意味①:常識をぶっちぎっていけ

実況「花粉の気配におののく皆さまこんばんは。漢和辞典アワード実況のかげると」


解説「解説はたかぱしです」


実況「とうとうこの時がきましたね、たかぱしさん」


解説「はい、ティッシュの消費が半端ありません」


実況「花粉シーズンそっちではなく。ようやく漢和辞典の肝とも言える“漢字の意味説明”に切り込むときがきましたね」


解説「緊張で鼻水が止まりません」


実況「それ、花粉では?」


解説「どちらかというと寒暖差アレルギーですね」


実況「どっちでもいいです。さて、漢和辞典の意味解説はどんなふうに辞書で違っているのでしょうか。非常に気になるところです。さっそく解説をお願いします」


解説「ええ、実はかなりいろいろな点に違いがあります」


実況「違うポイントが複数ある、と」


解説「はい。まず載せている漢字の意味の量ですね、これが大きく異なります」


実況「書かれている意味が多かったり少なかったりするんですね」


解説「さらに、どう分かりやすく意味を説明するか、で解説方法に違いが出ます」


実況「工夫の凝らしどころですからね。各辞書がどう意味を攻めていくのか、興味深いですね」


解説「最後にどんな用例をどうやって出すか、これも辞書によって大いに違ってくるポイントです」


実況「なるほどー。これは選考アワードのしがいがありますね。ではまず、辞書によって載っている漢字の意味が多かったり少なかったりする、という点から着目していきましょうか」


解説「はい。漢字の意味の多寡は、各漢和辞典のスタンスによって異なってきます」


実況「スタンス、ですか?」


解説「皆さんご存じの通り、漢字は文字でもあり言葉でもあり、一つの漢字が複数の意味を持っている場合があります」


実況「たとえば『空』は sky と empty という意味がありますね」


解説「こうした漢字の意味は、その漢字が作られたとき持っていた“原義”であったり、派生して定着した意味であったり、転用されたものであったり、知らんけど生えてたものであったり、また日本で使われるうちに生まれた意味であったり、といろいろです」


実況「知らないうちに発生してる意味とかあるんですか」


解説「誤用が定着した場合とかですね。ともかく、ひとくちに漢字の意味とは言っても、今では失われているもの、古典の中だけに残っているもの、現代語として使い続けているものなどなど様々あります。漢字の意味としてこれらを全部載せてももちろんいいんですが」


実況「……全部は大変、ですね?」


解説「まあ、そう、大変です。作るのも使うのも、ちょっと難しくなります。なので、古典的な意味を重視するか現代的な意味を重視するか、辞書のスタンスによって載せる意味と量が変わってくるんです」


実況「なるほど。それは大きな違いっぽいですね」


解説「とまあ、言葉で説明してもよく分からないと思うので、具体例で見てみましょう!」


実況「今日は堅実かつ真面目な進行ですね」


解説「いつも真面目ですが? というわけで、今回のサンプル漢字には『常』を選びました!」


実況「常用漢字かつ小学校で習う教育漢字ですね。なぜその漢字を?」


解説「なんとなく。勘で」


実況「うーん。ここまでのたかぱしさんの勘って勝率5割ぐらいですが。大丈夫ですか?」


解説「今回は自信あります。エントリー辞書以外の漢和辞典でも『常』の意味解説を見れば、その漢和辞典がどんなスタンスで意味を載せているのかすぐに分かりますよ」


実況「意味解説の指標になるんですね」


解説「ということで。突然ですが、『常』という漢字の意味を聞かれたら、なんて説明します?」


実況「え。あー。『つねに』なので、“いつも”とか“ずっと”とかですかね」


解説「そうですね。さらに“ふつう”、“あたりまえ”なども意味します。これらは古典でも現代でも使われている、『常』の最重要字義ですね。説明の仕方に差異はあっても、これらの意味を載せていない漢和辞典などそうそうありません」


実況「そりゃそうですよね」


解説「でもそれだけでは終わりません。『常』にはもっといろいろな意味があります」


実況「ふむふむ。どんな意味ですか?」


解説「『常』をよく見てください。この漢字の部首、【巾】です」


実況「へー。上の【小】や【口】じゃなくて、下の部分が部首なんですね。【巾】といえば……布に関係する部首、でしたっけ?」


解説「はい。というわけで、諸説ありますが、『常』の原義は“”、布でできた長いスカートです」


実況「え、スカートなんですか!?」


解説「はい。でもまあ、『常』から“裳”という意味はほぼ失われて、使われてないですね」


実況「『まあ、素敵な常ね!』とか言っても意味不明ですもんね」


解説「さらに『常』の字義として載っているものに、布繋がりなのかなんなのか“天子の旗”というのがあります」


実況「今度は旗……」


解説「裳などの布の長さに由来するのか、『常』は長さの単位でもあります」


実況「え、長さの単位、とは?」


解説「はい、『尋常』という熟語がありますよね。“ふつうの”を意味する語ですが」


実況「あー、『尋常じゃない汗』とか『尋常小学校』とかの尋常ですね」


解説「もともと『ジン』も『ジョウ』も長さの単位なんです。ジンがおよそ八尺、ジョウは尋の2倍、つまり十六尺です」


実況「尺で言われても分からない……」


解説「ジンジョウも一般的なよくある長さの布だったので、尋常=“ふつうの”という意味になったという説があります」


実況「なんとまあ」


解説「さらに常は尋より長い布だったので、そこから時間的に長い“ずっと”、“いつまでも”という意味が派生した、という説もあります。本当かどうかは分かりません」


実況「確かかどうかは分からないにしても、なんとなく意味同士に関連があるんですね」


解説「そうですね、派生して生まれた意味なんでしょうね。でも、なにがどうして生まれたのか分からない意味もありますよ」


実況「その意味とは……?」


解説「とある歴史書に項伯こうはくというおじさんについて『項伯常殺人』と書いてあって、これを読み下すと」


実況「えーと。『項伯こうはくつねひところす』……? げっ、常習殺人犯だ!!」


解説「……となるんですが。実はこの『常』は“つねに”ではないんですよね」


実況「え、じゃあ、なんて読むんですか、これ」


解説「『項伯こうはくかつひところす』です」


実況「かつて人を殺したって、やっぱり殺人犯だ!!」


解説「どっちにしろ殺人犯ですが。常に殺人をしているというのと、かつて殺人をしたというのでは意味がずいぶん違います。ということで、『常』は“かつて”、“以前に”という意味になるときがあります」


実況「うーん、まぎらわしい!」


解説「稀な例だとは思いますよ。あと、他にも載っていることがある意味として、木の名前(梅系)などもあります」


実況「はあ。思ったよりいろいろな意味がありましたね、『常』」


解説「こうした意味は、漢籍・漢文に見られる古典的な意味です。これらが載っている辞書は古典重視派と考えていいかと」


実況「なるほど」


解説「さらに『常』の意味として載っているものには、日本特有のものもあります」


実況「……まだあるんですか」


解説「まず『常夏』などに使う接頭語としての『とこ』」


実況「意味的には“ずっと”と同じですね」


解説「他に旧国名の『常陸国ひたちのくに』の略(常州など)をあげている漢和辞典もあります」


実況「今の茨城県ですね」


解説「特殊な『常』使用例として載せてあると親切だと思います」


実況「はー。『常』1字に知っていたり知らなかったり、いろいろな意味がありますね」


解説「まとめてみましょう」


『常』ハンディ漢和に載っていたりいなかったりする字義一覧

主義 つねに・ふつう……等々

原義 裳

古義 旗・長さの単位・かつて・梅の名前

国義 とこ・常陸


実況「これらの意味のうち、どれをどれだけ載せているかが重要なわけですね。それで、エントリー漢和辞典はどうなっているんでしょうか?」


解説「原義の“裳”から意味に載せいてる辞書は意外と少なくて、エントリー辞書では角川『新字源』と『常用字解』の2冊だけです」


実況「裳を載せているのはマニアックということでしょうか」


解説「そうですねえ。字の成り立ちに関わる意味ですから、字義に“裳”を載せるのはなかなかにマニアックな選択と言えますね」


実況「それが『新字源』と『常用字解』」


解説「はい。部首のところでも少し出てきましたが、『新字源』はとにかく漢字の意味を追求しまくる漢和辞典です。原義から派生順にがっっっつり意味を載せるスタンスです。漢字大好き、という人にぜひ見ていただきたい辞書ですね」


実況「やってくれますね。他に古典的な意味を重視して載せている漢和辞典はありますか?」


解説「三省堂の『新明解漢和辞典』と『漢辞海』も古典的な意味からしっかり載せている漢和辞典ですよ」


実況「逆に古典的な意味はあえて載せていない、そういう漢和辞典もあるんですね?」


解説「はい、現在使われている意味に絞って載せている漢和辞典ですね。たとえば『例解 新漢和辞典 』や『三省堂 五十音引き漢和辞典』、『大修館 現代漢和辞典』などですね。手軽に使える漢和辞典です」


実況「現代日本で使われている漢字の意味を調べたいのなら、そういう漢和辞典を使う方が分かりやすいわけですね」


解説「というわけで、各漢和辞典の字義についてまとめてみました」


『常』の原義から載せてるぜ

☆『角川 新字源 改訂新版』

☆『常用字解』


『常』の古義をたくさん載せている順

☆4つ載ってるぜ

『角川 新字源 改訂新版』(かつて・旗・単位・梅)

『新明解 漢和辞典 第四版』(かつて・旗・単位・梅)

『全訳 漢辞海 第三版』(かつて・旗・単位・梅)

☆3つ載ってるぜ

『新明解 現代漢和辞典』(かつて・旗・単位)

『新漢語林 第二版』(かつて・旗・単位)

『旺文社 漢字典 第二版』(かつて・旗・単位)

☆2つ載ってるぜ

『漢字源 改定第六版』(旗・単位)

『現代漢語例解辞典 第二版』(かつて・単位)

『新釈漢和辞典 新訂版』(かつて・単位)

『新漢和辞典』(かつて・単位)

☆1つ載ってるぜ

『五十音引き 講談社漢和辞典』(かつて)

『常用字解』(かつて)


『常』の古義は載せないぜ

☆『例解 新漢和辞典 第三版』

☆『三省堂 五十音引き漢和辞典 第二版』

☆『例解小学漢字辞典 第三版』

☆『大修館 現代漢和辞典』

☆『岩波 新漢語辞典』


実況「ふーむ。上級漢和辞典を自ら名乗るパワーファイターな『漢字源』が古義をあまり載せていないというのは意外な気がしますが。どうなんですか、たかぱしさん」


解説「そう、一見少ないんです。が、『漢字源』は字義のほかに語法欄というのを設けていまして、そちらで『かつて』を説明しています」


実況「載っていないわけではない?」


解説「よく読めば載ってる。けど欄を分けられちゃってて全部読まないと気づかない、そういう紙面構成でいいと思ってんのか、『漢字源』さんよ。と言いたいのをぐっと我慢しています」


実況「我慢できてないですね。ダダ漏れに言っちゃってますね」


解説「実は『漢字源』は旧版の方が分かりやすいのでは?疑惑がありまして。事実確認のため『漢字源』の第四版と第五版がほしーなーと切実に思っています」


実況「ただでさえ分厚くて重い『漢字源』が2冊も増えたら事件ですよ。自重してください」


解説「むん」




【参考情報】国義はこうなってたぜ

☆2つ載ってた

『漢字源 改定第六版』(常夏・常陸)

『三省堂 五十音引き漢和辞典 第二版』(常夏・常陸)

『五十音引き 講談社漢和辞典』(常夏・常陸)

☆1つ載ってた

『角川 新字源 改訂新版』(常夏)

『新明解 漢和辞典 第四版』(常陸)

『例解小学漢字辞典 第三版』(常陸)

『大修館 現代漢和辞典』(常陸)

『現代漢語例解辞典 第二版』(常陸)

『岩波 新漢語辞典』(常陸)

『新釈漢和辞典 新訂版』(常夏)

『新漢和辞典』(常夏)

『常用字解』(常夏)


【参考補足情報】「不常~」などの語法を意味として取り上げていた辞書

☆『漢字源 改定第六版』

☆『現代漢語例解辞典 第二版』

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