第4話 パジャマとコンビニ(2)

「不思議だね」


俺が盗み見ているのを知ってか知らずか、姉ちゃんは語り出した。


「同じ空を見ているのにさ、地球上のどこにいるかで、全然見え方が違うんだね。確かに、ここじゃほとんど星は見えないや」


視線を空から、隣にいる俺の顔に移して、柔らかく笑った。


「でも、都会の真ん中じゃ、もっと何も見えないけどね」


俺は、その笑顔を、何とも言えない気持ちで、だけどとにかく微笑みを浮かべて見返すしかなかった。



小さかったころ、俺はよくふらふらと興味が向いた方向に寄って行ってしまう子だったらしい。


家族で行った休日のショッピングモールや遊園地、野球場なんかで、母さんの手を離してはぐれてしまう幼い俺を見つけてくれるのは、いつでも姉ちゃんだった、というのは、母さんから耳にタコができるくらい聞いた話だ。

そして、決まって「お姉ちゃんはソウタが生まれてきてくれて、一番喜んでたんだから」と話は結ばれる。

姉ちゃんは照れながらも、ニコニコして俺のことを見ていたものだ。


母さんと父さんは、二人とも、仕事のために一年前からフランスに行っていて日本にはいない。

そして、モデルをしていた姉ちゃんも実は、必死に何度もせがんで、両親と共に渡仏していたんだ。

「チャンスは来た時に掴まなきゃ!」というのが、かつての姉ちゃんらしいセリフだった。

俺は日本に残る選択をし、この家で一人暮らしをすることになった。


中学生の息子を一人置いていく、というとなかなかにアグレッシブな決断に思えるかもしれないが、ウチでは割とすんなりその方針に決まった。

まあ、元から、忙しい両親と姉ちゃんのために家事の半分以上を俺がこなしていた家だったから、「ま、ソウタならなんとか暮らしていくだろう」くらいに思っていたんだろう。

俺もその気だったし、実際、それで回っている。


あの日、なんの前触れもなく突然一人で姉ちゃんが帰って来たのは、だから、俺にとっては晴天の霹靂だったんだ。


どういう訳だか、姉ちゃんはフランスから日本へ帰ってきたことを父さんにも母さんにも告げていないらしい。

かといって、特に騒ぎにもなっていない。

そっと仕送り額が増えているところを見ると、両親は姉ちゃんの行き先について察してはいるらしいが、それでもフランスから追及の連絡も来ない。


俺と二人でエナドリをコンビニまで買いに行くことが心底楽しそうなその無邪気な笑顔の向こうで、姉ちゃんがどんな経験をしてきたのかを、俺は知らない。


* * * *


「たっだいま~~」


玄関のドアを開く姉ちゃんの声はウキウキだ。

対して、それに続く俺の声は……


「……はぁ。ただいま」


我ながら実に辛気臭い。

というか、沈んでいる。


「くそ、またもやまんまと無駄遣いさせられてしまった……」


「ふっふーん♪まさか一回だけ引いた一番星くじで推しを当てるなんてね♪ああ、私とシロちゃんは運命の糸で繋がってるんだわ……☆」


「めでたいこと言ってんなぁ」


「そう、私はいまとってもおめでたいの!なので、手に入れたシロちゃんフィギュアを飾って、エナドリ飲んで、いざ夜の戦いへと赴くのです!」


「ちょっとまて」


「わっ、ぐぇ」


今にも踊り出しそうな足取りの姉ちゃんのフードを掴んで、無理やり引き留める。


「げほげほ、ひ、ひどーい。何もそんな乱暴に引っ張んなくても……」


「おお、すまん。つい反射的に」


「むむっ、だけど、だいじょーぶ!今の私は元気百倍……!」


「そーか、よし、じゃあ代わりに洗い物終わらせといてくれ」


「へ?」


「へ、じゃない。なあ、今何時だと思う」


俺は壁に掛かった鳩時計を親指で示す。

時計の針は、0時5分を指し示していた。


「姉ちゃんの買い物に付き合ったせいで、さっさと洗い物を片付けて寝るつもりが30分以上ロスしちまった」


「あー、うん、それは大変だね……」


「加えて、何のかんのと店頭で姉ちゃんが騒ぐから、買わなくていい500円くじまで引いたよな」


「あ、あれは!私とシロちゃんの絆に導かれて引いたのであって、つまり、求めあう二人の逢瀬は止められないというか、私にとっては500円の何倍もの価値があるというか、その……目当てのものが当たったんだから、結果オーライじゃない?」


「オーライなのは姉ちゃんだけだろうが」


垂直に落とした手の側面が、姉ちゃんのつむじに直撃する。

すなわち空手チョップ。


「あいたっ」


「姉ちゃんどうせまだずっと起きてんだろ?ゲームすんのもいいけど、その前に洗い物やっといてくれよ。俺もう寝なきゃいけない時間だし」


「むむぅ」


姉ちゃんは思案した。

その顔には、はっきりと「正直言って早くゲームしたい」と浮き出ていたが、数秒の黙考の末、重々しげにひとつ頷いた。


「うん、わかったよ。ソウくんの勉強の邪魔するわけにはいかないもんね」


「うん、既に妨害されてはいるけどな」


「おし、その皿洗い、引き受けた!前線ランクマッチに戻るのは少し遅れるけど、なあに、戦友たちは待っててくれるさ!」


「何キャラなんだよそれ……」


ともかく、残りの洗い物は姉ちゃんがやってくれることになった。

これで俺もゆっくり眠ることが出来る。


「じゃあ頼んだよ。大した量じゃないし、大きなもの以外はさっと流して食洗器に突っ込めばいいから」


「あいさー!」


ノリノリの敬礼を返す姉ちゃんをキッチンに残して、俺は自室に引っ込んだ。


姉ちゃんと二人暮らしを始めて数か月。

なんだかんだ、まあ上手くやれていると思う。


俺が甘やかしてしまっている部分も結構あるけど、大きな喧嘩もしないし。

ご飯を作れば必ずニコニコしておいしい、って言ってくれるし。

ゴミ出しと風呂掃除も、この間の約束どおりちゃんとやってくれている。

……たまにドジなミスはするけど。


姉ちゃんが来るまでの一人暮らしも快適だったけど、なんかこう、今一つハリが無いような手応えのなさは、どこかで感じてたような気がする。

振り回されてばかりだけど、姉ちゃんが来てから、これでも結構楽しいんだ。


このまま二人で仲良くやっていけるんじゃないか。

そう、思っている。


さて、そんな栓無いことを考えているよりも、明日に向けて、早く寝なきゃな。


俺は、暗くした部屋の中で、枕に頭を沈めて静かな眠りの世界へとゆっくり落ちていっt……


ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン


「ね~ぇ、ソウちゃ~~ん!食器洗い機の使い方が分かんな~い。教えて~~」


ぴく。

俺の眉が、反射的に震える。

睡眠の淵から一気に引き戻された頭をぼりぼり搔きながら、俺は被ったばかりの布団を捲り、部屋の電気をつけた。


「ね~え~、寝ちゃったの~~?」


「今起きたわ!いいから今行くから!」


結局、姉ちゃんに食洗器の使い方をレクチャーし(つまり、今回は俺がほとんどやった)、そのあと姉ちゃんに勧められるがままに深夜の映画番組を後半だけ観て(孤児院が舞台の感動系ヒューマンドラマで、俺も姉ちゃんも鼻水ズビズビに泣いてしまった)、二人で戸締り確認して、ようやく床に就き直したのが、一時半を回ろうかとしている頃だった。


翌日、あくびを噛み殺しながら授業を受けるはめになったことは言うまでもない。


ったく、そろそろ姉ちゃんからの誘いとかお願いの上手い断り方も、身につけなくちゃな……


<続く>

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お姉ちゃんがヒモインじゃダメですか!? スギモトトオル @tall_sgmt

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