第70話 共感覚。

フロントガラス越し、外の景色はまるで写真を視ているかのように、ひとつひとつが鮮明に映る。


勢いよく上がったエンジンの回転は、歓喜と活気に満ちている。

「よし」

すぐに分かった。大丈夫だと。

『大丈夫』

この言葉は自分自身にしか使ってはいけない。

余裕はレースを始めた頃そのことに気づいた。

外の世界に放りだしてしまえば一瞬で無意味で無駄になる。好きで嫌いな言葉だった。


味わったことのない現実に、一斉に全ての感覚を尖らせる。

散瞳しっぱなしの大きな瞳は必死に理解を促すために動き回る。

『大丈夫』

もう一人の自分が静に囁く。

静は『考える』を生まれて初めて実感する。

自分がしていることが、『考える』ということなんだと。意識的に実行する。

無意識だがずっと常にしてきたことだった。


描ける。

それはとてもこの人らしい。


駆ける。

それはとてもこの人らしい。



タコメーターはオーバーレブギリギリまで回っている。

電光石火のシフトワーク。

カコっと、どうしてそれだけで済んでいるのか不思議に思えてくる音を余裕が奏でる。

初めて聞いたときから静はその音がお気に入りだった。

この音は黄色。

静はキャンバスに黄色を落とす。

点ではなかった。一定の幅で、鋭さを出すために自分の出せる最速で筆を走らせる。

『雷線』

それはさながら、鈴鹿四季の『線』のようにも視えた。


約三秒間の全開区間。

景色は流れていない。1秒ずつで止まっているかのように、断片的な場面を余裕に視せる。

1場面目。緊張していたのか、普段よりもキツく締めていた4点式のシートベルトの調整をする。ふうっ。

2場面目。外気を思いっきり吸うと、肺に冷えた空気が一気に流れ込む。うまい。

3場面目。静の笑顔を確認できると、さてブレーキの準備だとシフトレバーに左手を置き、右手でステアリングをフワりと握る。一瞬視えたスピードメーターの針が130km/h付近まで回っていた。にっ!


新世界だ。

ギャジュウウウウ!! と非現実な匂いが4つの位置から発生する。

嫌声けんせいの匂いは、高速で移動し、重力の何十倍もの力がこもった余裕の右足が原因。


生まれた縦Gが、静の意識を奪いにかかる。

うるさい! とそれを片手で払う。

普段よりも動かしにくかった感触を確かに手の甲で感じた。


例の白い現実がゴールテープのように誘う。

しかし余裕が、「勝手に人のゴールを決めるな。」と沿うようにしてなぞる。

静は質感が気になり窓から手を出し、それにそっと触る。

白じゃない、赤だった。と、キャンバスに新たな色を加える。

今度は歪で不規則な線でもってしっかりと。


そこで静は異変に気づく。

キャンバスが無い。

そして、その間違いにもすぐに気づく。

無いんじゃない。透明なんだと。


『透明なキャンバス』


ただそこに色が無く、空間でいて空中。なんて自由な色。

静は知らずうちに入れていた体中の力を抜く。柔軟に、俊敏に、自由を使う体勢を作る。

くくく。と僅かに漏れた余裕の笑い声のようなものを聞く。

青、というよりは紫。黄昏などろりとした点で透明なキャンバスが埋まる。


なんて正直。

まだ大丈夫。もう無理。疲れた、治った。

まっすぐに、俺にこいつはいつも、どんな時でも変わらず本音を伝えてくる。

本性をひけらかせ、本質しか言わない。


なんて残酷。

いい色。そこは間違ってる。最高、駄目。

まっすぐに、私にこの子はいつも、どんな時でも変わらず本意を伝えてくる。

本望をひけらかせ、本心しか言わない。



本当に好き



少しずつ。ゆっくり混ざる。



再び現実。だが今回のは大きく違う。

ゴールなんて生易しいものではない。現実を断ち切る境界線。

成し得ないのなら終わらせろ。と言っている。


「偉っそうに。お前は何度も施工したことがあるから知ってる。FRのホイールピッチと同じ、直径114.3ミリの円柱が決められた根入れで埋められ、そこに等間隔で鉄板が繋がっているだけ。簡易的で、全く意思のない物だ、気安く話しかけるな!」

「邪魔。」

二人が我儘を言い通す。

四季の場合と違う。自分を見失わず、はっきりと言葉を放つ。


島の魅せた走行ライン。余裕自身が作り上げた最高で最上の走行ライン。その二つが経験としてセーブされている。

しかし、余裕の創ったラインはどちらでもない第三の走行ラインだった。

それはおかしなライン。ありえなく、存在してはいけないライン。

右リヤのタイヤが通った場所には縁石があり、乗り上げるか最悪走行不能な大事故。

リヤバンパーはさらに奥の境界線を越えた。つまりは、死。だ。


結果、は複合コーナーを一つに融合させた。


これ以上削ることなどできるはずのなかったステアリング角度は史上最小。

大きなよゆうを余裕に生ませ、それは本来のものだと静が認識する。


クリア。それは透明。

すっきりと強引を実行させ、当たり前に自由を許す。


4つの瞳の前にが姿を現す。

皮膚に触れ、体を嗅ぐ。声を聴こうと、二人の世界を味わう。

「いい匂い」

「な。それにきれいな音だ」

「なんでかな。美味しい」

「それに気持ち良い」

「ねえ余裕」

「なんだ?」

「ここに答えを探しに来たよね」「もちろん!」素早く、きっぱりと余裕が言い放つ。

「ならは?」

「うーん、多分――だな」

「なら答えってこと?」

「まあ焦るなよ。まだ最後まで走りきってない。ゴールしていない」


このコーナーを処理した時の余裕とFDの出せた最速スピードは47km/h。

しかし、この時の余裕のスピード、FDの速度がそれを優に超えていることは、確認せずともふたりは感じ取っている。


「チェッカーフラッグって知ってるか?」

「知らない」

「ゴールした時に振られるフラッグ。旗だ」

「ならチェッカーはチェック柄ってこと?」

「そう」

「ふーん。なら色は? 何色と何色なの?」

「くくくっ、白と黒」

「ええっ!? じゃあゴールしてもなんの感慨もないじゃん!」

「そう! そうなんだよ! 実は俺、この状態になって最初に思ったことが、あーあこの状態じゃトップでチェッカーフラッグ受けても味気ないんだろうな。ってことなんだよ」

「ぷっ! そうなんだ」


軋むボディ。土屋SPLのサスペンションがそれを最小限に食い留める。


「でも、なんかそれって違うんじゃないかって思えてな――。灰色に対してすごくよゆうがあるんだ。……なぁ、俺の色って」

「焦っちゃ駄目なんじゃないの?」

「……。ああ、そうだった」


ドン!!!


『好き以上のものがない

この目じゃ視えなかったものが、どうして溢れてくる。

二人は同時に思う。


無視できない。

視たことを無いことにするなんてできるわけがない。

を視てしまっている。


どうしよう。どうしたらいい。

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