第54話 亜人相談事務所の変わらない日常

 数日後……


「それで、俺に黙って二人と出掛けたのか」

「まあそうだけど。グレイは巻き込みたくねえって言ってたぜ」


 亜人相談事務所には、いつかと同じようにグレイとリコが訪れていた。依頼を持ってきたというわけでもない訪問客ではあったが、その日のラムロンには用事もなく、暇潰しにちょうどいいと彼らを雑にもてなしていた。

 しかし、ラムロンが先日の一件を二人に話してやると、その両方の顔が曇る。一部始終を語り終えると、先にグレイが沈黙を破って自分の憂いを口にした。


「そうか……。そういう感じか。はぁ……。てか何でラムなんだよ。他人よりは上司いくだろ普通……。俺は頼れる相手じゃなかったのか……」

「あー、落ち込むなら余所でやってくれねえか? じゃねえと叩き出すぞ」

「すまない……。部下から信頼されてない警察なんて、そんな風にされても文句は言えないな……。思えば昔からずっとこういうことがあったような……」

「…………」


 グレイはルカとフィスの用事に誘われなかったという事実をラムロンの口から知ると、表情を暗くし、ブツブツと呪詛を吐き始める。ラムロンが鬱陶しそうに吐き捨てた警告も、グレイには一切届いていないようだった。まるで一世一代の決心の後にした告白を断られたかのように、彼は床とにらめっこし続けている。

 そして、彼と一緒に事務所を訪れたリコはというと、彼女も彼女で狂っていた。


「ラムロンさん! その話、どうしてもっと早く私に教えてくれなかったんですか!?」


 リコは何故か怒り狂っていた。彼女はグレイの向かいのソファから立ち上がると、顔を真っ赤にしてラムロンにキンキン声を飛ばす。


「いや……リコに知らせる必要なんてないと思うんだけ……」

「どこがどこがどこがぁ!!? 私、レプト様の大ファンなんですけどぉぉーーーッ!!!」

「え……そんなん知らんし」


 リコは普段の理知的な雰囲気からはかけ離れた様子で荒ぶっている。彼女はソファの元から離れてラムロンの目の前まで詰め寄ると、デスクをバンバンと手で叩きながら震える声を轟かせる。


「ほんとに最悪としか言いようがないんですが!! レプト様がこの街に来てて、よりにもよってあのフィスとかいう小娘に先越されるとかマジで無理!! ってか、亜人相談事務所を名乗るんだったら私の趣味くらい察してくれてもいいですよねぇッ!!?」

「どさくさに紛れて無茶苦茶なこと言ってんじゃねえよ!! 俺はエスパーじゃねんだぞ!」

「チッ、どこまでいっても使えない方ですね。今からでも遅くありません。レプト様はどの程度ここに滞在されると仰っていましたか」

「あん? それなら……警察の簡単な事情聴取が終わったら、すぐ別のところに行くって言ってたな。だからもう行っちまったよ」

「………………はっ?」


 ラムロンがリコの質問に返事を返すと、彼女は直前まで暴走させていた熱をどこかに消し飛ばし、一瞬にして真顔になる。さながら赤熱した鉄棒を氷水に落としたかのようだ。そして、部屋自体の体感温度も数度下がったかと思った次の瞬間、リコが今度はポロポロと涙をこぼし始めた。


「そん……な。なんで? どうして……どうして行っちゃったんですか?」

「い、いや理由までは……でも、人気者ならスケジュールは詰まってるもんだろ」

「は、はは……そう、当然そうですよね。はぁ……なんで私っていつもこうなんだろ。間が悪いっていうかなんていうか……仕事頑張ってるし、人のためになるようにって努力してるのに……。少しくらい優しい運命が来てくれてもいいと思いませんか……?」

「……そんなこと、俺に言われてもな……」


 先ほどまではリコの怒号のせいで息が詰まるような空気だったのが、今度はいるだけで気分が下がるような湿度の高い空気が事務所を包む。しかも、除湿の役割を担っているのはグレイとリコの二人。彼らはそれぞれの闇を口から垂れ流し続け、ラムロンの居場所である亜人相談事務所の空気を破壊し続ける。


「まさか人間関係の相談もしてくれないほど用されてないなんてな……上司失格だ」

「私もレプト様に会いたかった……。インタビューでコラムを……一面だって飾れたのに」


 呼んでもないのに訪ねてきて不快感を垂れ流す二人を前にしていると、ラムロンは段々と苛立ち始める。彼はデスクを指でトントンと叩きながら、どうしたものかと頭を抱えた。


(この馬鹿共……とっとと出ていけっつの。つか、ウチは溜まり場じゃねえんだよ)


 心の中では邪魔だと思いながらも、傷心している二人を追い出すのは憚られる。ラムロンはそんなジレンマを抱え、しかし吐き出すことはできずにいた。

 そんな時だ。状況を打破する手を探していたラムロンのもとに、吉報とも言える音が事務所に響き渡る。それは、来客を知らせるインターホン。その音を耳にした瞬間、ラムロンは傷心を気遣う素振りを維持しながらグレイとリコをまとめて追い出そうとする。


「ほら、ウチに来客だ。傷つく気持ちは分かるが、別の場所でやってくれよ。話は後で聞いてやるから」


 そうして、ラムロンが立ち上がって二人を叩き出そうとしたその時、異変は起こる。出入り口の扉が外から勝手に開かれたのだ。


(ん?)


 普通、初見の人間なら中の者に無断で上がり込むなど有り得ない。すなわち、外からやってきたのはラムロンとも顔を合わせたことのある人物だと彼はすぐに察する。刹那、ラムロンの頭の中では、今この状況に都合の良い人物か、悪い人物かで知り合いの顔が二分された。


(あいつらは来るな……話がこじれる!)


 だが、ラムロンの願いも虚しく、来客は彼が今最も来てほしくないと思っていた者達だった。


「こんにちは。巡回で近くを通りかかったんで来ちゃいました」

「私もいるぜ~」

「あれ、グレイさん。今日は休みでしたよね。こんなところで会えるなんて……」

「げっ、あん時の性悪記者もいるじゃねえか」


 来客は二人、ルカとフィスだった。彼女達二人の顔を見ると、ラムロンは心の中で慟哭する。


(なんでだよ!!? こいつら一応警察なんだよなぁ!? 公僕が暇ぶっこいてんじゃねえよッ!!!)


 真面目な警察が暇なのは平和の証ではあるが、そんなことに気を払う余裕は今のラムロンにない。というよりは、現在進行形で彼の神経を消耗することが目の前で起こっていた。


「二人とも、何か最近困ったことはないか?」


 行動をいち早く開始したのはグレイだ。彼は来客が自分の部下達であることに気付いた瞬間、普段通りの表情に戻り、二人の傍にサッと歩み寄る。その距離感は、普段よりもいささか近いようにラムロンの目には映った。恐らく、部下からの信頼を得るという目的に対するグレイのアンサーがこれだったのだろう。


「いや、別にないですけど……」

「本当か? 別に隠す必要はないんだぞ。フィスも、警察に入った経緯を考えれば悩み事は尽きないだろ」

「あぁ? その辺は最近スッキリしたばっかだっつの」

「ははは、二人とも強がるな。部下の悩みは上司の悩み、何でも俺に頼ってくれればいいからな。仕事のことから生活のことまで、何かあればこの俺が聞いてやる。何せチームというのは信頼感が大事だからな」


 グレイは繕った笑い声を上げながらルカとフィスの後ろに回り込み、両者の肩に手をポンと置く。が、彼の期待していたような反応は二人から返ってこなかった。彼女達は肩に手が置かれた瞬間、えも言えぬ感触を味わったのか、それぞれ小さく体を震わせる。そして、ルカは肩に置かれた手をそっとよけ、フィスは払いのける。


「すみません、警部。私は大丈夫ですから」

「なっ……」

「悩みならたった今できたぜ。キモい上司から離れたい、だ」

「うっ……ぐ、がはッ……!」


 ルカの冷たい反応とフィスの敵意のこもった罵倒を受けると、グレイはその場で嗚咽を漏らしながら倒れこむ。どうやら年下女子の部下達に拒絶されたのが相当効いたらしい。最年少で警部にまで昇進した彼は、部下からの言葉の刃によって倒れるのだった。


(俺の目から見ても相当キモかったぞ、グレイ……)


 現場をはたから見ていたラムロンは、自分も女性や部下に接するときはああならないようにと心に刻み込む。

 だが、グレイが倒れても事務所の安寧が戻ったわけではない。今度は、先ほどまで怒り狂ったり咽び泣いたりしていたリコが立ち上がる。


「久しぶりですね、フィスさん」


 リコはつい数十秒前まで取り乱していたのが嘘のように、普段のような柔和なイメージに戻っていた。しかし、違和感はある。それは、フィスに満面の笑みを向けていることだ。いくら内心では心配していたとしても、二人が最後に顔を合わせたのはあの喧嘩の時だ。リコのような若干陰湿な側面も持つ人物が、そんな風に態度をすぐに変えるとは思えない。


「……な、なんだよ気持ち悪い。あの時のことなら、謝らねえぞ」


 フィスの方も異変を察知し、警戒に身を固める。彼女の頭上にある猫の耳は、危険を前にしたかのように小さく震えていた。だが、リコはそんなことには構わずゆっくりとフィスに歩み寄っていく。


「その節はすみませんでした。ちょっと言い過ぎちゃいましたね」

「……微塵も思ってねえだろ、そんなこと」

「あはは……。それはさておき、どうやら先日、レプト様に会ったそうですね?」

「あん? 様って……まあいいや。だったら何なんだよ」

「連絡先とか、もらったんじゃないですか? 聞いたところによると、あの方のバンドメンバーを助けたりしたそうで……あなたのようなガキでもそのチャンスはあったでしょう?」

「おい素が出てんぞ」


 リコの腹から滲み出てくる黒い感情に気圧されながらも、フィスは問われたことに真実で返す。


「別にそういうのはもらってねえよ。ああいう人に連絡先交換しようってこっちから言うのは、ちょっと失礼な気がしたしな」

「……チッ、ゴミが」

「あ、あぁッ!?」


 自分の気遣いからの行為を一瞬で否定されたフィスは、思わず大きい声を上げて反抗の意を示す。だが、リコはそれに構わず自分の言いたいことだけズラズラと無遠慮に並べていく。


「本当に使えないですね。連絡先を聞いていないのはまだいいとして、次にどんな場所に行くとか、この辺りに戻ってくることはあるのかとか、それはいつ頃になりそうとか……そういうのも一切聞いてないんですか? 馬鹿なんですか?」

「だ、だったら何なんだよ! そんなんいちいち聞いてたら厄介なファンだと思われちまうだろうが!」

「はぁ……アポイントメントくらいとっておいてくださいよ。これだから気遣いのできないガキは困ります。そんなんじゃ記者になれませんね」

「なる気ねえよ! なに勝手なことばっか言ってんだ!? ……クソ、私がレプトさんからもらったのはサインだけだっての」


 フィスはリコのいい加減な詰問を止めようと、何気なく自分がサインだけはもらったと口にした。その瞬間、リコのよく回っていた舌が止まる。直前までフィスに対する暴言を捲し立てていたのが嘘のようだ。フィスや隣にいたルカ、後ろで騒ぎを見ていたラムロンもその変わりように目を向ける。

 しかし、リコの狂気は治っていなかった。


「レプト様の……サイン。……よ、よこせえぇッ!!」


 リコはフラフラとした足取りでフィスに近付いたかと思うと、明らかに慣れていない様子で彼女に飛びかかる。知人の発狂を前にフィスは悲鳴を上げて飛び退き、ルカはリコを取り押さえようと二人の間に入った。


「こっ、こいつ急に何してんだよ!?」

「ちょっと落ち着いてください! これ以上暴れるようなら公務を妨害したとみなしますよ!」

「やかましい……暇人警察どもが。私もレプト様に会いたかったのにいぃッ!!」


 リコは嘆いているのか怒っているのか分からないようなグズグズの顔でフィスに襲い掛かろうとする。ルカは暴徒と化したリコを取り押さえようとはしつつも、一般人に怪我を出さないようにするための気遣いのせいで随分と手こずっているようだった。そしてグレイはというと、未だに床に沈んだままだ。

 亜人相談事務所に予兆なくやってきた馬鹿騒ぎを前に、家主であるラムロンは椅子に座り直して大きくため息をつく。


(動物園かよ……ったく)


 彼は訪問客達の暴走を止められないと判断し、机の引き出しからヘッドホンを取り出して外界の騒々しさをシャットアウトした。そして、見るだけでもやかましさを感じる四人から目を外し、自分の携帯を起動して時間を潰そうとする。


(……ん?)


 しかし、暇潰しを開始しようとしたラムロンの目に最初に映ったのは、知人からの二件のメール通知であった。ラムロンは心の中で舌打ちをしつつも、新着順に消化しようと画面に指を滑らせる。

 一通目の送信者は、例の建設会社のイルオだった。


“お久しぶりです、ラムロンさん。早速で申し訳ないのですが、あなたの助力をお願いしたい事態が発生しています。以前より弊社と提携していた某企業が、先日私達がエルフをはじめとする亜人達を受け入れたことを理由に契約を一方的に打ち切ろうとしてきたのです。たった今、社長がこれに憤慨し、オルネドらを引き連れて相手側の企業へ怒鳴り込みに行こうとしています。私とイズミ達で止めている最中なのですが、もちそうにありません。可能であれば至急ご助力をお願い申し上げます。”


 メールの内容に雑に目を通したラムロンは思わず顔をしかめる。事務所に面倒が残っているというのに、余所にも目を向けなければならない状況に辟易しているようだ。とはいえ、これらを無視するわけにもいかない。ラムロンは億劫な気持ちを引きずりながら、二件目の別のメールを開いた。

 次のメールの送信者の欄には、ナフィとあった。彼女の名前を目にすると、ラムロンは思わず口元を緩める。


(ようやく気持ちの整理がついたのか……?)


 今の二人の状況から一歩踏み出せるのではないかと、ラムロンは胸を静かに高鳴らせながら画面を下になぞる。だが、その内容は彼が期待していたようなものではなかった。


“リザちゃんの友達がなんか問題起こしちゃったみたい。人間の子で、リザちゃん達と遊んでるのを別の子供達に馬鹿にされたから、それに怒って手を出しちゃったらしいの。私その子のことはよく知らないから、ラムが様子を見に行ってあげてくれる? 無理そうだったら患者さんの診察が終わった後で私が行くから返信して”


 ナフィのメールは彼女とラムロンの仲についてなどではなく、日常で起きた問題に対処してほしいという極めて簡素なものだった。ラムロンはそれを本文を読んでいた最中に察すると、ガックリと肩を落として携帯をテーブルに置く。


「はぁ……」

(騒がしい連中だな)


 目の前で未だに騒いでいる四人に加え、あちこちで騒ぎ回っている友人達の報せを聞くと、ラムロンは大きくため息をつく。だが、そこに苛立ちや後悔はない。その証拠に、彼は自分の気持ちを整える時間を一呼吸分だけつくったあとで、勢いよく椅子から立ち上がった。


「しょうがねえ。いっちょ頑張るとするか!」


 だらけた格好のまま外へ向かうラムロンの顔には、いつもの締まりのない笑顔があった。

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こちら亜人相談事務所 井田 カオル @mayoihara

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