怪談浦島太郎―うねり猛る乙姫

飯山直太朗

 

 潮の匂いがした。私は今、尾張国おわりのくに知多ちた半島のとある砂浜にいる。故郷の江戸を離れてから十年来、怪奇な物事を求めて諸国を巡る旅を続けてきた。私がここを訪れたのはほかでもない、あの浦島太郎うらしまたろう竜宮りゅうぐうから持ち帰ったという玉手箱が、売りに出されているとの噂を聞いたからだ。棒手振ぼてふりの青年が目の前を通りかかったので、事情を知らないか声をかけてみた。

「すまぬ。この漁村で玉手箱が売られているというのはまことか?」

「申し訳ねえ。俺はこの浜の者じゃねえんで、よく分かんねえや。山向こうの半田はんだ村で鰯商いわしあきないをしてる、清太郎というもんだ」

「うむ……。では他をあたるとするか」

「だけど網元あみもとの家の前で、何か騒ぎが起こってるらしいですぜ」

そう言って棒手振りは、山際の大きな田舎家いなかやを指差した。

「そうか!かたじけない」

私は棒手振りの指す方に向かって駆け出した。


 そこでは、網元の家の門を背にして、一人の男が後ろ手に縛られていた。よく肥えた中年であるが、身に着けている衣服は粗末なもので、河原者かわらもの風にすら見える。彼を取り囲んでいる人垣の中からは、様々な声が聞こえてくる。

泰兵衛たいへえさんがあんなことをしでかすなんてねえ」

「網元のくせしてコソ泥の真似事とはな。よくやるぜ」

「あのちっぽけな箱、そんなに珍しいものなのかい?」

 彼らの話を総合すると、あの縛られた男というのが泰兵衛で、この漁村の網元であるらしい。そうして彼が例の玉手箱を盗んだがために、今の状況に陥ってしまった、ということか。みすぼらしい衣服は、己の正体を隠蔽するためのものなのかもしれない。私は居ても立ってもいられず、隣にいるせぎすの男の肩をがっしとつかんで尋ねる。

「おい。そなたらの言う箱とは、かの浦島が竜宮より持ちきたったという、玉手箱のことだな?」

「おおっ……背のたけえお侍さんだな。そうだとも、網元の泰兵衛が玉手箱売りを殺して、箱を盗んだのがバレちまった。それが今朝の話」

「私はみなもと窮理きゅうりと申す。江戸で儒学をやっておる。わざわざここまで玉手箱を見にやってきたのだ、是非とも見せてほしい!」

胡瓜きゅうり河童カワランベの好きなあれかい?」

「いやいや。ことわりきわめると書いて窮理だ。私の名前などどうでもよいから、とにかくあれを見せてくれ」

「分かった分かった、ずいぶんと熱心だねえ。捨吉すてきち、この物好きなお侍にあの箱を見せてやってくれ!」


 捨吉という小僧の持ってきたその箱は、彼の両のてのひらにすっぽりと収まるほど小さなものであった。ごく軽い箱であって、材質は木製と思われる。直方体の器面には丁寧な朱塗りが施されていた。全体に流麗な花鳥文かちょうもんが浮き彫りされており、一目で高価なものと分かる。

「お侍様、これは本当におとぎ話に出てくる玉手箱なの?」

「うむ……。実物は私も見たことがないからなあ。『御伽草子おとぎぞうし』に見える玉手箱はもっと大きかったと思うがな」

「じゃあ偽物?」

「いや、『手箱』と言えば小さな箱のことだから、このくらいの大きさでもおかしくはない」

「やっぱり本物なんだね!」

「うーん。夢を壊すようで悪いが、贋作がんさくだろうな。これはおそらく堆朱ついしゅだ。漆の層を塗り重ねて彫刻した器のことだ。これはからの国から伝来した技術で、わが国で作られるようになったのは確か、室町殿の御世みよであったかな」

「なんで偽物ってことになるの?」

「浦島の話は既に、その時代より遥か昔、万葉の時代に書かれた書物に登場しておる。だから浦島が堆朱の玉手箱を受け取る道理はないのだ。おおかた骨董品の値を吊り上げるために、浦島の話と結びつけたのだろうな」

「ちぇっ、つまんね」

 

 そう言って小僧は、私に背を向けて走り去っていった。私もまたきびすを返し、この村を立ち去ろうとしたその時、泰兵衛の声が聞こえてきた。

「本当なんだよ!二十年前、俺は竜宮に行ってきたんだ。あの商人が偽物の玉手箱を証拠にして、竜宮に行ってきたなんぞ嘘をつきやがるから、殺してやったのさ」

この男、案外興味深いことを言う。私は人垣を搔き分け、彼の面前に立った。

「それは面白い。その話、もっと詳しく聞かせてくれないか」

「誰だお前?」

「そなたと同じく、あの箱を偽物とみている者だ」

「へええ。なら俺の話を信じてくれるのかい?」

「聞かせてくれ」

「ああ。俺は元々、この村の者じゃなかった。若い頃は瀬戸内せとうちで船乗りをしておったんだが、今から二十年前大嵐に遭っちまって、どういう潮の流れか知らねえが、ここ尾張の村の沖合までたった一人流された。その時漂着した島が、竜宮だったのよ。その時乗ってた大きな船は駄目になったもんだから、俺ははしけでこの村までやってきた」

「それは泰兵衛がこの村に来てからずっと、言い続けてきたことだな」

先程の痩せぎすの男が口を挟む。

「あいつは乙姫から沢山の宝物をもらい、その金で網元の地位を手に入れた。縁もゆかりもないこの地でな。その宝物は竜宮で手に入れたものなんだそうな」

「人聞きの悪いことを言うな、三郎さぶろう。まあ、おおかたこいつの言う通りだがな。あの玉手箱売りの語った竜宮の有様は、完全な嘘っぱちさ。竜宮は今の俺を作ってくれたも同然。それをあることないことしゃべくって飯のタネにしようっていう魂胆に、俺は腹を立てたのだ」

「ではなぜ玉手箱を盗んだのかな」

今度は眼鏡をかけた男が、人垣の中に入ってきた。甲高く響く声で、泰兵衛を問い詰める。

「腹を立てただけならば、盗む必要はないはずじゃ。お前さんはこの村では一番の物持ちじゃから、金目当てというのも考えづらい。しからば……」

「三郎。あの者は?」

私は小声で、痩せぎすの三郎に尋ねる。

「あれは村医者の笹川ささがわ。長崎で阿蘭陀オランダの医術を学んだ男で、商人の遺体をたのも彼だよ」

「しからば、お前さんは竜宮に行ったのが嘘だとバレるのを恐れて、今朝の凶行に及んだのじゃろう!」

笹川が語気を荒らげるのに負けじと、泰兵衛も怒鳴り返す。

「んなわけねえだろ! 笹川、俺の恩義を忘れたか?この寒村でお前が十分な報酬をもらえてるのも、俺の財力によるんだからな」

 

 このままではらちが明くまい。私は二人の会話に割り込むことにした。

「まあまあ泰兵衛殿。ここは私が弁護してあげるから、落ち着いて。笹川殿も、下手人はもう分かっておるのだから、あとは動機を探るだけ。焦らなくてもよかろう」

私は話を整理することにした。

「さて、例の玉手箱は浦島のものではない。このことに笹川殿は同意されるかな?」

「ええ。そもそも浦島太郎は作り話でしょうに。ましてや竜宮などあるはずもなし」

「ならば、ありもしない竜宮の話を玉手箱売りと泰兵衛殿は語っていた。前者は金儲けのためだと泰兵衛殿は言うが、笹川殿はいかがかな?」

「その通りじゃ。そして後者は何か後ろめたい事実を隠すためだろう。例えば竜宮で得たという富は実際には、同船の者から強盗して手に入れたもの、とかな。自分以外に竜宮での体験談を話すものがいたとしたら、自分の話との矛盾を突かれかねんからのう」

「なるほどな。私は泰兵衛殿と笹川殿、どちらの主張も間違っておらぬと思うのです」

「はあ?」

泰兵衛と笹川、二人同時に疑問の声を漏らす。

「行ってみましょうや。竜宮があるというその島に」

私はにやっと笑い、彼方かなたの沖合を指差した。


◇ 

 

 泰兵衛の逃亡を防ぐために監視の者を付けようという話になったが、生憎三人乗りの小舟しか用意できなかったので、我ら三人だけで出向くこととなった。泰兵衛の案内で辿り着いたそこは竜宮と呼ぶにはあまりにも物寂しく、小さな島だった。出発前村人に聞いてみたところ、地元の者にもほとんど知られていないようだ。岩がちの無人島で、中央に小山の如くこんもりとした場所があり、そこにぽっかりと洞穴が開けていた。どこから吹いてくるのか、穴の中からはごうごうと風の音が聞こえる。けれど入口が狭いので、私は天井に頭がつかえそうになる。

「おお、ここだ!懐かしいなぁ」

泰兵衛は洞窟の奥をずんずんと進んでいく。泰兵衛の持つ松明たいまつの光は、すぐに見えなくなってしまった。

カラン。

「これは、人骨ではないか!死んでからかなりの時が経っているようだが」

笹川は松明を小脇に挟んだまま、人間のものと思しき大腿骨だいたいこつを眺めている。

「流石はお医者様、ここで人が亡くなったようですね。おや?」

笹川の足元には、小さな紙人形が転がっていた。私はそれを手に取る。

「やはりな。笹川殿、あなたの主張は間違っていなかった」

「源殿、だったかな。早く泰兵衛を捕らえて邏卒らそつに引き渡さねば。急ごう」

「ふふふふ……。はははははは!」

私は湧き上がる歓喜をこらえきれず、思わず吹き出してしまった。

「源殿、お気を確かに!」

「私は至って正気ですよ。この紙人形は船の守り神、船玉ふなだまの御神体だ。船玉を祭る習俗自体は諸国にあるが、このご神体は伊予いよ大洲おおず産の紙でできている。書を時に使いますからね。手触りですぐそれと知れること」

「ということは……この骸は」

笹川の声が震えている。一方の私は面白くてたまらない。

「そう。今から二十年前、瀬戸内の船がここまで流れ着いてきて、難破でもしたんでしょう。船玉がここに持ち込まれてるのはそのためだ。そうして生き残ったのはただ一人、泰兵衛だった」

「その時泰兵衛がどんな行動をとったかは分からない。この洞窟の中で同船の者を殺し自分だけ逃げたのか、みんなが餓死してゆくのを見守るしかなかったのか、真相はもう、彼にすら分からないだろうなぁ」

「何を面白がっておるのだ。源殿、やはりあなたは正気ではない」

笹川の心配をよそに、私は言葉を続ける。

「泰兵衛は無意識的にその時の記憶を封印し、別の記憶に置き換えることにした。その時に恰好の題材となったのが浦島の物語だった。彼は自分の精神を守るために、虚構の彼方にある竜宮を幻視することに成功したのです。素晴らしい!彼の心の中に、竜宮はまさに存在している!」


 しばらく行くと、泰兵衛の後ろ姿が見えた。どうやら洞窟の深奥しんおう部に辿り着いたらしく、彼は槍のようにそびえたつ、細く高い岩にしがみついていた。風の音は一際ひときわ強く鳴り響いている。

「乙姫様、お久ぶりでございます!お久しぶりでございます!」

岩は床に置かれた泰兵衛の松明の光を受けて、根元を中心にして紅く照り映えていた。天井に近い部分は闇に覆われて見えない。その光景はあたかも、赤い着物を着た長身の女性に泰兵衛がすがり付いているかのようだった。

「御覧なさい。笹川殿。私もああいうふうに、怪力乱神かいりょくらんしんを堂々と認められるような人間になりたいものです」

「うっ……」

笹川の顔は引き攣り、凍ったように動けなくなっている。泰兵衛を、いや彼の取り付いている岩を化け物でも見るような目で見詰めていた。

「おっおっ女が叫んでいる。とぐろを巻いた蛇みたいな女が、泰兵衛の生き血を吸っている……。長崎で聞いたことがことがある。あれは磯女いそおんなだ!」

「あなたにも、風に乗ってありもしない音が聞こえ、朧な視界によって不思議なものが見えたのですね。羨ましいことです。乙姫も磯女も、私には見えない。私にはありのままのこの世しか見えない。だからそれを見るには、他人の目を借りないといけないのです。今日はいいものを見させていただきました」

私は元来た道を引き返し始めた。泰兵衛の嬉しそうな声と、笹川の呻き声が遠くなってゆく。

暗闇の中に何を見たにせよ、彼らは幸福なる幻視の世界の中にいる。引き離すのは野暮というものだ。

 

 しばらくぶりに江戸に帰ってみようか。いや、今は慶應けいおう五年、江戸はもう東京と呼ばれている。私の知る江戸はまだあそこに残っているだろうか。もし残っていなかったとしたら、次の浦島は私だ。

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怪談浦島太郎―うねり猛る乙姫 飯山直太朗 @iyamanaotarou

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