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 次の日の午前8時。

 僕は学校の近くにある公園の、ドーム型滑り台の影に潜んでいた。何故こんなことをしているのかというと、汗をかくためだ。それもただ汗をかくだけではダメで、『遅刻ギリギリに教室に滑り込む、かつ、汗だくになる』という状況が必要だった。家からダッシュすればもっといい汗がかけるかもしれないけど、いつまでも家に居たら何か言われたり、怪しまれる可能性があったので公園に潜むことにした。

 僕は大樹だいき兄ちゃんから借りた腕時計を確認する。時計のデジタル表示は8時8分を示していた。そろそろいいだろうと、学校に向けて全速力で駆けだす。誰もいない通学路を駆け、校門をくぐり、上履きに履き替え階段を駆け上がる。僕が丁度教室に着くと同時に、登校時間のリミットである8時15分をしらせるチャイムが鳴った。僕ははぁはぁ息を切らせながら自分の席へ向かう。


「いっちゃん、ギリギリじゃん! 休みかと思ったよ」

「はぁ、ちょっとね……寝坊……はぁ、はぁ……」


 りょーちんと何気ない会話をする。その間、上手く演じられているだろうかという気持ちが僕の中に湧きあがり、昨日僕を包んでいた緊張感が再び襲ってきた。それからすぐに担任の高橋先生が来て朝の会が始まる。僕の体温は徐々に冷めていくと同時に、汗が噴き出してきた。いいぞ、その調子だ。


 朝の会が終わると、1時間目は理科の授業なのでクラスのみんなは移動を始める。僕は焦る気持ちを抑えつつ、さりげなく先頭集団に混ざって理科室へ移動した。理科室に着くと、みんな班ごとに指定された実験用の作業机へ別れていく。

 僕らの「おはようございます」という挨拶に対し、教科書を眺めながら使用する機材を黒板に書き記していた理科の先生は、振り向くことなく「おはようさん」と気怠そうに挨拶を返していた。僕の班の作業机は『例の窓』のすぐ近くだ。机に手荷物を置く前に、窓に近づきつつ同じ班の岡田君に声を掛けた。


「なんか暑くね? 窓開けていい?」

「別に暑くは……どうしたんだよいっちゃん。汗だくじゃん」

「今日寝坊しちゃってさぁ、朝から全力ダッシュだったんだよ」

「そうだったんか。開けな開けな」


 岡田君は微塵も怪しんだ様子を見せていない。そう、朝からわざと汗だくになったのはこの状況を作る為だったのだ。今は5月の上旬、北海道は晴れの日でも窓を開ける程暑くはならない。『自然な感じの窓を開ける口実』を作らなければと考えた末、思いついたのがコレだった。

 僕は上手くいったと思いつつ窓を確認する。窓のクレセント錠は、昨日僕が仕掛けた『鍵が掛かっているようで掛かっていない状態』のままだった。どうやら誰にも見つかっていないみたいだと僕は安堵しつつ、クレセント錠を下ろして窓を開ける。これで証拠インメツ完了というわけだ。


 その後は何事もなく1時間目、2時間目……と、過ぎていった。その間、『理科室からアルコールランプが1つ無くなっている』と先生が知らせに来るかもしれないとビクビクしていたんだけど、4時間目を過ぎても事件は発覚することは無かった。どうやら大丈夫そうだと思い、僕は昼休み、呑気にいつ裏山に行こうかと考えていた。


「樹、ちょっといいか」


 そんな時、担任の高橋先生に生徒相談室まで呼び出されたのだった。




 ※※※




 5時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。作文が完成した人は提出し、終わらなかった人は次の国語の授業までの宿題となった。一文字も書いていない僕はやっかいな宿題を課せれらることとなる。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。僕の頭の中は事件のことで一杯なのだ。

 しかし、5時間目の授業時間を全部使って昨日の出来事を振り返ってみたけれど、特にこれといって思い当たることは浮かばなかったのだから困ったものだ。


 どうしたものかと考え、僕は理科室へ行くことにした。理科の先生に謝っておくようにと言われているし、何か証拠が残っていないか調べる事も出来る。大分時間が経過しているのでどうせ何も残っていないと思うけど。

 ということで、りょーちんからの遊びの誘いを断った僕は理科室に到着した。ふと、理科室の扉のすぐ横見ると『管理責任者:村上 恭太郎』というプレートの下に、『青梅 蓮子』という名前が加えられていた。新しく来た理科の先生の名前だ。



(確か、読み方は『あおうめ』じゃないんだよな。えっと……)



 僕は先生の名前の読み方を思い出しながら理科室に入る。中には誰もいなかったのだが、黒板わきのドアの奥にある『理科準備室』からなにやら物音が聞こえて来た。どうやら先生はそこにいるみたいだと思い、ドアをノックする。数秒後、「はぁい」と、気怠そうな声が返ってきた。



(……あ、そうだ。読み方を思い出したぞ)



 「失礼します」と言って部屋に入った瞬間、僕は思わず歩みを止める。何故かというと、僕の記憶の中の理科準備室とはガラリと様子が変わっていたからだ。理科室の3分の1程の広さの理科準備室には薬品がたくさん入った棚と事務机くらいしかなかったはずなんだけど……コーヒーやココアの缶、お菓子の箱がたくさん入った棚、高そうなコーヒーメーカーや電気ポット、座り心地がよさそうなソファ、事務机の上にある大きなパソコン、冷蔵庫なんかが僕の目に飛び込んで来る。この部屋で普通に生活できそうなくらいの充実ぶりだ。


 部屋の奥には、高そうなリクライニングチェアにふんぞり返って本を読んでいる人物がいた。『ジンギスカン』と白い文字で書かれた黒シャツに黒ジャージ、ワニのロゴが描かれたサンダル。そんな服装の上に白衣を羽織り、ぼさぼさした黒色セミロングヘアを適当な一つ結びでまとめている。

 僕があっけにとられていると、黒縁眼鏡の奥の瞳がこちらへ向けられる。この人物こそが新しく来た理科の先生、青梅 蓮子おうめれんこである。



「ん……キミは?」

「あ、えっと。木林です。6年の木林 樹です」

「6年のキバヤシィ?」

「あの、聞いてませんか? 高橋先生から……アルコールランプの……」

「アルコール…………ああ、キミがそうなのか!」


 青梅先生は読んでいた本を机に置くと、部屋の中央に置いてあるソファに掛けるよう勧めてくれた。


「まあ楽にしなよ。コーヒーでいいかい?」

「いや、僕は……」

「遠慮しなくていい……ああ、コーヒーは飲めない? それならココアもあるけど」

「いえ、そうじゃなくて……まずくないですか? 学校でそんな飲み物を……」

「おいおい、優等生ぶるなよ。キミは学校の備品を盗み出したんだ、今更学校でココアを飲むくらいで躊躇するなって」

「いやまぁ……」


 何も言い返せない僕は素直にココアをいただくことにする。青梅先生は慣れた手つきであっという間に2人分の飲み物を用意した。

 僕の分のココアと、先生の分のコーヒー。ココアの甘い匂いとコーヒーの独特の匂いが混ざり合った、喫茶店の中のような匂いが部屋に広がっていく。座り心地の良いソファに腰を掛けそんな匂いに包まれていると、ここ学校である事を忘れてしまいそうになる。


「……で、いつ持ってこれる?」

「は?」

「アルコールランプだよ。まさか今、持ってるのかい?」

「あっそうか。いいえ、家にあります。えっと……明日持ってきます」

「そうかい、別に急がなくていいんだけどね。ああ、それと。持ってくるのは人気ひとけのない時間を選ぶんだぞ。騒ぎを広めたくはないだろう?」

「あ、はい。今ぐらいの時間でいいですか?」

「いいよ。大抵夕方くらいまでここにいるからね」



 それから僕はココアのおかわりとお菓子をご馳走になりつつ、小1時間ほど青梅先生と話をした。話の内容は何が好きとかクラスで何が流行っているとか、他愛のない物ばかりだった。そのうち「どうしてアルコールランプを盗んだのか?」という話題になり、僕は高橋先生たちにした説明を再度する。それを聞いて、青梅先生は「なかなかユニークな理由だね」といって微笑んでくれた。




 ※※※




 その日の夜。

 晩御飯が終わってから父さんは兄ちゃんと妹を自分らの部屋に行かせ、それから居間で説教が始まった。僕は激しく叱られるものだと思って覚悟して臨んだのだけれど、予想とは違う展開が待っていた。

 2人は僕がアルコールランプを持ち出しただけでまだ使っていなかったことを知ると、どこか安堵した様に見えた。父さんも母さんも声を荒げる事は無く、優しいお説教が続く。もう二度としないと約束し、最後に3か月間のお小遣い無しを言い渡され僕は解放された。

 その後歯みがきをしてから2階へ上がると、兄ちゃんが自分の部屋から顔を出し手招きしていたので、僕は兄ちゃんの部屋へと足を踏み入れた。


「説教をくらうなんて久しぶりじゃん、何をやったんだよ?」


 自分のやったことを広めるべきではないと考えていたけど、家族なら大丈夫かと思い、「言いふらさないでね」という前置きをしてから僕は今回自分がやったこと、それと『例の探偵』について兄ちゃんに教えた。それを聞いた兄ちゃんは目を丸くして一言、「やるなぁ」と呟いた。


「俺が小学生の頃、そんな事件を起こす奴なんかいなかったぜ。それをまさか樹がするなんて……」

「兄ちゃんの今の学校ではこういうこと起きないの?」

「起きねーよ、もう高校生だぜ? 事件と言えばこっそりバイクに乗っていたのがみつかったりとか、深夜に遊んでいるのを補導されたりとかかな。そういう悪戯じみた事をする奴はいないと思う。ああ、でも今回お前がやったことは大火傷負ったり山火事になっていた可能性がある、もう絶対するな」

「うん。父さん母さんや先生、みんなから言われたよ」

「だろう? お前のことを心配してくれたんだよ」

「え、そうなのかな? そういえば怒鳴られるかと思ってたんだけど、みんないやに優しいというか、おとなしかったというか……」

「いいか? 今回お前は一歩間違えたら死んでいたんだ。可能性は低いけどな」

「…………」

「先生も、父さんも、母さんも、怒りより『無事でよかった』っていう気持ちの方が強いんだと思う。だから叱らずに、優しく諭してくれるんだ」

「…………そっか。兄ちゃん、僕もう絶対しないよ」



 僕は今回の『説教』の意味をようやく理解した。

 それと同時に、『例の探偵』への感謝の気持ちも湧きあがってきた。もし今回やったことを暴いてもらわなかったのなら、僕は同じような事を繰り返していたと思う。そして、何度もやってるうちにいつの日か大事故へと繋がっていた可能性があるのだ。



「わかりゃいいよ。で、話は変わるけど……気になるな、その探偵」

「……でしょ!? 兄ちゃん、何か思いつかない?」

「正直さっぱりだな。どうやってそいつは樹の仕業だと見抜いたんだろう……まるでカンニングの解答用紙を見せつけられている気分だな」

「…………え? 何、カンニング?」

「ああ。だってそいつは推理とか捜査のセオリーを無視して、『お前が犯人』っていう回答『だけ』を出してきたんだろ? それってさ、途中の式はデタラメの、カンニングした答えを書いた答案用紙みたいだなって」


 そんな兄の言葉が頭の中で何度も響き渡る。そうして、僕は1つの答えへと辿り着いた。


「カンニング、答えだけを……」

「おい、どうした?」

「……兄ちゃん、それだよ!」

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