第3話 アイスクリームはいつか溶ける

 とある平日の午後。

 帰りの会が終わり、教室が騒がしくなる。


 私が黙々と筆記用具やプリントをしまっていると、横から友人に声をかけられた。


「優奈。今日は夏美と帰らないの?」


 胸がズキリと痛む。彼女にとっては何気ないひと言なのだろうが、ぽっかり空いた傷口にストレートに突き刺さった。


「今日はみゆき先輩と帰るんだって」

「ほお〜。あやつ、最近ませてますなぁ」


 本人がいないのをいいことに全力でいじる。

人の恋愛事情をネタにニヤニヤする友人はとても愉快そうだった。


「そしたら、今日は部活定休日だし、あたしたちと帰る?」

「あ、私これから委員会があるんだ。」

「あ〜、委員会か。どれくらいで終わるの?」

「わかんないけど、多分長引きそう」

「うわ~。それは大変だね」


 友達は同情するように苦笑いした。私は残りの荷物をしまいながら、友達の会話に耳を傾けていた。


「それにしてもあのふたり、すっかりラブラブになったよね〜」

「ね。最初聞いた時はびっくりしたけど、案外お似合いかも?」

「いいな〜。あたしもドキドキときめくような恋がしたーい!」

「あはは。あんたらしいね」


 軽い恋バナにうつつを抜かす友人たちをうらやましく思いつつ、私はカバンを下ろした。


「そろそろ時間だから、行ってくるね」

「あ、もうそんな時間か~」

「委員会頑張ってね!」

「うん。ありがとう」


 教室で友人たちに手を振りながら別れを告げた私は委員会が行われる教室へと向かった。


 遠くの方から吹奏楽部の奏でる音色が反響し、簡素な廊下を賑やかに彩る。窓を開け、首筋に小粒の汗を垂らしながら懸命に楽器を吹くその姿は真剣そのものだった。ひたむきに奏でるその音はとてもきれいなはずなのに、今の私にはただの雑音にしか聞こえなかった。



 委員会は終わった私は駅へと続く下り坂を1人で歩いていた。案の定、委員会が長引いたので、友人たちには先に帰ってもらっていたのだ。

 この道を1人で歩くのは案外久しぶりだった。


 真夏に相応しい、強く差し込む日差しを鬱陶しく感じながら、私はアイス屋のある通りの入り口付近に差し掛かった。


 そこで私は思わず足を止めてしまった。見覚えのある2人がそこから出てくるのを目撃してしまったからだ。


 焦げ茶色のショートヘアーに聞きなじみのある快活な声。太陽のようなまぶしい笑顔をしている彼女は紛れもない私の親友、夏美だった。


 そして、隣で可憐に微笑んでいるのは、夏美の恋人になったみゆき先輩だった。夏美よりも頭ひとつ分背丈が高く、スラッとした細身のスタイルがよく映える。おろした後ろ髪は肩にギリギリかからない程度に整えられており、いつもよりとても艶やかな印象を受けた。


 2人が手にしているのは、先日私と夏美が足を運んだアイス屋のアイスクリームだった。夏美はこの前と同じチョコレートを、みゆき先輩はバニラアイスをチョイスしたようだった。私に気づくこともない2人は、仲睦まじく坂道を下りていった。


 幸せそうな彼女たちを見ていると、言葉にできないもやもやした気持ちが私の心を覆い始めた。そして気づいた時には、私もアイス屋の列に足を運んでいた。


 好物のストロベリーアイスを買った私はいつもの公園に向かっていた。近づくにつれて、子どもたちの元気な声が大きくなっていく。無邪気な彼らには目もくれず、一目散にいつものベンチを目指した。


 荷物を下ろし、ベンチに腰掛けた私ははっとした。無意識に顔を横に向けていたのだ。


 思えば、ここに来るときはたいてい、夏美も一緒にいた。そして、遅れてやってきた時も、くだらない話をする時も、声を発するのはいつも彼女が先だっだ。

 夏美が来ないと分かっていながら1人でこのベンチに座るのも、実に久しぶりだった。

 

 手に持った、まだ口をつけていないアイスの冷たい感触がコーンを挟んで静かに伝わってくる。それは未だに整理の付かない心をもじんわりと冷やし、霧がかった気持ちに冷たい風を吹き込んできた。


 すると、心を覆ったもやもやが次第に晴れていき、言葉にできない感情が露骨にその姿を現す。それと同時に、夏美との思い出が脳裏にいくつもフラッシュバックし始めた。


 学校に入学し、最初にできた友人。

 当時、満開の桜が咲き誇っていたこの公園でお互いのことを語り明かし、一気に仲を深めていった。


 そこから、私たちはよく一緒に行動するようになった。2人で遊びに行った回数は数え切れないほどになり、その分、たくさんの思い出ができた。


 その一方で、最初の2年間はたまにすれ違いが生じることもあった。その度に、お互いなかなか譲ろうとしなかった。


 特に最後の大ゲンカは2ヶ月という長丁場になった。その時は、口をきかなくなった私たちを見かねた他の友人や先輩がとても心配してくれたのを覚えている。みゆき先輩もその例には漏れず、何度も私や夏美の話し相手になってくれた。


 最終的には私の方が折れて、この公園で夏美に頭を下げた。夏美は最初こそケンカ腰だったものの、徐々に歩み寄ってくれたことでついに仲直りすることができたのだ。その後、2人で「ごめんね」と謝り合いながら、顔がぐしゃぐしゃになるほど泣いたものだった。


 誕生日の際には必ずこの公園でプレゼントを渡し合った。

 他の人には言えないような悩み事もたくさんさらけ出し合った。


 誰よりも濃い時間を過ごしてきたはずだった。


 それなのに、胸に秘めた想いは伝えられず、あの子は別の人に想いを寄せた。


 ああ、また視界がぼやけていく。


 ハンカチを取らなきゃと思い、ポケットに手を伸ばそうとした。


「あ……」


 手に持っていたイチゴアイスはいつの間にか、ドロドロに溶けてしまっていた。柔らかくなったコーンから垂れたアイスは持ち手をベタつかせ、紺のスカートを桜色に汚した。

 それを見た私は伸ばした手をそっと止めた。そして、溶けたアイスの湖に熱い涙が落ちてゆくのをただただ見つめていた。

 

~完~

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アイスクリームはいつか溶ける 杉野みくや @yakumi_maru

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