第15話 工場へ ~ 蘇る記憶②

 これは後に分かったことだが、中谷さんが同行することになったのには理由があった。

 今は離婚しているが、中谷さんの奥さんが会社側に言ってくれたのだ。

 中谷さんの奥さんの父親は、この会社のグループの会長をしている。

 これは、私の想像だが、課長が女性社員たちにセクハラをしているのは公然の事実となっている。当然、中谷さんも耳にしているはずだ。

 そこへ、今度の出張だ。中谷さんが奥さんの父親を介して、会社に言ってくれたのだと思う。

 いずれにしろ嬉しいし、中谷さんがいたら安全だ。


 私とは正反対に、花田課長はひどくご機嫌斜めだった。

 工場に向かうタクシーの中で「どうして、中谷くんが、一緒なのかね」とずっとぼやいていた。

 それはそれでいいのだけど、せっかく中谷さんと一緒にタクシーで行くと思っていたのに、彼は助手席に座って、私と花田課長が後部席だ。

 最悪の居心地だった。

 課長と距離を置いていても、すぐにじわじわと寄ってくる。車が少しでも揺れると、それに合わせて体を倒してくる。

 中谷さん、助けて! と言うこともできない。

 仮にそう言ったとしても、中谷さんはどうすることもできない。もし課長を戒めたりしたら、中谷さんの会社での立場が悪くなるからだ。

 けれど、中谷さんが私のことを気にしているのは分かる。彼はルームミラー越しに、課長の動きを観察している。それだけでも嬉しかった。

 一方、隣のセクハラ男は窓の外を見ずに、私の太ももばかり凝視している。その目は「おいしそうな太ももだ」と言っているようだ。

 触ってこないだけでもマシかもしれない。


 時折、花田課長は「どうして、部長は、中谷くんが同行するようになんて、言ったのかなあ」とぼやいている。中谷さんが聞いているのに、態度が露骨だ。


 本社から30分ほど時間をかけて、工場に着いた。

 工場は、そのほとんどが広大な屋外の敷地で、残り三分の一が屋根のある屋内工場だ。

 その端に、私たちが訪問するプレハブの簡易な事務所がある。

 工場には、会社から、数十万の引当金が当てられる。その金をちゃんとした目的で使われているかどうかを調べるのも私たち経理部の仕事だ。

 帳簿自体は経理部に上がってくるけれど、現場に行ってみて、それを照合しなければならない。本当だったら、日を分けて作業するのだけど、ここの工場長はきっちりしているので、部長も信用している。

 いい加減な人間がいる工場であれば、引当金をどんどん請求し、その実態が本来の目的でないことに使用されていたりする。そして、ちゃんとした領収書が添付されていない。すると、未精算のまま、引当金が膨らむという現象が起きる。


「御苦労さんです」

 定年間際の工業長の木村さんが言った。噂通り人柄が良さげだ。

 テーブルに日本茶が配された。出してくれたのは、これも50歳代の人の良さそうな女性だ。名札に「山下」と書いてある。

 私たちがお茶に手をつけ始めると工場長が、

「花田課長、今回は泊まりはナシなんですね?」と言った。

 訊かれた花田課長は「ああ、そうなんだよ」とつまらなそうに答えた。

 おそらく泊まりが無くなったのも、中谷さんの取り計らいだと思う。

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