四月、新学期とヘーゼル
高三で
政令都市から電車で三時間の地方都市、辺りの市では一番の進学校。三年になって振り分けられた、三つある理系クラス。年度初め特有の出席順に並んだ席が、朱原と瀬央で隣同士だった。
「瀬央くんだ、よろしく」
教室に入った瞬間目に入ったその姿に声をかければ、持ち上がったその顔にはありありと怪訝そうな色が見えた。
色素の薄い緩い癖のある髪に、同じく少し変わった色のちょっと鋭い目。髪と目、その珍しい色が浮かない、作り物めいた端正な造りの顔立ちに、入学当初から学年トップを突っ走る頭の良さ。ついでに帰宅部なのにどの競技をやらせてもそつがないくらいに運動神経が良い瀬央は、とにかく、一年のころからよく目立った。その優秀さの割に、殆ど自己主張しない性格も相まって。
それはその瞬間まで一切接点のなかった俺でも一方的に顔と名前を知っているくらいで、当然、瀬央くんの方が俺を知っている理由はない。こちらは外見は至って平凡を自負しているし、運動は得意でも苦手でもない。勉強はまぁ、そこそこ。瀬央くんほどではない。
「朱原。一年の時体育合同だった」
「あー……悪いな、人の顔覚えんの苦手なんだ」
「ちゃんと喋ったこともないしな」
少し眉を顰めて申し訳なさそうな顔をした瀬央くんに、笑って首を振る。万に一つも知られているとは思っていなかったから、気落ちする理由は一つもない。なにせ何も考えずに声かけたわけだし。だって多分、そこにいたのが瀬央くんじゃなくたって、俺は同じように声をかける。
「えーと、あきはら?」
「うん」
「よろしく」
あ、瀬央くんて案外律儀なんだ。
そのまま流されるだろうと思った。なんせ、一年二年と偶に見かける顔はいつも無表情で、誰かと話していても大人しいと言うか淡々としていると言うか、あまり楽しそうに見えたことが無い。取っつきにくい、少し怖い、人と話すのが好きそうじゃない。そんな雰囲気がある。
今もうるさい教室で一人静かに本を捲っていたのは不思議ではなかった。別に集団から浮いているわけではないけど―なんだろうな。見えない壁のようなものはある。かもしれない。
「勉強、分かんないとこあったら教えてよ」
「あぁ、いいよ」
その壁を見えないことにして、瀬央くんの横をすり抜けて席に着く。出席番号一番の席は久しぶりだった。去年は二番だったから。教科書を鞄から机の中に突っ込みながら体を横に向ける。勿論廊下側の壁に向かってじゃなく。
「俺もそれ系、結構好き」
今まさに俺から意識を離そうかとしていた瀬央くんは、机上で世界史資料集を開いたまま、少しツリ気味の目を僅かに丸くして瞬きした。会話終わったと思ってたなら申し訳ない。自分と似た事してる人見てちょっと嬉しくなったから、つい。
「国語のとかも大体四月中に全部読んじゃう、問題集とかも……お、井原だ。おはよ」
後ろの席、机に伏せていた去年も同じクラスだった野球部が、のそのそ半分寝ている顔を持ち上げた。朝練でもあったんだと思う。去年も出席この順番だったなと思ってたら、また前アキじゃん、と井原も笑った。そうですアキです、今年もよろしく。
「アキっていっつも遅刻寸前だよな」
「いや五分あるから寸前じゃない……永谷おはよー。ほら俺よりぎりぎりの奴いる」
「間に合っただろ!」
「朱原おはよう、今日の部活さ」
「え、今日やんの?」
「やるよ」
廊下側の最前席なんて出入りの際の通り道だから、通りがかりの顔見知りたちがついでとばかりに声をかけてくる。もう先生来んのに皆朝から元気だなと思っていたら、直後にやって来た担任に、ほら座れ座れと蹴散らされていった。今年一年の担任は数学の藤川先生。強面の顔がクラスの端から端をぐるっと見渡して、ほんの一瞬、こちらを向いた目が止まったのが分かった。確認をしたな、と感じた。
俺じゃない。井原でもない。瀬央くんだ、と何となく分かった。それは藤川先生を見てではなくて、瀬央くんが不意に視線を顔ごと横に逃がしたのが、視界の端で見えたから。かもしれない。
本鈴まで多分、あと三十秒。
「……朱原」
「ん?」
まだ耳馴染みのない声は左隣から。まるで先生から意識を逸らす口実のように呼ばれた先で、瀬央くんは無表情に、こちらを見ていた。
瞬きをする目の縁に、不意に目を奪われる。睫毛が、髪と同じ色だった。少し緑がかっても見える、淡くて柔らかい茶色。まっすぐこっちを見る目はもっと緑色が強く見える。なんて言うんだっけこの色。
綺麗だな。
「朱原、睫毛長いな」
「いきなりなに?」
感心するような気持ちから一転して、ぎょっとした。意味不明すぎて。なんの話だよ。思わず率直な言葉が脊髄反射で飛び出した。妙に含みがあったような前振りで、これって。
自分も数瞬おんなじ所を見ていたって言う事実は棚に上げて、でも俺は口に出してはいないしマシじゃない?なんでわざわざそんなこと言った?いや確かに言われることはあるけども。そうやって頭に疑問を並べ立ててる間に、元凶は何事もなかったかのように何も言わず視線を俺から外していた。マジでなに?
問いただす前に、本鈴が鳴る。
なに?
「はい、じゃあ今日から三年と言うことで」
藤川先生が新年度の挨拶を初め、受験の心構えとか高校生最後の一年を楽しくだとかなんか、色んなことを言っている。俺はそれを聞きながら、横目で瀬央くんを見ていた。流石に資料集から目は離して、いかにもとりあえず、って無表情で前を向いている。あの顔から何故俺の睫毛に言及があったのかは、勿論、どんだけ顔を盗み見ても分からない。
「じゃあ出席順に自己紹介。一番、朱原から」
「あ、はい」
新年度の恒例行事だ。しょっぱななのは高校入って初めてかも。意識が瀬央くんに向いていたので、突然名前を呼ばれて何かを考えるより先に反射的に立ち上がった。大体四十人くらいの視線が刺さって、でもまぁ別に、緊張はしない。
「えーと、朱原美月です。英語部、あだ名はアキで、走るのが嫌いです。よろしく」
特に緊張はしなくても自分のことを言うのはそんなに得意ではないし、そもそも他に言うこともないので、さっさと席に着く。ぱちぱち拍手がある中を、二番の井原が立ち上がって自分の名前を口にした。
「みつき」
不意に、小さく小さく、声が聞こえる。
声の出所はすぐに見つかった。俺の真横。瀬央くんと、また、目が合う。お互いにきょとんとしているのがものすごく変な図だった。なんでさっきから、俺は瀬央くんとこんな事をしてるんだろう。瀬央くんは実は、ちょっと変な奴なのかもしれない。誰も知らないかもしれないけど本当は。そんな考えが頭を過ぎったのは、この後、一限目の英語の授業が始まってからのことだった。
その時その瞬間はただ、あの不思議な色の睫毛の奥の、緑がかったヘーゼルの瞳に意識が行っていた。こいつを構成する色はどれもすごく綺麗だなって、そんなことを考えていた。
春の日差しと風の穏やかな、眠たくなるような四月の頭のことだ。
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