第37話 対話。

絵から外れていってしまう。


静はそう思ってしまった。


「羽生さん」

「なに?」

「羽生さんには、この世界はどんな色に見えますか?」

「例えば?」

「太陽とか、街とか、海とか、それに……月、とか」

「多いよ」

「すいません」

「色かぁ」

羽生は、飾られている静の絵を眺めながら少し考えてから言う。


「太陽は白。街は黒。海は赤。月は……青、かな」

その丁寧な答えは、静と全く同じだった。


「もう一つ、いいですか? 質問」

静は控えめに聞く。

それは、丁寧な返答をしてくれた羽生への対応でもあったし、今からしようとしている質問に対して引け目を感じてもいた。なにより、だったからだ。


「もちろん」

素直な笑顔で羽生が言う。


「四季さんのこと、どうして好きだと思ったんですか?」

「なんだ、そんなこと。簡単だよ、恋したいと思ったからだよ」

その答えに静の体中が粟立つ。

自分のした羽生への質問の答えが、予想通りだったからだ。

色についても、恋についても。


「ごめん。こんな言い方じゃ分かんないよね」

「いえ」

静は俯く。


「僕の性格なんだと思うんだけど。始めて四季に会って、「好き」と思って、でも、すぐに僕はこのひとのことを本当に好きなんだろうかって思って……。こうやって言葉にすると一瞬のように聞こえるのかもしれないけれど、恥ずかしながら、この一連に、僕はすごく時間がかかってしまった。それは、それが恋だって知らなかったから」


羽生がS・Sに入ってきたのは、この間、四季がここから出ていった時間だったことに、静は気がつく。


「でも、むこうはなんか余裕綽々で。今思うと腹が立つけど、あの時はそのことがすごく魅力的に見えたんだよね」

そう言った表情は、静が今までみてきた羽生の笑顔の中で、段違いな笑顔だった。


「最終的には、なんだかわかんないけど言っちゃえって感じで告白して……。そしたら彼女なんて言ったと思う?」

「え?」

突然の質問にすべてが停止する。

けれどその停止は、静の毛嫌いしているそれとは違っていた。


立ち止まって考える。


今の静にはその能力が備わりつつあった。

静は、自分の右手首を見つめる。


「……なんか、しずかちゃん、雰囲気変わったね。前は命を石炭のようにくべて真っ赤に燃やす、だから元気って感じだったけど。今のしずかちゃんは、セーブしてるというか、飛び出す寸前のマグマというか……うん、まさに、静に燃えている青い炎だ」

「マグマは赤です」

「そうかな? 僕は、地表に出てきたマグマしかみたことないけど、もしかしたら、地中じゃ青色かもよ? それに、地上のマグマもよく見ると根本は青く燃えてるし」

「直接見たことないし……」

「ぷっ! あはは。確かに。僕もニュースなんかでしか見たことなかった。しずかちゃんの言うとおりだ。僕画家は、直接自分の目でみて始めてその色を表現出来る」


「なんて言ったんですか? 四季さん」

羽生がニンマリする。


「……しずかちゃん。好きな人できたでしょ。恋したいんでしょ」

さらにニンマリする。


「あの! だから、なんて」

「『待ってた』って」

動き出そうとしていた静の気持ちが、ガックンとノッキングを起こす。

「待ってた……」

「そう。待ってたって言った。それが僕はすごく嬉しくてね。待っててくれたっていうこともあったし、余裕綽々の四季に待たせてたっていう優越感みたいなのもあったし、でも一番は待ち合わせてたってことかな」

「待ち合わせ?」

「僕も待ってたってこと」

「え? だって、四季さんが待ってたって言ったんですよね?」

「そう。でも、僕も待ってた。四季のその『待ってた』という言葉を」

「だから待合せ」


静には羽生の言っている意味を十分に理解できるほどの時間も、経験も圧倒的に足りなかった。

ただ、『待合せ』という言葉の意味を素直に受け入れることだけはできた。


「始めて四季とデートしたときね」

「はい」

二人は目と目をしっかりと合わせる。

羽生は優しく。

静は真剣に。


「遅刻したんだよ、僕」

「最低ですね」

「ふふ、だよね。急いで家を出て、必死に走って、髪のセットも、服装も適当に選んで」

「なんか目に浮かびます」

「駅前が待合せ場所だったんだけど、着く頃にはもう汗びっしょりでね」

「自業自得ですね」

「言うねぇ。たしか、あの時はぁ……あ、そうそう、金木犀の匂いがしてたから秋だ。青から赤に変わる時期だ」

「ちょうど今くらいですね」

「そうだね。でね」

「待ってください」

「え?」

「窓開けます」

「うん」

静は何かを確認するように、しずかにベランダの窓を開ける。


まだ青い。

そう思う。


「続き、どうぞ」

静が手のひらを差し出し、軽くお辞儀をする。

「では、続きを。というか、もうほとんど話ちゃったんだけどね」

羽生が頭を掻く。

「最後まで話してください。照れるのはそれからでお願いします」

頭を掻く音が大きくなる。


「すいません。でね、汗だくで着いて、僕的にはもう完全に終わったって思ったの。せめて、彼女も遅刻しててくれって、最悪な考えを願ってたの。でも。というか、もちろん彼女はもうそこに居て」

「関係ないですね」

「なにが?」

「汗だく」

「そうだね。今の僕ならそのことが分かるけど、あの時はそんなことばっか気になってた。でも、その瞬間は違ったんだ。待ってる彼女を見つけて僕はすごく嬉しくなった」

「なぜですか?」

「待ってたんだよ、彼女」

「待合せたんですからね」

「そうはそうだけど、何もしてなかったんだ、四季。ただ待ってたんだよ。普通、携帯いじったり、本読んだり、なにかしらで手持ち無沙汰を潰すんだろうけど、四季は、ただ待ってた。携帯も、本も、それ以外の何かもせず」


「……」

もう静は黙るしかなかった。

羽生との会話をこれ以上することがつらくなる。


「あ、でも、そのあと烈火のごとく怒られたけどね」

「ぷっ!」

静は息を吹き返す。

羽生のやさしさで。


ベランダから風が吹く。

秋の風。


青から赤へ。


「……なんか意外だね、しずかちゃんがこんなことをするなんて」


金木犀の風が吹き込む。

匂いと、もうひとつ、思い出を含んで。


「羽生さん。私に絵教えてくれませんか?」

「うん。そのために今日ここに来たんだ」


見えていた世界が変わる。

夏から秋へ。

青から赤へ。

恋をする。

したい。

そう静は思った。

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