第32話 FIGHT!!
遥かなるオーバースピード。
まさに、それこそが島の目の前で起こっている事象だ。
ヘッドライトが照らしている色ではない、淡い青色の炎がFDから立ち上るようにして、その生命力と生存力を問答無用に島に納得させる。
『死』。
その一文字だけで脳内面積を埋め尽くした。
現実味が無くなり、真実味が消える。
ほとんど嘘だった。
島は、今自分が目の前と同じようなことをしているということを、これほど強く否定したいと思ったことがなかった。
「……」
無言。
それは、集中だった。
明らかなオーバースピード。
自分が許容の外にいることに対して、島の導き出した答えは、シンプルだった。
不自然で不快とも思える動きの余裕とFDに対し、島とAP2は、人間と機械のもてる『許容』全てで対処することにした。
理想的なブレイキング&リリース。
完璧な荷重移動によって生まれる四輪ドリフト。
必要最小限なカウンターステアリング。
その全てを担うアクセルワーク。
そして、結果として生まれた、限界を超えた実力を島は獲得した。
「死ぬとこだった」
至極当然な言葉をため息混じりに島が吐く。
コーナー進入時、2台分近く離れてしまった車間は、半車まで詰められた。
「やるねぇ」
バックミラーに映る光量に、余裕は感嘆の声を出した。
余韻も束の間、切り返しの二つ目。
セオリー無視の余裕。
高次元なセオリーどおりの島。
正反対の考え、真逆な動きの二台が一瞬、その挙動が重なる。
『ミックスアップ』
そう呼ばれる現象が二人に起き始めていた。
互いが互いを高める。
今の余裕と島で言えば、自身の限界の壁を体当たりで壊しあう。
その枚数がどちらが多いか。
二人の『勝負』は、そんな次元に入ってしまった。
二つ目の複合コーナーに二台は、一つの鉄塊となって特攻して行く。
このコース最大の曲率複合コーナー。
まず目に入るのは、一つ目のコーナーに設けられていた、傷だらけのガードレールを遥かに凌駕する、意味を成せていない、グシャグシャになった白い鉄板だ。
FDのヘッドライトが不規則な銀色の反射を生む。
「おーおー増えてるな、あの頃より。なによりだ!」
常識。
そんなもの、余裕にはバラストのように不要なものだった。
「ここの重要性をうしろの二人は理解してるかな」
余裕の口角が、顔の構造上それ以上は無理というほどに上がる。
「余裕さん、勝負です。俺の一番好きな、この二つ目で――」
初めて島が攻勢にでる。
慣性ドリフトからの急激な荷重移動によって、まるで、リスの方向転換のように一瞬にして真逆にノーズの向きを変える二台。
瞬時にステアリングを切り、無駄なスライドをやめ、加速姿勢を余裕が作る。
「はあ!?」
余裕が悲鳴のような怒号を上げた。
それは、島の取ったラインが原因だった。
時間にして0.1秒。
感覚にして刹那の出来事だった。
車幅半分と少し。
島が、ベストラインからずらしてスライドを止めた。
「……」
集中。
さらに、集中。
そこからの全ては島にとって予定調和だった。
イン側に、タイトな角度で、島が無理矢理な加速体勢を作ったことで、一旦、余裕より遅れをとる。
「……」
さらに、集中、そこからさらに。
島の左目が、車体をずらしたことで、進むべき方向を見据えた。
その景色が、まるで昼のように白み始める。
その世界には、己しか存在できない。
『ガシャン』
音自体は小さかったものの、余裕の味わった振動はその何十倍にも感じられた。
「くっ」
その不快な振動に、思わずハンドルを逃げるように右に切る。
結果、島にラインの優先権を譲ることになってしまった。
「やられた」
余裕がなぜ、ぶつけられたにも関わらず、怒ることなく納得したのか。
一言にそれは、
『喧嘩』
というルールに則ったことによるためだからだ。
サーキットならば、良くて警告。最悪、一発アウトなアクション。
しかし、今ふたりの舞台は公道。
だからだ。
いち早く加速体勢を余裕が作り、逃げようとする。
しかし、その取り繕いは間違いだった。
「うおっ」
気づいた時には、白い磁石に吸い寄せられていた。
ブランクといってしまえば、それは光速で嘘になる。
非常事態。異常事態。否。「嫌だ。」
FDのアクセルペダルを1センチ、余裕は戻してしまった。
その瞬間、ラインは破綻した。
「……」
神懸かり的な修正舵で自分の判断ミスの尻拭いをする。
その甲斐もあって、ハーフスピン状態に陥った状態を回復させることには成功した。
しかし、まるで抱き上げられた飼い猫が自由になりたいと身悶えするように、右に左にと、車体が細かく何度も振れてしまう。
「……危なかった」
二台の関係性が、テールトゥノーズを通り越し、振り出しに戻った。
そして最後局面。
二台は、この死地から脱出しようと試みる。
S字の複合コーナー二箇所を消化した。
それは、一般的には、このS字コーナーを抜けた状態。
この道最大の難所を抜けたことを意味する。
「……」 「……」
島はすでに白い世界の住人。
余裕は、そうではない。
嫌ったからだ。
数秒前の出来事によって、踏み入れようとした。
『……危なかった』
あの言葉は、事態にではなく、能動的に白い世界への進入を拒めたことへの安堵から漏れた言葉だったのだ。
「そのままじゃ、まずいですよ……余裕さん」
「って思ってるだろうな」
時すでに遅し。
二人の言葉は遅すぎた。
二台はそのまま。
並列状態で終焉を迎えようとしていた。
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