第3話 パジャマとコンビニ(1)

「ねえ、ソウタ~。ちょっと出かけてくるね~」


寝る前に洗い物を片付けていると、廊下から姉ちゃんの声が聞こえた。


「なんだよ、こんな時間にどこ行く……って、ちょっと待て」


何気なく姉ちゃんの方を振り返って、俺は鍋を洗う手を思わず滑らせた。


ボチャン、と泡が跳ねて頬についたがそんなことはお構いなしに、水の垂れる手で姉ちゃんを指差す。


「姉ちゃん、その恰好で外出るつもりなのかよ」


「ん?どうして?財布なら持ってるよ?」


いや、そうじゃないんだ。


「ちがくて、それ、いつもの寝間着だろ?」


姉ちゃんが着ていたのは、まごうこと無き寝間着。

上はパーカーで、下はショートパンツ。

モコモコした柔らかい生地で、上下そろいでピンクと白のボーダー柄になっている。

胸元には白いボンボンがぶら下がっていて、さぞかし夢見心地が良さそうなパジャマだ。


そう、パジャマだ。


寝るときにだけ身に着ける、本来、最もプライベートな装いのはず。

しかも、目の前の姉ちゃんの恰好は、それだけではなく、思わず俺が目を覆いたくなるような、姿なのだった。


緩く開いたジッパーからは、ピンク色のキャミソールが襟ぐり深く鎖骨を晒しているのが覗いているし、丈の短いショートパンツからは、姉ちゃんの不健康な生活スタイルとは裏腹に張りのある腿がバゲットのように長く伸びていて、裸足のつま先まで白い肌を晒している。


「出掛けるような格好じゃないだろ。何か着替えてけよ」


「え~、ちょっとコンビニ行くだけだよ」


渋い顔で咎める俺に対し、迷惑そうなふくれ面をする。


そのすっぴん顔だって、化粧っ気が無いくせに造形が良いから、却って、なんていうか、こう、変な男どもが寄ってきそうな見た目なんだよ。

全体的にルーズで、無防備なんだよ。


「大体、こんな時間に何を買いに行くんだ」


「別に。ちょっとエナドリが切れたから、買い足しに行ってくる」


「俺が買ってくる。洗い物はすぐ終わるからちょっと待ってろ」


「なんでよ。別に自分で買ってくるから」


「いや、ダメだ。つーか、着替えたとしてもやっぱりダメだ。こんな時間に女子が一人で出歩くなんて絶対ダメだろ!」


俺はリビングの壁掛け時計を勢いよく指差す。

姉ちゃんが生まれたときに買ったという鳩時計は、11時半を指すところだった。

そんな俺を、姉ちゃんは立ったまま見ながら表情を変えない。


「水、床に垂れてるよ」


「つーか!そもそもこんな時間にエナドリ飲んでどうすんだよ!寝ろよ!」


俺は人差し指の方向を時計から姉ちゃんへと移り変える。

それを受けて、姉ちゃんは逆に胸を張り返してきた。


「バカね、ソウタ!ゴールデンタイムが終わるこの時間からが、真にゲーマーのための時間なのよ!」


姉ちゃんはそう言いながら、腰に手を当てた仁王立ちで、ズビシッと俺を指差す。

夜中の11時半に、リビングで勢いよく互いを指さしあう姉弟の図。


「分かる?大したネット環境を用意できないウチみたいな回線弱者は、回線が混み合う19時~23時ごろゴールデンタイムを避けて、深夜帯に思う存分ランクを回さないと追い付かないのよ!」


「いや、ズビシ、じゃないが。とにかくダメだ。そんな脚出した格好して出掛けるなんて」


「ええ~、これくらい普通だよぅ~。あ、ひょっとしてソウタ、なあに、そんな目でお姉ちゃんの脚のこと見てたの~?」


いじわるな顔をした姉ちゃんが、おもむろに長い脚を交差させて見せつけてきた。

短いショートパンツの裾がさらに持ち上がり、白い腿が挑発的なほどにむき出しになる。

そして、そこから膝、ふくらはぎ、くるぶしにかけての曲線が、部屋の灯りを受けてつややかに輝いている。

交差された腿の内側では押しつぶされた肉が窮屈そうにそのボリュームと柔らかさを誇示していた。

そして、その上でニヤニヤしながら口元を隠して、上目遣いに見てくる表情が絶妙にうざい。


「だから、身内以外にそんな風に見せんじゃないっつってんの俺は」


濡れた手を拭いた俺は、つかつかと姉ちゃんに近づいてデコピンを食らわせた。


「いてっ」


おでこの中央が赤くなる姉ちゃん。

ヘアクリップで前髪を纏めてるから、真ん中が実に狙いやすい。


「俺も買い物に行く度にエナドリ買い足してるけど、無くなるの早くねえか?俺飲んでねえんだけど?」


「うーん、気が付いたらもう無いんだよね。いつの間にか空き缶が並んでて……」


「普通に寿命が縮むからやめろってその飲み方。それに、経済的にも不健康だしさぁ。安くねえんだぞ、エナドリ」


いろんな意味で、ジュース感覚で開けていい飲み物じゃないっつーの。


姉ちゃんは口をとがらせて、


「分かったよ~。私も量には気を付けるから。一日一本なら良いでしょ?」


「あんまり毎日は飲むんじゃないぞ」


「うん」


「分かったら、部屋に戻ってろって。買ってくるから、コンビニまで」


「え~、やだ。自分で選びたい~」


「わがまま言うな、っていうか、姉ちゃんいつも同じ味しか飲まねえだろ!」


「お店の棚の前で吟味したうえで買ういつものヤツだからこそ、一味違った美味しさが楽しめるってもんなのよ」


「うぜぇ……」


そんなこだわり捨ててしまえ。

つーか、そのしたり顔をやめろ。

「ドヤァ」じゃねえって。


* * * *


結局、コンビニへは二人で行くことになった。

むずかる姉ちゃんを着替えさせ(べつに俺が直接脱がせたり着せたりしたわけじゃないからな)、俺も部屋着から簡単な私服に着替えてサンダルをつっかける。


「夜空って、なんかいいね」


コンビニまでの道を歩きながら、姉ちゃんが上を見上げている。


「そうか?この辺じゃ別に星も見えないし。暗いだけだろ」


「よく見れば細かい星は結構見えるのよ」


姉ちゃんは、夜空から目を離さずに楽しげに言う。

この人は昔から視力が自慢で、今でも、ゲーム三昧の日常を送っているくせに俺よりもずっと目が良い。


そっと、隣を歩く姉の横顔を見る。

相変わらず、危なっかしく空を見上げながら、機嫌よさそうに姉ちゃんは歩いている。

悩みなんて、本当に何一つ無いかのように。


パジャマから着替えた姉ちゃんは、黄色のマウンテンパーカーの下にグレーのショートパンツを身に着け、黒いキャップを被り、ハイカットのスニーカーを履いていた。

これでも適当な恰好だろうけど、妙に見栄えがするのは、さすが元ファッションモデルなところだろうか。


鼻歌なんか歌っている姉ちゃんと一緒に歩きながら、俺も、滅多にしない深夜の散歩に少しだけ非日常を感じていた。


……明日も平日、学校はあるんだけどな。


(続く)

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