廃墟の肖像画

 とある山奥に、廃墟となった山荘があった。少なく見積もっても20年近くは人の出入りがないであろうほどに荒れ果てて、廃れていた。雑草が室外、室内問わずあちこちに生え、窓は割れ、家の壁紙は剥がれ、崩れかけた部分もあった。そんな家の中に、ある肖像画が飾ってあった。それは、今は亡きこの山荘の持ち主だった者の肖像画だった。


 それは、初老の男性の肖像画だった。こちら側を、じっと見つめてくる目は、何かを恐れているのか、何かを憐れんでいるのか、何かを悲しんでいるのか、不思議な目をしていた。優しい顔とも、怒っている顔とも、様々なとらえ方ができる不思議な表情だった。彼の目の横に刻まれた数本のしわには何か長年の歴史の積み重ねを感じさせた。


 彼がその山荘と共にその人生を全うしただろう想像は容易にできた。たとえ、この廃墟に人が訪れなくとも、その肖像はその不思議な目で、ずっとこの廃墟を見守ってきたという揺るぎない事実がそこにはあったのである。もっとも、歴史というものは記録されたものだけで構成されているから、この肖像が廃墟を見つめていたという事実は歴史としては記録されず、いつしか廃墟と共に風化される事実である。


 しかし、持ち主だった男性の生きた証は肖像画として残り、歴史として刻まれるはずだったのである。本当は歴史を構成するはずだったのである。それなのに、山荘は手つかずの廃墟となってしまったがばっかりに、彼の肖像画に込められた歴史が、山荘と共に消えてしまうのだった。


 肖像画を描かれたこの老人の表情は、きっと自らの生きた証を残すことのできたという喜びにも似た感覚、または、ある一つの終着点に到達したという悟りにも似た感覚だったのかもしれない。


 しかし、今となっては、この肖像画の廃墟を見つめる表情は、それを憂いている表情にも見える。もしくは、滅びゆく自らの抗うことのできない運命を前に嘆いている表情ともとれる。


 もはや、廃墟の肖像画は、生前の老人からは一人歩きして離れているのである。言うなれば、この肖像画は老人とは独立した新たな生命を得たということである。そして、老人の生きた証を背負い、廃墟と共に朽ちていく己が命を全うしようとしているのである。


 だから、覚えておいてほしいのである。肖像画が残した老人の生きた証をではなくて、肖像画が肖像画として生きた証を。廃墟とともに、歴史の闇に消えようとする肖像画のことを、心の隅にでも覚えておいてほしいのである。


 しかし、その廃墟とは果たしてどこにあるのだろうか。場所は全く定かではない。確かに存在しているはずなのだが。しかし、我々は皆、どこかで朽ちていく廃墟に思いを馳せるのである。そこに残された肖像画に思いを馳せながら。

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《ショートショート集》 オチがあり、様々なジャンルで、ちょっとシュールなショートショート集 箱陸利 @WR1T3R

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