第16話 工場へ ~ 蘇る記憶③

 工場長に挨拶を済ませると、会議室を借りて、指定した帳簿の調査を始めた。

 帳簿の照合などは、会議室で行う。会議室といっても、本社のような綺麗な場所ではない。同じプレハブ内の狭い空間だ。そこに小テーブルと椅子が並べられている。

席もタクシーと同じだ。向かいの席には中谷さんがいるが、私の横に貼り付くように課長が座った。息苦しいし、視線が気になって仕方ない。ちらちらと横目で私の足を眺めているのが分かる。

 仕事を始めると花田課長は、「工場の調査なんて、白井くんと二人だけでよかったんだけどなあ」と露骨に言って、「まあ、中谷くんがいるから、ワシはのんびりできるがね」と続けた。

 私は、「中谷さんがいますから、助かります。係長はお仕事が早くて有名なんですよ。きっと、お仕事も早く終わって、早く帰れますよ」と言った。

 その言葉で課長が機嫌が悪くなるのは分かっている。けれど、そう言いたかった。

 だが、課長は違う意味にとったらしく、

「そうだな、早く終わらせて、帰りにどこかで飯でも食いに行くか」と言った。

 ああ、帰りの事を忘れていた。

 まさかとは思うが、中谷さんを早く帰らせて、私をどこかに誘うつもりなのかもしれない。

 ・・憂鬱だ。中谷さんがいることだけが救いだった。


 帳簿を見ることに目が疲れると、窓の外を見る。

 会議室の大きな窓からは、工場の敷地全体が見渡せた。

 砂利の土地に高く積まれた鉄屑。舞い上がる砂埃。

 工場から工場へと忙しく走り回る台車に軽トラック。

 土砂を運ぶトラックが出入りし、至る所で重機が稼働している。その周囲でヘルメットを被った工員たちが忙しそうにしている。

 そんな光景を眺めていると、少し羨ましくなる。あの中にはセクハラなんてないんだろうな、そんなことを考えてしまう。


 窓一枚を隔てて、こちらはセクハラの世界だ。

 花田課長は、空調が効いているのにも関わらず、額から汗を垂らしている。中年特有の粘度の濃い脂汗だ。

 作業中も、課長は何かにつけて私の席に椅子を寄せ、質問や下らない冗談を投げかけては、肩や腕に手を触れてきた。

 私が体をかわすとよけいに面白いのか、臭い息を吐きかけながら更に詰め寄ってくる。

 助けを求めるようと中谷さんを見ても、素知らぬ顔だ。

 いや、たぶんあの顔は知っている。知っていても言えないのだ。それにここは会議室だ。それ以上の事はないだろうと踏んでいるのかもしれまい。

 一方、課長は中谷さんが何も言わないのをいいことに、更に寄ってきて、太ももの上に手を置いた。

 そのイヤらしい手の感触に、

「ちょっと、課長!」

 私が声を上げると、中谷さんの椅子がガタッと音がした。

 さすがの中谷さんも我慢の緒が切れたのかもしれない。

 それを悟ったのか、太ももの上の手を退けて、

「ずいぶんと、外がうるさいな」

 花田課長が注意をそらすように大きな声を出した。


 騒音の原因は、事務所の外だった。

 重機の音だ。

 中でも、群を抜いて大きなパワーショベルが課長の「うるさい」という物の正体だ。

 さっきの人の良さそうな事務員の山下さんがお茶を出しに現れると、花田課長は、

「重機の音がやかましいな。新しいショベルだろ?」と文句を言った。

 すると、山下さんは、

「すみませんねえ。あのパワーショベル、先月、購入したばかりなのに、調子が悪いんですよ。私も専門的なことは分からないですけれど、ショベルの肝心のアーム部分がおかしいらしいです」と説明した。

「油圧ポンプの伝達部分、ギヤとか悪いんじゃないか」と花田課長は適当なことを言って、「いずれにせよ、メーカーを呼んで見てもらえ」と偉そうに言った。

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セクハラ退治の白井さん ~ スピンオフ「三千子」 小原ききょう @oharakikyo

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