自…未遂同好会

イヌガミユキ

本編

 11月9日の昼休み、とある高等学校の屋上。

 購買部で買ったコッペパンを携えて、坂本さんが点呼を取る。

「それでは出席確認です。水野くん」

 俺は素直に「はい」と返事した。

「そして私。以上2名、今日も欠席なし」

 どう考えても必要のない出席確認にも、いつしかすっかり慣れきっていた。


 部員は坂本さんと俺の2人だけ。

 ここは、自殺未遂同好会である。


 活動内容はとても単純で、毎日昼休みに屋上で集まってお昼ごはんを食べるだけ。本気で自殺未遂を頑張りたい人がいたら怒られてしまうかもしれないけれど、もちろん非認可の同好会で誰にも言っていないし、部員を増やす気もサラサラないので無問題だ。


 ただお昼ごはんを食べるだけでは退屈なので、毎日お互いの持ち寄ったご飯を交換することにしている。坂本さんは購買部で買った惣菜パンを、俺は親が作る弁当を持ってくるのが常だ。

 今日の弁当の中身はミートボール、エビフライ、ブロッコリー、それと白米。坂本さんが目をキラキラさせながら、コッペパン1切れとミートボール1個の交換を申し込んできたので受け入れた。

「ただのミートボールをこんなにワクワクしながら食べる人、見たことない」

 俺がそう呟くと、坂本さんはわざとらしく不思議そうに応えた。

「だって購買で売ってないんだよ、ミートボール。こうして物々交換でもしないとありつけない高級食材だからワクワクもするよ」

 イマイチ納得の行かない顔をしている俺に、坂本さんは熱弁を続けた。

「毎日A級グルメ食べててそれに文句つけてる人よりも、たまに見るお弁当のミートボールで顔の綻んじゃう人のほうが幸せ者でしょ。私はA級グルメなんて食べなくてもいい笑顔をできるよ」

「さしずめ安上がりな幸せ者、ってところか」

 悪態をつく俺に、坂本さんも対抗する。

「水野くんも意地悪なこと言うね。ここから突き落とすことだってできるんだよ?」

「怖い怖い。それじゃ他殺同好会になるし」


 坂本さんの顔は笑っていて、そんな彼女を見ている僕も笑ってしまう。

 毎日が少しだけ楽しくなる、そんな自殺未遂同好会が発足したのは、同年の9月27日のことだった。


 登校すると俺の机に大量の雑巾が山積みにされており、椅子には小学生ガキのような罵詈雑言の落書きがされていた。

 とは言ってもこういう経験はその日が初めてではなかった。5月頃からだろうか、急激に物忘れが激しくなったのか持ち物が消えることが多くなった。露骨にハブられることも日常茶飯事になったし、かと思えば向こうから急に声をかけられバケツの水でお清めしてくれることもあった。

 ああ、こういうことって本当に起きるんだ。創作とテレビの中での出来事じゃないんだと、恥ずかしながら当事者になってやっと実感を得た。

 なぜ僕が標的になってしまったのか、具体的な理由はわからないけれど。人と話すのが苦手で根暗だから選びやすかったのか、そんな奴が中間テストで堂々の1位を取ってしまうくらい成績が良いせいで妬まれているのか。自分で言うのが恥ずかしくなるような心当たりがいくつかあったのでそういうことなんだろうと自分に言い聞かせていた。

 困りはしたけれど、俺が我慢すればいいだけだからと誰にも打ち明けることはせず、そのまま夏休みがやってきた。夏休みにクラスメートと関わることはないので、何事もない8月を過ごしていた。事情を全く知らない親と話している間はなんだか隠し事をしているようで気分が悪かったけれど、人のためにつく嘘は優しさだと飲み込んだ。

 このまま何もなかったかのように過ごし続ければいい。そう思って迎えた新学期だったが、来てそうそう「上履きを貸す約束」をさせられた。右片方だけ上履きを彼らに預け半分スリッパで過ごしていたその日の放課後、池に僕の上履きが浮かんでいるのが先生に見つかり学級会が開かれかけた。だけどそんなことをしても誰も名乗り出ないのは明白で、それによって僕が家に帰れないのがもっと嫌だったので、「あした天気になあれと遊んでたらウォーターハザードしただけです」と申告したら疑いの目は持たれつつ解散となった。しかしそんな俺の立ち回りもクラスメートは気に入らなかったようで、その日を境に僕への仕打ちが激化していった。

 そんな矢先での9月27日、雑巾山積み落書き事件が勃発。今思えばこの出来事が初めて俺への仕打ちが教室内で可視化されたもので、なにも知らない学級委員長の宮下さんが先生へと報告し、朝から授業を取りやめて学級会が執り行われる運びとなった。流石に言い訳のしようがなかったので免れなかった。始めの頃は誰も口を割らなかったが、次第に味方の売り合いが始まった。主犯格がその友達に押し付け、その友達は仲良くない共犯者に押し付け。地獄だった。地獄絵図だった。そんな人間の愚かさと醜さをまじまじと見せられた日の昼休み、俺は自殺することにした。

 本当は耐えられなくなっていたのかもしれない。辛かったのかもしれない。糸がプツリと音を立てて切れたようにもう全てがどうでもよくなったので、うまいこと先生の目をくぐり抜けながら学校の屋上へと向かった。

 これで屋上への扉に鍵がかかってたらだいぶダサいなと思いつつノブを回すと手前へ開き、晩夏の涼しさを孕んだ風が髪を揺らした。


 視線の先には、柵の外側に立つ女子生徒がいた。

 ドキッとしてこちらに目を向けられるも、面識のない生徒がやってきたことにキョトンとした様子だった。


 まさか先約がいるとは、驚いた。

 どうしようどうしようと思い、血迷った俺はノブを握ったまま女子生徒へとりあえず声をかけた。


「自殺、お好きなんですか?」

「……はい?」


 全く知らない生徒と目があってそのまま飛び降りるのも忍びなかったのか、わざわざその人は柵の内側へ戻ってきてくれた。

「……えっと、あなたは?」

「ああ、僕は1組の水野といいます」

「じゃなくて。こんなところにきて何をしようとしてるのかなって」

 質問の意図を説明したのち、でも名乗らない理由もないと思ったのかその人も自己紹介をしてくれた。

「私は坂本っていいます。2組です。今から飛び降り自殺しようとしてました」

 しらばっくれて「えぇ? 奇遇ですね、僕もです」と返すと坂本さんは、最初は冗談だと思って「嘘。先生に頼まれてきたんでしょ」と言ったが、僕の目をしばらく見ているうちに本当だと察して声には出さず顔で驚いていた。その顔のまま「奇遇ですね」と言った。


 お互いそれなりの心意気で屋上へとやってきたけれど、バッタリ自殺志願者同士が出会ってしまったことでそのモチベーションもなくなり、今日のところは諦めることにした。そのままバイバイと教室に戻るのだけは絶対に嫌だったので、授業を全部サボるつもりで坂本さんとお話をすることにした。


「へえ、いじめのエスカレートか。いつも思うんだけどそんな子どもみたいなことをして惨めに思わないのかな?」

「そう自分を客観視できるほど頭が良くないか、客観視できすぎて辛くなるからやっちゃうんじゃないですかね。いずれにしたって理解できないけど」

 僕の事情を一通り話したので、僭越ながら僕からも聞いた。

「坂本さんは? なんで柵の外に立ってたんですか」

 顔に書いたように「そりゃあ聞かれるよな」という顔をして、坂本さんは彼女の話をし始めた。


「水野さん……だっけ。水野さんは、お母さんに弁当作ってもらってる?」

 いきなりの質問ですこしびっくりしたが、答えた。

「はい、ありかたいことに」

「しゃあ、家に帰ったとき『おかえり』って言われたことある?」

 その後も、「『電気点けっぱだよ』って言われたことは?」「修学旅行行く前に『気をつけてね』って言われたことは?」と質問が続き、俺は全てに「はい」と答えた。

 そんな俺を羨むように、彼女は話した。

「私ね、全部ないんだよ。お母さんに弁当作ってもらったことも、行ってらっしゃいとお帰りを言われたことも、無駄遣いを指摘されたことも、身の安心を願われたことも。言われたことがあるとしたら『コップに水入れて』ぐらい」

 俺が何も言えない中、坂本さんは家族の話を続けた。

「うちね、私が8歳の時にお父さん亡くなってるの。交通事故で打ち所が悪くてね。優しいお父さんだったの。お母さんもすこし気が強いけど悪い人じゃなかった。だけどお父さんが亡くなったときのショックが凄かったみたい。しばらくずーっと寝込んでて、家の事はその時に私がやるようになったんだ」

 どこかを見ているようで何も見ていない、そんな目で坂本さんは話す。

「しばらくして急に出かける日が増えたから、もう大丈夫かなって思った。でも違ったの。お母さん、ホストクラブに通うようになってたみたい。家のお金を叩きまくって通ってたんだけど、もちろんお父さんいなくなって収入なかったから、補うためにお母さんが水商売を始めたの。だからお母さんは昼も夜も家にいないし、夜帰ってくるときはだいたい酒で酔いつぶれてて。その間も家事は全部私がやってたからなんとか成り立ってたって感じ」

「要するにネグレクトってやつですか」

「そう言うらしいね。別にそれを言葉にしてどうなるわけでもないんだけどさ。まあそんな感じでずーっと私が家を保ってきたの。それでいつか1度でいいからありがとうって言われたかったの。1度嘘でもいいから頭を撫でてほしかったの」

 そう言うと坂本さんはすこし俯いて、声がわずかに細くなった。

「昨日の晩、掃除してたらちょっと早めにお母さんが帰ってきたの。まあまたベロベロだったからちょっと待っててねってコップに水を入れてあげた。あげたらね、お母さんが私の顔をぶったんだよ。それでお母さん、私に言ったの。『良い娘ぶらないでよ。なにも言わず水持ってこないでよ。確かに酷いお母さんかもしれないけど、見下されてるみたいでつらいのよ』って」

 唖然として、何も言えなかった。

 こんなに良い人なのに、こんなに良い人だから?

 なぜ坂本さんがぶたれなきゃいけなかったのか。自分のことを忘れるぐらい、憤りを感じてしまった。

「だからね、今日死ぬことにしたの。したんだけどね、水野くんに会っちゃったよ」

 笑いながら言う坂本さんの顔が眩しくて、眩しいからこそ一抹の絶望を感じざるを得なかった。


 すっかり今日死ぬモチベーションを失った俺は、冗談めかして坂本さんに言った。

「また別日に再挑戦ですね。昼休みに坂本さんより早く来て飛び降りるんで」

 坂本さんもどこか楽しそうに返した。

「いいや、私のほうが先にくるからね。ていうか今日私のほうが早かったんだから譲ってよ」


 それからしばし、場に沈黙が訪れる。

 先に口を開いたのは坂本さんだった。


「……またこうやって水野くんに会っちゃったら、死ねないんだろうな」

 俺も軽く頷き同意を示す。

「今度出会って自殺未遂しちゃったとき、手ぶらだと寂しいから昼ごはんでも持参します。運良く坂本さんいなかったら、弁当置いて死にます」


 そこから1週間、坂本さんと俺はどうにもお昼ごはんを携えて遭遇してしまう日々を送っていた。

 さすがにもう「またか〜」という顔をするのが抑えきれなくなってきた頃合い、坂本さんが1つの案を持ってきた。

「ねえ、私達で同好会を作らない?」

「同好会……ですか。なんの?」

 坂本さんは、目を光らせてあわや地域に聞こえてしまうのではないかという声で名前を発表した。

「自殺未遂同好会!」


 時は流れて現在11月9日。

 依然として2人で弁当を食べる日が続いている。いつしか同好会が2人とも安心していられる場になって、正直ちょっとだけ死ぬ気は薄れてきていた。そもそも最近は自殺の話なんて点呼のときしかしていなかった。まあこれだけの時間が流れれば無理もない。

 それ故に、凄く久しぶりに坂本さんから死を思わせられる話が飛び出してきて懐かしい気持ちになった。

「なんかさー、もうこの同好会がある内は死ななくてもいいかって思えてきちゃったよ」

「正直ね。案外……楽しいし。しばらくはいいかもってなってる。でもそれじゃあ同好会名乗れなくならない?」

 そんなことを言う俺に真面目だね〜と返す坂本さん。非認可なのでなんの意味もないけれど、現在は自殺未遂同好会の会長を担ってくれている。ちなみに僕は名誉副会長だ。意義が揺らぎつつある同好会について、会長から1つの宣言がなされた。

「でもね、私はこの同好会がなくなるなら……水野くんが死んじゃったら、後を追ってでも死ぬよ。心の中ではずっと決めてたけど、改めて」

 名誉副会長も宣言をする。

「俺も死ぬよ。同好会なくなるなら……坂本さんが亡くなるならね」


 それを聞いてにっと笑う坂本さんにつられ、俺も少し笑ってしまう。

 そろそろ冬が訪れて屋上が寒くなりそうだけど、今後どうするかなどは1つも決めていない。俺へのいじめ問題は何一つ解決してないし坂本さんの家庭事情にも一切の改善は見られないけれど、とりあえず部員のどっちかが死ななければなんでもいい。俺はそんなふうに考えているし、多分坂本さんも同意見だと思う。


 自殺未遂同好会はいつまで存続し続けるだろうか。誰にも分からないしそもそも誰も知らないけれど。

 そんなものに、ほんのり心でワクワクしている俺が確かにここにいる。

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