第59話 価値。

物には価値がある。

食べ物なんてそれの代表格だ。

人は食べなきゃ死ぬ。


絵は?

芸術は?

絶対ではない。

なら価値は? あるの? それとも、常識的に考えて、ない?


『価値』とは≒『金』で、そして、金の持ってる量が多い人間ほどその人自身の価値が上がる。

ふざけていて、あたりまえなこと。

金は生きていくに絶対に必要。


だとしたら、絵に金を使うことは?

嗜好品とでも言えばいいの?

でも、そうだとしたら、静や鈴鹿四季のような人間の価値は?

どうなの?

ないの? あるの?


今、目の前にいるこのひとはどうなんだろう?

品はあるし、服やアクセサリーのセンスもいい。

けど、この言葉使いはいただけない。

でも、どうしてそんな表面的にまずいことを平気でするんだろう?

多分、意図してやってる。

ならこれは嘘ってこと?

本性じゃないの?


「ご注文をお伺いします」とウェイターが二人に聞く。

「「同じもの」」

枢と波の声が重なる。

枢は一口も口をつけていなかったウーロン茶を一気に飲み干し、おかわりだと言わんばかりに空にしたグラスを差し出す。

波は「同じ」とさっきと全く同じ動作をする。

するとウェイターが「かしこまりました」と今度はとくにリアクションすることなく注文を受けドアから出ていった。


「腹壊すぞ」と無感情に波が言う。

「ご心配なく」枢もこれまた同じくそう答える。


理由はできた。

でも、あたしがこの人に会う必要は? あるの? ないの?


「波さん。静の描いた他の絵って見たことは?」

「ない。このあいだ四季とやりあったときの絵だけだ」

「そうですか……ほんとうに、鈴鹿四季以外興味ないんですね」


鈴鹿四季が頼んだのだろうか?

だとしたら、ここにあたしが今こうしていることは成立しない。

静に用があって、あたしにはないから。

なのに、波さんはあたしがここに来ることを予想しているようだった。


「なら、四季さんがどうして静に興味を持ったのかは?」

「知らない。が、見当はついてる。言うまでもないだろう?」

「はい。一番新しいあいつの作品がそうです。どんな絵なのか知りたいですか? 知りたいですよね。だって、四季さんが自分の個展に静を招待した理由になるんですから」


枢は静から、鈴鹿四季の個展であったことを事細かに聞きいていた。


四季が個展の内容を当日になっていくつか急遽変更した。

個展名の変更。作品の追加。終いには静との勝負。

そのどれもが個展の根幹を揺るがす、波にとってはとんでもない無茶振りだった。

それほどのことまでするほど、四季は静を意識してしまっていた。

その原因を、波が知りたくないわけがない。


「視れるのか?」

「もちろんです」

そう言って、枢はスマホの画面いっぱいにあの絵を表示させ波に手渡す。


「……これを、あの子が?」

「……はい」


枢は自分のついた小さな嘘を確認する。

それは、新しい作品ではない。というもの。

静は、学生時代から何枚も月の絵を描いていた。

描いてはいたが完成にまでは至らなかった。

けれど、つい最近になって突然あの絵、『浅葱月』を描き上げた。


「ひとつ聞いてもいいですか?」

枢が波に聞く。

「なんでも聞いてくれ」

「理由を外に求めてしまうのはありですか?」

「その質問は弱気に取られるがいいのか?」

「構いません。だって、この答えを聞くことが今日あたしがここであなたに会う理由になるんですから」


波は四季の代役。

なれば、枢は静の代役。

そのことを初めて枢は認め、納得する。

目の前で親友の絵から目を外せなくなってしまっている人がいる。

それが、自分の憧れてしまった人なら尚更だ。


弱気? 上等だ! どんなふうに取られようと、答えてもらえるのなら、それだけの価値があたしにはある!


カチャリとドアが開く。

「おまたせしました」とウェイターがテーブルの上に中身の入ったグラスを二つ置くと、無言で一礼して部屋から出ていく。


グラスに軽く口を付ける。

これほどだとは思っていなかった。

一口だけと含んだウーロン茶が、喉の異常な渇きを気付かせる。

枢は、一気にグラスの中身を空にする。


「雑な言い方になるが、私がそう思うからそのまま言わせてもらう」

同じく、波もグラスの中身を一気に空にする。


「――そんなもんだ、理由なんて」

「――ありがとうございます」

枢は、はじめて筑波波という人間の顔を視た気がした。

これが筑波波だと。本当で、本物で、本性。


すごい。

やっぱり、このひとはすごいひとだった。


枢は今日ここに来てはじめて緊張をすべて解く。


「四季さんの絵、なんですが……」

「なんだ?」

「似てたんです、静の絵に」

「そうか」

「はい。だから初めて視た時感じたのは『不安』でした。でもそれは本当に一瞬で、次の瞬間には否定してました。似てない。違う。静の絵のほうが良いって。誤魔化しているのが分かっているのにそうしました」

「そうか」

「四季さんの個展から帰ってきたあいつがやけに上機嫌で。それでまた気に入らなくなって……。ギャラリーなんてやってて、絵を扱う人間として最低なんです、あたし」

「そうだな」

「弱いんです。そのことが静と一緒にいるといつも感じて。きついとか辛いとかじゃなく、情けないんです。あいつと出会ってしまったことで、無頓着で無神経で無鉄砲だったあたしはそうじゃなくなった。偽物になるしかなかった」


枢は思い、感じる。

波は強い。本物の強さを持ってる。

だから、そんな波と対等に渡り合える方法はひとつしかない。


でも。

怖い……怖い……怖い。


「最近なんて、あたしのほうから、もう大人なんだから、『すーちん』、『シズ』っていう呼び方やめようなんて言い出して……。ほんとダサい」


自分の体がバラバラになっていくのを確かに感じる。

実感する。実感できてる、大丈夫。

これなら言い切れる。最後まで……。


「絵どころか、その作者すら正確に評価できない。そんなあたしに、価値なんて分かるわけがないんです」

「底辺だと、そう言いたいのか?」

容赦なく波はとどめを刺しにくる。


甘い。

あたしは本当に甘い。

「そういうことです。あたしは、バカな子供です」

言い切った。

言い切れた。


枢は最後まで言い切る。


「へぇ、そりゃいい」

「え?」

「自分のことをそんなふうに言えるなんて幸せ者だ」

波は子供のように優しい微笑みで枢に笑いかける。


「私にはもうそんなことは言えない。時間が経ちすぎてしまった」

今度は枢から目線を外し、伏し目がちで自分に言い聞かせるようにささやく。


「どこまでいっても、どこまでもどっても、私と四季は『仲間』だ。お前と静とは違う。たまったもんじゃない。そりゃそうだ。だからあいつもあんなことをしたのか。ふっ、往生際が悪い……でも、あいつらしいか」

波が独りで勝手に納得しているのを視て、枢は訳が分からなくなる。


「四季が静に負けて、私までこれじゃあな……。でも、まあ、納得した。良かったよ、君と、遠明寺枢とこうして口論が出来て、ありがとう」


その言葉を聞いた瞬間、なぜか涙がこぼれた。

押さえることは出来そうにない。


弱さをみせた枢が、人間としての強さを波に見せた。


「あたしこそ、本当に、どうもありがとうございます」

枢がしっかりとお辞儀をした。

親切にされたらちゃんとお礼を言いなさい。と、親に教わったことを忠実に再現するように。


波はニコッと表情をくずし無言で笑う。


「それじゃ私のも済んだし、四季に頼まれた本来の目的を果たすとするか……。あの子の、静の目に起きてる異常だが、あの症状の治療法を四季が知っていてな」

「え!? じゃあ、四季さんなら治すことができるんですか?」

「いいや、そうじゃない。人の話は最後までちゃんと聞け」

「すいません」

「まったく――。治療法というよりは、治せる可能性のある人物を知っているというだけだ。私は当人とは面識ないし、名前も初めて聞いた。しっかし、最初聞いた時は驚いた。なんせ、あの女からの名前が出てくるなんて思ってもいなかったからな」

病院でスーツの内ポケットから出したこの場所の書かれた紙を取り出した時と同じように、の紙を取り出す。


「四季が書いたそいつの名前と携帯番号だ」

枢は差し出された紙を受け取る。

そこには、

『新木余裕 090ー☓☓☓☓ー△△△△』と病院に置いていったものとは違う字体で書かれていた。


「なんだ、知ってるのか」

波に言われて自分がどれだけわかりやすい反応をしていたのかと枢は気づく。

「いいえ……いや……はい」

「どっちだ」

あー、またやってる。

そうじゃない。

もっと無頓着に。

もっと無神経に。

もっと無鉄砲に。

それと、もっと無邪気に。


「さっきの絵のモデルです。勘ですけど」


一瞬波の目が見開く。

次の瞬間、大音量の笑い声が部屋に響き渡った。


少し遅れて、その笑い声は二つになった。


下品に大口を開け、唾を飛ばしながら笑う。

こんなことをしたのはいつぶりだろう。

でも、あいつはいつもそうだ。

枢と波は同じことを思っていた。

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