第67話 ニセモノ。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
どこに、なにをしに行くのか。二人は十分に理解している。
「そうだ。この子の名前ってなんていうの?」
「アンフィニRX-7、FD3S。生年月日は1991年、12月」
「へぇ、思ってたより歳いってる」
「はえ?」
「え? 私なにか変なこと言ってる?」
「ううん、そっか……そうだな。結構いってるよな、こいつ」
静の感想はどうしても口角が上がってしまう。
余裕はその顔を静に視せるのがなぜか悔しくて上半身をひねって背ける。
その余裕の表情をどうしても視たくて、助手席から静が覗き込むようにする。
「んああっ! いいから行くぞ!」
「うん! レッツゴー!!!」
面白そうとはしゃぐ静。
本当に分かってんのか? と呆れながらも、同じくらいに余裕の心は弾んでいた。
大丈夫だ。
今の俺なら、いや。今の俺だからできる。
よし! いっちょやるか!
今回は島とも四季の時とも違う。
『白色の世界』を、余裕は自分の意思で乗り越えた。
『灰色の世界』はその成果。
余裕自身が創造した世界。
そこに静は入ってきた。
あれは俺の世界。俺だけの世界だ。
静もそれは分かってる。
色が認識できなくなったということは表面的なことで、本質はそこじゃない。苦しんでるのは今いる世界が自分の、静の世界じゃないってことだ。
余裕に迷いはなかった。
『静の色』
それを掴ませる。
何色なんだろう?
俺が『灰色の世界』を創造できたのは、
自分勝手に言わせてもらえば「抵抗」。
誰かに話さなくちゃいけないなら「否定」。
でも、正直な気持ちは「拒絶」したからだ。
なんかしっくりきた。『灰色』という色が。
「少し長い話をしてもいい?」
「いいよ」
「ありがとう。着くまでには済ませるよ」
言い終えると、余裕はアクセルペダルを少し緩めた。
「俺の車の運転や、静の絵を描くということは作業じゃないよな」
「もちろん!」
素早く、きっぱりと静が言い放つ。
「でも作業は、生きていく上ですごく大切なことだ。それは作業が万能だから。実際何かする時、人間関係、その他もろもろ、そういった時に大きく応用できる。普通に生きていくのなら絶対に必要な要素だ。俺のうちは土建屋でな、高校出てからすぐうちの会社で手伝うことにして。実際、3K当たり前な業種だからキツくて。だからといって、現場での作業、元請業者との作業、休日返上の突貫作業。全部別に嫌いじゃなかったし、不満もなかった。だから気づいた。気づいてしまったんだ、好きじゃないって。そして、俺や静が人生をかけてやろうとしているのが、ほとんど無駄なこと、ナンセンスだってことも……」
余裕の突然の自虐的な物言いに、静が怪訝な顔を向ける。
「私や余裕が人生をかけてやろうとしてることって何?」
あえて静が聞く。
けれど余裕は構うことなくただ淡々と続ける。
「好き以上のものがないそれだ。」
アクセル開度はそのまま、当然回転数も。なのにエンジンの音が大きくなった気がした。
ここ最近はほとんど感じることのなかった右手首の痛みを感じた気がした。
「これ、は世間というものから弾かれてしまう。変人とか奇人なんて言い方をされて……静にも思い当たる節があるんじゃないか?」
一瞬にして怪訝な表情が静から消える。
子供から大人になって、歳を重ねるにつれて、様々な経験をした今だから分かる。
生きてきたということは、自分のそれを外の世界に出し続けてきただけだったということを。
「俺たちがそれだと思っていることは普通じゃない。たまにそれを『天才』なんていうけれど、そんなものとても公にできるようなものじゃない、どちらかといえば恥ずべきことで、運や勘なんて通用しない。ましてや努力や経験なんてもってのほか。そんなものを言葉にしてはいけない」
「だったら『白色の世界』は――あれはなに?」
少しだけ控えめに静が問いかける。
「あれは努力や経験の先にあるものだよ。運や勘、集中とかの上位互換だ。『白色の世界』は普通のひとでも入ることができる。それは今言った努力や経験、運や勘、集中に付随するからだ。でも、
余裕の
「よくテレビや漫画なんかじゃゾーンなんて言ってるけど、俺からしたらあれは、頭の良い中二病の学者先生なんかが無理やりに言語化した程度のものだ。それを寄って集ってアスリートなんかが共感するように、共鳴するように応じただけ。だって、理解できるはずかないんだ、あれを。なんとなくそう思ってしまっているだけの、偽物の共感だ」
だから灰色の世界を創った。
その言葉をすんでのところで声にすることを余裕はやめる。しかし、どうしてそうしたのかは余裕自身、不思議に思っていた。
静は『白色の世界』を完全に記憶してしまっている。
通常、白色の世界では視覚以外の感覚が失われる。しかし、静の場合、残りの四感が普段よりも強調された。
四季が心配して手を置いた肩の感触の違和感に混乱し思わず振り払った。
ペットボトルに入った水を不味いと感じ、観客の声、汗をうるさい、くさいと罵った。
会場で暴れ、いつの間にか控室で横になっていた。目が覚めて、四季と波に混ざっていたら知らない間にその世界は『灰色』になっていた。
そんな状況で静自身にきっかけや原因なんて思い当たるはずがなかった。
「灰色は……。あの世界に、余裕の世界にどうして私は入ってしまったの?」
「……わからない」
気づきたくないもの。余裕はそれを感じていた。そして、それが正解なんだと気づいてもいた。
でも、それは静らしくない。そう思いたい。
もし静が白色の世界を俺と同じように、抵抗して、否定して、拒絶したのなら、それはあることに行き着いてしまう。
『恐怖』だ。
静が恐怖を受け入れたなんて考えたくない。
「ならどうして余裕は灰色を選んだの?」
静は本当の気持ちを聞きたい時、どんな状況だろうと必ず相手の目を視て話す。
その相手が余裕ならばなおさらだ。
そのことをはっきりと意識した眼差しが余裕の瞳に向けられる。
――選んだ。
俺はあの『灰色』を選んだのか?
成果じゃなくて。選んだ……?
「てっきり、余裕なら違う色……そう、この子の色。浅葱色だと思ってた」
何を言ってる? このタイミングでどうしてそんなことを言う。
余裕は迷っていた。
灰色の世界は成果。自力で掴んだもの。ではないのかと。
「四季さんは」
枢が波から、四季と余裕のやり取りを聞かされ、その話を静に話すかどうかの決定権を与えられた。そして、枢は静に全てを話していた。
「あの人はどうだったの?」
そのことを静が聞いてきたことで余裕は全て理解する。
「――あの人の場合はちょっと特別というか。多分四季さんは、俺たちと同じ自分の世界を本当は作れるはずだったんじゃないかな」
「はずだった?」
「うん。でも俺があの人に会った時点じゃもう遅かった」
「なに、が……遅かったの?」
ほんの少し震えた声で静が聞く。それは自分にもその言葉を掛けられてしまうのではないかと不安になってしまったからだ。
「作業になっていたからだよ。四季さんにとって絵を描くということが。知ってると思うけど、俺は四季さんに白と灰色、両方の世界を強制的に魅せた。そのおかげで知れた、白色の先があるってことに確証が持てた。でも、四季さんにはその先の世界、色は視えてこなかった。それどころか死にかけた。画家として。五感全てを失って」
静は思い出す。
『画家は五感で絵を描くのよ!』
あの時控室で目が覚めたばかりの自分に向かって四季が言ったことを。
「――今からやろうとしていることをした」
間違っていたのか? あの時したことは。
俺自身で創り出した世界。四季さんと一緒に灰色の世界に入ってあれが正解だと証明できた。
でも、もしそれが『恐怖』選らんだということだったとしたら……。
「染まったってこと? 灰色に」
余裕が突然急ブレーキする。
幸い後続車はいなかったが、二人の体は強制的に前のめりに、シートベルトに上半身を食い込ませる結果になった。
ごほっ! っと、胸が圧迫され静が咳き込む。
ドライバーなら同乗者がいる場合にはするべきではない行為を余裕はしてしまった。
それほどまでに、静の言葉は余裕の迷いの急所を突いていた。
「ありえない! 四季さんが、鈴鹿四季が他の誰かの色に染まるなんて」
胸を抑え、咳き込むのを我慢しながらそう言われた瞬間、余裕の視界が全て灰色になる。
余裕の意思に関係なく、強制的に。
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