お姉さまの婚約者に一目惚れ~婚約破棄されるとのことで立候補してもいいのかしら?

下昴しん

お姉さまの婚約者に一目惚れ~婚約破棄されるとのことで立候補してもいいのかしら?

 姉の婚約パーティーには多くの来賓の方々がご臨席されました。

 アウルセル家の長女が婚約する相手は次期領主になることもあり、領民はもちろんのこと、他の領主の方々も大勢招待されました。それは国の一大イベントと言っても大袈裟ではありません。


 アウルセル家は国に点在する有力者のなかでも、大変潤沢な資金を有しております。私の家柄を自慢するようで恐縮ですが、国の支柱となるような有名貴族であることは間違いありません。その豪族の節目になるパーティーですから、それはそれは煌びやかなものです。


「すごい数の人ですね! 何人いらっしゃるのですか?」と私は侍女のポピーに尋ねます。

「だいたい百五十名ぐらいでしょうかね」


 ポピーは暗い声で答えました。朝からパーティーの支度に駆り出されて、四十後半の体には堪えたようです。


「ドキドキします!」

「成人になられてから、パーティーに出席されるのは初めてでしたね。緊張しなくても大丈夫ですよ、私がおそばにいますから」


 衣装室のカーテンの隙間から、会場の様子が見えます。萌える芝生の青白い光がテラスに入り込み、女性たちの白いドレスを彩っていました。


「この色でいいのかしら」着ている自分のドレスを見下ろすと、茶色をベースにした、秋の夕暮れのような色合いです。

「しかし……ご領主様が決められたのですからしょうがありません。それに、パーティーの主役はエルリカ様ですから……きっと、フェリシア様の婚約パーティーにはもっと素晴らしいドレスが着れますよ」


 そうでした。私は姉の引き立て役。

 どうも、パーティー会場に流れる音楽に囃し立てられて、普段のお役目を忘れてしまいそうでいけません。


 衣服を整えて衣装室から出ると、お姉さまと鉢合わせになりました。

 白いドレスで花の刺繍が施された、上品で洗練された装飾。背の高いお姉さまは凛としてらして、美しいシルエットは一輪の百合のようです。そして、あらゆる者を寄せ付けないぐらいの高潔さを漂わせています。


「あら、あなたも出席するの?」

「はい! お姉さま、この度は婚約おめでとうござ……」

「ねぇ、そのモンスター……」と、お姉さまは私の頭を指差しました。

 頭の上ではポンポンとモフモウフが跳ねています。モフモウフは丸い毛むくじゃらの、私のペットです。黒い毛で覆われた塊で、どこに目があるのか分からないぐらいモフモフしています。おでかけするときは頭の上に乗せているので、私の黒髪と相まって、お団子ヘアみたいになります。


「頭から取ってくれない? 妹が変人だと、私まで頭がおかしいって思われちゃう。……ポピー、あなたが注意してよね」

「申し訳ありません……」


 お姉さまはパーティー会場をさっと見回して、気になる点を周りの従者に伝えながら、お父様のもとへ向かいます。

 私はモフモウフをポピーに預けて、お姉さまの後を追いました。


「おおっ! なんて美しいんだ!」


 お父様はエルリカお姉さまを認めるなり、立ち上がって笑顔になります。うっすらと目に涙を湛えて沢山の賛辞を贈られました。

 お父様の気持ちはよく分かります。以前、亡くなられたお母様の肖像画を拝見したところ、お姉さまにそっくりでビックリしたのを覚えています。


「フェリシアも今日は綺麗だな」とコクリと私に頷くお父様。


 一方の私はお父様似で、お姉さまの様な高貴なオーラはゼロです。もっぱら、社交界はお姉さま、事務や雑務の裏方役は私と、顔面に札を付けられているのです。


「そんなことよりお父様! ルクセリア家の長男はまだ来てないの!?」

「あ……ああ、そのことだが、国の防衛のためにルクセリア家から出兵があってな、その対応で遅れているらしい」

「……言い訳にならない」


 お姉さまは顔を紅潮させます。決まりきって大激怒の前には、真っ白い透明な肌がマグマの様に赤くなるのです。

 私はポピーと目を合わせました。モフモウフも心なしかミモザぐらいに小さくなっています。ポピーが袖を引いたので、ゆっくりとその場を離れました。


「おお……くわばら、くわばら」上座の隅に逃げ込むと、ポピーが緊迫した面持ちで呟きました。

「でも、今回ばかりはお姉さまも可哀想だわ。婚約者がまだ来てないなんて」

「いえ、姫様はルクセリア家をあまりご存知でないでしょう……ルクセリア家は我が国の国防の最前線にある公爵です。私たちがのんびりとしていられるのは、ルクセリア家が身を粉にして国境を守っていらっしゃるからですよ」


 私も少し噂では聞きましたが、それほど大変だとは存じておりませんでした。


「しかも今、ルクセリア家は財政難に直面して、民の心も離れています。国の援助もあると聞きますが、まずは我が身からとて……一人息子のバジル様を婿養子に出されたわけです。なんと、潔いことでしょう!」

「まあ、一人息子をですか」

「ルクセリア家の公爵様はもうお年を召されて、バジル様とお妃さまでもっているようなものですよ。その片割れを、アウルセル家の跡継ぎにされたのですから。もちろん資金目当てでしょうが、アウルセル家もエルリカ様とフェリシア様の女系。アウルセル家は渡りに船なわけです」


 ルクセリア家は国防という役割を長年背負いながら、一方でアウルセル家は国内の安全な場所で、財を築いていったということでしょう。

 損な役目のうえに、家督を継がせたいただ一人の愛息もいなくなるとは、ルクセリア家のご両親もさぞかし辛いことでしょう。


「ですから、両家とも優劣があるわけではないのです。ただ私としては、長いあいだ国を守ってきたルクセリア家のバジル様を応援したくなりますわ!」


 ギュッとポピーが拳に力を入れて大演説を打つころには、私の頭のなかは握られているモフモウフのことでいっぱいでした。

 ちょうどその時、扉がバーアァン!と開かれて背の高い男性が駆け込んできました。皆びっくりして固まります。音楽隊も何事かと演奏を止めて、シンと静まりました。

 周囲の時間を止めたその男性を見て、私は息を呑みました。

 まだ私が幼く、母上もご健在だったころ、パーティーで知り合った男の子がそこにいました。青い瞳にブロンドの前髪がかかり、女性のような厚いまつげが印象的でした。


 それがなんと立派になられたことか!


 厚い胸板に略綬を付けて、逞しい首回りに女性のような美しい横顔。多少お疲れなのか、目の下には隈がありますが、なんと力強い目力でしょうか。見ているだけで吸い込まれそうです。


(あれ? いま私と目が合っているような……?)


 数秒、いや数十秒。見つめ合うと、バジル様がぽかんと口を開けてハッと気を取り直しました。


「遅れて申し訳ありません……!」


 深々と腰を直角に曲げて、バジル様は頭を下げました。客人はさっと身を引いて、いつの間にかお父様とお姉さまが座るこちらの席まで、バジル様を繋ぐ道ができていました。


 お姉さまはバジル様を一目見るなり、立ち上がってお父様に詰め寄りました。

 お父様は頷くと固い表情をバジル様に向けます。


「ルクセリア家のバジル殿、この婚約披露会がどれだけ重要な式典か、賢いそなたなら分かっていたはずだ」

「……」バジル様は膝をついて項垂れました。「言い訳はしません。このとおりです」


 しかしエルリカお姉さまは首を横に振るばかり。お父様は少し躊躇いながらも、あの一言を発してしまいます。





「ルクセリア家との婚約は破棄するっ!」





 どよめきに包まれる会場。

 そのあと、急に静かになり、ピンと空気が張り詰めます。


「そ、そんな……っ!」バジル様は息も絶え絶えに声を振り絞ります。「それは、家督の当主として発言されていらっしゃるのか」


 お父様は一瞬、狼狽えました。それは肉親にしか分からないぐらいのほんの一瞬。


「もちろんだとも。君の着ている服は軍服かね? 我がアウルセル家を軽んじるような行為は許せん。先のことを考えても、エルリカに相応しい相手ではない」

「軍服に他意はありません。我が家ではこれが正式な礼服でしたので。決して、アウルセル家を軽視してはおりません」

「だが……もう、私は決断したのだよ……」


 お父様の横をお姉さまが通り、会場を退出されようとしています。誰も、何も言葉を発せず、すごく嫌な空気が漂い始めます。


 さっきまでの優雅な光景はどこに行ったのでしょうか?

 用意された金ぴかのティーカップや虹色のシャンデリアが、虚しく輝いています。


 バジル様は肩を落としてうちひしがれて、疲れたお顔が余計に老け込みます。私も悲しくなってきました。これから両家が、新しいスタートを迎えるはずだったのに、新しい未来どころか、禍根を残すことになりかねません。


「あ、あの……」と私は手を挙げました。


 一斉に皆が私に目を向けます。すごい圧です。バジル様も顔を向けます。もちろん、お父様も。部屋を出ようとしていたお姉さまも振り返りました。




「私と婚約してください!」




 もう、体と心が完全に分離している状態です。私は何を言っているのかしらと、幽体離脱したもうひとりの自分が考えています。

 ただでさえ大きいバジル様の瞳がさらに大きく見開かれ、私と目が合いました。


(そういえば、バジル様にとって私と結婚するメリットってあったかしら?)


 言ってみてから、気付きました。


(はて。これでバジル様にフラれたら、この先どうなるのかしら?)


 バジル様はすぐにお答えになりました。


「……喜んで、その申し出をお受けします」


 バジル様の想定外の答えに、驚愕する紳士淑女の皆さま方。


 パチパチパチ、と後ろで手の叩く音が聞こえます。振り向くとポピーが頭にモフモウフの乗せて拍手していました。それにつられて、祝福ムードが伝搬していきます。あっという間に会場はたくさんのバラを束ねたかのような、沢山の賛辞で溢れかえりました。

 再び音楽が流れ出すと、また夢のような幸せな時間が動き出します。


 お姉さまは「ふんっ」と鼻を鳴らして、会場を出ていきます。

 私はバジル様の元へ向かい、お父様に頭を下げました。お父様はどことなくほっとした様子で、椅子に腰かけます。


「まあ、フェリシアがそう言うのなら仕方ない」


 お父様にとってアウルセル家とルクセリア家の対立は、望まない状況です。なにしろ国内最大の武力をルクセリア家はもっているのですから。

 私はお父様に敬意を込めた感謝の気持ちを伝えました。


 バジル様は私に添うように近づき、柔らかな眼差しで私を照らします。


「フェリシア、あなたのお陰でアウルセル家との間に亀裂が入ることを免れました」

「……あっ! いえ、本当に私でよかったのでしょうか?」

「じつは……もともとフェリシア様に結婚の申し入れをしていたのです」


 どうやらお父様は次期当主としてバジル様に目を付けていたようです。しかし結局のところ、エルリカお姉さまの反対を押しきることは、できなかったということでしょう。


 波乱のあったパーティーでしたが、会場にはルクセリア家の従者も加わり、大成功に終わりました。



 その夜、部屋に戻る螺旋階段を上がっていると、お姉さまが待ち構えて居たかのように私に声を掛けました。


「私が準備した婚約パーティーで随分楽しんだようね」

「はいっ! 本当に素晴らしい会場で、さすがお姉さまです」


 ギリリと歯軋りが聞こえてきそうなぐらい、お姉さまの顔が歪みます。いつものクセでお姉さまを持ち上げたことが、裏目に出てしまいました。


「あなた分かってないわね……次女のあなたが結婚して、アウルセル家に居ることはできないのよ」

「えっ!」

「それはそうでしょう。ルクセリアの長男を婿養子にするなんて言ってませんから。あなたはルクセリアに嫁ぐのですよ」


 冷ややかな笑みを浮かべて、背の高いお姉さまが私を見下ろします。


「ルクセリアにいるのはほとんどが軍人ですから、血の気の多い男どもにとって、アウルセル家の女など目に毒でしょう。結婚前まで貞操を守れるのかしら? まぁ、せいぜい夜は出歩かないことね」


 お姉さまの仰ることは大袈裟ではありますが、軍人一家に嫁ぐ不安が今頃になって大きく膨らんで、胸を圧迫します。

 ふっと何かが月光を遮ると、横にはバジル様が立っておられました。


「私の一族を噂する声が聞こえたので、つい聞き耳を立ててしまいました」


 バジル様は突然長い腕で私の肩をつかむと、ぐっと引き寄せます。

 こうなると私はもう、まな板の鯉でございます。


「どうやらエルリカ様は、愛妹が遠い地へ去ることを気にかけていらっしゃるようですね。しかし心配ございません。私の命より大事にいたします」


 お姉さまは私たち二人を眺め、物憂げな哀しさを見せると、階段を上がって部屋に戻られました。顔を赤くしてご立腹されると思いましたが、全くの逆でした。

 バジル様は私に顔を向けます。


「約束します。ルクセリア家に来ていただけますか?」

「……はい」


 バジル様が目を閉じたので私も閉じます。初めての接吻を逃すまいと口を突き出していると、横顔が唇を過ぎて、頬に軽く口づけされました。


「……」

「では、また明日」


 エサを求める鯉のように口をパクパクさせますが、バジル様は去って行きました。

 残された私の頭の上でモフモウフがポンポンと跳ね続けました。



「だいぶん殺風景でしょう?」馬車のキャビンでバジル様が指差しました。「あれが私の母です」


 ルクセリア家の敷地は広大な農園のようでした。使用人はみんな働いて、ただ立っているようなメイドや執事はいません。

 馬を停めるとバジル様は扉を開けて、私を降ろします。


「お帰りなさい、バジル。あら、あなたがお嫁さんね」


 近づいてきた女性は作業着姿で恰幅がよく、誰が見ても貴族とは思えない出で立ちでした。しかし私は道中で、バジル様からお義母様のことを教えていただいたので、すぐにイメージと結び付きました。


「はじめまして、フェリシアと申します」


 私は軽く頭を下げて腰を落とすと、お義母様も頭を下げます。


「よくこんな辺境に来てくれました。歓迎します」お義母様は上品にそう言ったあと、パンと手を鳴らしました。「さあ、畑からいっぱい持っていって! フェリシアもそこのジャガイモを引っこ抜いてちょうだい! こんな可愛い子が娘になるんだから、もっとたっくさん料理を拵えなくちゃ」

「じゃあ、俺は厨房に入るよ!」とバジル様は馬の前を駆け抜けて行きます。


 バジル様は領地に戻られてから随分と元気になられました。やはりアウルセル家との婚姻がずっと重荷になっていたようです。

 私はお義母様の見よう見まねで、蔦を思いっきり引っ張り上げます。すぽんと柔らかな土からジャガイモが飛び出ます。思いのほか簡単に引っこ抜けたので、反動で尻餅をついてしまいました。

 「ハハハッ」とお義母様が軽快に笑います。右手には鈴なりのジャガイモがあり私も楽しくなって笑いました。


 野菜をたくさん荷車に載せて屋敷に向かう頃、お義母様と私は昔からの知り合いのようになっていました。


「知っていると思うけれど、ルクセリア家の家計は火の車でね。こうして自作自農しないと民に示しがつかないのよ」

「はい、小耳に挟んだ話では民の不満も膨らんでいるとか」

「なので、申し訳ないけれど、アウルセル家での豪華な暮らしは期待しないでね……」


 お義母様は私をちらりと見ると、責められたかのように体を萎ませました。なんと不憫なことでしょう。


「お義母様、もしよろしければ帳簿を見せていただけないでしょうか」

「帳簿……?」

「はい。じつは私、アウルセル家で事務をやっておりまして、少々お金のやりくりに明るいのです」


 前世の記憶といいましょうか。私はこちらの世界に来る前に、資産を管理するための知識を学んでいたように思えます。この世界とは別の世界の記憶が、生まれながらに少しだけありました。


 食事のあと帳簿を見せてもらい、私特有の書き方に直していきます。お義母様とバジル様は、私が書き出す謎の計算に見入っていました。

 計算してみると、それほどルクセリア家の財務状況は悪くありませんでした。ただ貸していたお金の回収が遅く、お金が循環していないようでした。


「すぐに現金で払ってもらえる場合は、少し割安にしてはいかがでしょうか? 一月以上滞納している方には催促状を出しましょう。支払いを忘れているだけかもしれません」


 すぐにそれは実行されました。

 長い間、アウルセル家の帳簿を見ていたこともあり、打つ手すべてが結果を出し、ルクセリア家の財政難に解消の兆しが見えてきました。



 木の葉が赤く染まり始めた頃、私とバジル様は結婚式を挙げました。ルクセリアの青空の下で、沢山の人に囲まれての挙式でした。

 豪勢に並んだ料理は、ほとんどがお義母様の手作りで心から私たちの結婚を喜んでおられるようでした。


「そのドレスを着てくれたのだな」


 お父様が遠路はるばるお祝いに来てくださいました。


「はい。このドレスを婚約パーティーで着ていたので、バジル様は私を見つけてくださったそうです」

「そうだったのか。そのドレスは、妻が結婚式に着たドレスでね。エルリカに渡したのだが、なかなか着てくれなかったのだよ」


 巡りめぐって、お母様の形見を私が着ているなんて、まるで天国にいるお母様から祝福されているようです。


「エルリカお姉さまはお元気ですか?」


 お父様は顔を横に振ります。


「次の婚約相手が豪遊暮らしの放蕩息子でね。エルリカは何を考えているのか……」


 はっとするとお父様は顔を上げて、再び笑顔を見せます。


「ああ、こんな話をするつもりじゃなかったんだ……とにかく、おめでとう」


 私はお父様に頭を下げて、壇上に歩を進めます。モフモウフをポピーに預けると、ポンポンとポピーの掌で踊って祝ってくれているかのようです。


「なんと、綺麗になられたことでしょう。大変……お美しいです!」


 ポピーは感慨深く息を吸うと、目尻から涙が流れました。なんだか私まで泣き出してしまいそうです。


 私は壇上に上がります。手を取ってエスコートしてくれたのはバジル様です。

 たくさんの客人と神様の前で、私とバジル様は向かい合って、誓いのキスをしました。


 バジル様と練習した甲斐もあり、自然なキスができました。じつはこれが、バジル様との初めてのキスでなかったことは秘密です。

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