左前方に見えますのは、部首立てという名の沼でございます

実況「えー。前回は部首順の漢和辞典の部首分けがどうなっているか、少し覗いてみただけのつもりでうっかり沼に踏み込んでしまったようなんですが、たかぱしさん。ぶっちゃけ、この沼は深いんでしょうか」


解説「いえ、大したことないです。沼と言うよりは観光地の足湯みたいなところなので、ぜんっぜん大丈夫です」


実況「そうなんですね。では心置きなく足を突っ込んでいきたいと思います。部首の違いとして、形の似た部首をまとめるか分けるかという違いがあったわけですが。他には何があるんでしょうか」


解説「形の変わる部首を独立させて分けるか、どうか。ずばりこれです」


実況「形の変わる部首、ですか? 具体的には?」


解説「たとえば【みず】と【さんずい】ですね。本来【さんずい】の漢字の部首は【みず】なので一緒に混ざって並んでいます。が、形がずいぶん違いますし、【さんずい】はみずだという知識がないと探せないかもしれません。【さんずい】の漢字は数も多いので、部首として独立させた方が見つけやすいだろう、ということです」


実況「なるほど。【さんずい】=【みず】なんて常識だし小学生でも分かるだろと思わないでもないですが。漢和辞典アワード関係者たかぱしかげるの漢字知識が一般常識かどうか、やや怪しいところがないでもないですもんね」


解説「他に独立しているのは、【かたな】と【りっとう】、【こころ】と【りっしんべん】、【】と【てへん】、【いぬ】と【けものへん】、【】と【れっか】、【ころも】と【ころもへん】などですね」


実況「結構ありますね。分けている漢和辞典はというと、どれなんでしょうか」


解説「三省堂の『明解漢和』、学研の『漢字源』、大修館の『新漢語林』、あと小学館『現代漢語例解』が分けています」


実況「他の辞書は特に分けていないんですね。ということは分けない方が主流ですか」


解説「部首としては分けなくても、「部首索引」には【みず】でも【さんずい】でも見つけられるように工夫している辞書が多いです。なので、探すという点ではそれほど大きな違いにはなりません。でも、同じ部首の中にたくさんの漢字があると見つける手間は増えますから。分けることで見つけやすくなるという効果があると思います」


実況「小さな親切ですね」


解説「しかし!」


実況「え、『しかし』?」


解説「ここで意外な落とし穴が!」


実況「……なんですかね?」


解説「形の変わる部首のひとつに【にく】と【にくづき】がありまして」


実況「え、ああ、はい。ありますね」


解説「この【にくづき】を独立してひとつの部首にすると――」


実況「妙にひっぱりますね。すると?」


解説「【つき】と【にくづき】の2部首の形がまるかぶりに……」


実況「あ、ほんとだ。かぶりまくってますね」


解説「形だけではほぼ見分けられない【つき】と【にくづき】。さあどうする?」


例:【つき】の漢字「服」「朗」「期」。【にくづき】の漢字「脈」「脇」「胡」。


実況「えっと。しょうがないから一緒にする……?」


解説「そう! その結果、もともとそれほど漢字の多くはない【つき】部首は、やたら多い【にくづき】に占領されてしまうことに。もう、月がマッスルにぎゅうぎゅう挟まれて泣いてますよ!」


実況「泣いているというのはたかぱしさんの主観ですね」


解説「ともかく、意味よりも形をとった結果の悲劇といえるでしょう」


実況「なるほど。悲劇かどうかはともかくとして、「月」の入っている漢字を調べるときは要注意ですね。【つき】と【にくづき】を一緒にしている漢和辞典は、形の変わる部首を独立させていた辞書たちということですか?」


解説「いえ、他に岩波の『新漢語辞典』です」


実況「ん? 岩波『新漢語』? えーと。岩波の『新漢語』は【さんずい】や【りっしんべん】を独立の部首にはしてない、んでしたよね?」


解説「はい、してません」


実況「でも、【にくづき】の漢字は【にく】ではなく、【つき】?」


解説「ええ、そうなってます」


実況「なんで?」


解説「さあ。さっぱり分かりません。まあでも、漢字に含まれている「月」が【つき】なのか【にくづき】なのか判断に困るぐらいなら、一発【つき】で探せるようにしてしまえという、大変実用的な考え方と言えなくもなくもないです」


実況「実用的。なるほど」


解説「岩波『新漢語』が実用的なのは、ここだけではありません」


実況「と言うと?」


解説「【しんにょう】の漢字は本来【ちゃく】の形、つまり七画の部首で載せられているのが一般的です。しかし岩波『新漢語』は三画の部首【しんにょう】で載ってます。【おおざとへん(右)】や【こざとへん(左)】の漢字も七画・八画の部首ではなく、三画「阝」で出てきます」


実況「おお〜。なに言ってるかよく分からんけど」


解説「部首の【】や【くろ】、【】などもそれぞれ【】【くろ】【】と常用字体で部首立てしてます」


実況「見慣れた形で部首にしてるわけですね」


解説「まあ、初版での話なので。最新の第三版ではどうなっているか、それはまだ分かりません。実に気になるところですね」


実況「岩波書店『新漢語辞典』第三版は明るく可愛いパッケージが目印です。ぜひ誰か購入して確認の上ご報告ください! 早めに! 誰か!」



【データ】

形の変わる部首は独立させて新部首に派

☆『明解漢和辞典』[三省堂]

☆『漢字源 改定第六版』[学研プラス]

☆『新漢語林 第二版』[大修館書店]

☆『大修館 現代漢和辞典』[大修館書店]←後から追加しました。

☆『現代漢語例解辞典 第二版』[小学館]



形が変わっても別に分けなくていいよ派

☆『角川 新字源 改訂新版』[角川書店]

☆『全訳 漢辞海 第三版』[三省堂]

☆『例解 新漢和辞典 第三版』[三省堂]

☆『新明解 現代漢和辞典』[三省堂]

☆『新釈漢和辞典 新訂版』[明治書院]

☆『旺文社 漢字典 第二版』[旺文社]

☆『岩波 新漢語辞典』[岩波書店]

☆『新漢和辞典』[金園社]



ムーンもマッスルも月は月だ派

☆『明解漢和辞典』[三省堂]

☆『漢字源 改定第六版』[学研プラス]

☆『新漢語林 第二版』[大修館書店]

☆『大修館 現代漢和辞典』[大修館書店]←後から追加しました。

☆『岩波 新漢語辞典』[岩波書店]



部首も常用字に直しました派

☆『明解漢和辞典』[三省堂]

☆『岩波 新漢語辞典』[岩波書店]

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