第9話 大団円
この事件の動機は、どう考えても、この親子関係にあるのは間違いないようだ。それがどのように犯罪として成立したのかということを考えるのは、また別の問題のように思えた。
桜井刑事は、治子に聞いた話を捜査本部に戻って報告した。
「なるほど、そういうことではないかと私も思っていました。でもですね、私はこの事件は、それぞれの人間の思惑が交差することで出来上がった殺人ではないかと思うんです。どこが一番の問題なのかということを考えていくと、少しずつ気が付いてきたような気がしますね」
と、浅川刑事が話した。
浅川刑事がこういう話し方をする時というのは、ほぼ事件の真相に近づいていると言ってもいいだろう。それを皆分かっているので、なるべく浅川刑事の話を妨げないようにしなければいけないと思うのだった・
「浅川刑事の意見を伺おうじゃないか」
と捜査主任である松田警部補が言った。
浅川刑事はいつものように、まわりを見渡して、
「じゃあ、私の意見を披露されていただきます」
と言ったが、これもいつものことだった。
「まず、この事件の動機ですが、一番大きなものとしては、遥香ちゃんが川崎直哉氏の薄めではなかったというところでしょうね。そして、事件がややこしくなったのは、真犯人が思ってもいない状況に、舞台が動いていったということ、そこに大きな問題があとうかと思います。そもそもの根底にあるのは、たぶん、このK市という街の独特な他の土地にはないモデル都市としての雰囲気が大きく影響しているでしょうね。やだ、それは表に出ているメリットだけではなく、デメリットの部分が凝縮された形で表に出てきたことが事件の根底にあるのだと思います」
と浅川刑事は言った。
「ということは、この事件には共犯者がいるということなのかな? 今の浅川刑事の言い回しを訊くと、真犯人の知らないところで行われている事後共犯のように聞こえるんだけど、どうなんだろうか?」
と、松田警部補は答えた。
「ええ、そうです。この事件の特徴は、事後共犯が存在しているということにもあるんです。私はそう考えているんですよ」
と浅川刑事は言った。
「真犯人は、そこまで聞いてしまうと、娘の遥香以外には考えられないような気がするんですが、違うんでしょうか?」
と、桜井刑事が言ったが、
「桜井さんは、ゆりなという女性から話を訊いてきているんですよね? その話の中で、春日井氏は、二度ショックを受けたという話でした。そして二度目は多いなる後悔の念から、救われないような罪を犯したという話でした。もし、昔の一度の過ちで、生まれた娘が遥香だったとすれば、そこまで許されない後悔を孕んだ罪を犯したとは言えないのではないでしょうか? それを思うと、春日井氏には、また別の罪があったのではないかと言えると思います。彼は今まで女性関係に関してはかなりの武勇伝を持っているということなので、少々のことで、そこまでの後悔の念を抱いたとは思えません、それを死を覚悟するまでの後悔というのは、よほどのことです。それを十数年も前のたった一度の不倫が影響しているとは思えない。ただ、それも春日井氏が、遥香ちゃんを自分の娘かどうか分かっているかどうかというのが問題なのではないでしょうか?」
と浅川刑事は言った。
「浅川さんはどこまで分かっているんですか?」
と、桜井刑事は訊いたが、
「自分としては、ある程度の辻褄は合っているような気がするので、これも一つの真実ではないかという見方もできると思うんです。だから、私の考えがどこまで信憑性があるか、皆さんに聞いてもらいたいとは思いますね」
と、浅川刑事がいう。
「さっき、浅川刑事は事故共犯の話をしたが、私が考えられる事後共犯があったとすれば、死体を動かしたというあたりのことなんだろうか?」
と、松田警部補は訊いてきたので、
「ええ、その通りです。死体を動かしたことが事後共犯だとすると、ある程度辻褄が合うような部分があるんです。例えば、K市河川敷で発見された現場ですがね、あそこには二つの血液型の痕跡が残っていた。二つの死体が並んでいれば、確かにまず疑われるのは、治子か遥香のどちらかということになる。片桐氏ということも考えられるが、二人が並んでいれば、逆に考えにくい。彼にどちらかを殺害する動機があったとしても、二人を同時に殺すというのは考えにくいですからね。でもですね、ただ、もっと考えると、死体を動かすということは、それだけ危険性もあるんですよ。その証拠に春日井板金工場で死体が見つかった時、死体を動かしたかも知れないということは簡単に看破されましたよね? だから、死体が見つかった時、被害者がどこで殺されたのかを考えているところに、弟の死体が発見された。一緒に殺されたかも知れないと思って調べると、二種類の血液型が見つかった。ここまで共犯者は考えていなかったとも言えるかも知れないが、そのおかげで血液型がクローズアップされ、犯人が分かりやすくなってしまった」
と浅川刑事は言った。
「河川敷で二人の死体があったら、どうして困るんだろう?」
と松田警部補が言ったが。
「それはですね。普通殺害された人が二人いたとすれば、どう考えます? 犯人がまとめて呼び出して殺したと思ませんか? でも、普通それは考えにくいですよね。だって、一人で二人を殺すよりも、一人ずつ別々に殺害する方が成功率は高いですよね。二体一だったら、明らかに返り討ちに遭ってしまう。相手だって殺されないように必死になっていますからね。犯人がそんなことに気づかないわけはない。それをわざと我々に、被害者は二人同じ場所で殺されたと、一周して考えさせることで、この当たり前の考えを思い起こさせないようにしているということも言えるのではないでしょうか?」
という浅川刑事は、言ったが、
「ということは、共犯者は相当頭がいいということでしょうか?」
「いや、そういうことはないと思います。これは偶然そういうことになっただけで、本人としては、少しでも犯行を晦ませることで、真犯人を救おうとしていたのではないかと思うんですよ。犯人は偽装工作までは考えていなかったかも知れないですね、でも、自分の知らないところで、誰かが思いもよらない偽装工作をしてくれたことで、それが誰なのか分かっていたけど、今度は自分がその人を助けなければいけないと思ったのかも知れない。お互いに相手のことを思いやっているところが、この事件の大きな特徴なんじゃないかと思うんですよ」
と、浅川刑事は言った。
「ということは、事後共犯者は、真犯人が犯行を犯すのではないかと絶えず見張っていたんでしょうか?」
と桜井刑事は訊いたが、
「それはそうだと思いますよ。ただ、犯人にも計算できないところがあった。遥香がおじさんを殺そうとしているところを、両親は別々の場所から見ていたんでしょうね。ちなみにここでは事実とは別に、実際に表に現れている家族関係で話をさせてもらいますが、被害者は、殺されるつもりでいたので、さほどの抵抗は受けなかったと思います。だが、何とか防ごうとして、衝動的に飛び出したのが父親だった。そこで完全に遥香は頭の中が混乱してしまったんでしょうね。たぶんですが、大きな声で叫んで、叔父さんを刺したナイフで父親を刺した。おじさんと違って父親は自分が殺されるなどと思ってもみなかったと思います。衝動的に飛び出しはしたけど、頭の中には、まさか娘が自分を殺すなどとは思わなかったんでしょうね。結局二人までも殺してしまった遥香は、もう完全に半狂乱になって、その場を立ち去った。一部始終を見ていた母親は、すべての責任は自分にあると思い、何があっても娘を庇わなければいけないと思った。そこでできることが、何とか犯行を複雑にしようということだったんでしょうね。だからおじさんの死体を自分の家に運ぶのではなく、敢えて夫の死体を運ぶことで、犯罪を複雑にしようとしたんでしょうが、却って疑いを招くことになった、だから私もある程度まで犯行を想像できることができたんだと思います」
と、浅川刑事は言った。
「でも、母親は娘がおじさんを殺した理由は分かっていたんでしょうね?」
と桜井刑事が訊いたので、
「ええ、分かっていたと思いますよ。だから、ここまでであれば、想定内だったはずなのだけど、まさかそこに夫が出てくるなど、しかも、その夫を刺し殺してしまうなど、思いもしなかった。そこで完全にこの事件の元を作ったのが自分であることに気づいた母親は、何としてでも娘の犯行をごまかさなければいけないと思ったんでしょうね。彼女のような性格は、そう思ったら、他のことが考えられないという思い込みで行動するんでしょうね。それが悲劇となり、こんな形で、自分たちに関係のない人まで巻き込くことになるとは思ってもいなかったでしょうね。それがこの事件の一番罪深いところで、余計なことさえしなければよかったと思われるところなんですよ」
と浅川刑事は言った。
「ただ一つ気になるところがあるんですが」
と浅川刑事は続けた。
「どういうことだね?」
と、松田警部補は訊いてみると、浅川刑事は今度はさっきよりもさらに苦々しい表情になり、やり切れないという顔をしていた。
「母親がどうしてここにいたのかというのが少し気になったんですよ」
というと、
「それはやはり娘のことが気になったからじゃないかな?」
と松田警部補が答えたが、
「それはそうかも知れませんが、そうなると四六時中見張ってなければいけなくなるわけです。でもそんなことはまず不可能であり、あの時は偶然見かけたというのも、少し話がうますぎる気がしたんですよ」
と浅川が答えた。
「じゃあ、君はどう解釈するのかね?」
と訊かれ、さらに苦々しい顔になり、
「これは考えすぎかも知れませんが、母親にそこに来るように娘が言ったのではないでしょうか? 直接言ったのか、電話を掛けたのか、置手紙をしたのか、メールしたのか、どれかは分かりませんが、考えられるとすれば直接いうか。電話を掛けるかではないかと思うんです」
「どうしてだね?」
と訊かれた浅川は、
「証拠が残るのを恐れたのかも知れませんね。電話なら録音もあり得ますが、母親がいちいち娘の電話を録音するというのも考えにくいですからね。メールや置手紙なら、消したり捨てたりしなければ、残っていますからね」
と言った。
「なるほど、では、なぜ母親に連絡する必要があったんだね?」
「私が考えますに、母親に過去の自分の罪を顧みてほしかったんじゃないでしょうか? 過去の母親の過ちがこんな事件を起こした。それを思い知らせるためですね」
「じゃあ、遥香の殺害の動機がなんだというんだね?」
「たぶん、直接的にはおじさん、いや実際には血の繋がった実父への復讐でしょうね。春日井氏は、ゆりなさんの前で、二度の反省があったというではないですか。っ一つは兄の嫁との不貞。そして最近にも何かあったとすれば、それは遥香のことではないでしょうか? ひょっとすると、春日井は自分の娘、表向きは甥っ子に乱暴をしたのかも知れない。ひょっとすると、遥香は春日井のことを父だと知っていて、春日井は甥だとしか思っていない関係であれば、春日井のような男であれば、甥でも何でも蹂躙するくらいのことはしそうですからね。だけどさすがに娘ともなると別です。いつ春日井が遥香を自分の娘だと知ったのか、ハッキリ分からないが、ひょっとすると、その暴行された時、遥香がそのことをいったのかも知れない。春日井にとっては、地獄のような気持ちだったでしょうね。知らないとはいえ、自分の娘をと思うと、そおショックは加¥計り知れません」
と浅川刑事は言ったが、
「でも、甥だって同じことですよ。やっていいことと悪いことがある」
と、桜井刑事は怒りを込めて言った。
「でもね、春日井は今だ独身で、子供もいない。子供がほしいと思っていたというのは、ゆりなの証言にもあるんだけどね。想像はしても、ピンとこない自分の娘、甥っ子の遥香を娘のように思っていたのかも知れないが娘というわけではない。それがジレンマとなったのかも知れないね」
「それは理由にはなりませんよ」
と、相変わらず怒り剥き出しの桜井刑事だ。
「それはもちろん、その通りだ。でも、春日井という男、実はそこまで悪い男ではないような気がするんだ。でも、遥香にとっては、それ以上に大きなジレンマが襲ってきた。そしてその矛先は母親にも向く。そもそも二人が不倫などしなければ、こんなことにはならなかった。だが、それであれば、自分が生まれてきたかどうか分からない。そうなると、自分がこの世で不要な人間に思えてくる。それが遥香にとってのジレンマであり、苦しみでもあり、恨みであった。直接的な恨みは実父であるおじさん。そしてほぼ同罪と言えるのが母親。さすがに一緒に暮らしているので殺すのはためらったが、母に容疑が向くように仕向けようというくらいは思ったでしょうね。その第一歩が母親をあの場所に連れてきて。影から自分が実父を殺すところを見せつけることだった。本当は母親を第一発見者にしたかったくらいなんじゃないでしょうか?」
と、浅川は言った。
「じゃあ、どうして母親は事後共犯などをしたというのだろう? 娘を助けるためというのは分かるが、娘はそこまで計算していたんだろうか?」
と松田警部補はいった。
「そうなんですよ、もう一つの疑問はそこにあったんですよね。事後共犯をすることによって、ある意味、事件がややこしくはなったが、結果として、血液型を調べる結果になったと思うんですよ。もちろん、血液型を確認はすると思うんですが、それをいちいち問題にすることはなく、捜査員の中で血液型を意識することはないと考えられるんですよね。そう思うと、死体を動かしたことによって図らずも血液型がクローズアップされることになり、自分が犯人であるということの暴露よりも、ひょっとするともっとリアルなとことで、自分の家族関係の歪な関係を知られてしまうことになる。本当なら墓場まで持っていきたい事実だったかも知れないのにですね。そういう意味で、娘は復讐から母親に罪を着せようとした。そして、母親は損な娘を不憫に思い、事後共犯を行ったところ、却って娘の計画を踏みにじることになるという実に皮肉な結果をもたらしたのではないかと思うんです」
と、浅川刑事は話した。
誰もが浅川刑事の意見に異論を唱えるものはいなかた。何となく事件の真相めいたことを分かっていた人もいるかも知れないが、改めてこうやって話をしてみると、事実と思えることは衝撃的だった。
「結局、娘としては一番誰を憎んでいたんでしょうかね?」
と、桜井刑事が口にすると、さっと皆の視線が桜井刑事に向いた。
それは非難に近い視線であり、最初は誰も口を開かなかったが、
「それは、ここで言及すべきことではないと思います。取り調べの中で、そういう話になると自然と訊けばいいことではないかと思います。こんなことを言ってはいけないのかも知れないですが、私個人の意見とすれば、そのことは誰も知らなくてもいいことのように思えるんです。これこそ、遥香が墓場まで持っていきたいことではないでしょうか?」
と、浅川刑事は答えた。
「よし、それではとりあえず、まずは遥香の逮捕状を取って、彼女の自白を促すような取り知らbを行う必要があるな。まずはそこからだ」
と松田警部補はそう言った。
事件は、急転直下、遥香が逮捕されたことで、素直に自供を始めた遥香だったが、その内容はほぼ、浅川刑事の推理通りだった。本来なら言いたくもないことを口にさせたことは、まるで傷口に塩を塗るかのような後ろめたさがあったが、警察官としては罪悪感はなかった。
今回の事件は、血縁関係の中に歪な愛欲が渦巻いたことと、若気の至りともいうべき若い頃のちょっとした浮気が事件の発端となっているが、その奥底に、モデル都市としてのK市の存在があったことが原因であることを忘れてはいけない。
ちなみにこの作品は、K市という特殊な街の存在を、まるでパラレルワールドのような発想から描いてきた。したがって、K警察署の浅川刑事という刑事の存在も他の小説とは同じようで同じではないパラレルワールドのなせる業なのかも知れない。
そしてその発想は、作者の浅川刑事が関わっていない他の事件簿にも言えることなのかも知れないが、それを決めるのは、読者の方の感性と言えるのではないだろうか。
( 完 )
モデル都市の殺人 森本 晃次 @kakku
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