第52話 結果。
「じゃあこれは?」
「一緒」
「ならこれなら?」
「一緒」
「うーん、景色は見えてるんだよね?」
「うん」
「でも色は?」
「灰色」
「はぁー、どうすんのよ。みんなは待ってくれないわよ……」
「わかってるよ」
「っていうか、静。なんであんたはそんなに普通でいられるのよ? 異常事態で非常事態なのよ?」
「そうなんだけど。でも、あの絵を描き終えたらこうなってたから……」
「突然でしょ?」
「……多分」
ブブブっと、枢の白衣の一部が揺れる。
「また問い合わせの電話よ。朝からずっとこう」
四季との勝負は、静の勝ちに終わった。
観客の反応。そしてなにより、四季本人が自分の負けを認めた。
二人の絵。
それは同じ『太陽』だった。
鈴鹿四季・作 『
それは、太陽そのものというより、雲間から差し込む日光に重点をおいた作品だった。
四季のブレのない様々な線。そして、異形ともいえる自作の筆が生んだランダムで自由な線。
それらが、光線となって降り注ぐ。
ある種、鈴鹿四季の一つの到達点ともいえる作品と成った。
対して、静の描いた作品は、
荒木静・作 『秋の日』
それは正に、静本人そのものだった。
秋と付けるには慌ただしく、あまりにも眩しい。
無限と感じるほどの点描による色。
四季が到達点とするのならば、静にとって『秋の日』は、臨界点を越え、
しかし、それは突破し、ましてや越えてなんてしてはいけないものだった。
絵を描き終えた四季が、自分の負けを告げるため静に近づく。
「最初からなんとなく気づいてけど、あいつが絵を教えたいって言ったのが今なら理解できるわ」
独り言のように呟く。
「だって考えられないもの、あのネクラが一度決心したものを撤回して、しかも私にそれを伝えるまでしてさ……」
軽く手を差し出せば届く距離。けれど視線はまだ『秋の日』に向けていた。
「――今日あなたと……静さんと絵を一緒に描けてよかった」
大きく口を開き、歯をみせ笑う。
潰れきれるまで変形させた瞳は、もはや『線』だけになってしまっていた。
そんなことを言われてか、静は顔を伏せる。
観衆は、訳のわからないまま自分たちの目の前に突然現れ、鈴鹿四季と同等、もしかしたらそれ以上だと思わせる絵を描いた、少女の面影を残すショートカットの画家に絶賛、称賛の声をあげ、額に汗し興奮さえしている。
ズズっと、静は鼻をすする。
「お使いください」
波がハンカチを静に差し出す。
奪い取るようにして、静はハンカチを口に当てる。
「なっちゃん、マイク貸して」
「はいよ」
四季は波からマイクを受け取ると俯いたままの静にさらに近づく。
「あらあら、せっかく新調したツナギがこんなに汚れてしまって。とても綺麗な色でしたのに……」
「え?」
四季の言葉を聞いて、静は自分の目線の先にある赤や緑や黃や白や黒で埋め尽くされようとしているツナギを目の当たりにする。
「静さん……?」
四季が、俯いたまままるで動かない静の肩に心配して手を置く。
「だめです!!」
突然静が四季の手を振り払い同時に叫ぶ。
すでに電源の入っていた四季の持つマイクがその悲鳴のような叫び声を拾う。
会場が倍増した静の金切り声にしずまり返る。
「だめです! これ以上私に近づかないでください!!」
静が四季を睨む。
「静さん……あなた、その目」
四季の見た静の瞳は
いや、それだけではなく、酷く充血している。
一瞬でも視界から自分の描く絵が視えなくなってしまうのを嫌い、瞬きさえしていなかったのだ。
静は、水分補給のために用意されていたペットボトルに入った水を一気に呷ろうとする。
「まずいっ!」
それを床に叩きつける。
「うわ!?」「きゃあ!」
溢れ、弾け飛んだ飛沫が前にいた観客にかかる。
その行為に、観衆がざわめき始める。
「うるさい! くさい!」
「一体どうしたの! ねえ、静さん!」
「静さま、落ち着いてください!」
四季と波が半狂乱状態の静に近づこうとする。
「こないで! 巻き添えを食ってもいいんですか!」
何を言われたのかと二人が顔を見合わせる。
蒼白の顔面。
その一部だけが真紅に光り続けている。
大量の汗が流れ出し、黒瞳の勝った大きい目は何かを確認しようと必死に見開かれていた。
*
「散々喚き散らしたからなぁ。でも、四季さんと波さんがそんな状態の私を抑えてくれて、そしたらなんか安心しちゃって、気づいたら医務室で横になってた」
「全然わからん。それでなんで色の判別だけができなくなるような状態にまでになるのよ。無理したってのはニュアンスで分かるけど、あんたの場合、無理しないほうが普通だからねぇ」
「ごめん……」
「なんで謝んのよ?」
医務室でしばらく意識を失っていた静が目を覚ますと、その目は静のツナギに匹敵するほどに汚れたスモック姿の四季を捉えた。
「真っ白……」
静がつぶやく。
「あら? お目覚めかしら? 太陽の画家さん」
聞こえるはずがないと思っていた静の言葉に気づいて四季が声をかけてきた。
「……耳も良いんですね」
「当然でしょ。画家は五感で絵を描くのよ!」
なぜか偉そうに四季が胸を張る。
「ああ、なんとなく分かります」
言いながら静は、目の前の異常を認識する。
「ごめんなさい」
その一言で四季は静の思いを認識する。
「その言葉は私じゃなくて、今一生懸命会場を収めてるなっちゃんに言ってあげて」
「なっちゃん?」
「波。筑波波のことよ。あの子も私と一緒に絵を描いてたのよ、同じ絵画教室で」
「え? じゃあなんで?」
「変わった子でね。一緒に絵を描いてるうちに、なんかそっち方面のほうが自分に向いてるって言い出して。次の日にはもう会場の下見やら交渉なんかをしてきたって言ってきて」
波の話をする四季の顔は、静の見たことがない知っている表情だった。
「交渉なんてどうやって? って聞いたら、『あんたの絵を見せたの! それ以外になにかある?』って」
四季の口ぶりが崩れていることに静は気づく。
「私ね、自分の絵を他人に見せるの好きじゃなかったの。というか、絵は自分のために描いていて、評価なんて意味がなかったの……大学に入るまでは」
そこで一瞬、四季の表情が僅かに変化する。
「静さんは? どんなだった? 私と同じ感じ?」
「逆、です。というか、真逆です」
「そうなの? そっか……でも、うん、そんな感じよね、あなたの場合」
コンコンコン。
「めし持ってきたぞー、開けてくれ!」
「ふふ、噂をすればなんとやらね」
そう言ってドアを開けにいく四季の足取りはなんだか嬉しそうだった。
両手に大量の弁当とお茶を抱え波が入ってくる。
「って!? 起きてるじゃないか!」
焦って大量の荷物をテーブルの上に置くと、身だしなみを整える。
「ご加減はいかがですか?」
一瞬の間。
「「ぶっ」」
そのあまりの波の変貌ぶりに二人が吹き出す。
「ね? 変わってるでしょ」
「ですね」
仲良く静と四季が大笑いしているのを見て波は顔を真赤にする。
その瞬間、白一色だった静の視界に濃淡だけが戻った。
*
「じゃあ最初から灰色じゃなかったってこと?」
「うん。起きたばっかの時は真っ白で、輪郭だけだった。でも三人で喋ってたら今みたいに白黒っていうか、色の濃淡だけ見えるようになってきて……」
「精神的なことってことかなぁ……」
「どうだろう……やっぱり分かんないよ……」
診察室に、この二人が一緒ではありえない現象が続く。
コンコンコン。
「っはい!」
少し焦って枢が反射的に返事をする。
「診察中申し訳ありません。遠明寺先生はおいでになりますか?」
聞き覚えのある、少し無理をしているような言葉使いが、ドアの向こうから聞こえる。
「あ、はい。私です!」
「いまお時間大丈夫でしょうか?」
「はい。どうぞ、お入りください」
「ありがとうございます。失礼します」
一瞬間を置いてから、ガラガラガラ、と診察室のドアがスライドする。
「あ! やっぱり!」
今度は静が反射的に声を出した。
「ん? なんだ一緒だったのか。ちょうどいい、手間が省けた」
ハイブランドのパンツスーツ。
必要最小限ではあるものの、品良くまとめられた時計やピアスらの小物類。
静なんかが履けば歩行不可能になるほどのハイヒール。
それらすべて除いたとしても、そのスタイルがナチュラルからきているものであることが、二人の女子からでも分かってしまうほどの格好の良さ。
「どうして?」
「四季に頼まれてな。あと、今回の件について私からも言いたいことがあったから。一応今回の個展のキュレーターだから、私」
筑波波が、しししっといたずらっぽく笑った。
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