17 虎、見参

 槍を突き、刀を振るい、馬を馳せ。

 福島正則は懸命に前へ進んでいた。

 あとにつづくは、羽柴秀吉の正室、ねね。

 ふたりは、この長浜の城外をひた進み、京を目指していた。

 だが、行く手を阻むは、阿閉貞征あつじさだゆきに傭われた、足軽雑兵たち。

 彼らは手柄を金銭をと欲望を丸出しにして、ふたりに襲いかかっていた。


「……くそっ。きりがない!」


「…………」


 毒づく正則にねねが視線を向ける。

 だが正則はその視線をかわすように、無言で槍を取った。

 言わせない。

 自分を置いていけとは言わせない。

 長年「おふくろさま」と慕っていたねねのことを、正則は正確に理解していた。

 この「おふくろさま」は、「その時」は恬淡と己を捨てる。

 そもそも、己が死んだときに備えて、すでに石田三成にすべてを伝え、中国に向かわせている。

 これが正則であれば、律儀に中国に向かわずに、己を心配して長浜に舞い戻るであろうことを計算に入れて。


「……じゃが、それはいいのじゃが、おふくろさまはもっと己を大切になされ!」


 背後にいるはずのねねからの返答はない。

 もしかしたら、「二手に別れる」と言い出す機をうかがっているのではないか。

 もし、言い出したらその時は。


「この正則、派手に散ってみせるわ!」



 ……時間や日にちは前後する。

 石田三成は、近江を駆け、山城に至り、そこから丹波、但馬たじまへと向かっていく。

 その行程は、かつて明智光秀が京へと襲いかかった道の、逆を行く。

 常識で考えれば、通るのは避けるべきところであろう。


「だが、敢えてそこを行く。これが軍勢なら誰何すいかされ問われようが、こうして一騎駆けで行くのなら、何とか」


 三成は馬に鞭をくれる。

 実は、この丹波路については自信があった。

 かつて、摂津にて荒木村重が織田信長から離反し、叛旗をひるがえした時。

 羽柴秀吉は播磨攻めのため、姫路にいた。

 姫路と京の中間地点が摂津であり、信長からの連絡や補給が見込めず、秀吉は進退窮まった。


「これでは、京や近江との、つなぎができぬ」


 そう歎いた秀吉であったが、すぐに立て直しを図った。

 すなわち、まだ服属させていない丹波や但馬を制した上で、その丹波路、但馬路を使った、連絡路の確立である。

 秀吉はこれを最も信頼のおける腹心にして弟、羽柴秀長に任せる。

 当時、元服するかしないかの三成もこれに従事した。


「たしかその時、但馬の地侍どもを平定した、大柄の男がいたな……」


 そう考える三成の横を、滑るようにひとりの騎馬武者がすれ違い、通り過ぎていった。

 その騎馬武者は六尺二寸(百九十センチ)の長身で、一瞬、三成の方をちらりと見たが、何も言わずに駆けて行った。

 一方の三成は、ちょうどねねに伝えられたことを反芻していたため、特に気づくことはなかった。



「……ぐっ」


 福島正則は自身の限界を感じ始めていた。

 これまで戦場を駆ける時は、そんなものなど、まるで無いがごとくに、どこまでも、いつまでも戦うことができた。

 だがそれは、羽柴秀吉という偉大な「おやじさま」がお膳立てをしてくれたからだ。

 正則は今、そう思った。

 何も、背後にいるねねにそれができないと言っているわけではない。

 状況が圧倒的に不利なのは、ねねのせいではない。

 問題は、それを覆せない、もしくは、抗えない、己の……。


「力不足じゃッ! おふくろさま、こうなれば……」


 周りには足軽雑兵。

 気がつくと、阿閉の軍の将とおぼしき者まで来ているのが見える。

 自分たちがもう捕まえられると思って、を呼んだのか。

 槍も刀も捨てて、ねねを抱きかかえて、琵琶湖に飛び込むか。

 正則はそう思ったが、ねねが一瞬早く、正則の前へ出た。


「わたしは羽柴秀吉が妻女、ねね! 手柄とせん者は、前に出よッ!」


「おっ、おふくろさま!」


 正則はこの期に及んで、正則を生かそうとするねねの胆力に舌を巻いた。

 そしてその母性に泣いた。

 しかし、逃げることはできない。

 ここまでされて、ねねを見捨てたとなれば、許されないだろう。

 秀吉にではない。

 虎(加藤清正)にでもない。


「己自身が許さんのじゃッ! おふくろさま、いざという時は、おれがあんたを殺す! 殺しておれも死ぬ!」


 えた。

 のちに千軍万馬を従える驍将ぎょうしょうとして名をはせる、福島正則が吼えた。

 その咆哮に、一瞬、足軽雑兵どもがたじろぐ。

 たじろいだ足軽の一人が、一歩、しりぞくと、背後の何かにぶつかった。

 その足軽は、おいどけ、邪魔だと舌を打つ。

 すると、その何かは軽々と足軽をつかみ上げた。


「……邪魔なのは、お前だよ」


 足軽は目をみはった。

 どちらかというと鈍重な自分を、ここまで持ち上がる何か、いや、大男の膂力に目をみはった。


「う……わ! なっ、何じゃおぬし! 離せ! 同じ仲間じゃろう!」


「……仲間?」


 六尺五寸はあろうとおぼしき大男は、大きな目をぐいと動かして、足軽を見た。


「あんな生きのいい若いのと女丈夫を追い詰めるような奴と、一緒にすんな」


 ぶん。

 大男が、足軽を投げた。

 足軽はうわああと情けない叫び声を上げながら飛び、正則とねねの前に落下した。

 あまりのことに、正則は目をき、ねねは口を覆い、他の足軽雑兵らも静止してしまう。


「おい、逃げろ」


 大男の、意外とやさしげな声が響いた。

 何を、と思うが、今この場で「逃げる」と言えるのは、正則とねねしかいない。

 気づくと、大男は足軽雑兵の群れの中、足軽や雑兵を薙ぎ倒しながら、進んで来る。


「おい、ぼさっとすんな、こっちこっち」


 大男は自分を指差し、ついて来いと示す。

 ここで、あっけに取られていた足軽たちが、ついに気がついた。

 正則とねねに、援軍が来た、と。

 そして、ちょうど来合わせていた阿閉軍の将が、その大男を見た。


「あっ」


「うっ」


 まずい、という表情をして、大男はおもてを伏せたが、もう遅かった。


「そっ、そなた! もしや、藤堂高虎ではないか! 阿閉の那多介や広部の文平を斬って出奔しゅっぽんした!」




 ……のちに七度主君を代えた男、築城の名人、そして時代に冠絶する政客にして武将として名を残す男、藤堂高虎。

 今の主、羽柴秀長に命じられ、ねねを救い出しに参上した次第である。

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