なのではないかと思ってしまうから。


「佐々木くんはさ、先輩に褒められたら素直に受け取れる?」


「あたりめーよ。だって疑う理由がないだろ。んなしょうもない嘘ついて先輩にメリットあるか?ないだろ」


「……」


ないかも。

ちょっと納得しかけた。


「で、でもさ!世の中の人が、みんな先輩みたいな人ではないよね」


「そりゃそうだ」


「中にはさ、表向きは褒めてても裏では悪口言ってる、みたいな人もいるじゃん」


「いるいる」


「そういう人がいるってわかってて、それでも素直に褒め言葉を受け取れってほうが無理だと思うんだけど」


佐々木くんは、麻婆丼を食べ終えて、ミカンを剥き始めた。


「世の中の人がみんなそんな性悪ってわけでもねえだろ」


「そうだけどさ……私には、区別がつかないんだよ」


誰が本当のことを言っているのか。

誰が嘘を言っているのか。

私には判断できない。区別がつかない。

みんなはどうやって区別しているのだろう。


「んなもん、できるわけねーだろ」


「えっ」


「他人が本音ではなに思ってるかなんて、わかるわけねえじゃん」


「じゃ、じゃあ……」


「信じたいものを信じるしかねえだろ」


「そんなの」


そんなの、どうしろと言うんだ。

誰が信じられるかわからないのに、信じたいものを信じるなんて。


「誰を信じればいいの」


昨日まで友人だった人が、今日から敵になることがある。

さっきまで私を誉めていた人達がが、私が去るやいなや私を悪くいい始める。

そういうことを知っている。

残念ながら、経験として。

だから私は、他人を信じられない。

他人は信用できない。

信用すると、つけこまれる。

裏切られる。騙される。

ずっとそうだった。

いつもそうだった。

何度も何度も、そういうことがあって。

今度こそはと思っても駄目で。


「私だって、素直に褒められたことを喜びたいよ」


でもそれができない。

できなくなってしまった。

過去の経験がそれをさせてくれない。

私は過去の経験のいずれかのタイミングで、どこかがゆがんで壊れた。そのゆがみのせいで、私は他人の言葉をそのままに受け取ることができなくなった。


「どうやったら他人を信じられるの?」


「お前やっぱ他人の話聞いてないだろ」


「えっ」


「俺ぁ信じたいものを信じるしかねえって言ったんだよ。他人信じろなんて言ってねえわ」


「あ……えっ?そうだっけ」


「ほらぁ聞いてねえじゃん!」


「ご、ごめん……」


こればかりは本当に聞き逃していたので素直に謝った。


「あのさー、朝の占いってあったじゃん。今もあんのか知らねーけど。なんかランキングのやつ」


佐々木くんはミカンをむしゃむしゃ食べながら言った。


「俺はあの占い、いいときだけ信じて悪いときは信じなかったんだけど」


「いいときだけ……」


「そうそう。一位とか二位とか。なんかそんときだけ信じてラッキーアイテムとか身に付けてた」


「悪いときは?」


「占いなんかあたるわけねーだろ」


「手のひらがえしだ……」


「いんだよそれで別に問題なかったんだから。うわすっぺなんだこのミカン罠か?」


佐々木くんはきゅっと顔をしかめた。


「あー……あーあーあー……なんだっけ?なんの話してた?」


「占いを信じてないって話」


「ああそうだった。あのな、他人の言うこともそれでいいんだって。褒められたのだけ信じとけばいい」


「えぇ……?」


「ああいや嘘。注意されたらそれは聞いたほうがいいわ。特に普段褒めてくれる人に注意されたらそれはマジなやつだから」


「うん」


「でも陰口は信じなくていいし、言われてねーことはもっと信じなくていい。そんなん聞く意味ねーし。聞き流していい。あと聞こえてないもんはそもそも存在しねえ」


「うーん」


「聞き流すの得意だろお前。聞き流せよ」


「でもさあ、心当たりあるような陰口は聞き流せないよ」


「あ?」


「あいつ不細工だよな、とか。実際不細工だし」


「生まれついてのものを馬鹿にするのは人として最低のことだってママに教えてもらえなかったアホの言うことなんか知るかよ」


すごい罵倒を聞いた。


「あとお前は不細工ではない」


「うーん」


「美人でもねえけど」


「うん」


「普通すぎてコメント困るわ」


「えっと、貶されてる?」


「ただの事実だが?」


「あ、うん……」


たぶん、本当にそうなんだろう。

なんとなく、そんな気がした。

佐々木くんはミカンを食べ終えると、さっさと席を立った。


「あの、佐々木くん」


「なんだよ」


「その、なんでこんな話、私にしたの?」


「そんなもん、決まってんだろ」


佐々木くんはひひひと笑った。


「先輩が落ち込んでたからだ。褒めたのに全然信じてもらえないよ~って」

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レシート地層発掘委員会 在原一二三 @ariwara123

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