第72話 静。
静の透明なキャンバスはまだ三色。
白と黒も入れれば五色。
あっ、でも灰色なんだから四つか。
気づいていないが静は焦っていた。
終わってしまう。もうすぐ終わってしまうのに。と。
色ってなんなんだろう?
私はどんな色も好きだし、どんな色も再現してきた。
なら今のこの状況は?
余裕とここに色を探しに来た。それは答えを探しにきたということ。
ならその答えって? 答えを見つけてどうなるの? どうするの?
無理だよ、これじゃ。この透明なキャンバスは自由過ぎる。それにこの色たちだってみんな私の創った色じゃない。
カコっという音のかみなりの黄色も。
死との境界線な赤色も。
それに不敵な余裕の笑い声の紫も、全部私の創り出した色じゃない。
「この一色だけだ。俺の中にあったのは。無理矢理立ち止まらされて、何度も失敗して、やっと本物にたどり着く。こんな色でも静には必要だろ?」
必要もなにも、私にはどんな色もあるんだよ?
余裕みたいにひとつしかないなんてありえないだよ?
余裕が見つけたその色だって私の中にはあったんだよ?
「なら全部魅せろよ」
色。
対象に当たった光のうち、吸収されずに反射したものを目が受けた時に見える。
そのことを、世界で一番理解している静。
だからこそ、静にとって色は、本当にただ『色』だということ。
全ての色が。自由で自在な色が。
あれ? 今私声に出してた?
「出さなくても分かるんだよ。なあ静、色って決まったものだけじゃないだろ? 今だって俺の言ってることを聞いて、静がなにを思って、なにを考えてるのか。手に取るように分かるよ」
「顔色ってこと」
「うーん、まあそれもだろうな」
「ダジャレじゃん」
「早合点するなよ! 的中率100パーセントだから! 顔色もだけど、それだけじゃないから!」
「なら何?」
コースは最後の最大勾配のストレート。その手前まで差し掛かっていた。
「駄目だ。教えない」
「どうして?」
「それを言ったらこの風色がどんな色なのか解っちゃうだろう」
「私が知らない色なんてあるわけないじゃん! 再現できない色なんてあるわけないじゃん!」
「なら『余裕色』は?」
「余裕色なら再現したでしょ! 知らなかったのは名前だけ!」
「なら『風色』は? どんな色? そのキャンバスに描いてみろよ」
「いいよ!」
即座に静が透明なキャンバスに『風色』を再現しようとする。
「……分からないだろ? 描けないだろ?」
どうして!? どうして!!
「さっきから何焦ってるんだよ」
焦ってなんてない! 私の中にはあるんだから! 知ってるんだから!
「そのままじゃいずれ描けなくなるぞ、絵」
うるさい!!!
余裕に向けられた
「それ違うからな。なに押さえつけてんだ? らしくない」
!!!!!。
変わらない。こんなに感情に身を任せているのに。
いつもなら、今までなら変わった。なにかが起きた。なんとかなった。
「変わらないし、なにも起きないだろ、それじゃ。なんともならない。無駄だからやめろ。もっと酷くなるぞ……って、遅いか」
余裕がそう言うと、静の透明のキャンバスにはさっきまであったぼやけた黃、赤、紫色すら無くなっていた。
そして、残った灰色だけがその中で必要以上に輝いている。
なにこの色!
こんな色いらない!!
私が欲しいのはもっと鮮やかな色!
「なら、風色だろ」
また!
なんで考えてることが分かるの!?
「教えない」
透明なキャンバスに灰色だけが残る。
まだ描くことはできる。できるのに静は諦めようとしている。
『絵を描く』ということを。
「諦めるのか? まだ答えすら出てないだろう。自分の色をまだそのキャンバスに落とせてないだろう」
「そんな簡単じゃないよ! 余裕は絵を描かないから分からないんだよ! さっきからなに? その感じ。確かに余裕は見つけたよ、その色を。でも私の中にはあるの! すべての色が!!」
「すべての色ってなんだよ?」
「無限の色があるって言ってんの!!!」
その一言。
静の言った『無限』という言葉は答えだった。
『全部魅せろ』と余裕は言った。
解っていた。静の前の四季とのやり取りがあったからだ。
ホンモノだと思った色の世界に連れ込み、間違った考えを得て、勝手に納得した。
その時自分にあるもので済ませてしまっていた。
超えていなかった。限界を。
だから今なら判る。
静の瞳。
静の目。だけが、ずっと一緒だった。初めて病院で会った時、啓介のアパートに行った時、そして今回。ずーっと静の大きな目だけが変わらず一緒だった。
余裕は魅了されていた。
余裕は見惚れていた。
その大きな瞳に。
「……」
「ごめん、静。いいよ。描いて」
「……うん」
静は透明なキャンバスに次々と点描する。
「これはすーちん色」
「うん」
あの気の強い女医さんだ。
「これが羽生さん色。これは波さん色」
「へえ」
知らない色を初々しく眺める。
「四季色」
「そうだね!」
「これは……しーちゃん、椎色」
「……うん」
「この子。浅葱色」
「だな」
「余裕色」
「うん」
「風色」
「――そう。この色だ」
「だから――私色」
「そっか」
「どう?」
「すごく綺麗」
「それだけ?」
「えー? うーん、俺が一番好きな色」
「風色よりも? へー、そうなんだー、えへへっ」
静は自分の色だけをキャンバスに落とさなかった。
その必要がなかった。
余裕に告げながら点描によってキャンバスに打たれていった色が筆触分割によってひとつになっていたからだ。
まさに、『無限の色』を余裕に静は魅せた。
やっぱり静は其の世界にいたんだな。
うん、当然だ。分かる、痛いほど分かる。
――判ってしまった。
「見つかったな。答え」
「見つかったね。答え」
俺はどうやってもこの先、其の世界は経験できない。
静。
君という『きっかけ』があるのに、俺にはどうやっても無理だ。
「そうかな?」
「そうだよ」
なんで?
「なんでも」
「私が傍に居るのに?」
「傍に居ても。無理」
ずっと一緒でも。
「限界超えても?」
「ごめんな……。無限の色を一緒に視ることはできない」
そっかぁ。
そうなんだよ。
二人の感覚。
余裕の『限界』。
静の『無限』。
絶対に交わらない感覚。共感は……できない。
このストレートが最後。
答え探しは終わる。
カコっ。黄色のオーバートップ。
余裕の限界をFDは出力する。浅葱色を一層濃くし、さらに輝きが増す。
静の目には色が、無限の色が視えていた。自在に、自由に、その色たちでキャンバスを埋め尽くす。灰色だった透明のキャンバス、その姿は微塵もなかった。
「こんなにたくさんの色使っていいのかな」
「静」
「そうだった……。これじゃ足りない。もっと、もっと」
「そう。もっと、もっと」
すでにアクセルペダルの踏みしろは無い。
なのに、エンジンの回転は上がり続ける。天井知らずに、限界を超えて。
キャンバスにはすでに無数の色が、点が描かれている。
なのに、さらにひとつも同じ色の無い点が次々に生まれる。自由に、無限に。
ゴール地点が視える。
余裕と静は、まっすぐ前だけを視ている。
それぞれの答え。それぞれの世界だけを視つめている。
速度という概念を超えて白と黒のチェッカーフラッグが振られようとする。
「ああ、それじゃ違う」そう言って静がぐちゃぐちゃにその二色を混ぜる。
「こうじゃなきゃな、俺達の最後は」
灰色の旗が振られる。
それを勢いよく通り過ぎる。
「ねえ視て余裕」
「すごい」
「ね」
満たされた月は余裕色に。
満たされた月は静色に。
雲一つない満天の月色は目一杯に燦々と大きく輝いていた。
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