わたしわたし

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 ぼくの番ですね。じゃあ、先輩が逮捕された話をします。逮捕というか、警察に駆け込んだらいろいろ訴えられる証拠が見つかって、みたいな話で……悪いことはしていたんですが、それが目的だったわけではないんです。先輩はその、保護してくれと訴えて警察署に行ったんです。

 あの人はその、かなりのプレイボーイで。遊びの幅も広くて、将来はホストか何かになるんじゃないかな、と思えるくらいでした。女性の心をつかむ術を知っていて、うらやましいなと思うこともありましたね。知り合った最初のころから、浮気性というか多情というか、つねに二人か三人と肉体関係を持っていたように思います。全員が美女揃いだったわけでも、タイプが同じだったわけでもない……のが、始まりだったんでしょうか。百唇譜なんて作ってるわけじゃあるまいに。


 発端になる事件が起こった日、ぼくは先輩の腰巾着みたいにして歩いていました。じっさい、同じ立場の人も多かったんじゃないかな? 人型の婚活サイトっていうか、相性のいい人同士がいたらくっつけてることもありましたしね。どの講義が単位取るのに効率いいかとか、部活動でもかなり鍛えていただいたんで、下心がなくても同じことはしてたと思います。ネットワークがね、調べものするのにすごく都合が良くて。

 なんて字を書くのかは知らないんですけど、「フクラ」さんって人でした。いや、そんなに近しくない人に名前なんて書くんですかとか聞かないでしょう。カワサキさんって聞いた瞬間にどのサキですかとか、サイトウさんはどのサイですかとか。西の塔でサイトウさんって人もいるらしいんで。脱線したな。メイク濃いめで黒い服、細身でロングヘア。まあ、不安げな表情とクマが濃い以外はふつうの女性でしたね。

 つねに何人かと肉体関係を持ってる先輩なんで、当然フクラさんにも手を付けてました。誰がどうとか大っぴらに言う人じゃなかったのが幸いしたのか、そういうことばかり言う人だったのか、ぼくと先輩とフクラさん、三人ぽっちになったときも「君が一番」みたいなことばかり。歩道橋を楽しげに歩いてる二人を見ながら、ぼくも降りて行ったんですが――ふいに、フクラさんが足を滑らせて転がり落ちました。三メートルか四メートルか、打ちどころが良くても骨折は免れなかったはずです。血が出るでもなく、動かなくなって……すぐに救急車が到着しました。

 厄介な骨折とか、手術が必要なほどの大けがではなかったんです。ただ、頭を打って意識をなくしていました。結果から言うと、そうではなかったようで……ずっと、意識はあったようです。


 自宅のマンションで、あの日は誰だったんだろう、ユズハさんかな。彼女と寝てたはずの先輩が、ぼくに電話をかけてきたんです。あのとき腰巾着やってたのは三人いたんで、まずぼくが頼られるとは思ってなくて、ちょっと嬉しかったんですけど……「なあ頼む」って真剣な声で言われたのに、なんか鼻歌みたいなのが聞こえてきて、心底ゾッとしました。ちょうどフクラさんがそうするときみたいに、ちょっとだけ鼻にかかった、かすれ気味のやつだったんですよ。

 あいつの様子を見てきてくれって言うんで、一も二もなくすぐ行きました。いや、ぼくも怖かったですから。通話のノイズなんて、ふだんなら気になるはずもなかったんですけど、知り合いが階段から転げ落ちた翌々日ですから。当然病院のベッドに寝てて、おかしなことなんて何も、と思ったんです。看護師さんに聞いてみたら、ときどきバイタルがおかしくなってるって……血圧が妙に下がってることがあって、輸血が欠かせないと。

 すぐに先輩から電話があって、もうむちゃくちゃでした。恐怖とか狼狽とかで口調がぐちゃぐちゃになってて、たぶん女性も周りにいないし、ぼく以外のやつも誰も行かなかったっぽいんですよ。「血が、血が、顔がいっぱい」って。思えば東奔西走って感じであっちこっち走り回らされましたけど、どう考えても急を要する事態でした。

 先輩の部屋の、ベッドの下から血がどぽどぽ湧き出てました。実際の量はそんなに多くなかったはずなんですけど、……いやもう、インパクトがね。それに、壁紙の模様が人の顔のコラージュみたいになってて。おぞましいというか、発狂しかねないくらいの。いま思い出してもゾッとします。ベッドの上っていうギリギリの安全地帯で、顔を覆ってがくがく震えてる先輩に、血を避けながら声をかけました。泣きそうになってました。ぼくでも同じ状態になると思います。

 それから、壁紙の模様がだんだん人間の顔みたいに戻っていって……最終的に、フクラさんの顔が大きさとかバランスとかを無視して、石垣みたいになりました。たった一言だけ「受け取って」と。一世一代の愛の告白、って感じの声音で言って、血の海にぽちゃんと何か落ちました。小指、でした。もう、何が起きたのかは分かってました。病院に行ったら、想像通りに……フクラさんの小指がなくなってました。


 涙と鼻水とで顔をぐっちゃぐちゃにしながら、錯乱しながら警察に駆け込んで保護を訴えたんですが、まあその。立場が弱くなった瞬間に、強姦やら脅迫で訴えるって人がわらわら出てきまして。どれだけひどい人でも、人気者でいるうちは手が出せなかったようなんですが、いろいろとね。強引に肉体関係を結んだ人も、写真を撮って関係を強要していた人も、堕胎させられた人までも出てきまして……かばうつもりはありませんよ、ぼくは先輩がしたことを半分も知らなかったと思うので、素直にそう言いました。

 ところで、目が覚めたフクラさんなんですが、小指がありました。いや、本当なんですよ。それなのに、このあいだ会いに行った先輩は「小指が追いかけてくる、そこにいる」って。病院の先生もしきりに首をかしげてて、何が起きたんだかわけが分からないそうです。事実として、輸血した血液はすぐなくなっていって、先輩の部屋で血の池になってたのは同じ血液型のものでした。あの日は確かにフクラさんの小指がなくなっていて、出血も手当てもされていたはずです。


 ここからは勝手な推測になるんですが……先輩は、業をため込みすぎていたんじゃないでしょうか? ぼくにはどうしても、あれがたった一人が起こしたことだとは思えないんです。どれほど錯乱しても、例えば薬物を使って酩酊したとしても、自分の顔がいくつもある状況なんて……人間には想定できないでしょう?

 それに、ぼくは先輩の女性関係をそこまで知らないんです。血液はあの人がやったことだとして、小指はどうなのかって話になるじゃないですか。ぼくがまったく知らない、話の外に誰かがいる。そう思えて仕方がないんです。そして、その誰かは……


 あの、赤い――

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