第2話 ガチャとゴミ出し(2)

できなかった。


家事のラクなんて、全くこれっぽっちも出来なかった。

出来ると思っていた俺の方が愚かだったのかもしれない。


大体、弟に早朝から金の無心をするような人に、まともな理性や倫理観を期待する方が間違っていたんだ。


「おい」


「ん~?」


「おかしくないか」


「何が~?」


「何で俺がゴミ出ししてるんだよ」


「え?あ~、もうそんな時間か~」


姉ちゃんはベッドに寝転んだまま、部屋の戸口で息を荒くしている俺と、部屋の壁掛け時計とを順に見て、呑気にそう言う。


「おっけー、うん、出しに行ってくるよ」


「もう終わったよ」


ため息を吐きながら姉ちゃんを睨む。

朝起きて来て、家じゅうのゴミ箱にゴミが入ったままになっているのを見つけたんだ。

ゴミ回収車が来る直前の時間だったから、慌ててゴミ袋にゴミを集めてゴミ置き場まで走ってきたのだ。


「え~、言ってくれたらやったのに~」


「姉ちゃんに頼んだら間に合わないだろ。ちゃんと時間教えたよな?」


ガチャ課金と引き換えにゴミ出し当番の約束をしたときに、ちゃんと『火・木・土曜日は燃えるゴミを七時までにゴミ置き場に出すこと』って教えたはずだ。


「あ~、なんかアラームを解除した気がする。三十分前くらいに」


姉ちゃんの言葉にがっくり肩を落とす。

体中から力が抜けるように、盛大なため息が漏れた。


「だって、だって!ねえ、しょうがないでしょ!」


俺の落胆した様子に、ようやくちょっとは慌てた様子で姉ちゃんが弁解を始める。


「なにがだよ」


「だって、私忙しかったんだもん!」


「はぁ?ヒモニートの姉ちゃんがこんな時間から何に忙しいんだよ」


「んぐ、今日は朝から言葉にトゲがあるね……」


ダメージを受けたような素振りを見せながら、姉ちゃんはスマホの画面を俺に向けた。


「何だよ、これ」


「シロちゃんの育成に忙しいの!」


見れば、画面は姉ちゃんが最近夢中になっているアプリで、キャラのステータス表示が映っている。

で、いくつも記号やら数字が並んでいて、そのアプリをやったことのない俺にはさっぱり意味が分からない。


「この間、ソウタに課金してもらったガチャ券でシロちゃんの新衣装が引けたでしょう?」


早朝に叩き起こされたあの日、結局睡眠欲に負ける形で課金を許し、生活費を削って引いた十連ガチャで見事姉ちゃんの推しである『シロちゃん』とやらの期間限定衣装が無事に引けたのだった。


で、それが?


「衣装の育成をするためのアイテムがゲット出来るクエストが出るのが火曜日だから、五時から周回してるの。衣装のレベルをマックスにしないと限定イラストが見られないからね!」


ぶい、とピースサインを自慢げに見せる姉ちゃん。


「……それは、一旦中断してゴミ出しくらい行っても、今日の一日中はクエスト変わらないんだろ?」


「でも最速で見たいじゃん」


駄目だ。

この人に理性や良心を期待した俺が、やっぱりバカだったんだ。

深い深いため息がさらに俺の口から吐き出される。


今朝も

この調子なら、姉ちゃんと生活しているだけで肺活量が鍛えられるかもしれない。


「……まあ、とにかく今日の理由は分かったよ。明日からはちゃんとやってくれよ」


「あいあい~」


不安だ。

笑顔でゆるーく敬礼を返す姉ちゃんを前に、俺は得も言われぬモヤモヤを胸に抱えることになった。


* * * *


まあ、不安は的中することになる。


「おい」


学校から帰ってきた俺は、手に空き缶いっぱいのゴミ袋を提げて姉ちゃんの部屋の入り口に立っていた。


「あ、お帰り~」


姉ちゃんはPCの前に座ったまま、ヘッドホンをずらしてこちらを見る。

その視線が、俺が手に持つゴミ袋に留まる。


「あれ、どうしたのそれ。ボランティアの清掃活動?」


「姉ちゃんが今朝ゴミ置き場に出したやつだろ、これ」


ずい、と目の前にゴミ袋を突き出すと、ガシャガシャと中でカンが音を立てる。


その大部分はエナジードリンクの空き缶だ。

ピンクやら黄色やらの派手な彩色をしたそれは、姉ちゃんが好きでしょっちゅう飲んでいるやつだ。

目立つから一発でウチのゴミだって気が付いた。

姉ちゃんにも自覚があるようだった。


「あ、ホントだ」


「ホントだ、じゃないんだよ。言っただろ、第一・第三水曜がビンカンごみで、第二・第四水曜はペットボトルだって」


姉ちゃんの部屋の入り口に貼ったゴミ出しカレンダーを指さす。

姉ちゃんはそれを見て、


「……今日は第何水曜?」


小首を傾げやがった。

俺は今週何度目か分からないが、肩を落として盛大にため息を吐いた。


「だって~、今週が第何週目かなんて分かんないよ~。曜日はかろうじて、曜日クエストの種類で考えられるけどさ」


アプリのクエストがカレンダー替わりかよ。

これだから、家からろくに出ない人間は……


* * * *


その次の日には、台所の生ごみを残したまま燃えるゴミを出していて、またギリギリに俺が走る羽目になったし、まったく、全然以前と比べて楽になってない。

むしろ、俺の負担が増してる気がする。


「頼むからゴミ出しくらいちゃんとやってくれよー……」


夕食後、風呂掃除をする姉ちゃんに向けてそう言うと、姉ちゃんはにっこりと笑い返してくる。


「大丈夫だよ~。ものは慣れだって。そのうちちゃんと間違えずに出来るからさ~」


「それまで俺の苦労は無くならないのかよ」


「まあ、人材を育てるのも大変なコストがかかるってことじゃない?」


「ゴミ出しにそんなに教育コスト必要なの?ねえ、マジで?」


「人にものを教えるときは、粘り腰が大事だよ~」


「本人に言われるとホントむかつくな」


「そう言わずに、ホラ、お風呂掃除はちゃんとやってるんだし」


「まあなぁ……」


姉ちゃんは一応、風呂掃除は約束通り毎日ちゃんとやってくれていて、その分は素直に助かってる。

まあそれも、姉ちゃんの生活リズムがぐちゃぐちゃだから、朝、俺が起きる頃にやってたり結構フリーダムではあるんだが。


ゴミ出しだって、別にサボろうとしてサボっているわけでもないし、まあ長い目で見てやるか……


俺が何とかそうやって自分を納得させようとしていると、姉ちゃんが掃除用のゴム手袋をはめた手を顔の横で合わせながら、すすす、と近寄って来た。


「……何だよ」


「いや、別に?」


「嘘つけ。何か企んでるだろ」


「企むなんて、そんなまさか~。ソウくんにちょ~~っとした相談ごとがあるだけだよ」


嫌な予感しかしない。


姉ちゃんは、滅多に聞かない猫なで声で続けた。


「あのね、お姉ちゃん、久しぶりに外出したいと思ってて」


ほう、それは意外な申し出だ。

俺としても、姉ちゃんがずっと家に篭り続けるよりかは、たまに外に遊びに行くくらいの方が安心は出来る。


「今ハマってるアプリが今度、テーマパークとコラボするの」


……うん、話を聞こう。


「それでね、そのテーマパークに併設されてるホテルのなかで、いくつかの部屋がコラボ部屋になってて、キャラたちと一緒に過ごせる、っていうコンセプトで実際に泊まれるのね?」


大分、雲行きが怪しくなってきた。


「私の推しのシロちゃんもそのコラボのメンバーの一人なの。それで、ね?お願いっていうのはここからなんだけど~」


姉ちゃんは俺にすり寄って、見たこともないくらいにキレイな笑顔で両手をすりすり説明した。


つまり、そのキャラとコラボした部屋に泊まれるプランに応募したい、と。


「どんな部屋なんだ?」


「聞いて驚きなさい。スイートルームよ。さっすが私の推し!一番いい部屋よね!」


「……それだけか?」


「あと、テーマパークのフリーチケット二日分と、夜のスペシャルディナー券も一緒になったプランみたい」


「値段は?」


「えっと、十万と……ちょっとかな?」


ちなみに、両親から送られてくる、月々の生活費が八万円だ。


俺の手が、勝手に握りこぶしの形になってプルプルと震えている。


「あれ、あの~、ソウタ?お姉ちゃん、お風呂掃除もゴミ出しも頑張ってちゃんとやるよ?ね、ダメ?」


「ダメに決まってんだろーーーーっ!!!」


臨界に達した俺の怒りが、風呂場の壁に反響しまくった。


* * * *


交渉の末、姉ちゃんは、ゴミ出しと風呂掃除をもう一ヶ月延長する代わりに、テーマパークとのコラボグッズ購入権をもぎ取り、満足そうに部屋へ引き返していった。


あのヤロ、ホテルが無理だと踏んだらあっさり作戦変更して、少しでも多くのグッズを入手する方に転換しやがった。

最近、だんだんと交渉術を覚え始めているのが小癪だ。


「はぁ……」


一人になった洗面所で歯磨きを終えた俺は、またもやため息を吐く。


なんか、良いようにグッズを買わされたようにも感じる。

これで良かったんだろうか。


「まあ、でも……」


姉ちゃんのあんな笑顔、久しぶりに見たかもしれない。

自分から出掛けようなんて言い出すのも、さ。


そう、昔はよくあんな風に、太陽みたいに完璧な笑顔をふりまいている人だった。

それが俺の憧れでもあったし、自慢でもあったんだ。


少しでも、姉ちゃんが元気を出してくれたんなら、(あくまでも俺から金を引き出すための作り笑いだったとしても)それもまあ、悪くないか。

実際、あんなに生き生きしてる姉ちゃんは、最近なかったもんな。


……でもやっぱり、騙されてるというか、甘やかし過ぎかなぁ。


一人でいる時でも、俺のため息は止まらない。


<続く>

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