第55話 『白色の世界』

「あそこに行くのね」

四季の視線が、てっぺんまでよく見えた、周りよりひとつ頭抜けした山を捉える。


「はい。俺のホームコースです」

余裕がそう答えると、ふふっと四季が笑った。


『竜宮山』

正式名称は余裕も知らない。

ふもとにある入山するための入り口の一つに、龍宮寺という寺があり、『ようこそ龍宮寺へ』と書かれたアーチ看板があるため、ここを走る連中の中では通称として竜宮山と呼ばれるようになった。


その一歩手前の信号にベイロンがひっかかる。


「四季さん。聞いていいですか?」

「なに?」

すでに二人の会話には数年の付き合いがあるのではないのかという雰囲気が漂っている。

「絵を描く時、集中ってしますよね」

「当然よ」

「その時って、周りの音とかって聞こえてます?」

「……」

その質問に、四季は一瞬間を置くように黙る。

「聞いてます?」と余裕が聞き返すと、「信号変わったわよ」と、四季が発進を促した。

「ああ、はい」と余裕はパドルシフトを操作し、一速へと入れると。フワッと千馬力の怪物と自分の足を紐で結び二人三脚のように息を合わせ発進させた。


背中が、さっきよりもシートに押し付けられる感触の坂道が続く。

「続きなんですけど、どうなんですか?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「そうですか、やっぱり鈴鹿四季でも…」

「答えを知ってるから聞き返したの。言っておくけど、集中云々とかそんなことの答えではないわよ」

語尾だけを少し強め、表情は変わらずに四季が反論した。


「すいません。俺の聞き方回りくどかったですよね、すいません」

二度余裕は謝る。

「別に。ただ、余裕さんもその答えを知っていて聞いているんでしょう? 私は、そのことを私に聞いて確認しようとしているのが気に入らなかっただけよ」

「……すいません」

「いいけど」

そこから頂上まで、二人は沈黙したままだった。


背中のすぐ後ろにあるW型16気筒クワットターボエンジンは静かに回り続けている。

余裕は音に耳を澄ますため目を閉じる。

何千、何万と走ってきたこの道が目を瞑ったまま運転する余裕に逐一情報を知らせてくる。

路面音。

風切音。

振動音。

そのすべては自分と現実をための手段でもあった。


リヤタイヤへの荷重が減ると音が小さくなった。

「着きました」

言うのと同時に、目を開ける。

「ここが頂上ね」

四季がドアを開け外に出る。

つられて余裕もそうする。

うーんと、背伸びをし、どこから出したのか、たばこを咥え、100円ライターで火をつける。

「ふーーー。やっぱり山は空気が美味しいわね!」

余裕は、四季が吐き出した白い息を目で追う。

「続きいいですか」

「なぜそんなに焦るの? ……もしかして、静さんの絵を見たから?」

ベイロンのヘッドライトを受け、四季の顔半分が照らされている。

同時に、自分も表情の半分を四季に知られていることに気がつく。


「彼女のことはどこまで知ってるの?」

「一度……いや、二度会って少し話した程度です」

「好きなの?」

「はい」

「そう。私も好きよ、静さんの

え? と声には出さなかった。多分表情にも出ていない。出ていたとしても半分しか見えていない表情の変化ではその感情も半分しか伝わっていないはず。

余裕はそう自分に言い聞かせる。

ごまかすように、ポウっと、たまに赤く光るたばこの先に目をやる。

「一本いいですか?」

「どうぞ」

一本たばこを貰い、咥えると、四季がライターの持つ手を伸ばし余裕に近づけた。

「ふいまへん」

「いえいえ」

そう言って余裕のたばこに火をつけると、二本目を咥え自分のにも火をつけた。


空中で二つの白い息が混ざり、濃さを増す。

「今から俺の答えを見せます」

「それは、静さんの部屋で言った、完成させないといけないんですか? って聞いてきたことの真意だと思って構わないということかしら?」

「はい」

「わかったわ。じゃあ、始めてもらおうかしら」

四季が携帯灰皿を差し出す。

「ありがとうございます」と言って余裕がたばこの火を消し、中へ落とす。

助手席に乗り込む四季の後ろ姿を見ながら余裕は思う。

この人には視えるはず。『白色の世界』が。と。


「ちょっと準備運動します」

グワーーーっと、エンジンの回転を一気に上げる。

次の瞬間、ギュワンっと車体がゼロターンする。

それを左右2回転ずつさせた。


「次は下見です」

そう言って、ベイロンを前進し始める。

「こ、これって、いつ、も、してることなの?」

急激に変化する横Gを全身に受け、強制的に血流と内臓を揺さぶられながら四季がやっとに聞く。

「ええ、必ずします」

「ルーティンってことね」

「ちょっと違いますけどね」

最初はゆっくりだった速度を、少しづつ上げていく。

「ちょ、ちょっと! まだ下見でしょ!?」

すでに余裕の運転するベイロンは、四季の知っているベイロンではなくなっていた。


ゴール地点を過ぎ、「よし!」と言ってサイドターンさせると、頂上に戻るために坂を上がる。

おもちゃのように動く二億円の車。

まったく表情を変えない余裕を見て四季はもう一度思う。宇宙人だ、と。


「はあ、はあ、あら?」

法定速度で坂を登っていく途中で四季が異変に気づく。

「霧かしら?」

その一言に余裕が急ブレーキを踏む。


「なに!? まだなにかするの?」

「今なんて?」

「え? 霧のこと? って、あれ、晴れてる……?」

余裕の口角が上がる。

この人は経験している。と確証をにぎる。


頂上に戻ると、余裕はイメージを膨らませる。

FDとの誤差を修正し、ベイロンのラインを作る。

そして、緊張する。

『白色の世界』にはいつでも入ることができる。

できるが、今回は勝手が違う。

四季も連れて行くからだ。

下見の段階で、兆候はあったものの、実際に入ってしまえばそこからは個人の問題になる。

無意識下では多分経験している。しかし、これから余裕がやろうとしていることは『白色の世界』をはっきり四季に認識させること。

無意識にあの世界に入ってしまうと、これは異変ではなく、実力の延長線上のものだと認識する。

けれどそれは間違った認識だ。

あれは、絶対になものではない。


「それじゃ――はじめますね」

ぎっ、っという四季が歯を食いしばった音が余裕の耳に届く。

”そのことを私に聞いて確認しようとしているのが気に入らなかっただけよ”

「すいません」

自分でもやっと聞き取れるくらいに言った。


意外にも発進は静かだった。

「う!?」

思ったも束の間。ここに来る途中に経験したシートベルトの食い込みが始まった。

ぎりりっ、と更に食いしばる。

タン、と余裕が右側のパドルシフトを操作する。

四季の体がシートにさらに押し付けられる。


タンタンと今度は左側を操作する。

すると、ぐぅん! と、四季の体のほうからシートベルトに食い込んでいく。

ぶん! と、一瞬シートベルトの呪縛から解放されたかと思うと、今度は旋回方向とは逆方向に体全体が振られる。


「いっ」と、もはや叫ぶことさえ許されない空間に自分がいることを四季は認識する。


「ん?」

また霧?

視界が白んできたことに四季は気づく。


でも、変。

月明かりが木々の葉に反射しているのが分かる。


でも……。

「ここは」


知っている。

この景色を知っている。


体は変わらず前後左右に振られ、食いしばった歯も緩めていない。

けど、怖くない。

視線だけを余裕に向ける。


髪の黒色、皮膚の肌色、ツナギの浅葱色がすべて同じに視える。

「白い」

それを聞いて余裕は、入った、と思う。

半分くらいに抑えていたペースを上げる。

四季の体がより一層、今までに増して激しく揺さぶられる。

体に力をさらに込め、踏ん張りを利かす。

「視えてますか? 白一色の景色が」

そう言われ四季は驚く。

自分だけではなかった。今視ている白一色の景色は異常事態ではないと。


「異常ですよ。これは」

余裕の声がやけにクリアに聞こえる。

それ以外の音が聞こえていないからだ。


「そのうち俺の声も聞こえなくなってき……ます……ょ」


スキール音が消え。

空気を切り裂いていた音が消え。

エンジン音が消え。

余裕の声もうまく聞き取れなくなってきた。


スローモーションで流れる景色。


食い込むシートベルトの痛み。

血液や内臓が無理やり揺さぶられている。

声も出ない。


現実と、そうではない世界が入り混じっている。


「ここからです」

二人の目の前にはあの複合コーナーが迫っていた。

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