第48話 天賦。

「なるほど、それがあなたの戦闘服ということですね」

「いえ、これは今日初めて着ました。おろしたてです」

浅葱色のツナギ。

その襟の部分を少しめくり、はにかみながら静は言った。


「なんだか嬉しそうなのはどうして?」

「え?」

静がキョトンした顔を向ける

「……そう、それがあなたの」

四季は静の表情からなにかを読み取り、言葉を半端に止めた。


「だれだ、あれは?」

「四季様になんて気安く!」

「アラキ……なんだって?」

「しずか、荒木静! だれか知ってるか?」

「いや、どこにも情報が無い!」

ステージ上で親しげに会話をする二人を見て、観客たちから声があがりだす。

同時に、観客たちに『荒木静』という名前が知れ渡っていく。


「皆さん、お静かに願います!」

会場の興奮を鎮めようと、波がマイク越しに呼びかけるが一向に収まる気配はない。


「おい、四季! お前がなんとかしろ!」

「えー、だって、このイベントの仕切りはなっちゃんの役目でしょう?」

「はあ!? そもそもの原因は言い出しっぺのお前だろうが!」

「それはそうだけど……もう、しょうがないわね。マイク貸して」

「ほれ、つうか自分のは?」

波がライナーで四季にマイクを投げ渡す。

「痛っい。今から描くんだから、怪我したらどうするの」

そう言いながらも利き手ではない右手で、確実にマイクを掴む。


「あらあらあら。皆さんは、この世界一の天才画家、鈴鹿四季が絵を描くという地球上で最も貴重かつ尊いものを目の当たりに出来るという千載、いいえ、億載一遇の機会を無駄になさるおつもりですか?」

相変わらず柔軟な口調だが、その内容は自己の過大評価に留まらず、自慢を超え、もはや負けず嫌いな小学生の口喧嘩文句のようなものだった。


それを聞いて客たちが、今まで向けたことのない視線を四季にくれる。

挑発めいた四季の言葉は結果的に、会場を一気に静めるのに効果覿面だった。


「この子の名前はさっきも言いましたが荒木静さん。自称画家で、S・Sというギャラリーでひっそりと絵を展示しています。オーナーはあの遠明寺建設の御息女である遠明寺枢氏。とはいっても、枢さんは個人的に応援しているといったところですけれど」


「S・S……聞いたことない」

「しかし、あの遠明寺の息がかかっているとあれば」

「パトロンとしては申し分ないか」


「枢は、私の親友です。パトロンとかいうものじゃないです。そもそもなんなんですかパトロンって?」

足もとに置きっぱなしになっていたマイクを拾い、静が反論する。

その言葉も会場を静めるに覿面だった。

が、それも束の間。

会場が割れんばかりの快哉な声で満たされた。


「あ、あなた、パトロン知らないの?」

横の四季も、牛乳瓶メガネの奥で涙を目に溜めながら爆笑している。

波も、口を手で押さえ声を出すまいとしてはいるものの、それは一目瞭然だった。

静は自分の置かれている現状の理由までは分からずとも、恥ずかしいという気持ちで、顔を紅くする。


「なんて初な子なの」

「いいぞお嬢ちゃん。画家はそのくらい純朴ではなくてはならん」

「よく見たら、可愛い顔してるじゃないか、応援するぞ!」


さっきまでの、言ってみれば殺伐としていた会場の雰囲気は、静の一言で一瞬にして弛緩しきってしまった。


静は、こんな状態じゃ絵なんて描けないと迷った挙げ句、四季のほうへと目線を向ける。

すると四季は、崩れきった表情を微苦笑に変化させていた。

「颯太も苦労が耐えないわね」

自分になのか、それとも静になのか。

判断ができない、宙に浮いたままの言葉を残し、白亜のキャンバスへと向かい合った。


いち早く四季の動きに気づいた波が観客を制する。


「では、始めていただきましょう」

その声に、静も、筆とパレットを取った。




ザササッ。

その音は、黒の線によって半分に隔てられたとはいえ、まるで一瞬にして浮かびあがったのではないのかというスピードで約1.7メートルの幅を埋めた。


ザササッ、ザサッ、ザッ。

線を引く度に、スピードが上がっていく。


赤。緑。青。

重なり塗られていく色は、グラデーションを伴い、四季の色へと成っていく。


次第に、直線だけだった色は、様々な線へと変化していく。


曲線。

流線。

ジグザグ。

そして、円。


そのどれもが、デジタルの恩寵によってクリックひとつで指定された範囲の色を埋めるがごとく、白亜のキャンバスに描かれていく。


それこそが、鈴鹿四季の最大の武器である『スピード』。

そして、

それを可能にしている、最大の特徴、『線描』だ。




齢0歳。

正確には、紙に色を付けられるようになった瞬間。

四季は、すでにそれができた。


もちろん、現在のような洗練されたものではなかったが、両親ですらそのことに気づいたは、四季が歩きはじめてしばらくしてからだった。


人間として、それが手だという機能を成す以前から四季は、自ら描く直線、曲線すべてに一切のブレが無かった。


しかし、そんな四季でも幼いころに挫折を経験していた。

それは、ぬり絵との出会いだった。

幼児は普通、対象の輪郭線というものの不確性ふたしかせいによって、キャラクターなどが輪郭線のみで描かれているその空間に色を当てていくという段階を踏まさせられることが多い。それは四季も同様だった。

さらに、幼稚園にあがってからは、クレヨンや色鉛筆という、一筆ではそのものがもつ筆先の範囲でしか絵を表現できなかった。


それらは四季に、とてつもない理不尽さと、その時期に味わうことの決してないストレスを与えた。

なによりも、のちの彼女の代名詞となる『スピード』が殺された。

幼い四季にとってそれは、存在意義を無いものとされたも同様だった。


そこから四季は、色を塗るという行為をやめ、ただひたすら、寸分の狂いもない線でもって、色の存在しない絵だけを描き続けた。

その事だけが、理不尽やストレスからの唯一の捌け口だった。


そんな状態のまま小学生になったある日、四季は授業で筆に出会う。


筆は四季にとって、生きていくにはならないものとなった。

『塗る』という概念のようなものから解放されたからだ。


まわりの同級生たちは、まず、どんな絵をのか、幼いながらに思案し、完成したそれに色をいく。


四季はそれをしない。

いや、する必要がなかった。




「あは! 今日のキャンバスの出来はとても良いわ! もしかしたら、今までのなかで一番かもしれませんわ!」

嬉々として四季は、迷うことなく様々な穂先の筆を自由自在に使いこなしキャンバスの半分を色で埋めていく。

その中には、到底市販などされるはずもない、自作の筆もあった。




フラット、フィルバード、ブライト、ラウンド、ファン、刷毛。

この世に存在する穂先。

豚毛、ナイロン、コリンスキー、パーミティル、セーブル、リス、オックス、馬。

それを構成する素材。

筆は、四季の絵たちを完成に導いていった。


高校在学中には、全ての穂先、そこに追随する素材という、無限にも思える組み合わせを終えた。

金銭的にも裕福とはいえない家庭環境から、バイトで貯めた金はすべて画材へと、四季本人の明確な意志でもって、まっすぐ、ブレることなく消費されていった。


大学は、美術大学や芸術大学といった本人の進路にとって当然と思えるもの……には進まなかった。

それどころか、中学、高校でも四季は美術部に属さなかった。

それは、評価という、自分の絵への他者の介入を嫌ったからだった。

ではない自分の絵は理解されない。

は嫌い。


気づけば四季も二十歳。

天才・鈴鹿四季の絵は、その時まで一切、日の目を見ることはなかった。




「あれ? どうしたの、静さん」

四季は一度手を止め、一色も塗られていない静側のキャンバスを見る。

「すごい、本当に凄い。私にそれはできない……」

まっさらな静の言葉は、まさに色とりどりだった四季の意識を、白亜の色までに引き下げた。


いたって自然な行動。

不覚だといえばそうなってしまうのかもしれない。

しかし、画家である以上、その四季の動向は運命ともいえた。


「その色は……」

四季は、プラスチック製の、その辺の文房具屋に行けば簡単に手に入るであろう静のパレットの上に置かれている色を見てしまう。


「私にはこれしかないですから」




『色』

ごく普通な大学に進学した四季を、絵という神が許すわけがなかった。


そこには、色の天才がいた。

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