第8話 血液型の秘密

 春日井が後悔していたおの、それは一体なんであろうか? 一つではなく二つ、その間には十数年というくらいの期間があるという。しかも、その二つは延長線上にあり、きっと本人の春日井氏には、因縁のようなものが感じられたことだろう。

 それは本人に何倍ものショックを与え、そのことが、たぶん事件に大きな影響を与えているのではないだろうか。

 そのことを、ゆりなは知っているのだろうか? 彼女が知っているのは、事実としては警察で把握している程度のことしか知らないが、実際に彼の苦悩を目の前で見てきた分、彼の死に対してのショックであったり覚悟というものは、常人が考えるものとはかなり違っていただろう。

 彼女の話を訊いてきた警察官の話では、かなりのショックを感じていたようだが、それは、他の人のように、

「どうして死んだの?」

 という、驚きのようなものではなく、

「これでやっと楽になれたね?」

 という哀れみというか、彼一人を旅立たせてしまったことへの自責の念のようなものがあったのではないだろうか。

 それは彼女の中での覚悟であり、覚悟の中には、もう彼が苦しむことはないという、一緒に苦しんできた気持ちの表れと、彼にこのような苦しみを与えておいて、いまさら誰が彼にとどめを刺したというのか、覚悟はしていたが、まさか誰かに殺されていたということが、ショックとしては大きかったのかも知れない。

「本当に彼の姿をずっと見ているのがつらかったの。でも、これで名実ともに、彼が私だけのものになったのよ」

 と言っていた。

「春日井氏は、殺されるようなほどの何かが過去にあったということなのかも知れないけど、それはどうして今なんだろう? しかも、兄弟一緒に殺されたということで、殺害現場には、この間発見された兄の死体がしばらく並んでいたのではないかと思われるふしがあるんだけど、そのことについて、君には何か心当たりはあるかい?」

 と言われ、

「分からないわ。彼は決して私にそこまでは話してくれなかった。私に気を遣ってくれたのか、それとも誰にも知られずに、秘密は墓場まで持って行こうと思ったのか、決して話そうとはしなかった:

 とゆりなは言った。

「それだけ、大きな秘密だったということだね。それはきっと自分だけの問題ではなかったからではないかな?」

 と浅川刑事が訊くと、

「ええ、その通りよ。彼はずっとそのことを後悔していた。私と一緒にいてもそうだった。だから彼を受け止めてくれる人は私しかいないと思っているの。だから、彼は私だけを信じてくれていた。ひょっとするとあの人は私を女として見ていなかったのかも知れない。もちろん、性欲が私に湧かないとかいう意味ではない。女として見ているよりも、親友のような、まるで肉親のような意識があったのかも知れない。ある意味私に母親を見ていたような気がするのよ。そう、私を聖母マリアに見立てて、懺悔の日々だったのかも知れない」

 と、ゆりなはその話で初めて、やっと涙を流した。

 それまでは彼女が涙を流すどころか、毅然とした態度で、

――この人は、覚悟だけで、神経を持たせているのではないか? 涙など流そうものなら、そのショックに押しつぶされてしまい、話などできないほどに本性を剥き出しにする態度が、一層彼女を分からない存在に追いやってしまうことになるかも知れない――

 と思うようになっていた。

 ゆりながどのようなショックを浴びていたのか分からないが、彼女の思いが層をなしていて、その感情が等圧線のように、平面を見ているだけでは決して分からない多くな男装となっているのではないだろうか。

 キャバクラを辞めてまで、死ぬかも知れないと思っている相手を最後まで見届けることを選んだゆりな、彼がもし自殺であったとしても、最後を見届けることはできなかったと思う。獣は死んでいく時、自分の死に行く姿を見られたくないと、誰もいないところに行って、密かに死のうと思うようだ。それは、

「生まれるのも一人、死ぬのも一人」

 というように、一人で孤独に死ぬことの美を、追及しているのかも知れない。

 しかし、彼は誰かに殺されたのだ、彼女はきっと無念に思っているかも知れない。

 誰かに殺されるくらいなら、

「私が殺してあげた方がよかった」

 と思うのか、それとも、

「私が心中してあげればよかった」

 と覆うのか。

 どちらにしても、自分はもうこの世にはいないだろうと思っていたに違いない。彼女の中にもし後悔があるとすれば、今自分が生きていることであり、一番悔しいのは、

「今となっては後を追いかける勇気が持てなくなってしまった」

 ということだった。

 自殺をする人間で、死にきれない人間の中には二種類あると思っている。一つは、何度でも自殺を繰り返す人と、一度失敗すると、二度目を死のうとは思わない人の二種類である。

「死ぬ勇気なんて、そう何度も持てるものではない」

 という思いがあるからだという。

 一度死のうとすると、死にきれなかった人間は、死ぬ勇気だけがあの世に行ってしまうのかも知れないとも思った。しかし、何度も自殺を繰り返す人がいる。これも死ぬ勇気を失ってしまっているから、何度でも繰り返すのだ。

 つまりは、何度も繰り返すということは、二度目でも死ねない。三度でも死ねない。死のうというアクションは起こすのだが、どうしても死ぬことができない。死ぬために何が必要不可欠なのかというと、それは、

「死ぬ勇気」

 なのかも知れないと思うのだ。

 一度死にかけたことがある人は、普通は二度目を考えない人が多いだろう。もし、ここでゆりなが心中や後追い自殺を考えたとして、その成功は限りなく低いと思っているのだとすれば。きっと過去に彼女は少なくとも一度は自殺未遂を起こしているのではないかと思えるのだ。

 ゆりなは、彼が自殺をして、死にきれたのであれば、それは彼の意志であり、尊重してあげればいいと思っている。もし、死にきれなかった場合は、彼女が一番彼の気持ちを分かっている人間の一人として、一生連れ添ってあげようと思っていた。

 しかし、春日井は殺されたのだ。自分で命を断ったわけではないので、春日井としてはさぞや無念だったのではないだろうか。だが、ゆりなの中で、そこまでの気持ちが自分の中にないことを分かっていた。

 ゆりなは性格的に自分の感情をあらわにし、表に出すことが多いだけに、ここまで冷静に自分がなれることが不思議で仕方がなかった。

 殺されたと訊けば、気も狂わんばかりの後悔の念に襲われてもいいはずなのに、一瞬の迷いがあったからか、冷静になってしまった。こんなことは今までにはなかった。冷静になるという瞬間がなかったからだ。だからこそ、自分でも感情がすぐに表に出ると思っているのであって、その感情が自分の意志を表していることを自覚しているからこそ、この性格を変えようとは思ってもいないのだった。

 性格など、そう簡単に変えられるものではない。嫌だと自分で思っている性格であれば、無理かも知れないが、トライしようとは思うだろう。しかし、ゆりなはトライさえしようとは思わない。最初から自分を周知しているのだろう。

 ただ、今回、彼が殺されたことに対して、一瞬の迷いがあった。その迷いは自分の中から湧いて出たものではなく、外的要因からだった。

 どこからだか分からないが、耳元に聞こえてきたのだ。

「俺は殺されたのだが、これは覚悟の自殺と同じようなものだ。俺はその人に殺されるのであれば、甘んじて殺されるのも構わないと思っている」

 という声がである。

 もちろん、空耳なのだろうが、自分の気持ちの中に入り込んだのは事実であり、その一瞬の間が、その間に冷静さというものを侵入させた。

 自分のまわりには絶えず冷静さが飛び交っていて、一瞬の気持ちのゆるみから、いつの間にか入ってきている。だから、大きな失敗もなく、ここまでこれたのではないかと、ゆりなは感じていた。

 そして、甘んじて殺されていった彼は、きっとその相手に自分の死を持ってだけでは償えないと思ったのではないだろうか。だから、甘んじて兄との死に対して、疑問を持つことがなかったことで、春日井は、死の間際で頭に浮かんだゆりなの元に、魂をつかわせたのかも知れない。

「やっぱり彼は、いつも私のことを気にかけてくれていたんだ」

 と、ゆりなは感じていた。

 ゆりなにそんな思いをさせている春日井は、実に罪作りな男だった。彼のことを本当に気の毒に思っているのは、ゆりなだけで、会社では有能な参謀と言われ、いろいろと後始末をしてきた片桐でさえ、彼を気の毒だとは思っていない。

 いや、むしろ彼とて被害者の一人であり、彼が聖人君子でもない限り、心の奥底では恨んでいることだろう。今まで工場長という立場を使い、さらに容姿端麗であることが災いしてか、数々の女性問題を引き起こし、そのすべてにおいて揉み消しや後始末をしてきたのは、間違いなく片桐だったのだ。

 中にはいわれのない恨みを買ったことだろう。どうして彼がそこまで工場に尽くすのか疑問であった。

 警察でも、一番の重要参考人として怪しまれているのは、片桐だった。今のところ見えているところでは動機の面で一番強いからだった。

 今警察で考えられている事件への疑問であるが、一番の疑問は、

「なぜ、二人の被害者は同じ場所で殺されて、片方は他に遺体を移動させることになったのか?」

 ということである。

 考えてみれば、多重殺人事件という、同じ時間に利害関係のある人間が、別の場所で殺されたり、同じ場所で死んだとしても、毒殺のような、犯人が直接死因に関わるようなことでない場合が多い。利害関係のある人が同時に同じ場所で刺殺されたというのは、あまり聞いたことがない。

 もし犯人にとって、それがバレることを恐れたのだとすれば、その理由も分かるというものだ。

 しかし、まず最初に発見されたのは、工場での兄の方だった。明らかに意図を持って死体を動かし、工場に放置した。朝一番で社員が出社し、続々と皆がやってくるのだから、すぐに死体が発見されるのは目に見えている。つまりは、

「弟よりも先に兄が発見されなければ困る」

 という何かがあったのだろう。

 もしあったとすれば、

「弟が兄を殺して逃げている」

 という発想であろうが、すぐに弟も、元々の殺害現場で、少し遅れてではあるが発見されている。ここにどういう意味があるというのか、考えさせられるのであった。

 捜査本部がそんなことを考えている間。妻であり、母親である治子は頭を抱えていた。正直に言えば、、この時点で母親は事件の真相を知ったのであった。今、生きている人間の中で、事件のすべてを知っているのは、母親だけだった。

 ここで暴露してしまうが、真犯人は母親ではない。ということは、真犯人も事件の全貌を知らないということになる。何とも不可解な事件ではないか。謎の部分も多く含まれていて、真犯人にも分かっていない部分があるのだった。

 それはさておき、警察でいろいろ分かってきたことを、家族の方でも少し情報として与えられた。

 これはやはりということであったので、警察も別に隠しておくよりも、情報を与えることで何か思い出してくれるようなことでもあればという思いがあったからである。そういう意味では別に捜査機密でも何でもない、普通の情報だったのだが、この情報によって、は母親には旋律が走り、ある程度の事件が見えてきたと言っても過言ではなかった。

 情報を持ってきてくれたのは、浅川刑事ではなかった。浅川刑事と同僚の桜井刑事で、彼は、三十代の浅川刑事に比べてまだ二十代の若々しい刑事だった。

 最近、巡査から刑事課に配属になり、まだ経験も浅かった。浅川刑事の元、将来が期待される刑事であった。

「この間の河川敷で、義弟の春日井さんが殺害されたことでの続報なんですが」

 ということで話し始めた桜井刑事であったが、ニコニコしている桜井刑事とは対照的に緊張感溢れる表情で目を見張っている奥さんの治子が印象的であった。

 桜井刑事は続ける。

「やはり、あの場には二種類の血液が付着していました。二種類というのは、A型とO型の血液で、A型というのは、義弟さんの血液型になるんですが、もう一つの血液型のO型というのは、ご主人の春日井板金工場で発見されたご主人の血液型と同じだったんですよ」

 という報告を受けた。

 それを聞いて、最初は考え込んでいた。そして、少しして、母親の表情が急に恐怖に歪んでいくのを感じた。激しく動揺しているようだったが、少しして、急に落ち着いてきたのだった。だが、また急に表情が変わった。今度は?みつかれそうなその表情は、怯えと後悔のようなものを感じた桜井刑事だったが、こんな不可解な表情を凝視できるのは、他にはいなかった。ひょっとすると、事件解決の一番の功労者は、桜井刑事だったと言ってもいいかも知れない。

 ここでなぜ治子が二度驚いたのか、そして最初と二度目で別の表情を浮かべたのか、それが一番大きな謎だと言っておいいだろう。

 治子が驚いたということに対して、最初の驚きは想像のつくものだった。これは今までなぜ当事者である自分が知らなかったのかということと、それを知ってしまったことで、何かが頭の中で閃いたということであった。

 それは血液型の秘密に関わることであった。

 血液型というのは、いろいろな区別の仕方があるようだが、基本的にいわれているのが、ABO型と言われるもので、一般的に知られている、A型、B型、O型、AB型という四つに分かれるものである。

 日本人の多くは、A型がO型と言われていて、一番少ないのはAB型だとも言われている。血液型占いというものもあり、それぞれの血液型によって、どういう性格なのかというのを判断する材料にされることもあるが、何しろ四つしかないわけで、絶対にどれかに当て嵌まるのだから、当然統計学的な面が大きく、一番多いパターンがその血液型だと言われるようになったわけで、

「当たっている」

 というだけで、その信憑性がどこまで確かなのか、怪しいものである。

 だが、一つだけ言えることがあり、

「血液型は遺伝というものに関しては、厳格である」

 ということである。

 どういうことかというと、両親の血液型によって、生まれてくる子供の血液型は決まっているというわけである。両親の血液型によって、絶対に生まれてくるはずのない血液型が存在するというわけで、このことが今度の事件の核心をついているということに、治子は初めて気づいたのだ。

 母親の治子の血液型はB型、娘の血液型はAB型である。実は治子は父親の血液型を知らなかった。だからというのもあるが、あまり血液型に対して気にすることもなかったが、

今回の事件で父親の血液型がハッキリし、O型であるということが分かると、治子はハットした。

「果たしてO型とB型から、AB型が生まれるなんてあり得るのだろうか?」

 ということであった。

 それを考えた時、今まで自分が父親の血液型に興味を持たなかったということよりも、この間娘が格好に献血車が来て、献血をしようと思っていると聞いた時の父親の動揺を思い出した。

 娘の血液型に関しては、母親である自分が分かっているのは当たり前のことだった。生まれた時から母子手帳を持っていて、特に血液型に関しては手帳にも書かれていたので、いくら天真爛漫な治子でも気にしないわけにもいかなかった。

 だから、自分の血液型と娘の血液型は分かっていたつもりである。

 だが、今になって知らされた衝撃の事実によって何が分かったのかというと、

「遥香の父親は、川崎直哉ではない」

 ということであった。

「では、誰が父親なんだ?」

 と訊かれた時に身に覚えとしてあるのは、何と、義弟にあたる春日井悟であった。

 その頃、少し治子もそして春日井氏も、どこか精神的に不安定だった。川崎は仕事の長期出張で、ちょうど海外に行っていたということもあり、最初こそ、直哉が長期いないということで少し気楽だった治子だったが、帰国が近づいてくると、また少し鬱になっていた。

 その頃、軽いDVに悩まされていた治子が、助けを求める気持ちで春日井にすがったというのも、無理もないことだったが、それが今となってそれが再燃してくるとは思いもしなかったのだ。

 そこに間違いは確かにあったが、そこまで前後不覚に陥るほど深い悩みだったということを自覚できなかったのが、一番の問題だった。

 そして、そのことを知っていたのかどうか、そこまでは分からないが、娘の輸血ということに少なからずの驚愕を感じた納屋は、娘が自分の子供ではないことを知っていたということになる。その方が今回の事件に関わっている問題としては大きいのではないかと思うのだった。

 そして、今回、義弟の血液型がA型であるということが発覚したことで、もう間違いないと思うようになった治子だった。確かに確率の問題ということなので、父親が絶対に春日井だということはいえないのかも知れないが、治子には完全に分かってしまったのである。

 そういう意味で、事件の全貌を知っているのは、現時点では治子だけだと言っていいというのは、こういう経緯からであったのだ。

 治子にとって、今まで意識しなかったのは、確かに血液型を確認する機会がなかったからというのが一番大きな理由だが、それ以上に、自分で事実を知るのが怖かったという気持ちもあったのかも知れない。

 まさか娘の父親が違うなどという風に考えたくないという思いもあったし、それを知ったところで、

「いずれは娘も知ることになる」

 という危険性を自らで演出してしまうことを恐れたのだ。

 放っておけば、何ともないことを動いてしまったことで、自分がずっとそのことに苛まれなければいけなくなることを恐れたと言ってもいいだろう。それを思うと、治子はどうしても確認する勇気がなかったのだ。

 彼女のいうところの天真爛漫という性格は、裏を返せば、不安に苛まれるという自分を創造したくないというところから来ていると言えるだろう。その恐怖を抱えたまま生き続ける勇気を持てないことが、裏返しとして、まわりに天真爛漫に見せていることなのかも知れない。

 娘がいつ知るかは別にして、その時に考えればいいというくらいに思えるのであれば、何も気にすることはない。それができないことに治子の悲劇があったのだろう。

 いや、娘がもし知った、あるいは疑問に感じたとすれば、それを最終的に母親に確認することはしないに違いない。治子が臆病な性格であることは娘である遥香が一番よく分かっていた。

 母親の血を確実に引いているAB型としては、そこまで考えたとしても、不思議はないことであろう。

 AB型だからということではなく、親バカということでもないのだろうが、治子は遥香の頭の良さを認めていた。勘の鋭さ、的確な判断力、これは親二人にはないものであり、父親としては、

「自慢の娘」

 と称していたくらいだった。

 母親の治子も同じことを思っていて、

――お互いに娘に対して感じていることが同じなのだから、三人が親子関係であることは間違いない――

 と思っていたことだろう。

 娘の遥香は、母親に決して質問はしなかった。子供の頃から好奇心が旺盛な娘だったので、どんなことでも、父親だったり母親だったりに質問していた。その質問は的確なもので、回答者に対しての気遣いも行き届いていると思わせるほどだった。

 父親は、あまり何も考えずに答えていた。

「あの子が興味を持つのだったら」

 というのが一番であり、それに対して真摯な姿勢で答えるのが親の義務だとも思っていたのである。

 その思いは自分たち以外の家庭環境であれば、しっくりきたのであろうが、途中からぎこちなくなっていった。

 その原因を作ったのは、今まで一番何でも話をしていた父親だった。遥香が中学生の頃から、急に治子に対しても、遥香に対してもぎこちなくなった。ちょっとしたことでハットしてみたり、大げさに反応してみたりした。それに対して遥香が何ら反応しないことに対して、直哉は不満だったようだ。それよりも一番不満だったのは、母親の治子に対してであって、

「お前はいつも他人事のようだ」

 と一度直哉に言われたことがあったが、それ以来、その意識が強くなってしまったのだった。

 治子は母親として、夫として、全体を見渡せるような中立的立場にいるのが一番だと思っていたのだ。特に娘というのは、父親に似るというし、一番父親に懐くとも言われている。それであれば、二人の様子をちょっと距離を持って見つめているのが、一番親子関係がしっくりくる要因だと思うのだった。

「お母さんは、お父さんと仲が悪いの?」

 と言われたことがあったが、

「そんなことはないわよ」

 と答えはしたが、明らかに動揺していたという自覚はあった。

 明らかにこの動揺は遥香に伝わっているはずである。そもそも、こんな子供のような質問を高校生にもなった遥香がしてくるということ自体おかしなことである。それをしてきたということは、母親の様子を垣間見ようという意思がそこにあり、何を探りたいのか分からないだけに、何を考えているのか、娘だけではなく、自分を見失ってしまうかと思うほどであった。

――もう、その頃には、あの娘には分かっていたことなんだろうか?

 と思ったが、思い出せば思い出すほど、そう思えて仕方がなかった。

――知らぬは私ばかりなりか――

 と感じたが、その通りだったのだろう。

 だが、一体どうして父親が知ることになったのか、もし考えられるとすれば三つであった。

 自分が、知らなかったということは自分以外のところからである。まず最初に考えられるのは、、夫が何かに気付いて自分で調べたということだ。これは、一番考えにくいように思えるが、この家族関係の中では一番信憑性はある。これはあくまでも消去法で考えてのことであって、後の二つから考えるよりも筋としてはありえると思ったのだ。

 次に考えられるのは、父親である直哉に教えてもらったという考え方だ。これは彼の態度を見る限り、夫は分かっていたと考えられることであるから、もしそうだとすれば、いつのタイミングかというのも少し分かってきそうな気がする。それは、

「娘が学校で献血があるということをいった時よりも後」

 という可能性が強い、献血をしたことで、血液型が分かってしまうことを恐れたという考え方だ。

 しかし、逆に薄い可能性としては逆も考えられる。本当は知っていて、それを娘が母親の前で献血の話をすることで、母親にこの事実を知られることを夫が恐れたということである。

 母親なのだから、この事実を知っていて当たり前だという思いを母親が抱いていたと考えるなら、母親は知る由もないと思っている父親からすれば、冷や汗ものであるのは当然だった。

 結婚生活を長年続けてきて、その中で一度も娘の出生について何も気にしていない様子を見ると、

――この人は、わざと隠しているわけではなく、本当に気付いていないのかも知れない――

 と思ったのだろう。

 もし、それならそれで、自分が黙っていることで家族がうまくいくのであれば、それはそれでいいと思ったとしても無理もないことだ。

 不貞を働いたのは自分ではなく、母親の方なのだ。責められるのは嫁の方で、どう転んでもこっちに被害があるわけではない。事実を隠すことで、嫁に対して自分の優位性を持てるのであれば、それに越したことはないというかなりドライな考え方を持っていたとしても、無理もないことだろう。

 さて、最後の可能性だが、これはかなり薄いところではないかと治子は考える。つまり、本当の母親である自分も知らないことを、自分を飛び越えて、本当の父親、つまり春日井氏が教えたのではないかということである。

 ただ、春日井と身体を重ねたのは一度キリのことだった。本当にお互いに寂しさという寒さの中で耐えられない状況に陥ってしまったことで、本能から重ねた身体。それを勘違いしたのは治子のようだった。

――この人は私を求めていて。私が必要なんだ――

 と考えたのだが、どうも違ったようだ、

 一度身体を重ねると、もう二度と近寄ってくることはなかった。

 最初こそ、治子のアクションに戸惑っていた春日井だったが、次第に距離を取るようになり、あからさまに避けるようになった。それでやっと治子はあの日の経験が間違いであったということに気づいたのだ。

 気付いてしまうと、治子の方も春日井との時間がすべて自分の中の黒歴史のように思えてきて。すべてを忘れ去ってしまおうとまで思ったのだ。

 ある程度までは忘れることができた。この思いがあったからこそ、遥香の出生について疑うことがなかったのだと言えるであろう。

 遥香にとって、そんな毎日を母親が考えながら暮らしているなど思いもしない。まだ小さかったからであるが、ただ、母親に対して一定の距離を置いているのは間違いないようだった。

 その距離が、遥香の中で初めて明らかに分かったのが、思春期になってからだ。

――どうして私はこんなにお母さんに距離を持とうとするのだろう?

 という思いを感じたからだった。

 治子はそんな遥香の思いを、ただの思春期に起こる誰にでもあることだという意識の下で、見ているだけだった。

 その思いが遥香と治子の距離を思春期の距離とは違う。

「歪んだ直線」

 とでも例えるべき、矛盾の中で考えていたのだった。

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