第2話 花は散り、遠くで舞う

 1週間後のある日——。


 私は公園にあるいつものベンチに座っていた。


 この前と違い、妙に心が落ち着かない。

 昨夜、夏美から『相談したいことがあるんだけど、いい?』とメッセージが飛んで来た時からずっと、どこかそわそわしていた。文体がいつもより少しだけかしこまっていたのもあるかもしれないが、どうもそれだけでないような気がしてならなかった。


 何度も夏美からのチャットを見返しながら考えを巡らせていると、ひとつの人影が目の前に近づいてきた。


「ごめんお待たせ!」


 息を少々切らしながら隣に座ったのは夏美だった。木漏れ日に照らされ、汗をかきながら水を飲む姿は相変わらず様になっていた。制服が擦れ、お花のような優しい香りが鼻腔をくすぐる。夏美のこの香りが私は昔から好きだった。


 水を飲み終えた夏美は水筒をしまうと、幾ばくか深呼吸をしているように見えた。いつもならすぐ口を開いてくれていただけに、強い違和感を覚えた。それほど大事な相談事なのだろうと思った私は、彼女が話し始めるまで素直に待つことにした。


「突然ごめんね。昨夜、急にあんなチャットを送って」

「ううん。大丈夫だよ。それで、相談事って?」

「うん。あのね、うち、その」


 夏美は珍しく、口をもごもごさせていた。顔がいつもより赤い気がするのは暑さのせいか、それとも私の気のせいか。とにかく、いつもの夏美とは違う表情を見せていることは分かった。学校にいるときは普通に接していただけに、違和感はなおさら増していった。


 左手を胸に添え、もう一度息を吐いた夏美は少しうつむきながら言葉を続けた。


「す、好きな人ができてさ。その人に、告白しようと思ってるの」

「え?」

「でも、どうしたら上手く伝えられるかちょっと自信がなくて」


 私の弱々しい声は夏美の独白にかき消されてしまった。ガラスの心にピシッとヒビが入る音がした。一度触れてしまえば、崩れるのは必至だった。


 しかし、希望を捨てるのはまだ早い。相手が誰なのかをまだ聞いていない。おこがましくはあるが、私であるという可能性も十分にあった。

 最近読んだ小説の中にもそういう展開のお話があったのだから、と必死に自分に言い聞かせた私はおそるおそる相手を尋ねた。


「相手は、誰、なの?」

「……みゆき先輩」

「……!?」


 とっさに言葉が出なかった。

 認識違いがなければ、みゆき先輩は私たちと同じ部活の先輩だ。クールだが面倒見が良く、中等部時代からよくお世話になっていた。たしかによく話している所を見かけてはいたが、まさか想いを寄せていたなんて想いもしなかった。


 微かに抱いた淡い期待は一気に崩れ去り、ガラスの心も粉々に砕けちった。目頭が熱くなり、口が自然と結ばった。平静を装うように拳をギュッと握り、感情が崩れるのをなんとか我慢した。


 その後のことはよく覚えていなかった。夏美の悩みに親身になって答えるよう努めていたことはたしかだった。そして、最後に夏美がニコッとはにかんでみせたのを見るに、どうやら上手く対応できたようだった。


 私たちは2人並んでいつもの帰り道を歩いた。夕日が沈みかけた空は明るい橙色に染まっていた。肌に触れる風は心なしか、少しだけ冷たかった。


 駅で夏美と別れた私は帰宅ラッシュ前の電車に乗り込んだ。席は既に埋まっているため、仕方なく扉の前に立つことにした。


 大きく吐いた息は小刻みに揺れており、今の心境を分かりやすく表していた。


 気を紛らわそうと考えてスマホを取り出すと、ちょうど夏美からのメッセージが通知に表示された。


『今日はありがと!』

『優奈からたくさん勇気をもらったから、安心して告白できそうだよ!』


 まだもう1件メッセージが飛んできていたが、私は目を背けるようにスマホをしまった。


 流れゆく夕暮れの景色。目頭の熱さは冷めることを知らず、心臓の鼓動は不規則に強くなったり弱くなったりしていた。


 ふと、片目から熱い雫が一滴、頬を伝って流れていった。私はそれを拭おうともせず、電車に差し込む夕日をただ見つめていた。


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 あれから2日間、私は半ば放心状態で日々を過ごしていた。なんだか世界の彩度が下がったような感覚だった。


 目の前に広げている宿題にもあまり手が着かず、ぼんやりしていると突如、スマホから着信音が鳴り響いた。画面を見た私は胸がキュッとなった。


 電話をかけてきたのは他でもない、夏美だった。

 震える手で応答ボタンを押し、耳に当てると澄んだ明るい声が耳に突き刺さった。


「優奈!ごめんね急に。今、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」

「良かった!あの、一昨日相談した話のことなんだけどね」


 神妙な口調で話す夏美。耳を塞ぎたい気持ちを抑え、次の言葉を待った。


「実は、告白成功しました~!」

「っ!?ほ、本当に……!?」

「うん!これから2人で電話するんだ~♪」


 再び目頭が熱くなり始める。ダメだ、ここで泣いちゃダメだと自分に言い聞かせ、喉奥からなんとか言葉を絞り出した。


「よ、よかったね。おめでとう、夏美ちゃん!」

「ふふっ、優奈のおかげだよ~。――あ、そろそろ先輩との約束の時間だ。相談に乗ってくれてほんっとうにありがとう!また今度カフェ巡りとかしようね!」

「うん、しよう……!」

「それじゃ、またねっ!」

「またね」


 空元気で別れの挨拶を終えると、プププッと電話の切れる音が鳴った。


 それを合図と言わんばかりに両目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ち始めた。しばらく耳からスマホを離さず、抑え込んでいた感情を静かに放出していく。


 夏美から貰ったかわいらしいネコの置物も、遊園地で記念に買ったおそろいのクマの人形も、霞む視界の中で思い出と共に溶けていった。

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