第68話 在るが儘。

攻撃は好き。

防御は嫌い。


自分よりも速いやつに会った時。圧倒的な力の差を見せつけられた時。余裕は歓喜し、奮起した。

まっさらな意思を、真っ直ぐ貫く。

それだけでいい状況が好きだった。

しかし、その逆。

勝負を捨てたやつ。そもそも勝つ気の無いやつに対しても、そのまっさらで真っ直ぐなことをした。

真逆の状態。真逆の心境で。


魅せたくない、今の自分を。


静の大きな酷く澄んだ瞳は否定の念を込めて余裕に向けられていた。


視ないでくれ、こんな俺を。


「違う。余裕はそんなふうには思わない」

明らかに決めつけた言い方。

けれどその物言いは、余裕が好きだと告げた相手らしかった。


「嘘は良くない」

余裕はそんなことを本気で言う人間を初めて視た。

好きな人から言われた言葉史上最強の攻撃力だった。


「どうしての?」

「……」

「危ないじゃん」

「……」

「後ろに誰かいたらどうしたの」

「……」

「……胸だって打ったし」

静が胸を押さえる。それはまるで本当に言いたいことが外に出ていかないようにしているようにもみえた。

「なにか言って」


その時だった。

ビー! ビー! というクラクションの音が後方から聞こえた。


余裕が急停車させた道路は、一方通行ではないものの、その道幅はどちらか一方の車両が一時停止し、すれ違いざまにお互いが十分に用心しながらすれ違わなければいけないような交互通行には不十分ともいえる、俗に言う地元道といわれるような道路だった。

そんなところで不用意に余裕が急停車させたことで、後続車が追い越しできない状態になってしまっていた。


「おい! そんなところに止まってたら邪魔だろう」

後続車の男が、その相手である余裕に向かって怒鳴る。

けれど、余裕はとくに気にすることなく、なにかを考え込むように俯いたままだった。


「後ろの人怒ってるよ、この子動かさないと」

状況に焦りながらも、ゆっくり、優しく静が呼びかける。


「聞いてるのか! 通れないって言ってるんだよ!」

さらに声を荒げて余裕を責め立てる。


「ねえ! 余裕! 動かして!」

黙ったままの余裕の肩を静が揺する。


「てめぇ、嫌がらせか!? 上等だ」

そう言うと、男が車の外へ出て二人のところへ向かってきた。

男の怒号が聞こえていないのか、全く車を動かす気配のない余裕。

静は肩を揺らしていた力をさらに強める。


バン!


その音は音だった。


「ごめんなさい! 今すぐ動かします!」

静は、自分たちに向かってくる相手にしっかりと頭を下げ謝罪すると、運転席側に走ってまわり、ドアを開け、座ったままの余裕のシートベルトを外し、無理矢理に助手席へと押し込むようにした。

「ちょっ! なにやってんだ静!?」

そこまでされて初めて何事だと、余裕が静のしたことで気づく。

「いいからどいて!」

「はあ? どいてって、なんで?」

「はやくぅぅぅ、そっちいっててぇぇ」

ぐいぐいと、到底女の力とは思えない力で余裕の体を押す。

「痛いって! なにがどうしたんだよ!?」

「うるっさい! 後ろから車来てるって言ってんのっ!」

そのことを聞いて余裕が胎児のような状態のままバックミラーを確認する。


「――本当だ」

「ったく。早くシートベルト締めて! この子は私が動かす!!」

バケットシートを一番前に出し、当たり前に不慣れな手つきでギヤを1速に入れようとする。

「確か、初めにこれを……って、なにこれ!? 重っ!」

ダブルプレート使用のFDのクラッチペダルは静には重すぎた。

「くぉのぉおお!」と、とてもクラッチを切るための体勢とは思えない状態でやっとのことギヤが入った。

と、次の瞬間。皮肉にも、「入った!!」という静の歓喜の声をまるで表すかのようにして、ガックンっと痙攣ノッキングしたと同時にエンジンが停止する。


「おい! やめろって!! 静には無理だ!」

自分の間抜けな体勢を、静を取り押さえるための状態へと瞬時に整える。

「うるっさいなぁ! この子は私が動かすって言ったでしょ!!」

余裕の躊躇なく伸ばされた両手をスルりと交わし、セルモーターを必要以上に回す。


キュシュシュシュ、シャヒン! キュシュシュシュ!!

もう一度、全く同じ動作を静が繰り返す。

当たり前に、もう一度、FDが痙攣する。

「もう一回!」

「やめろぉ!!」

構うものかと、全身を静の眼の前にダイブさせる。

「うわっ! なにすんの! 余裕じゃまっ!」


「おい、なにやってんだ? 早く出してくれよぉ」

近寄って見た車内のカオス具合に、すっかり怒りを忘れた中年の男が、もはや心配しているかのような声をかける。

「すいません! 今動かすんで。静! 変われって! お前じゃ無理だから!」

「いーやーだ! 私が運転するの! 余裕は助手席で大人しく縮こまってて!」

ハンドルを掴んだ両手に全身全霊の力を込めて静が踏ん張る。


「分かった! 分かった! 静が動かしていいから」

ついに余裕がその言葉を口にする。


「じゃあ教えて!」

駄々をこねた幼児さながらに、ジタバタさせていた腕以外すべての動きを静が突然止める。


「教えてってことは静……免許は?」

「ない」


目線を合わせず、正面を向いたままの静の横顔は、刹那余裕を迷わせ、瞬時に腹をくくらせた。


「……ちょっと待ってて」

助手席のドアを開け車外に出ると、二人のやり取りをすべて見聞きしていた中年の男に近づく。


「申し訳ありません。今からこいつが動かすんで、少し待ってもらってもいいですか?」

静のしたことと同様に、男に向かってしっかりと頭を下げる。


「はあ!? だって今この娘免許持ってないって」

「分かってます。でも、こいつがやるって言ってるんで」

その余裕の言葉を聞いて男は、若干顔を歪ませ目尻をひくつかせると、「お前、頭可笑しいんじゃないのか!?」と一喝し、同時に余裕の胸ぐらをつかみ締め上げた。


余裕と男がそんな一触即発の状況にもかかわらず、静はステアリングを両手でしっかりと握ったまま、以前、ただ真っ直ぐ進行方向だけを真剣に無表情で視つめている。


「あなたに迷惑をかけてしまっていることは十分に理解しています。でも、俺たちにはそんなことどうでもいいことなんで……すいません」


ゴッ!! という音とともに余裕の体が男の手を離れ、後ろ向きに倒れ込む。


「勝手にやってろ! お前らみたいなのにかまってたらおれまでおかしくなっちまう!!」

そう吐き捨て、男は自分の車に戻ると、スキール音をたて来た道をバックし、どこかに走り去って行った。


「リヤの空気圧減ってる。アイドル乱れてた。タペット音も出てたな、あれ」

余裕はそう言いながら立ち上がり、FDの助手席側へと歩き出す。


ガポっとドアを開ける。

「この一回だけだ。ゆっくり教えるから、一発で決めろよ」

「うん。分かった」

「いいか……まずは」

余裕は静に発進させるための動作をひとつひとつ丁寧に教えていく。


「これが一連の動作だ。分かったか?」

「なんだ、簡単じゃん! いい? 動かして」

そんな雑な反応とは裏腹に、静は教えられたとおりにひとつひとつの動作を丁寧にこなしていく。


ヒューンという、ロータリーエンジン独特の音が車内に響く。

「やった! 動いた!!」

ゆっくりと車体が前進する。

そんなフロントガラス越しに視える景色は静の視たことのないものだった。


「やっぱり」と静がつぶやく。


余裕は、動きだしたらすぐに運転をやめさせるつもりだった。

けれど、そうしなかった。いや、できなかったといったほうが正しい。


これって。


余裕の目にも視たことのない景色が視えていた。

数十センチ横にずれただけ。けれどそこから視た景色は余裕の知らない世界だった。


歩くような速さで流れる風景は灰色の世界を濃く、輝かせる。

ここ最近一気に早まった日暮れは、世界から光と熱を奪っていた。

にも関わらず、名前を知っている全てのものを輝かせ、体温を強めている。


不思議な世界。


時間と距離が無くなっている。

視たいと思ったものが、まるで自分の眼の前まで迫ってくるかのように、自身の存在をこちらに知らしめてくる。

無意識を否定する。本当と嘘をわからなくさせる。

本物と偽物が同じに視える。

そんな感覚の中、唯一なものは記憶だった。


その場所の名どおり、助けられたところ。

時に楽しませられ、怒らせられ、悲しませられ、驚かせられ、そして怖がらせられた場所。

初めて座った場所には全部が全部セーブされていた。


そっと横に目線をやる。

本来自分のいるべき場所に。


透明。

いいや、光だ。

明るく、やけに不安定な。

色がなく無限の色が存在する矛盾。危うさそのまま、あるがまま。

目に映る全てのものの中で一番強い。だからこそ自分だとはっきり証明している。

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