第50話 超越。

太陽。

静はそう決めた。

太陽の絵。

四季の描いたNo.77は太陽だった。

なら私も。


静は描きたい絵しか描かない。


すぐ横では、人間のものではないスピードで絵が描かれていく。


まったく同じ幅、ブレなど皆無な黒の直線が縦にふたりの絵を隔てるかたちにはなってはいるが、キャンバスは一枚。

には好都合な構図だ。


怖気づいてはいない

だけど体は動こうとしない。

「とりあえず、色だけでも」

もぞもぞと、パレットにいくつかの色を出す。

「あの色じゃない。これ」

もたもたと、しかし、完全な色を静は作り出した。


「色はできてます。描きたいものも決まってます。でも、どうやったらいいのかわからないんです――どうしよう」


その言葉を聞いた四季は、一度止めた筆を動かし始めた。


『呆れられちゃった』

脳内で静は考えを巡らす。

『違うのになぁ、どうやったらいいのか分からないのは、私がやろうとしているのがどれも正解だから迷ってるだけなのに。ああ、でも迷ってるのなら呆れられてもしょうがないか……』


ザシャザシャザサッ!


静観していた観客たちがその音に歓声を上げる。


どうしたんだろうと、静もその音を見る。


葉の落ちるまで乾かされた竹の枝を数十本針金で束ねたそれは、太さ10センチメートルほどになっていて、もはや筆とはいえない代物。

そんなものを四季が縦横無尽に動かし回っていた。


「あれって、竹箒たけぼうきだよな。ホームセンターなんかで売ってる」

「あんなので描いたら……」

客の言う通りだった。

それまで四季よって描かれた線たちは、その全てが均等な幅だった。

それがいともたやすく崩壊していく。

四季自作のその筆は、先だけは整えられてはいたが、枝一本一本の太さが不揃いで、それぞれが違う方向を向いている。


物理的なランダムが生む線は、四季のそれではなくなっていく。

しかし、そんな筆のようなものを四季は自由自在、生き生きと動かし線を描いていく。


『この人は本当に凄い。こんな私にはない』

そう思いながらも、四季に触発された静は、無意識に筆をパレットの赤橙に落としていた。

怪我をしているとはいえ、自分の腕とは思えないほど重くなった右腕をゆっくり上げる。

『今日ここで見た77枚の絵。全部凄いし、全部良かった。一度にあんなたくさんの種類のの絵を視たのは初めて、ここに来てよかったぁ』


「あ」

偶然なのか、それが必然だったのか、もはや運命なのか。


『絵を描く時の注意点としては、一度落とした色は拭き取る事ができません』

四季の言葉を思い出す。


おおっ。

二度目の歓声が起こる。

四季はそれが静が絵を描き始めたことだということを、見ずして理解する。



点。



静の一筆が生んだものは『点』だった。

赤橙色の点。

静のうちなるものだった。




『君に必要なものを僕は知ってる。たぶん四季も。

でも教えない。いいや、教えたくないんだと思う。これも四季は同じだと思う。

だからといって僕は今絵を教えているという立場。

だから、ヒントみたいなものなら教えることにするよ。

セーブって言葉知ってるよね?


なら、日本語でなんて言うかは?


あははは、それは違うよ。でも、大丈夫。日本人のほとんどはその意味合いで使っているからね。

いいかい? セーブは、”貯める” だ。

抑えるじゃない。

だから君のいう止まるには値しない。


こうして毎日絵について色々教えてみて分かった。

君の特性みたいなものが、セーブだということを。

吸収じゃなくて、貯める。

はっきり言って、それに気づいたときはどうしたらいいのか分からなかったよ。あまりにも僕の感覚とズレていたからね。


うーんそうだね、例えばあの月の絵なんてまさにそれだよ。

君は月の絵が思うように描けなくて何枚も描いたと言ったよね?


それは「無駄ではない」とかいう、そんな程度の低いものじゃない。

思うように描きたいという欲が少しずつ君の裡に貯まっていき、

――おっと、ここから先は答えだから言えない』


羽生が言おうとした、静の特性。

ズレすぎていて、色の天才でも手に余った。


とっ。

ほとんど音になっていない筆圧でしずかに絵が出来上がっていく。


一筆がえがく面積でいえば明らかに四季のほうが広い。

だが、ゆっくり、じわじわと『線』と同じスピードで白亜のキャンバスの中心に赤橙色が点燈てんとうしていく。

まるで、暗闇に落ちた街々が、夜を否定するために光をポツポツと灯らせていくように。


「絵って、簡単」


次第に中心の赤橙から放射線状に様々な色が描かれていく。

観客たちにはそれが、青、緑、黄、橙、赤の順に広がっていく帯状の層によるグラデーションにしか見えない。

だが実際は違った。


太陽、つまり光を表現すると決めた静は、パレット上での混色による色のくすみを嫌い、自分の持っている色をそのままキャンバスに点描し、そこでの混色にみせた視覚混合さっかくを選んだ。


『筆触分割』

もちろん、そんな言葉も技術も静が知るはずもない。


筆触分割は、そのクセのある描き方から色彩理論を生む。

色は、重なっていけばいくほど暗くなっていく。

例えば、黄色に緑色を混ぜると黄緑色を作り出すことができる。

しかし、それは同時に、本来その色のもつ光が失われ、暗く、くすむ。

だが、黄色の点と緑の点を交互に描くことによって、まるでそこには原色の光を失っていない黄緑色が存在させることができる。

これは、絵画という、全体の視点から発生する錯覚を利用した現象だ。


「うん! いい感じ、いい感じ!」


次に静は筆を変える。

それによって点は様々な大きさに変化し実際の混色を発生させていく。


以前、灼熱の海で、何度も病院送りになりながらも完成させることができなかった原因が融解していく。

複数の混色によって生じる黒色を拒み、失った光を取り戻そうと水で薄めたごく少量の白色を使った。

しかし、筆触分割による色の錯覚は、黒色と白色という原色を使うことができるようになり、明度を自由自在に操ることができるようになった。


あの時四苦八苦していた静の裡にあった『色』という概念が壊れていく。


四季に負けたくないという欲。

羽生に教わった理論を使ってみたいという欲。

そしてなにより、右手首の怪我で思うように描けなかった時間に対しての鬱憤。

それら私利私欲を裡にセーブし、セーブし、セーブし、

――そして、爆発した。


「速く、もっと!」

白亜のキャンバスがそれ以上に明るく輝き出す。

静は、さらに光を取り入れるために散瞳さんどうさせる。


「そうだ、補色」

色相環図において相反する色。

赤なら緑。黄なら紫。そして青ならば赤橙。

補色については、羽生に教わって憶えていた。


光は、R+G+B(レッド・グリーン・ブルー)=W(白)

しかし、画家は色を使う。

色は、C+М+Y(シアン・マゼンタ・イエロー)=K(黒)

加色混合と減色混合と言われてるもの。


「なあんだ、余裕じゃん」

色の天才という糸にも満たない細い命綱がさらなるひらめきをもたらす。


静は一度描いた無数の点描、その色の補色となる色を重なることのないようにさらに小さな点を打ち足し始める。


「おおっ!」っと、三度目のどよめきに会場が沸く。


さらなる色の追加は本来ならば暗く、くすんでいくはず。

なのに、より鮮明に、くっきりと観客たちの目に太陽の色を届けた。



「太陽の画家」

観客のだれかが言った。




「できた」

「出来ましたわ」


二人が同時に絵を完成させる。




太陽を見る。


危険で、非常識な行為を静はよくしていた。

それも、普通ならばその眩しさに手をかざし、太陽光を遮るのが当たり前なはずのところを、それを一切せずに両目で光を視ていた。

だから描けた。



激しい息切れが聞こえる。


半開きの口内に汗が入ってきた。


無理をしたのか右手首がひどく痛む。


描ききった後のいつもの絵の具の匂いがする。




プツン。


「あれ?」

頭が揺れてる……?

体が動かない……?

違う。


「色は?」


自分を越えた静に余裕はなかった。

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